Joon's blog

Joon's blog

どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『トロン:アレス』を観てきました。

 

今や巨大IT企業となったエンコム社と、それに肉薄するディリンジャー社。両社はコンピューター内にあるデータを実体化する技術で先を越そうとしのぎを削り合っていた。

ディリンジャー社のジュリアンは最強の警備プログラムであるアレスを始め、数多の兵器の実体化に成功するが、その姿を保っていられるのは29分が限界だった。

一方、妹のテスと共にエンコム社の事業を引き継いだイヴは、創業者フリンの言葉をヒントに、実体化したデータが消滅しない永続コードを発見する。

ジュリアンに命じられたアレスはイヴをコンピューター空間=グリッドに取り込み、彼女が知る永続コードを引き出そうとする。しかし、自分らを消耗品としか見ていないジュリアンに疑問を抱き始めていたアレスはイヴを連れて脱走するが……といったお話。

要約すると、デジタル世界のプログラムだったアレスが現実世界にやってくる話です。

 

シリーズ第3作。

これまでは人間がデジタル世界=グリッドに入り込むばかりのお話でしたが、今作では逆にデジタル世界の人間(や兵器)が現実世界にやってくるという触れ込み。

これをネタ切れと感じる人もいるでしょうが、そもそも現実とデジタル世界間の行き来=物質転送は第1作=『トロン(:オリジナル)』からやっている事。

対象物をデータとしてコンピューターに取り込めるのなら、データさえ作っておけば現実世界に出力できるのも当然なので、一応はシリーズの世界観に則した話になっているんですよ。

前作=『トロン:レガシー』でも、大勢の兵隊がこっちの世界に攻め込もうとしていましたしね。

 

ここで素朴な疑問が湧きまして…。

データを現実世界に出力できるのは分かった。兵器類についてはモデリングしているという説明もあった。

では、人間の姿として出力されるプログラムはどうやって外観が決まるんだろう?と。

アレスは最強の警備プログラムと言われるくらいだから、強そうな見た目になるのは想像できるんですが、あんなヒゲモジャなオジサンとして出力されるとビミョーじゃないですか(笑)。

逆にアテナはイイ感じ。いかにも戦う気満々な『エイリアン2』のバスクエス並みのインパクト。

この辺、プログラムと作った人=ユーザーの顔が一致している(一人二役)という前作までの設定を活かすつもりはなかったのかな。

 

アレスを始めとするプログラムたちは、コンピューター内にデータさえ残っていれば何回でも実体化できるし、どれだけ死んでも蘇れます。

使う側としては1ミリの良心も痛まない、使い捨てできる命です。

そんなジュリアンに忠義を尽くす事に懐疑的になったアレスは、時間制限のない実体化を可能とする永続コードを手に入れるために戦い、その中で永続コードが不完全である事を教えられます。

なるほど、現実世界には永遠の命もなければ、やり直せる命もないという意味においては、永続コードとは見せかけのものなんですよね。

監督のロアヒム・ローニングさんは、アレスを演じるジャレッド・レトさんに『ピノキオ』を例え話に用いたそうですが、本作はピノキオのその後までを想像させる作品でもあるんだなと。

 

1作目から出演しているジェフ・ブリッジスさんが出演しているという事で、もちろんフリンの登場は確定です。

今や世捨て人となったフリンの、色々と達観的な物言いや衣装はエピソード7以降の某スカイウォーカーさんを思い出しますね(笑)。

もう現実世界に戻れないようですが、ならフリンはどこにいるのかと思えば……そんな所かよ!とただただ歓喜です。個人的に、最も心拍数が高まったシーンです。

 

フリンはやはり失踪したまま。ならエンコム社はどうなっているのかと思えば、まぁ色んな意味で大変な事になってますね。

前作に登場したフリンの息子のサムが頑張ってるんじゃないの?と思いきや、今ではイヴとテスという、中国系だか韓国系のキム姉妹が経営を引き継いでいるというウゲ~な展開…。

さらには、かつてフリンと敵対していたディリンジャーの一族はディリンジャー社を創立し、エンコム社と互角の立場にあるようです。

そのCEOであるジュリアンやエリザベスといったディリンジャーの一族も登場しますが、そのポジションは前作で登場したエドワードでしょ? キリアン・マーフィーさんとのダブル主演でも良かったのにねぇ。

 

ヒロインがアジア系ってのは最後まで馴染めませんでした。あんま綺麗な人だとも思えなかったし。

今やアメリカは雑多な人種が住む国になっているからって、そんなのをわざわざ映画に反映させなくていいんだよな。

個人的に『トロン』の世界観にアジア人は合わないと思っています。

 

いくつかの問題は未解決のまま、続編を臭わせるような終わり方は嫌らしいですね。

ハッキリ言ってしまえば、続編を作れるほどの評価は得られないんじゃないかなと思っています。続きはお得意のネットドラマにでもするのかね。

本作もそれなりには楽しめたものの、今に思えば『トロン:レガシー』って割と面白かったんだな。

 

**********

**********

**********

続編と言いつつも前作との関連がほとんどない作品も稀にありますが、本作はしっかり続編している作品です。

前2作を見てないとサッパリ分からないという事はないけど、やはりシリーズ作品は前作を見ておく方が感慨深いものを多々感じると思いますよ。

 

