
日本での不法滞在が発覚してアイスランドに出国したときにずいぶんニュースになりましたけど、実像はそんなに知られていないボビー・フィッシャー。「ボビー・フィッシャーを探して」という映画には本人がでてこないので、伝記的な物語を見たのはこれが初めてでした。
母親が共産党シンパ、ということで、最初から当局にはマークされている、という背景があったことは全然知りませんでした。映画冒頭から、尾行・盗撮されている、と匂わせる演出がたっぷり盛り込まれているので、後半どうなるのかな、と思ったら案外そういう要素は関係なくて、神経質さゆえに半ば破滅的な人生を送ったチェスの鬼才の、キャリアのピークの綱渡りぶりに焦点を当てた作品でした。
飛ぶ鳥を落とす勢いの若手時代に一度こっぴどく敗北を喫して、そのあとは雪辱できるかどうか、絶好の機会が来たのに、神経質な気質から初戦・第2局を落として、あとがない立場になってから、果たして巻き返せるのか、というところ。駒の動かし方もわからない観客にも、どうやら前例のない手を打ったらしい、という意外性や緊迫感はうまく伝えていたように思います。敗北のあと、あまりの見事さにカスパロフが拍手したとか、この辺どの程度実話なのか、調べてみたくなりました。いろいろと、当時の資料映像を応用しているんだろうな、と思えるところはたくさんあって、特にBBCニュースのセットやキャスターは当時のものか、巧妙に再現したものを使っていたと思います。
ボビー・フィッシャーの才能にほれ込んで、ワガママをなだめすかしながらも、チャンピオンになるまでつきあい続けた人々の苦労というのも、こうやって実際に見てみると、描かれている以上に日常的なことだったんだろうな、とさらに同情してしまいます。
スポーツでも、チェスでも、ベトナム、中国、宇宙開発と、あらゆる局面で米ソが競争を繰り広げていたころ、アメリカは国の威信をかけて、ボビーが対局に現れるかどうか注目していた、というのも、今となってはなんというバカ騒ぎなんでしょうか。どっちに転んだって、試合は試合、国は関係なく栄光は選手のものです。当時のあの空気の中で、それを遠慮なく言い放てたボビー・フィッシャーは、ある意味貴重な存在だった、ただしマスコミはじめとしたオフィシャルな歴史はそれを認めたくもない、といったところでしょうか。
トビー・マグアイヤが製作も手がけて、この神経質ぶりを描いています。対するカスパロフ役のリーヴ・シュレイバーは、「クライシス・オブ・アメリカ」でマインドコントロールにかかった復員兵を演じた人で、クールでコントロールが効いてそうで、どこかに狂気をはらんだ今回の役もはまりどころだと思いました。ボビーが恐れていたのと同じくらいに、当時のソ連当局は、自国の才能が海外に亡命したりするのに疑心暗鬼になっていて、KGBが盗聴器など仕掛けまくってましたからね。