「星の王子 ニューヨークへ行く」をCSでやっていたので久しぶりに見た。

「ビバリーヒルズ・コップ」が大ヒットした後のエディ・マーフィー作品だったから、それと比べると、なめられた若者が下から這い上がる痛快物語でもなく、口八丁手八丁の妙味もない、「王子と乞食」物語。確か、世評としては、いわゆる「コケた」作品として扱われていた印象がある。

しかし改めて見ると、貧富と愛情のジレンマを巧妙に捉えていて、ところどころチャップリン的なスラップスティックもあり、身分をいかに隠すか、に腐心するドタバタでもあり、2組の親子の物語としてもなかなか面白い。

群舞のシーンがが見事だなぁとか思っていたら、振り付けはOpposites Attract のポーラ・アプドゥルだった。

同じジョン・ランディス作品の「大逆転」に出ていた、ランドルフとモーティマーがチョイ役で出るとか、心憎い演出もあって、やはり時間が経ってからも楽しかった。

続編がまもなくAmazonで配信になるらしい。オリジナルキャストが勢揃いするとか。楽しみになった。

 

インドの教育事情をどの程度正確に描いているのかは知りませんが、工科大学に進学してエンジニアを目指す?若者3人を主人公に、家庭環境と貧困、親子関係と将来の夢、学問と就職、など若者ならば誰もが経験する矛盾や挫折を描いた超大作ミュージカルコメディーです。

一番の主人公と言えるのがランチョー、その彼の不思議な魅力と、ちょっと謎めいた正体をめぐって、学生時代とその10年後を行ったり来たり、そしてそのランチョーの恋物語でもある、という仕立てです。

学長が終始競争で相手を蹴落とせ、という時代の矛盾を背負った存在ですが、息子を事故で亡くしたという過去もあり、その真相が後半明かされることで大きなターニングポイントともなっています。そしてよりによってその学長の娘がランチョーの恋の相手にもなるという皮肉。

学生時代を通じてランチョーにバカにされた優等生君、10年後にどっちがえらくなっているか勝負しよう、とチャレンジするけれど、本質は人に使われやすい便利な機械にしかなっていない。ランチョーは常に学問の楽しさ、仕事のクリエイティビティーとはなにか、を追求して結果はあとからついてくる、という主張。その親友二人は経済的な境遇や親の期待から現実に迎合せざるを得ない、とあきらめたような立場。それが学生時代を通じてどうお互いに刺激し合って変わってゆくか、というのが見どころです。

ライバル役の学生がアメリカザリガニの柳原さんそっくりだったり、ランチョーがテツアンドトモのテツさんにそっくりだったりして、親近感がわきます。

音楽も楽しく、筋も壮大にバカバカしく楽しく、そして泣かせてくれます。

 

ライリー・ノースは主人公の名前で、原題はPeppermint。麻薬組織の銃弾で殺された娘が最後に食べたアイスクリームの種類。

中流階級だったワーキングマザーのライリーは、夫が友人に巻き込まれた麻薬組織のいざこざに巻き込まれて、銃撃され、娘と夫が犠牲に。そして犯人を特定したのに組織に屈した警察・司法によって無罪放免に。以来、姿を消して復讐のタイミングを図っていた。

最初はおどおどしていたか弱い女性が、マッチョに生まれ変わって正義の鉄槌を下していきます。銃撃犯をまず血祭りに上げたあと、検察・弁護士・判事に制裁を。そして麻薬組織のトップを狙う。

警察の側と、途中で彼女の犯行に気づいたFBIが合同で捜査をするけれど、どうも誰かは麻薬組織と通じているらしい。それはいったい誰か?というところで途中ひねりがあります。

どう見ても多勢に無勢のところ、それでもかなりリアルに見えるアクションで敵を蹴散らしてボスまで行き着くけれども一瞬ひるんでどうなるかわからなくなるところが面白いですね。

そしてラストはどうなるか、と思ったら、そうですか。

もう家族を失ったあと、彼女が帰るところはもうないわけですが、なかなか意味深なエンディングでした。

ストーリーは見え見えとしても、キャストの顔ではなく、アクションとプロットと編集でうまくつないで緊迫感が続く作品だったと思います。

 