劇場プログラムは990円。主にキャスト&スタッフのインタビューで構成されています。

この手のビジュアルを重んじる作品は、メカをいっぱい載せて欲しいんだよ。

 

で……タイトルになっているトロンって何なの?と思った人、それで正解です。

ちょっとしたタイトル詐欺ですね…。

 

 

==========

観た、『トロン』

観た、『トロン:レガシー』

『ゴジラvsビオランテ』を観ました。

 

ゴジラにより廃墟と化した新宿から採取されたゴジラ細胞。

サラジア国の生物研究所ではゴジラ細胞の再生能力を植物に転用しようとする白神が、周囲の砂漠を穀倉地帯に変えるための研究を重ねていた。しかし、何者かにより研究所が爆破され、白神の娘である英理加が犠牲になってしまう。

それから5年。超能力を持つ者として精神科学開発センターで観察されている未希は、三原山の火口にいるゴジラの気配を察知する。

ゴジラ対策として、核を食べる抗核バクテリアの開発を急ぐ桐島は、帰国した白神に協力を要請。ゴジラ細胞を借りた白神は独自に研究を進める。

その後、芦ノ湖に巨大な植物が出現。それは白神によりゴジラ細胞を融合された薔薇、ビオランテだった。

抗核バクテリアを狙うアメリカのバイオメジャーが三原山に仕掛けた爆弾が爆発した事でゴジラが復活。自衛隊の奮闘も虚しく、ゴジラはビオランテを目指して海を越える……といったお話。

要約すると、人々がゴジラ細胞を巡る中、ゴジラと細胞を分け合ったビオランテが激突する話です。

 

シリーズ第17作。

このところ当ブログではゴジラシリーズに関する記事が多いですが、いつか観るかもしれないという程度の理由で録画しておいたものを消化しているにすぎず、面白くてハマッたから全作を観るぞ!というほどのテンションではありません。

BSではよくゴジラ特集とか銘打って集中的に放送する事がありますが、どこも歯抜けorまたこれ?的なものばかりなんですよね。昭和ゴジラはもう少し観てみたいんだよ。

 

基本的にゴジラシリーズは前作との連続性が薄めですが(どれから見ても楽しめる作風とも言える)、滅茶苦茶にされた新宿とか、ゴジラが復活する場所とか、スーパーXとか、今作は割と前作=『ゴジラ』(’84)との繋がりが随所にありますね。

そこまでやるなら、前作のキャラを一人二人くらい再登場させて欲しかったなぁ。前作のヒロインと瓜二つのキャラは登場しますが…。

 

それはさておき、本作の話。

確か本作はシリーズ史上としても評価が高いという話をチラ見した気がしますが、少なくとも俺ッチが観てきたゴジラ作品の中では面白い部類に入ると思えます。

政府がゴジラという災害の対策に追われる姿を映すのがシリーズの定番&王道なのかもしれませんが、本作ではそれが薄めで、庶民に近い位置にいる人々のドラマを多めに描いているのが好きです。

今の時代に見れば少々クサいものの、光る台詞が多めなのも良いですね。

 

峰岸徹さん演じる自衛官の権藤は、おそらく本作が好きという人の多くに人気がありそうなキャラです。

いちいち人に食って掛かっては皮肉や軽口ばかり叩いていますが、口だけではなく自分で動く体育会系の人。だからって単なる体力バカではなく、判断力もあってベテラン感が漂う、女性よりオジサン受けしそうなキャラです(笑)。

今作限りの登場じゃ勿体ない話ですが、だからこそ強烈なインパクトを残したんでしょうね。

「薬は注射より飲むのに限るぜ、ゴジラさん!」

これにシビれた人は数知れないはず!

 

同じく自衛隊の、作戦の指揮を執る黒木も良いキャラですね。

あくまで勝利にこだわり、そのためなら多少の犠牲もやむを得ないものと考え、即断即決するのが潔い。

人の命がどうとか言い出して逡巡するような、この手の作品で一番かったるい展開を廃するために存在するキャラとも言えます。

演じる高嶋政伸さんの、クソ真面目一辺倒な芝居も緊張感を与えます。

 

他の作品は1度見ればもういいやって感じですが、今作は魅力的なキャラが多く、何度か見たくなる作品でした。

人間ドラマの方が面白いので、ゴジラさんはもっと休んでていいですよ(笑)?

