超話題作だし、スーパースターのラジニカーントが出ているし、最新の映像技術をこれでもか、と見せられた感じはあるんですけど、ちょっとこれでいいんでしょうか、という気持ちにはなる一作です。

バセーガラン博士は寝食を忘れてロボットの開発に打ち込み、その結果チッティというそっくりさんロボットを完成。軍に売り込もうとやっきになります。それをはたで見ていた師匠のボラ博士はそれを審査する立場でもあり、妬ましくもあると。

で、審査では、人間のような善悪の判断をできないという理由で撥ねられて、悩んでいると稲妻に打たれて、なんの奇跡か、感情を持ってしまう。で、博士の彼女サナに恋してしまうという。

で、いろいろあって、肝心の軍へのプレゼン本番では、「戦争よりも愛を」と語りだして売り込み失敗。絶望した博士はチッティを破壊してしまう。

廃棄されたチッティはボラ博士に拾われて再生するのですが、ボラ博士に悪のチップを埋め込まれて、暴走。結婚式に乱入してサナをさらい、警察を武力で圧倒。バセーガラン博士は悪のチッティ軍団の一人に化けて潜入して、いろいろ攪乱するけれど、正体がばれて、そこからが物量作戦のクライマックス。

最後はチッティも悪のチップを取り除いて正気にもどりますが、その過程で一体何人の警官・軍人を殺しているのか。価値基準が人命尊重じゃない感じがすごく強くて、あんまり笑えなかったです。人の命をすごく軽く見てませんかね。

そもそもの目的の、軍にロボットがいれば人が死ななくていい、という発想、相手も人だということを忘れすぎでは。

途中のダンスシーンとかは圧巻だし、サナも伝統的な衣装だけでなく、いろんな表情があって魅力的でしたが、ストーリーがちょっと殺伐としすぎて、しかも全部死んだボラ博士のせいにするって、お気楽だなぁ、と思ってしまいました。

ミラ・ジョヴォヴィッチ主演で、日本語版のジャケットとかは派手なアクション映画みたいに見えますが、もっと地味でもっと出来が悪いです。

「プロフェシー」とかに似てますかね。アラスカのノームという町で住民が不眠症に悩まされていて、催眠術で原因を探ったら、陰惨な事件が起き始める。主人公アビー・タイラーの夫は惨殺され、娘は精神的な理由で目が見えなくなり、息子にも信用されなくなる。

撮影しているビデオは映像が乱れ証拠が残らない、友人の精神科医も懐疑的。そんななか、夫の本を手がかりにシュメール文明の研究家に連絡をとったら、ビデオにかすかに残っている言葉が少し解読できて、なにやらスケールのデカイはなしになってきた、と。

結局、監視されている最中にも宇宙人がやってきて娘がさらわれたりしてるんですが、保安官はそれも無視してアビーの精神の問題として片づけます。最終的には夫は拳銃自殺だったと明かされ、アビーは最後の催眠術で首の骨を折り半身不随になって救いのないお話に。

そもそも、なぜ催眠術での研究を進めるのか、なぜ途中で警察に相談しないのか、議論の進め方があまりにも科学者らしくない、など、共感できない要素が多すぎました。

実録フィルムと称する映像とドラマが画面分割でシンクロしながら進むのが特徴としては新しいのでしょうか。でも、「ブレアウィッチ」的なこけおどしホラー以上のものではなく、ちょっと残念。

「ラブ・アクチュアリー」を見た直後にこれを見て、複数のストーリーが展開するものに免疫ができていたのですが、この時系列の飛び方はまた独特で、エンドクレジットを見たら原作小説があるもののようで、なるほどな、と納得しました。映画としてのリニアな作りよりも読んではちょっと確認のために前に戻れる本の方が楽に描けるでしょうね。

一人の役者さんがたくさんの役を違う時系列で担当する、というのは「愛と死の間で」のような例もあり初めてではないと思いますが、トム・ハンクスがあちこちに出てくると「ポーラー・エクスプレス」と「フォレスト・ガンプ」が目の前をちらついて仕方がなかったです。話の中では善玉も悪役も演じる、という珍しいタイプ。

それぞれのキャストが主人公になったり脇役になったり、各ストーリーの中で入り組んでいます。奴隷解放の物語、老作曲家の清書役をしていた青年が自作曲「クラウド・アトラス」を残すまで、エネルギー産業の闇を暴くジャーナリスト、編集者の自伝小説、クローン人間の反乱、文明崩壊後の分断された地球、といった話が、実は相互につながっている、という。

でも、結果的にキャストの中での殊勲賞はクローン少女を演じたペ・ドゥナかもしれませんね。ちょっとすっぴんの宮崎あおいさんを思わせる純粋さで、ラストシーンでの米国人妻ティルダまで、革命の象徴的な存在を演じています。