邦題は「復讐の天使」とした方がよかったと思いますがね。話の途中に「天使」という言葉が出てくるんだから。

 

スパイ物としての謎解き要素は薄いですが、高校の同窓会を絡めて、元同級生同士が組んだ友情もの、として考えるとなかなか楽しい出来だと思います。

高校のときに最も将来を嘱望されたけれど、その後はうだつのあがらないサラリーマンをやっている主人公と、高校のときのいじめがトラウマになっている、CIAエージェント、という逆転したコンビの珍道中。

メリッサ・マッカーシーはラスト近くにほんの少しだけ出てくるので、そこはおまけ程度として。

 

セルビアの映画って初めて見たかもしれません。

宇宙へのミッションに、アンドロイドを連れて行くという話で、もっぱらセックスばっかりしてるように見えるのはどうなんでしょうか。

テーマとしてはちょっと面白くて、経験をベースに蓄積するアンドロイドのOSを途中で削除したら、アンドロイドは人間になれるか、というのはちょっと惹かれました。

ただ、主人公が完全なクソ野郎で、それが前半の狙いかもしれませんが、その人間の身勝手に引きずられるアンドロイドというのはかわいそうな存在でしかない。いくらその彼が自由意志を与えてやったんだ、と言い張っても、それはセカンドレイプでしかない。


だいたいこんな結果になるだろうということ、派遣した会社は予想しなかったんでしょうかね。

映像はきれいにとれているし、アンドロイド役のストーヤという人はアメリカのAV女優らしいのですが、演技はしっかりしていたと思います。

同じ設定でも、脚本次第でもっといいものになったと思うと惜しいなと。

 

ちょっと「ロビン・フッド」的な伝承の世界ですが、アーサー王とエクスカリバー、円卓の騎士たちと魔術師マーリンが大活躍の物語です。

父ウーサー王がコーンウォール王の妃に懸想をして魔術を悪用したことから始まる、悲劇。生まれた子はマーリンが預かり、他の貴族に預けて育てられる。そして聖なる剣エクスカリバーは石に刺さったまま誰もぬけずに月日が過ぎる。

そして、成人したアーサーが剣を抜き、王となる。彼を補佐するのは円卓の騎士たち。そして無敵の剣士ランスロットと出会い、部下とするのだけれど、ランスロットはアーサーの王妃グエネヴィアに一目惚れしてしまい、円卓の騎士の間に不和が。そしてウーサー王に母を奪われた娘モーガナは成人してからマーリンに弟子入り、そのねらいはアーサー王の王座にあった…。

人間の欲望がいかに不条理で、あるべき人の道を外れさせてしまうものか、アイルランドのロケーションの中でみずみずしく描かれています。

この人達あの身軽な姿で単身、馬にも乗らず走ったりさまよったり、いったいどこで食事と寝泊まりしてるんだろう、と思うようなシーンが随所にありますが、話の運びは非常にスムーズで、人間の業が端的に描かれてゆきます。使われている、主にワーグナーの音楽も、それぞれ元作品のテーマをうまく取り込んで、ワーグナーの楽劇を延々見せられるよりもエッセンスはここにあるのか、と感じられるほどです。

なんと見ているうちには気づかなかったけれども、ウーサー王はガブリエル・バーン、そしてランスロットを告発する騎士の一人はリアム・ニーソン。1981年と、40年前の映画なのに、顔が今と同じ。

現代ならバトルシーンの殺陣を緻密にやったり、戦略を分かりやすくしたり、CGで群衆を描いたりするんでしょうが、そんなことをしなくても、戦争の現実は描けるし、人間は描ける、そんなことを強く思わせる傑作だと思いました。

トータルでは非常に楽しいコメディーなのですが、時々出てくる残虐描写で少し引いてしまう部分もある、という感じです。

オードリーの誕生日をすっぽかした彼氏のドリューはリトアニアで銃撃戦に巻き込まれていた。オードリーは親友のモーガンと誕生パーティーを開いているが、勢いでドリューの私物を燃やしてしまおうということになる。

翌日、ドリューが部屋にやってきて、突然銃撃戦に。ドリューは撃たれて死ぬが、オードリーとモーガンはドリューの最後の言葉を頼りに、彼のおもちゃのトロフィーをウィーンのカフェに持っていって待ち合わせをすることに。