 

根っこを辿れば、ゴジラは人類が開発した核兵器により誕生(進化?)しました。

そんな人類の忌まわしき創造物の申し子でもあるゴジラを滅ぼそうと、あの手この手を尽くすのもまた人類。本作では核を食べるというバクテリアの開発に成功、これを以てゴジラの対抗手段としようとします。

核を無効にできるのであれば、それはある意味、核にも勝る兵器を生み出せる可能性もあり得るということです。

この辺は淡泊に語られる程度に抑えられていますが(あんまやりすぎても説教臭くなるし)、こういった兵器開発競争が続く限り、ゴジラではない新たなる脅威が生まれるのも必定なんですよ。

こっちに比べれば、同じ兵器とは言え、遥かに次元が低いところにあるのが安心させてくれるんだよ、スーパーX(シリーズ)君…。

 

**********

**********

ヤベー、もう『トロン:アレス』が公開されちまったぜ。

さっさとおさらいを済ませなければ!って事で、『トロン:レガシー』を観ました。

 

エンコム社社長のケヴィンが、息子サムを残し失踪してから20年。

エンコム社のCEOに就きながら気ままに暮らすサムの下に、ケヴィンの同僚だったアランが訪ねてくる。ケヴィンに持たされていたポケベルからメッセージが入り、発信源はかつてケヴィンが経営していたゲームセンターからだというのだ。

サムはゲームセンターで隠し部屋を発見。そこにあるコンピューターを弄っているうちに物質転換装置が起動し、サムはコンピューター内の世界=グリッドに放り込まれる。

グリッドでディスクバトルの選手に仕立て上げられながらも最後まで勝ち進んだサムは、この世界を支配する男に出会う。それはケヴィンと同じ顔を持つクルーだった。

クルーの命令により処刑されそうになったサムは、会場に乱入したクオラに救われる。クオラと共に逃げ着いた先で、サムは本物のケヴィンに再会する。

グリッドからの脱出を図るサムとケヴィンは、クルーの執拗な追跡をかわしながら出口を目指し……といったお話。

要約すると、コンピューター内に取り込まれたサムとケヴィンが現実世界に戻ろうとする話です。

 

前作から28年ぶりの続編。

前作『トロン(:オリジナル)』と言えばCGの始祖的な作品で、今やCGは映像制作に不可欠な技術と言っても過言ではありませんから、再注目された上で続編の話が浮上するのは自然な話かもしれません。

 

前作は1982年の作品、そこから約30年近くのスパンを空けての続編という事で、隔世の感しかないビジュアルが見どころです。

今やデジタル技術は日進月歩どころか、“秒進分歩”と言ってもいいくらいのスピードで進化を遂げています。

そんな現実を反映するように、本作のコンピューター世界=グリッドも人口(=プログラム)が圧倒的に増え、ずいぶん広大な世界に発展しました。

ただ雨が降ったり、現実世界の自然現象までも取り入れるのはチト違う気がします。あの無機的で硬質な世界観が好きだったのでね。

ライトサイクルの別次元感もなくなってしまったのは残念だけど、世の中の流れ的にこれは仕方ないかな…。

 

ビジュアルと言えば、基本はモノクロ(今作はやや緑がかっている)で発光している部分だけを極彩色で描くという、前作のコンピューター世界のイメージを踏襲しているのはいいですね。

前作は暗い場所でボワ~ッと光る感じでしたが、今作はくっきり光るのが鮮やかで、それぞれにCOOL感があるのが好きです。

 

前作の主人公ケヴィンが再登場するのは本作のトピックです。

ケヴィンだけでなく、同じ容姿を持つクルーまで登場させるのは上手いですね。前作の設定を巧みに活用しています。

ただ、それがドラマに影響せず、最大の敵が自分の父と同じ顔をしている事に大した意味がないんですよね。敵ではあるけど父=ケヴィンが創造した存在として、どうにか肯定できないものかとサムが逡巡したりしても良かったんじゃないかな。

ケヴィンの同僚アランも登場し、ジェフ・ブリッジスさんと共にブルース・ボックスライトナーさんも登場しているのも嬉しい。そもそもアランはトロンでもあるのに、それと分かるような活躍もなく、ちょっとしたタイトル詐欺にもなってるんですが(笑)。中途半端な退場だったし。

 

そして、ディリンジャーの息子エドワードが登場するのはいいんだけど、まさかエンコム社の上層部として顔を連ねているのは驚きです。

スキャンダルで退任した人の息子を入社させるだけでなく、そこまで出世させちゃうんだから、実力さえ伴っていれば何の偏見も持たないって方針なのかな? エンコム社って世間の白い眼なんか気にしない会社なんだな(笑)。

ケヴィン(もしくはサム)の代わりを務めていたマッキーが、先代のディリンジャーは会社を大きくした功労者呼ばわりしても、その場にいる誰もが賛同しているように見えるのも納得しづらい(マッキーはディリンジャー派だったんだろうと解釈)。

そして最も納得できないのは、いかにも悪役っぽい言動をさせておきながら、エドワードの出番はあれだけという点ですかね…。

 

近年、10年単位のスパンを空けた続編が作られる事が増えました。

多くはオリジナル版のキャラクターが数十年も歳を取って父親になり、その子供が活躍するというパターンです。別名、息子商法ね。

店の跡取りのごとく子供が親と似通った状況に陥り、それを親が見守ったり手を貸したりするんだから、それ授業参観じゃない?と(笑)。

 

**********

**********

**********

Blu-ray版は映像特典多め。

そっちはいいんだけど、単色っぽい部分でノイズが見えやすいのがネックです。大きすぎるテレビでは見ない方が良いかも。

 

 

==========

観た、『トロン』

観た、『トロン:レガシー』

『怪獣大戦争』を観ました。

 

