Joon's blog

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個人的に久々に観たいなと思ったタイミングに『必殺!』シリーズ6作品がBSで連続放送するそうです。BS朝日ではなく、まさかBS日テレで放送する時代が来るとはね。

それでも、個人所有のソフトで見るという謎の優越感よ(笑)。

って事で、『必殺! THE HISSATSU』を観ました。

 

江戸の町で次々と発見される怪死体。口に六文銭が咥えさせられている彼らは、金で他人の恨みを晴らす仕事人であったという共通点があった。

主水[モンド]を初めとする仕事仲間たちは、同業者の惨たらしい殺され方を目の当たりにしながら、自分らにも危険が近付いている事を思い知る。

一連の事件は江戸での仕事を独占しようとする庄兵衛が仕切る殺し屋集団、六文銭の仕業だった。主水たちは江戸中の仕事人を寄せ集め六文銭に挑むが……といったお話。

 

ご存知、『必殺(仕事人)』シリーズの劇場版です。

劇場版という事で色々とパワーアップしているのが見て取れますが、基本的にはテレビ版の延長です。

でも逆を言えば、テレビ版の画ヅラが映画っぽい証拠なんだよね。必殺シリーズと言えば、光・影・水を組み合わせた夜のシーンが特徴的ですが、様式美すら感じさせるこれらが相変わらず美しい。

日本かぶれな海外のクリエイターに影響を与えそうなものだけど、そんな話も聞こえないって事はそこまでのものではない、もしくは未だ見つかっていないって事なのかな?

 

劇場版必殺シリーズと言えば、ゲストの面々も見どころ。ベテランや時の人を起用しまくっての豪華な画ヅラは、まさにエンタメです。

本作の主なゲストは仕事人としての顔を持つキャラたちですが、これがピンキリなんですよ。

朝之助のような超一流のピンはなかなか手を貸してくれず、容易く仲間になってくれるのは目も当てられないキリばかり(笑)。

「お~待たせいたしました~」でお馴染みの斎藤清六さんを始め、たこ八郎さんや赤塚不二夫さんあたりが演じる仕事人なんて、殺しの技というより大道芸だもんね。あれらを使えるシチュエーションに持っていく事の方が難しいという(笑)。

 

六文銭との激闘を終えたものの、大挙する奉行所の追っ手から逃げる仕事人たちは…?というクライマックスの余韻は、まさかの展開で衝撃です。

これ、劇場で観ていたらどんなリアクションが正解だったんだろうと(笑)。

必殺シリーズはハードでドライな世界観であるべきと捉える人は怒り出しそうですが、そもそも必殺シリーズってファンタジーじゃないですか。かつ、シリアスとコメディといった、硬軟のバランス取りが絶妙なんですよ。

テレビシリーズの『必殺仕事人』で例えると、起承転結の“転”はもちろん殺しのシーン、”結”はせん&りつと主水のシーンで幕を閉じます。最後はクスッと笑わせて締める事で、観終えた後に後味を悪くさせないのがいいんです。

 

TV版が放送していた頃、仕事人のレギュラーメンバーが毎回揃わない事に、不条理や疑問を感じたものです。

『必殺仕事人』で言えば、おりく=山田五十鈴さんですよね。他にも京マチ子さんとか、最初の数話と最終回しか出てないじゃん!みたいな(笑)。

でも、いい歳になるまで、かつ古い邦画をそこそこ観た後であれば、逆にそんな方々がよくこういう作品に出演してくれたものだなぁとも思います。

先のクライマックスのオチであるシーンにおいて、山田五十鈴さんがあの場に収まっているのって、かなり贅沢だと思うんだよ…。

 

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Blu-ray版の映像特典は予告編のみというショボ仕様ですが、本編に日本語字幕が備わっているのがありがたいです。

例えば合わせ目消しの際、ちゃんと消えているかどうかを確認する際にサーフェイサーを吹く事がままあります。

消えていなければ再び処理&吹くのを繰り返す、いわば捨てサフってやつですね。俺ッチの場合、この捨てサフには缶のサーフェイサーを使っています。

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整形処理の確認程度なら、手間を考えれば缶サフの方が楽ですしね。

 

――で、本題。

缶サフの残った中身ってどうしてますか?と。

 