するとそこにはCIAのセバスチャンが現れ、ブツを渡せとせまる。信用できずにためらっている間に他の勢力も現れその場は銃撃戦に。オードリーとモーガンは逃げ出す。モーガンの父親のつてをたどってプラハにいくが、その行き先も待ち伏せされ、二人はつかまってしまう。

敵がねらっていたのは、トロフィーの中に隠されていたUSBドライブ。オードリーはトイレに流したと答え、二人は拷問されるけれども、そこにセバスチャンが救出にきてくれて助け出される。

命令を違反して二人を守ったセバスチャンは謹慎となり、二人を空港に送る途中、実はオードリーがUSBをアソコに隠していたと告白し、3人は中身を確認。それは世界中の経済を思いのままにできる恐ろしい情報だった。CIAの同僚ダファーに襲われ、彼の携帯をたどってバイヤーにたどり着こうとベルリンのパーティーに潜入。そこに現れたのはなんとドリューだった。

最終的にはドリューが裏切ってハイランドという悪の組織に情報を渡そうとしていたことがわかり、彼を倒してめでたしめでたし。

MI6の上司が「Xファイル」のスカリーだったり、いろいろとお得感もあり、脚本や会話の妙は見事だなと思って、途中のアクションも手に汗握る感じでいいのですが、どうしても人を殺すシーンは残虐であんまり好きになれませんでした。

 

ジョン・トラヴォルタにとっては、悪役として名を上げるきっかけになった作品じゃないでしょうか。クリスチャン・スレーターもくせのある役も多いですが、この頃は素直に正義の味方をやってもおかしくない感じで、わりに分かりやすい作風です。ヒロイン役のサマンサ・マティスは、パーク・レンジャーなのに次々に危ないことに首をつっこみ、天然なのか有能なのかわからないながらも独特なチャーミングさを発揮してます。

話としては、核弾頭を乗せたステルスの実験飛行、途中でディーキンズ(トラヴォルタ)が不発核弾頭2基をリリースして、盗もうという計画を。ヘイル(スレーター)は止めようとするけれど、緊急脱出装置ではぐれてしまう。高いステルス機が大破したことで政府をことの重大さを知るけれど、真相はよくわからない感じ。

ヘイルはやってきたテリー(マティス)と行動をともにして、核弾頭の奪回を目指してディーキンズを追う。途中で車を乗っ取って核弾頭を隠そうとするけれど、行き先は見つかってしまい、核弾頭1発は廃坑になった銅山の地下で爆破、放射能漏れは免れる。

そのあと、核弾頭をデンバーに向けて列車で運ぶディーキンズを追いかけて、大立ち回り。すったもんだのあげく、列車は大破するけれど、ディーキンズもやっつけて、核弾頭も無事回収、テリーと自己紹介し合って終わり。

よくもまあここまでノンキに、という感じで、早く上官に連絡とれよ、と思うことがおおいのですが、連絡手段が失われてるんですかね。車もなくして徒歩でどこまで?と思う瞬間もあるんですが、相手の方がのこのこと近づいてきてくれたりして、ちょっとご都合のところもあります。

でもまあ、アクションシーンはジョン・ウー監督だけによくできていて、爽快さがあるのでまあいいか、という感じに。

 

マット・デイモンらしさがあるのかないのか、ちょっと微妙な作品ですが、一応ヒューマンな部分や未来的ディストピアなど世界観を作っての大作になりました。

マックスとフレイは幼なじみ同士、人口が増えすぎてスラム化した地球にすむ孤児のような存在。富裕層は地球を脱出して人工宇宙ステーション「エリジウム」で幸せな暮らしを。

一方、そのエリジウムでは国防長官デラクール(ジョディ・フォスター)が野心に燃えて、官僚的な政治に明け暮れる現政権を転覆しようと狙っている。

ある日、マックスは職場での事故で致死量の放射線を浴び、あと5日の命と宣告されてしまう。助かるためにはエリジウムに潜入して先進治療システムを利用する必要が。そのために地下革命組織の知り合い、スパイダーに力を借りなければならない。一方スパイダーは、そんなマックスを利用して政府の機密情報を取り出そうとする。その為に狙ったのは、エリジウムのシステム設計者カーライル(ウィリアム・フィクナー)だった。