金星の13番目の衛星、X星の探査に向かった富士とグレン。

X星に着陸した二人はX星人に遭遇。怪獣0により地上は荒らされ、X星人は地下に生活の場を求めるようになったという。その怪獣0とはキングギドラだったのだ。

X星人の統制官はキングギドラを倒すため、癌の治療法を教える代わりに、地球のゴジラとラドンを貸して欲しいと願い出る。

地球に還った富士とグレンはX星人とのやり取りを報告。政府はX星人の友好的な姿勢を歓迎し、X星に連れらたゴジラとラドンはキングギドラを撃退する。

X星の問題も解決し、返礼である癌の治療法を収めたテープを再生させてみると、そこにはX星人が地球を支配しようとする宣言が録音されていた。さらにX星人は、電磁波で意のままにコントロールできるようになったゴジラとラドンを地球に運び込み……といったお話。

要約すると、ゴジラたちを使って地球を支配しようとするX星人との戦いを描いたお話です。

 

ゴジラシリーズ第6弾。

前作『三大怪獣 地球最大の決戦』で、ゴジラとラドンがキングギドラを敗退させた実績をX星人が知っていたあたり、ゴジラシリーズは意外に連続性があるのかなとも思わせますね。モスラは度外視だったみたいだけど(笑)。

 

今作あたりになると、シリーズ序盤にあったゴジラの、人間の独善に対する怒りを体現するかのような姿はありませんね。説教臭いメッセージもなければ観終えてモヤッとする事もない、完全な娯楽作になりました。

かと言って、ガキ向けに成り下がったわけでもなくドラマ部分も多めに描かれます。子供はこういうのが退屈ですし(笑)。

胡散臭くはあるけど(ああいうルックスだし…)、なかなか真意を見せないX星人は地球に対して本当に友好的なのでは?というスリリングな展開は、むしろこのまま怪獣を出さないで決着をつけて欲しいと思うくらい(笑)。

 

統制官を始めとする男のX星人はあんな感じで胡散臭いですが、地球へのスパイとして忍び込んだ女性のX星人はいいですね。古い洋画に出てきそうな、シンプルながらもミステリアスで今の目で見ても秀逸なデザインです。この頃の日本でも、あんなデザインができたんだなぁ。

波川を演じる水野久美さんと言えば、本作に登場した際の姿がパブリックイメージと化しているように思えますが、本作を観ればその理由も頷けます。グレンよ、惚れるならこっちだろう?

 

未見なので何とも言えないけど、近年のゴジラはシリアス&リアル路線に走りすぎているように見えます。まぁ、それこそが本来のゴジラシリーズにあって欲しい作風なんでしょうが。

そんなゴジラが無慈悲に暴れ回し破壊の限りを尽くすのを知ると、ゴジラを意のままに操れるX星人とは仲良くしといた方が良かったんじゃないかなと(笑)。

 

音楽はお馴染み伊福部昭さん。

思い出すのは定番の『ゴジラのテーマ』ですが、重厚感のあるあちらとは打って変わった本作のオープニング曲でもある『怪獣大戦争マーチ』は軽快さが良いですね。

**********

**********

変身ヒーローのテーマ曲みたいな勇猛さを感じます。

 

今作においても特撮シーンの力の入れようには脱帽です。広々としていてるだけでなく緻密に作り込まれているセットには見入ってしまいます。

今作を観て思ったのは、それに加えて操演がリアルである点。

例えば車両に関して、いくらミニチュアが精巧であっても挙動がおかしければ偽物と見敗れてしまいますが、まさか今のは本物?と思うカットもチラホラどころか、けっこう多いんですよ。

全ての特撮シーンは本物らしく見えるように労力を使うものですが、その中でもミニチュアの動かし方=操演はかなり重要な仕事である事を思い知りました。

見た目を小綺麗にできても、動きがチャチぃなんて事はCGを使えるようになった現代でもままありますからね。

 

**********

**********

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のBlu-rayが発売されるようです。意外に遅かったですね。

 

 

たった12話を2商品(以上)に分けて発売するのは昨今のテレビアニメでは珍しくないっぽいようですが、ちょっと謎にしか思えないところがあり…。

 

各巻はそれぞれ、

 ・Blu-ray(19800円)

 ・DVD(6600円)

 ・ディスクレスパッケージ(8800円)

という3形態で発売されるようで、この中で目を引くのはディスクレスパッケージという聞き慣れない言葉。

商品説明を一読したところ、”従来のBlu-ray商品と異なり、本編映像や特典映像・音声が収録されているBlu-ray及びCDのディスクを除いた商品になります”との事。

…???

意味が分からなさすぎて一読どころか、二読三読しても何が何だか…。

 

Blu-ray版の商品内容は、

 ・ブックレット
 ・画コンテ集

 ・ドラマCD
 ・キャストトークを収録した特典ディスク

そしてディスクレスパッケージの方はというと、

 ・ブックレット
 ・画コンテ集
 ・キャストトークをネットで見れるシリアルコード(1年間限定)
との事。

記載されている文言だけを信じれば、要はBlu-ray版の特典だけを販売するものらしいですが……あのメーカーの事だ、まだ何かしらの裏があると勘繰っていいかも(笑)?