途中で「ソイレント・グリーンは人間だ」という、有名なセリフが飛び出したと思ったら、未来世界のクライマックスでそのままの展開に引用するとは、とか、養護施設に強制入居させられて退去をこころみる老婦人の名前がヴェロニカ・コステロだとか、現代カルチャーへのオマージュに満ち満ちていてにやりとしてしまいました。

ハル・ベリーがジャーナリスト、また未来世界の調査員として活躍しているのと、各世界の憎まれ役として、「ミスター・スミス」のヒューゴ・ウィーヴィングが登場していて、そういう点も「マトリックス」的な色彩を強調しているように見えました。

今回の場合は、人工的に作られた「システム」に対しての闘い、ではなく、人間の歴史の中で宿命的に繰り返されてきた、既得権益に基づく差別や無知からくる憎しみを対象に、宗教の役割にも触れているところが面白いですね。そして「すべてはつながっている」という輪廻転生にも似た考え方に回帰しているところも面白いです。一見過去のように見えた話が実は人類の未来だった、というところもひねりが聞いています。

ちょっと長くて、ストーリーごとに少しダレ場があるとも言えますが、それだけにいろんなピースが少しずつ呼応し合って後半のクライマックスを迎えるあたり、やはりこれは労作で、繰り返し観るに足る作品だと思いました。

すごく文学的な物なのかな、とタイトルから漠然と思っていたらぜんぜん違う、ユニークな傑作でした。よく「愛と喝采の…」みたいな、原題と全く違う日本語タイトルをつけるケースがありますけど、こういう作品こそ、クリエイティブにいい日本語タイトルを考えてあげればいいのに、と思います。

キャストはきら星のごとく、しかしスターの名前に頼らず、脚本の力で数多くの登場人物のクリスマス時期の「愛のかたち」をつづりながら、全体をパッチワークのようにつなぎ合わせて、最後のシーンに思いがけないクライマックスを設定しています。

冒頭の方で結婚式を挙げるカップルの黒人男性の方、「ブラック・パンサー」の人と最初思い込んでいたのですが、実は「ドクター・ストレンジ」のモルド役でしたね。売れないロック・スターのクリスマスソングのビデオクリップはロバート・パーマー風とか、遊び心炸裂してます。で、新郎の親友に新婦が結婚式で撮影したビデオを借りに行ったところから、この3人の微妙な関係がわかってきます。

ヒュー・グラントは、若くしてイギリスの首相になったばかり、初日から新人のスタッフの女性に一目惚れしてしまう、というにやりとしてしまう役柄。コリン・ファースは執筆のためフランスの田舎にこもるミステリー作家で、ハウスキーパーの女性に惹かれていく。池に原稿を落としてしまって、二人して水に飛び込むくだりの、言葉は通じないけれど期せずして同じことをつぶやいているすれ違いはすごく面白いです。

障害のある弟を抱えてアラン・リックマンのデザイン会社につとめるサラ役のローラ・リニー、ずっと「プリズン・ブレイク」のサラを思い出してました。
あと、イギリスだからもてないんだ、といきなりミルウォーキーに飛び込んでいく若者がスティーヴ・ブシェミを若くしたみたいな感じで、当のアメリカで彼に飛びつく女の子たちの中に「24」でジャックの娘キム役をやっていたエリシャ・カスバートがいました。

全体に、イギリス人のユーモアなので、ちょっとアメリカを小馬鹿にした感じもあって、アメリカではあんまり評判がよくなかったみたいですが、そういうところを割り引いても、人のこころの機微や、ありがちな人生の蹉跌、タイミングの悪いすれ違い、などをうまく突いたなぁ、と思います。

中世のアイルランドの田舎の村から聖遺物をローマまで運ぶことを命ぜられた僧たちの物語。ある意味十字軍の時代をベトナム戦争に見立てれば「プラトーン」とも言えるんじゃないでしょうか。

最初からフランスからやって来た気取った中央権力をかさにきた奴がいて、素朴な修道士たちは反発するのですが、彼のいうことに従ったばっかりに、戦争好きの軍人たちには裏切られ、あとはひたすら逃避行。聖遺物として託されたのもなんてことない石で、その超自然的な力を信じているけれど、現実には暴力と恐怖に翻弄される、というお話です。

石にまつわる伝説が本物なのかどうか、ローマ時代に石打ちの刑で殉教した聖?マティアの遺物がなんでアイルランドまでたどり着いたのか、よくわかりませんが。トム・ホランドが、一番若くて世間知らずの修道士として、英語はけっこうアメリカ英語っぽかったですが、田舎のシーンではゲール語?を駆使して結構雰囲気を出してました。戦闘シーンやアクションになると、全体にキレがありすぎて、現代劇みたいになってましたが。