つるセコパワーに磨きをかけている俺ッチの場合、エア(ガス)切れ確認後に金切りばさみで真っ二つにし、余った塗料瓶に移し替えます。

エアがなくなっても中に残ってるサフの量って、かなりあるんですよね。

これを溶剤で溶いてエアブラシで使おうという魂胆……だったんですが、そうは行かずにチト困った事に。

使ったのはガイアノーツのラッカー溶剤なんですがね、ちゃんと混ざってくんないんですよ。

グルグルかき回して、一見すると混ざっているように見えるんですが、よ~く見てみると、ちょうどメタリック系塗料の金属粒子が泳いでいるような感じになってキチンと溶けてくれません。

エアブラシで吹けない事はないですが、食い付きはまぁ良いとして、表面がザラザラで砂っぽくなるような感じ。

ラッカー系のサフならラッカーの溶剤も使えるでしょ!と思いきや、そう上手く事は運ばずにガッカリ。

 

 

…以上、せっかく使えるものを余らせたまま捨てちゃうのが勿体ないと感じる、しみったれた記事でした。溶剤が揮発してカチカチになった塗料を、わざわざ新品を買わずに溶媒液を使ってまで復活させようとする人には刺さる内容だと思うんですが(笑)。

サフではない、一般的な塗料も同様なのかなぁ。

ザイオンへの侵攻を開始した機械の大群。

防衛網が突破されるのも時間の問題となった今、ザイオンの民は総力を挙げて機械との決戦に臨む。

一方、ネオは人間と機械の和解を申し入れるため、機械の都市へ向かう事を決意。

ネオと同様、マトリックス内での力が現実世界に影響を及ぼし始めたスミスとの決着も間近に迫っていた……といったお話。

 

こうして改めて綴ってみると、今作は粗筋が単純なように思えます。ディテールというか、横筋がムダに多く長いんですよ。

今作の尺は129分ですが(今だったら3時間近くやりそう)、ストーリーを追いかける事に重きを置く作風にしたら、下手すれば90分くらいに収まるんじゃない?

そんな発想に至ってしまうのは、アクション&戦闘シーンがそろそろお腹いっぱいになってきているからです。

特にアクションに関してはそれなりに見入ってしまうものの、前2作で見せたカンフーバトルの延長みたいな感じなので、もはや新鮮さは感じず、ただただ冗長に感じます。

 

ザイオンでの戦いは緻密なCGで描かれる大バトル。

画面はド派手だけど、大したドラマもないし、やってる事もゲームっぽいしで、熱くなれないどころか退屈にすら感じます。

久々にマトリックスシリーズを見返そうかと思った際、1と2作を観ても3作目=今作は別にいいやみたいに思ってしまうのはコレのせいなんですよ。

何しろ、ズガガガガ&うおおおお的なシーンが長すぎるんだよね。戦う相手がキャラとしての魅力も薄いスクィッディー1種類(…)ってのも超つまんねーんだよ。

…が、そんなガチャガチャと騒がしいだけのシーンにも長所はあるもので、マトリックス内の話やネオ周辺の話とか、この決戦の裏で動いている事象は多々あります。やろうと思えばその辺を割り込ませる事はできるけど、決戦シーンで見せるのはザイオンの戦闘のみで場面転換がほとんどありません。

つまり、この間だけは“預言”やら”選択”といったメンドくせーワードは気にせず、頭カラッポで楽しめる時間であるという事です(笑)。

 

現実の世界で戦っている相手は主にスクィッディー(センティネル?)を主とする機械軍団ですが、最後まで敵対勢力である彼らに正式名称がなかったのはビミョーに感じます。敵は”機械”、こっちで使っている利器も”機械”、同じやん?みたいな。

そりゃ機械には違いないけど、まんま”機械”と呼ぶのもエンタメとして味気ない(原語でも“machines”と呼んでいるっぽい)と思うんですよ。

 

今作でシリーズは完結したものの、何を落としどころとして幕としたのかよく分からないどころか、意味不明のまま終わっていました(笑)。大ヒットしたのはいいけど、本当に納得して劇場を後にした人がどれほどいたんだろう?

