「ラブ・アクチュアリー」を見た直後にこれを見て、複数のストーリーが展開するものに免疫ができていたのですが、この時系列の飛び方はまた独特で、エンドクレジットを見たら原作小説があるもののようで、なるほどな、と納得しました。映画としてのリニアな作りよりも読んではちょっと確認のために前に戻れる本の方が楽に描けるでしょうね。

一人の役者さんがたくさんの役を違う時系列で担当する、というのは「愛と死の間で」のような例もあり初めてではないと思いますが、トム・ハンクスがあちこちに出てくると「ポーラー・エクスプレス」と「フォレスト・ガンプ」が目の前をちらついて仕方がなかったです。話の中では善玉も悪役も演じる、という珍しいタイプ。

それぞれのキャストが主人公になったり脇役になったり、各ストーリーの中で入り組んでいます。奴隷解放の物語、老作曲家の清書役をしていた青年が自作曲「クラウド・アトラス」を残すまで、エネルギー産業の闇を暴くジャーナリスト、編集者の自伝小説、クローン人間の反乱、文明崩壊後の分断された地球、といった話が、実は相互につながっている、という。

でも、結果的にキャストの中での殊勲賞はクローン少女を演じたペ・ドゥナかもしれませんね。ちょっとすっぴんの宮崎あおいさんを思わせる純粋さで、ラストシーンでの米国人妻ティルダまで、革命の象徴的な存在を演じています。

途中で「ソイレント・グリーンは人間だ」という、有名なセリフが飛び出したと思ったら、未来世界のクライマックスでそのままの展開に引用するとは、とか、養護施設に強制入居させられて退去をこころみる老婦人の名前がヴェロニカ・コステロだとか、現代カルチャーへのオマージュに満ち満ちていてにやりとしてしまいました。

ハル・ベリーがジャーナリスト、また未来世界の調査員として活躍しているのと、各世界の憎まれ役として、「ミスター・スミス」のヒューゴ・ウィーヴィングが登場していて、そういう点も「マトリックス」的な色彩を強調しているように見えました。

今回の場合は、人工的に作られた「システム」に対しての闘い、ではなく、人間の歴史の中で宿命的に繰り返されてきた、既得権益に基づく差別や無知からくる憎しみを対象に、宗教の役割にも触れているところが面白いですね。そして「すべてはつながっている」という輪廻転生にも似た考え方に回帰しているところも面白いです。一見過去のように見えた話が実は人類の未来だった、というところもひねりが聞いています。

ちょっと長くて、ストーリーごとに少しダレ場があるとも言えますが、それだけにいろんなピースが少しずつ呼応し合って後半のクライマックスを迎えるあたり、やはりこれは労作で、繰り返し観るに足る作品だと思いました。