フランス人修道士ジェラルドゥスの利己的で政治的野心を抱えた背景がわかってくるにつれて、早くこいつ成敗されますように、と思ってラストを迎えるという。

途中でイングランドのノルマン征服の過程での戦乱の世を嘆いて、「昔は平和だったの?」と聞くと古老が「いや、ずっと戦争だった」と答えるあたりがこの映画の一番のメッセージなんじゃないかと思います。

ずっと黙って戦っていた寡黙な男(ジョン・バーンサル)が、ずっとアダム・ドライヴァーかなぁ、と思っていたという。

「サイコ」のノーマン側から描いた話、というのが一番の特徴でしょうか。

これが、精神疾患を抱えた患者の側からの問題意識ならば興味深い、とも言えるのですが、正直な話、あまり深い洞察なしに笑いのめす健常者からの冷やかしに見えてもしかたない、と思えてしまって、もう一つ深みを感じられませんでした。

ジェマ・アータートン、アナ・ケンドリックという実力派を被害者に仕立てて、心ならずも連続殺人事件を起こしてしまう精神分裂症?の患者の心理を描いていくのですが、どれも殺人の直接のきっかけがあんまり説得力ない。そして、テンパるとやたら暴力的になるという描写の繰り返し。

精神科医の途中何度かの面接も描かれるのだけど、これも本気で患者を心配するなら、もう少し真剣に調べろよ、と思いたくなってしまい、二人目のリサが行方不明になった段階で当然警察を呼んでいなければいけないところ、職場は一体なにをやっていたのか、とか、職場に精神障害者を雇用することに対していたずらに不安をあおるプロパガンダにつながりはしないか、とかそういうことばっかり気になってしまいました。

唯一の救いはリサとのロマンスのシーンだったのですが、その後の展開も含めてむしろトータルではマイナス評価です。

ワンシチュエーションでなかなか見せる努力は評価できると思います。

ヘイデン・クリステンセン、ジョン・レグイザモと個性派を揃えたところが妙味ですね。「クローズド・バル」というスペイン映画?と似たテイストを感じます。ワンシチュエーションでできるだけ描く、というやり方ですね。

映画館の映写室で急に停電が起きたことから始まって、映写技師のポールが慌てるけれども客も騒がず。それもそのはず、服だけ残して、人間は蒸発していると。他にもあちこちで同様のことが。

この辺、「アローン」というフランス映画やテレビシリーズだった「レボリューション」あたりがちょっと思い出される話ではあります。あと、ロシアで次々と人間が消される「ダーケストアワー」も同系統と言えるでしょうか。今回はとにかく画面の暗さ、暗闇の原始的恐怖、というところにこだわったと思います。

その上で、こういう原始的恐怖に直面したときに、肉親とはなればなれになったときに、人はどう振る舞うのか、を描くことに一義的な関心があって、背景の理屈だとかハッピーエンドにはほとんど興味がなかったんだろうな、と思います。

どんなに当面の作戦をうまく遂行しよう、という目的があっても、それよりも自分の見たいものを信じてしまう人間の弱さ、みたいなことでしょうか。最後ジェームスがルークが止めるのも聞かずにお母さんのいた教会に行ってしまったことで、ルークも犠牲になるわけで、「おいこら!」と思いたくなる気持ちもあったり。ローズマリーも9カ月の息子の声が聞こえたらつい乳母車の方に行ってしまって消滅するとか、敵方もけっこう人間をおびき出す手練手管に長けてるな、と思ってしまい、少し「耳なし芳一」を思わせる古典ホラーの要素もありました。

ポールが触れていた、イギリスの最初の植民地に残されていた言葉が、今回の町にも残されていた、というのはなんの象徴なんでしょうね。謎は全部解けなかったわけですが、続編とかあるんでしょうか。個人的には結構気に入りました。

ジェイソン・ステイサムのシリーズとはまったく別の、イギリス人的なスリラーです。

原題もLevel Upという、全く別なタイトルで、ゲームマニアで他には何といって特徴のない男が巻き込まれる、ある事件のお話。

結構美人の彼女アナと同棲しているのに、仕事には身が入らず、ゲームばっかりしている男の家に、ある朝覆面のグループが。気絶させられて、その間に怪しいベストを着せられます。そしてポケットに入れられたスマホには不可解な指示が。指示に従わないとアナを殺すと。どうもこちらの様子はばっちりモニターされているみたいで、誰にも言うな、荷物を破壊するなと。