”ディスクレスパッケージ”なんてスカした言い回しで先駆者を気取ってないで、ストレートにそう書けばいいのに。

字面的に、昨今のゲームで言うところのダウンロード版と勘違いする(もしくは思い込む)人もいそうなものだし。

こういう商品こそプレバンの出番だと思うんだよな。

 

まぁ世の中には、映像特典は見たいけど本編はどうでもいいという人もいるでしょうから、こういう売り方に走るのはアリかもしれません。

そんなマイノリティの中の多くは出演者のファンだと思いますが、ファンだからこそ出演者の仕事ぶりを知っておいてもいいんじゃないかとも思いますが…。

その逆として本編にしか興味なく、特典はどっちでもいいと感じる人の方が多いんじゃないかな?

でも、本編の収録のみで価格を抑えたBlu-ray版は発売しない(正確にはBlu-rayの“通常版”という形態が存在しない)。

近年のバンダイという会社の、客の要望をいちいち逆手に取るような嫌らしい売り方はさすがですよ。

Blu-ray版orディスクなし版で収録されている特典の内容が異なる、という鬼畜商法に走る日も遠くないだろうな。

 

ここで思うのは、いくらBlu-rayの特典だからって、ディスクがないのに商品ジャンルをBlu-ray&DVDにしてもいいのかね?と。

商品内容を見れば、書籍にジャンルする方が正確じゃない? シリアルコードの有効期間を過ぎればブックレットと絵コンテ集だけなんだし。

本編が新しいづくめの作風として話題になったからって、こういうところまで斬新な真似をしようとしているんだとしたら勘違いも甚だしいですね。

 

にしても……特にアニメの映像ソフトの特典によくある絵コンテ集を見たい人、そんなにいる?

『トロン』を観ました。

…え? 今は『トロン:オリジナル』が正しい?

うるせぇバーロー、↑の通り、俺ッチが買ったのは『トロン』なんだから『トロン』でいいんだぜ!

こういう配慮、そんなに必要かねぇ……ガンダムはやらなくていいからな?

 

かつてエンコム社のエリートだったフリンは今やゲームセンターのオーナーを務めつつ、今日もエンコム社のコンピューターへの侵入を試みていた。

それを察知したディリンジャーは、エンコム社のコンピューターを管理するマスター・コントロール・プログラム=MCPに従いアクセス-7の閉鎖を決定。フリンの同僚でもあったアランの新たな警備プログラム、トロンの導入も先送りになってしまう。

アランは同僚のローラと共に、侵入がバレている事をフリンに警告する。フリンは自分のゲームがディリンジャーに盗まれたという証拠を掴もうとしていたのだ。

アランたちの協力により、エンコム社のコンピューターから直接の侵入を試みるフリン。その一部始終をMPCに監視されていたフリンは、完成したばかりの物質転送レーザーでコンピューター内に取り込まれてしまい……といったお話。

要約すると、コンピューター空間に取り込まれたフリンが現実世界に戻ろうとする話です。

 

アニメ化された時だったかな、「『電光超人グリッドマン』はコンピューター内で起きている事を擬人化しているのが斬新な作品なんだ!」と、特撮ファンが我先にと言いたがる時期がありました。

コンピューターのプログラムがキャラクターとして人格が与えられる本作が、以前にも存在していた事を知らないんだから、視野の狭さをひけらかしているようでみっともないなと思ったものです。

そんな連中よりも前に、本作の存在を思い出せずに同じような事を言っていた俺ッチも似たようなものですがね……恥ずっ。

 

それもそのはず、公開から約30年後に『トロン:レガシー』が公開されるまでは大した話題にもならない、ちょっとしたカルト作品扱いされていた(気がする)ので、多くの人々から忘れられていても仕方ないんですよ。

当時のアカデミー賞も、CGは不正行為(!)だという理由でノミネートから除外されていたらしいしね。

 

本作と言えばCGを導入、または多めに使った作品として有名です。

そんなCG黎明期の映像だけあって、現在の視点で見ればチャチにすら見えてしまいます。

が、昨今の進化しまくった、虚実の境が付かないほどに精密&緻密なCGに見慣れた現代の視点で見ると、一周回ってカッコ良いんですよ。いかにも“コンピューター・グラフィック”という言い回しがよく似合う映像というか。

直線や平面(もしくは1方向曲面)ばかりで、かつ少ない色で構成される世界が一種の様式美すら感じさせるんですよ。

それもそのはず、これは知らなかったんだけど、シド・ミードさんが電脳空間のコンセプトデザインを担当してたとは! 言われてみれば、ライトサイクルのデザインとか、なるほど確かに!です。

コンピューター内の人間が着けているスーツやヘルメットに描かれた基板のパターンのような、ところどころに散見される幾何模様の美しさも必見です。

 

とは言え、実際のCGによる映像は20分もないらしいけど(笑)、そんなネタ晴らしで興が覚めるような映像ではありません。後半は絵=マットアートだらけになっちゃうのは興醒めしてもいいけど(笑)。

当時のCGで構築された、もしくはCGで描け得る世界に合わせてセットを作っている点もですが、スーツの模様等の、暗い世界にボワ~ッと光る表現を1枚づつ着色しているってんだから、もはやアニメ並みの手の込みよう!