ところが、デラクールは密かにカーライルに自分が国家元首になるようにシステムのデータを書き換えさせていた。襲撃に成功したマックスはそのデータを自らの頭脳にダウンロードするが、それが原因でデラクールの差し向けた刺客クルーガーに付け狙われることに。

負傷してフレイに助けを求めたことで、フレイと彼女の白血病の娘までクルーガーにさらわれてしまう。

マックスはクルーガーに投降してデータと引き換えに自分の延命を試みるが、手榴弾の暴発からエリジウムでとらわれの身に。潜入してきたスパイダーとともに、最後の大逆転をねらう。

結局、データをダウンロードすることで自らは死ぬが、引き換えに地上の市民全員がエリジウムの恩恵に預かれることになり、フレイの娘も助かるハッピーエンド。

どこか、自助を名目に庶民を突き放す現代の国家を揶揄している話だなぁと思いましたが、あんな宇宙ステーション、どうやってエネルギーや資源を調達して維持できるのか、ちょっとナゾでもあり。あと地球上のテクノロジーが今から百数十年後の世界にはとても見えないと思ってしまいました。

あの医療システムの先進ぶりはただごとではなく、早く実現してほしいぞ、と思うのですが、もう不老不死が実現できちゃってるんじゃなかろうか、という世界の先に待つものはなんなんでしょうね。

ジョディ・フォスターは、硬質で冷たく、打算的だけれども自分なりのビジョンを持っている野心家ぶりを存分に発揮しました。ウィリアム・フィクナーは、クリストファー・ウォーケンのテレビ版分身、という感じがしていたのですが、ちょっと早めに死んでしまって残念。

 

シャロン・ストーンが、まだまだ少年のように見える、そしてディカプリオもほんのイキがってる子ども、そんな風に見せることができた映画。

ストーン演じるエレンは、かつて保安官だった父親を町のごろつきに殺された過去のある娘。成長してこの町に帰って来て、市長となっている仇のヘロッドに復讐を試みる。

折しも町では恒例の、腕に自信のガンマンが決闘し合う対決が行われる。そこに牧師に転身したコート(ラッセル・クロウ)も強制的に参加させられ、エレンも参加。最初は彼女の本当の意図は明かされない。

コートも最初こそ渋っていたものの、いざ銃を持たされると、天性の才能と死への恐怖から相手を圧倒し、勝ち抜いていく。

ヘロッドの息子キッドも、若くして才能あるガンマン。父に認めてほしい一心で参加。

そして、だんだんそれぞれが勝ち進むうちに、ルールは相手を殺すまでに変更。ヘロッドは息子を撃ち殺し、エレンとコートの対決はコートの勝利に。

だが、これはエレンの策略。インクを使って死んだふりをして、決勝戦でヘロッドとコートの対決が始まる前に町に爆薬をしかけて動揺をさそい、最後に射殺しておしまい。町はコートに預けて立ち去る、というお話。

途中で一度ヘロッドと一対一で食事のチャンスがあり、そこで撃とうとするけれど怖じ気づいてしまうエレン、酒場の娘が売春宿の親父にレイプされたことがきっかけで人を殺すことへのためらいが消える、など成長?のきっかけがあったり。

最後の対決で明かされる、エレンが父親の首にかけられたロープを狙って撃ったら父親に当たって殺してしまった、というエピソード、え、今?とか思ってしまって、このエピソード必要だったかなぁ、とか。

ジーン・ハックマンは貫祿がある憎まれ役を嬉々として演じています。ガンマン対決も次々に自分を狙ってやってくる殺し屋を排除するのが目的だとか、考えてるんだか考えてないんだか。でもガンマンとしての腕がすごい、というのは、ランス・ヘンリクセン演じるエースを射殺するときにはよくわかりました。

原題の「The Quick and the Dead」は、早抜きで勝ち抜けない者は死ぬ、ということで、「素早く死ぬ」わけではないですね。

ヘロッドは聖書のヘロデ王からの引用だそうですね。父殺しのテーマがそこに絡んでくるのも狙いでしょうか。