ただ、その荷物を運べばいいだけかと思ったら、途中に邪魔が入ったり、次のミッションで人を殺せとかエスカレート。

最後は自分の正気を疑いかけるまでいくのだけど、結局真相に気づいて、大事な彼女のところに一目散に駆けてゆく。途中までの迷いに満ちた走りとは明らかに違う、一心不乱の全力疾走に、物語全体のカタルシスがかかっているような感じです。

実際のところ、これだけの用意周到な仕込みをするのは大変すぎて、リアリティーはないんですが、それでも、ゲームのようにミッションを達成してゆこうとすることに「レベルアップ」があるのだ、と盲信するゲーマーたちへの皮肉にもなっていて、あんたたちがやっているのは、結局現実の問題を解決するためには全然役に立たないんだよ、と告げているかのようです。

音の作り方がとても上手で、サイコスリラーとしてはよくできていると思いますよ。アクションがイマイチ説得力ないとかはありますが。

東京を舞台に、狭い車道でいかに見せるか工夫した、その結果がドリフト走行に着目したということなんでしょうね。

レギュラーキャストがラスト2分を除いて一人もいない、という中で、新キャストの高校生ショーンがアメリカでトラブルを起こして、東京に強制送還。そこで新しいクラスでは柴田理恵さんの先生に「上履き」を繰り返されて、上履きファッション強制、詰め襟の学ラン含めてなんの羞恥プレーなのかな、と思えてしまいました。日本語は割に自然に聞こえましたが。

で、父親に謹慎を言い渡されているにも関わらず、夜の町ではレースが行われていることを知って、よせばいいのにヤクザの甥タカシにけんかを売ってコテンパンにやられる。だけどそこでハンというタカシの知り合いに見込まれてドリフトのテクニックを仕込んでもらう。

一方、タカシはおじさんのヤクザ(千葉真一)から上納金のピンハネを疑われ、タカシはハンを責める、同時に惚れているニーラがショーンと仲がいいのが妬けてしかたない。で、都内路上で三つ巴のカーチェイスの末、ハンが死んでしまうという。

で、ショーンは腹をくくってヤクザの叔父さんに勝負を申し出て、山でタカシとのさしの勝負。でそれに勝ってみんな自由に。めでたしめでたし。

なんでしょうね、このヤクザリスペクト。最初から反社の言いなりになって闇の序列に従うこのよい子たち、なんかもう少し疑うことを知ってほしいなと思いました。

日本人キャストは他に北川景子とか真木よう子とかいたんですが大した印象は残せないませんね。KONISHIKIもあんまりリスペクトのある扱いとは言えないでしょう。妻夫木聡さんは、東京で最初のレースのスタートを宣言するだけの役割ですかね。中川翔子さん、出ていたの気づきませんでした。

序盤の小物感、がっかり感の割には後半はそれなりに見られたと思いますが、主にハンの魅力によるところが大きかったですかね。でも大きな意味で彼らを動かしている原動力や、高校生としての素顔みたいなものはほとんどなかったかなと思います。ニーラの扱いも単にあちこちをたらい回しにされる物同然。これが日本の女性観、と言えばそれまでですが。

忠臣蔵のおおまかな設定を伝えて、それを西洋人から見た異国情緒で飾るとこうなる、という好例ですね。日本人が作ったらこんなに面白くはならないでしょう。

しかしながら、大筋では日本人の忠義とか藩おとりつぶしとか、基本情報は誠実に伝えようとしているのが面白い。

参勤交代とか、刃傷事件が起きたのが江戸だった、というのが理解しづらいであろうこと、裁判を行うのに当事者が対峙しないという奇妙な風習は直感的理解を妨げる、あるいは女性に関するタブーをリアルにやると感情に訴えかけるシーンがまった作れなくなる、などの点は現実的に考慮しての翻案と見るべきでしょうね。

大石蔵之助が1年間、穴蔵に放り込まれていたとか、けっこう大雑把な扱いで笑いました。あと、天狗に育てられた魁(カイ)、能力の本当のすごさは見せきれなかったな、というのと、絶対に二刀流で戦う伏線だよな、というのがあっさり裏切られたのと、序盤で魁を負かした巨人の覆面武士が最終決戦でなく途中であっさり爆死してしまい、顔すら見えなかったこと、最終決戦がドラゴンになっちゃったのはちょっと残念ですかね。

日本の地形や風土を知らない人は、村や城のチマチマした感じがわからないんでしょうね。山もずいぶんダイナミックだったり、明らかに中国の山、という感じの風景も混じってました。儀式の女官の髪形なんかも平安朝ぐらいにもどったらわかりませんけど、ラストエンペラーにむしろ近かったような。

ストーリー的には、江戸時代の「ロビン・フッド」に「ウィロー」の黒魔術世界を織りまぜた、というとだいたい感じが伝わりますかね。