82年という時代を鑑みれば、実に贅沢な映画なんですよね。

カラフルに光る部分を描き足したモノクロ映像のようで、実にCOOL!です。

 

現実世界にいるアランやローラの助けを求めるためと理由付けて、電脳世界と現実世界を交互に見せがちですが、それをやらないのが意欲的ですね。

電脳世界での話が進む中、現実世界で姿を消したフリンをアランやローラが探したり、電脳世界から現実世界へアクセスを試みたりするシーン等を挟みがちですが、現実世界は序盤とラストにしか見せないんだから潔い。

…と思ったんですが、あちらの世界だけを映してるのは映像的には意外と単調で、意外と眠くなっちゃうんだよね(笑)。新鮮に見えていたビジュアルも、そればかりでは見飽きちゃうんですよ。

 

少々お話が分かりづらい感はあるかな?

序盤の、現実世界でやってる事が凝っているせいか、イマイチ伝わりにくい感じがしましたね。

あと、これはメイキングでも言ってましたが、フリンとトロンの体格が似すぎていて見分けが付きにくいんですよ(笑)。スーツに描かれたパターンの違いで見分ければいい事に気付いた時には、お話の半分が過ぎていました…。

 

**********

**********

**********

Blu-ray版は映像特典多めで見応えがありますよ。

 

ところで……本作を観たら『SF新世紀 レンズマン』を観たくなったオジサン、決して少なくないですよね! Blu-rayどころか、DVDにもなっていなかったとは…。

海外版に期待したいけど、あれこそ歴史に埋もれた発掘困難な作品なんだろうな…。

 

 

==========

観た、『トロン』

観た、『トロン:レガシー』

『ウルトラマンレオ』を観終えました。

 

残り1クール=恐怖の円盤生物シリーズ編に突入したところで、防衛チーム=MACが全滅する点は『~レオ』という作品としての個性の一つです。

昭和ウルトラマンは今作でいったん終了するし、製作費が底をついてきたんだろうという下世話な憶測もあるんでしょうが、それにしたってウルトラシリーズはウルトラマン・怪獣・防衛チームの存在は不可欠な存在なのに、この一つを削いでしまうんだから思い切った真似をするなぁと、いろんな意味で衝撃です。

全滅に伴い設備や兵器類は全く出番がなくなり、もうMACメカは出ないんだからオープニング映像も差し替えて欲しかったよ。ちょっとしたオープニング詐欺になっちゃうし(笑)。

 

隊員に関しても同様で、ゲン以外の隊員はもう誰も登場しませんが……まぁ、そっちはどうでもいいかな(笑)。

結局、顔と名前が記憶に残るくらいの個性がある隊員は最後まで現れなかったし、"〇〇隊員がいなくなっちゃうのは残念!"なんて思う人もいないでしょう。

使い捨てのゲストキャラより、レギュラーである隊員の見せ場をもっと作って欲しかったんだよ。『~レオ』に低評価を下さざるを得ないのはここかな。

 

それほどまでに手強い相手である円盤生物=シルバーブルーメは、MAC基地だけでなく日本の一部にも被害を与え、ゲンと親しくしていた百子やカオルが犠牲になります(死亡者名簿に二人の名を見つけるシーンはやけに重い…)。

特に百子はゲンと友達以上の感情を抱き合っていたし、仮に最終回まで生き残ってても目に見えて関係が発展する事はなかっただろうけど、こういう別れ方は辛いですね。

『帰ってきたウルトラマン』での郷とアキちゃんに比べると目立ってないけど、ヒーローの恋人が怪獣の犠牲になって死別するのは悲しいものです。

シルバーブルーメよ、ナックル星人に次いでテメーもブラックリスト行きだ!

 

そんな雑なリストラに遭ったキャラでも、その後もたまに名前が出てくるのは意外でした。

特にトオルは事あるたびに、ちょいちょいカオルを思い出すんですよね。

「父さんを返せ、母さんを返せ、カオルを返せ!」と叫ぶセリフも、この頃の変身ヒーロー作品だったら父さん母さんしか呼ばなさそうじゃないですか(笑)。そこでキチンと妹の名も出すところにこだわりを感じます。

幼くして命を落としたカオルは、今では日本で一番有名なイタズラ好きの小学5年生に転生したんだと思い込もう…。

 

共に身寄りがないゲンとトオルが世話になるのが、いずみ&あゆみ姉妹と母の咲子が暮らす美山家。

ゲンの居場所が硬質なMAC基地から家族(的な集まり)に変わり、ファミリードラマな雰囲気を作ろうとしていたのかもしれませんね。家族感が出やすい食事のシーンが多めなのはその証左かな?

咲子を演じるのが春川ますみさんという事で、個人的には『暴れん坊将軍』や『トラック野郎』でお馴染みですが、本作でも春川さんのおっ母さん感は健在。家長としてやりくりできる安心感がありますよね。

咲子は主人を亡くしているので、『トラック野郎』よろしく、ゲンに生卵を食わせたりしないかヒヤヒヤしてましたよ。←ないない!

 

最終回、お約束通りゲンは自分がウルトラマンレオである事を明かします。

美山家の人々は旅に出るというゲンとの別れを惜しみ、たとえゲンが宇宙人であっても気にしないし、自分らと同じ人間だと引き止めます。

これに対し、

「僕にとってその言葉は一生忘れることができません。やっと今、この地球が僕の故郷になったのです」

とゲンは答えます。

序盤のゲンは故郷を失った事を悲しみ、故郷を失った悲しみは誰にも分からないとか何とか、孤独を患ってか卑屈になってしまう時もありました。

長きに渡った戦いは愛する地球のためであり、地球を愛する気持ちは地球人のそれと同等のもの。その努力が地球人に認められた事でもあるんです。

ゲンはレオだし、L77星を出身とする事実は変わりません。けど、たとえウルトラ兄弟を初めとする宇宙人と出会っても、これからのゲンは自分は地球人だと言い張るんじゃないかな。

そして、トオルとの別れに流れる『星空のバラード』には泣けてしまいます。やっぱり名曲!

 

**********

 

**********

**********

俺ッチが買った↑のBlu-ray。

本作のみならず、他のシリーズでも不具合報告が散見されていますが、ここに来て初めて俺ッチもハズレを引かされました…。

強めに雨が降った時のBS放送みたいに、30~60秒くらい映像が乱れるのが2話分もあって超ガッカリ。海外版Blu-rayはいくつも買ってるけど、こういう事象は初めて。

買ったのはもう3年も前だし製造されたのは海外だし、もう販売業者やメーカーに問い合わせるまでもないよね。

ここで教訓……ディスクのチェックも兼ねて買ったらさっさと見終えろ! 嫌なら国内版を買え! やれやれ…。

 

 

==========

観てます、『ウルトラマンレオ』

観てます、『ウルトラマンレオ』~その2~

観終えた、『ウルトラマンレオ』

『三大怪獣 地球最大の決戦』を観ました。

 

日本各地で数多の流星が落下する。その中の一つとして北アルプスに落下した巨大な隕石の調査に向かった村井は、隕石が強力な磁場を発している事に気付く。

その頃、街頭では自身が金星人であると名乗る女が地球の危機を力説していた。女は阿蘇山にも現れ、同様に訴える中、火口からラドンが出現する。

さらに女は客船の沈没を予言、そしてそれを襲ったのはゴジラだった。

やがてゴジラはラドンと遭遇し、両者が激突する頃、女は5000年前に金星を滅ぼした宇宙怪獣キングギドラが地球に来ている事を告げる。北アルプスに落ちた隕石こそがキングギドラだったのだ。

地球を揺るがす事態に、インファント島の双子の小美人は、モスラを加えた地球の三大怪獣たちが力を合わせてキングギドラを倒して欲しいと祈るが……といったお話。

要約すると、地球の三大怪獣がキングギドラを倒そうとする話です。

 

ゴジラシリーズ第5作です。

ゴジラシリーズは未履修ゆえ、タイトルにある三大怪獣とはゴジラ、ラドン、モスラを指し、これらが三つ巴の戦いを繰り広げる話……という思い込みは見事に大ハズレ。キングギドラはもっと後=70年代の作品に登場するキャラだと思っていたので意外でした。

泥や煤にまみれたような色の地球怪獣に対し、全身が鮮やかなゴールドという派手さも宇宙怪獣っぽさがありますね。

 

意外と言えば、モスラだけでなく双子の小美人も登場するのは嬉しい誤算。

得てして、この手の作品であれば怪獣だけ出しておけばオッケー的な都合が見え隠れするものですが、本来ならモスラと小美人は切り離せない関係ですからね。この関連性をオミットしなかったのはドラマを優先している証左ですね。東映とは違うな(笑)。

そんな小美人はあんな姿ですから、けっこう秘匿性の高い存在なのかと思いきや、メディアへの露出は特に問題ないのが拍子抜けです(笑)。

モスラだけでなく他の怪獣とも交感できるようになったようで、モスラがゴジラ&ラドンの説得を試みている場面の実況は、なかなかの迷場面です。ああいう破壊活動でしか感情表現ができない怪獣たちも「勝手な事を言うな」とか「そうだそうだ」(笑)とか思うんだな…。

 

『キングコング対ゴジラ』に続き、若林映子さんの出演が嬉しいですね。

若林さん演じるサルノ王女と、彼女の危機を幾度も救う刑事の新藤の別れのシーンで、どこか『ローマの休日』を連想させるのは、若林さんのルックスがオードリー・ヘプバーンさんにダブって見えるせいかな?

…おっと、澄ちゃん、もとい星由里子さんの出演も嬉しいよ!

 

これまでのシリーズと違い、人類への風刺や批判といった説教臭いメッセージもない、気軽に楽しめる娯楽作に方向転換したような感じです。

だからって、あまり能天気な作風にしすぎても、ガキ向けとして手を抜いているようにも見えてしまいますが…。

 

**********

**********

『モスラ対ゴジラ』を観ました。

 

大型台風が通過した翌朝、静之浦の漁村の沖に巨大な卵が漂着する。

毎朝新聞の酒井は、カメラマンの純子と生物学者の三浦と共に村の取材に向かう。卵は莫大な金でハッピー興業の熊山が買い取ったという。

熊山と資金援助をする虎畑が卵を見世物にした観光施設の建設を計画する中、双子の小美人が現れ、卵の返還を求めるが金に目が眩む二人はこれに応じない。

その後、小美人は酒井たちにも願いを乞う。話を聞くと、あの卵は原水爆の実験場にもなったインファント島の守り神モスラの卵だというのだ。しかし酒井たちの力ではどうにもできず、落胆した小美人は密かにやって来ていたモスラの成虫と共にインファント島に帰る。

その頃、倉田山干拓地にゴジラが出現、破壊を続けながら名古屋に向かう。

酒井たちはゴジラ退治のためにモスラの力を借りようとインファント島に飛ぶが……といったお話。

要約すると、人間の願いを聞き入れたモスラがゴジラと戦う話です。

 

ゴジラシリーズ第4作。

未見ながら、そういえばモスラは『モスラ』という単発作品として既に登場していたんですね。

今作でゴジラと共演するのは、今風な言い回しをすれば東宝怪獣ユニバース企画の一端でもあるんでしょう。元々は別世界だった作品間の垣根を超えた共演に熱くなるのは、昔も今も変わらないんですね。

 

本作を観て思うのは、モスラというキャラの意外性。

得てして怪獣映画に登場する怪獣は、能率やコストを鑑みた上で、人間が中に入って演じる着ぐるみを使うのが前提にあると想像します。

が、周知の通りモスラは蛾をモチーフにした怪獣で、中に人間が入る余地はありません。

つまり燥演によってでしか動かせないキャラで、その手間は計り知れないように思えます。

技術的に至らない点は多々見受けられるものの、新しいキャラを創造するためにこれを実現させようとする心意気には拍手です。怪獣の定義を広めてくれた功績でもあるしね。

意外と言えば、成虫モスラが敗れ、幼虫のモスラが名誉挽回(?)する展開も面白いですね。あんな芋虫でも相手の攻撃を避けて反撃に転じるような、戦術的な知能(と反射神経)があるのは驚けます(笑)。

 

♪モスラ~やっ、モスラ~♪という歌は断片的に聞いた事がありますが、ようやく元ネタである本作を見た次第。

正確には♪モスラ~ヤッ、モスラ~♪という、非日本語の歌詞だったんですね。

 

そしてゴジラ作品と言えば現代社会への警鐘。別名、説教臭いメッセージですね(笑)。

今作でも人間の醜い部分を映し出しますが、もう半世紀も前の作品のメッセージが令和の現代にも通じてしまうんだから、やっぱり人間というか人類はまだまだ進歩が足りないんです。

人間同士が信頼し合える世の中を作る事がモスラやインファント島の住民への返礼なんだという終わり方は身がしまりますね。

 

下積み時代なんかとっくに終えたベテラン俳優が多々出演しているのがゴジラシリーズの魅力の一つに思えます。

チャチな特撮シーンに目をつむれるのは、そんな方々の大マジな芝居のおかげでもあるんです。

昨今の特撮映画(主にニチアサの変身ヒーロー作品)のような大人も楽しめる子供向け作品ではなく、子供も楽しめる大人の映画といってもいいんじゃないかな。

 

**********

**********

また『ウエスト・サイド物語』を観ました。

 

前回の鑑賞記はコチラ

 

5分くらい何も起きないオープニングに始まり、152分と尺は割と長めですが、ほとんど眠くなる事もなく観終えられるんですよ。

ミュージカルの歌のシーンって独特のノリが寒く思える事も少なくないんだけど、キチンとお話の一部に見えるのは詞とダンスがマッチしているおかげなんでしょうね。

歌詞だけでなく、ダンスにも多分に意味を持たせた上で感情表現があるのが深いんですよ。中でも、遣り切れない怒りを爆発させたいのを抑えようとする『COOL』はいいですね。

 

しかしまぁ、ミュージカル部分がなければ本当に暗いお話です(笑)。割と人も死んじゃうし。

自分らを取り巻く現状は厳しいけど、お互いの強い愛があればそれをも乗り越えられると信じるトニーとマリアですが、そんな無邪気が通用するほど現実は優しくない事を思い知らされます。厭世的というか、世の中に絶望しながらマリアの元を去るトニーが哀しくて哀しくて。

最後に希望の兆しがうっすら見える程度で敵味方問わずハッピーで終わるキャラが皆無ってんだから、実は救いのない話なのです。

”ミュージカル映画の大傑作!”なんて文言は間違いはないけど、ミュージカルは明るいものだという先入観を持っている人は観終えてモヤッとするんじゃないかな?

 

相手が憎いなら殺してもいいのかと問うマリアの、悲しくも怒りに満ちた姿には胸が苦しくなります。

辛い状況の中でも明るく振る舞っていたものの、生きる糧と言っていいほどの幸せを失ってしまった彼女が、今後どんな生き方をするのかが気になりますね。

ただ、トニーを思いながら残りの人生を過ごす事はあっても、決して自殺はしないと想像しています。

 

かなりどうでもいい話ですが、本作の劇中の時間経過はおおよそ1日半です。

濃密すぎる時間を過ごしたんだな、君たち…。

 

***************

***************

***************

 

 

==========

観た、『ウエスト・サイド物語』

観た、『ウエスト・サイド物語』~その2~