前作での、設計者=アーキテクトが語るマトリックスの真実を聞いても、観ている時はそれなりに理解できた気分になったけど、他人に説明するのは無理だよね。個人的にはメロビンジアンの存在に混乱させられているんですが…。

まぁ、そのくらいの曖昧さがあった方が映画っぽくていいのかもしんないけどね、もしかしたら2作目を飛ばして今作を見る方がスッキリするのかもしれません。

 

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3部作をコレクションするのであれば、↑のスペシャルパックがお買い得ですよ。

『オーメン ザ・ファースト』を観てきました。

 

1971年のローマ。

アメリカからやって来たマーガレットは、いつか修道女になる日を目指し、見習いとして教会で働き始める。

マーガレットは教会が引き取った孤児の一人、カルリータに興味を抱く。異端児として危険視されているカルリータは徐々にマーガレットに心を開き、二人の間の緊張も次第に解けて行く。

教会で目の当たりにする不気味な光景、それが幻か現実かの境が付かず疲弊するマーガレットは、街でブレナンという神父に出会う。ブレナンが言うには、ローマには普通の教会だけでなくキリストに反目する集団もあり、彼らは恐怖を以て教会の威厳を復権させようとしていた。そのためにカルリータを担ぎ上げようとしているというのだ。

カルリータの過去を調べるうちに、自身の秘密をも知るマーガレット。そして悪魔が誕生するという6月6日が間近に迫り……といったお話。

 

『オーメン』という作品を観てからというもの、車を運転している際“666”というナンバーを付けた車を見ると、知らぬが仏というか恐るべきは無知なる者というか、そんなに早死にをしたいのかと思うんですよ。気持ち、車間距離を開けたり(笑)。

『オーメン』という作品は、それほどまでに俺ッチに恐怖を植え付けた作品です。

それ故、ウン十年ぶりの関連作品が公開されるという事で、いつもなら前作を観直して予習をしていくところでしたが、怖くて止めました(笑)。傑作とは思うけど、生涯で何回も観るような作品ではないんですよ。

 

「『エクソシスト』の新作に感化されたか、『オーメン』まで昨今流行りのエピソード・ゼロ商法をやっちゃうとか閉口モノだよ。ダミアン誕生のルーツを明らかにするなんて『ローズマリーの赤ちゃん』と同じじゃん? …どれ、”オーメン”を冠する以上、しょうもない茶番にでも付き合ってやるか」

…といった、ちょっと見下した先入観があったんですがね(それでもキチンと劇場に足を運ぶ自分に拍手を送りたい)。フタを開けてみれば、後付け前日譚にしては、まぁそれなり以上には良かったと思いました。前作との辻褄合わせなんか、最初から話半分くらいしか思ってないしね。

 

ダミアンの誕生を描くのであれば、女性が主役になってしまうのは仕方ないですね。

主人公マーガレットを演じるネル・タイガー・フリー(カッコイイ名前)さんは美人でスタイル抜群、日本での配給はディズニーって事で、『オーメン』がフワフワしたホラーに成り下がっちまうのかと懸念しながら観ていました。

…が、話が進むにつれ、あんなお嬢さんがどんどんブツ壊れていく様が強烈です。車から降りて、いよいよ産気づいて疼く芝居(しかも1分くらいの長回し)には息を呑みます。日本でこういうのを真似すると引くほど寒くなるからやめてよね。

 

いずれ本作もBlu-rayやら配信やらで見れる日が来ますが、おそらく日本では本作が完全な形として合法的に見れる機会はありません。“ないでしょう”ではなく、“ありません”と断言。

と言うのも……本作には部分的に修正が入っているカットがあるんですがね。映画でモザイクとか軟十年ぶりに見たよ。

過去の例であれば“ヘア無修整版”といった、そのくらいであればまぁいいんじゃない?程度の、劇場公開時に比べると緩和処置がなされた上で発売(or公開)されるソフトもありました。

…が、本作で修整が施されているのはド正面からの出産シーン(!)ですからね、そりゃ仕方ないよ。

個人的にこれ、かなりのマイナス要素に思っているんですよ。修整した事に対してではなく、そんなカットを採用した監督の采配としてね(監督は意外にも女性)。あんなエロ漫画に出てきそうなダッセー画とか、なくてもいいだろ。

悪魔に関しても、悪魔を連想させる抽象的な描き方なら結構だけど、具体的な姿(の一部)なんか出さなくていいし、何でも克明に見せればいいってモンじゃないんだよな。

 

“妊娠”よりも“出産”の描写が執拗て、怖いというより胸クソ悪く感じる方が強いと感じる作品でした。

終わり方もモヤッとしたしなー…。

 

劇場プログラムは880円。

ちょっと薄めだけど、情報量としてはこんなものでしょう。

本作で悪魔の子が誕生する際に流れる、かの名曲(?)『アヴェ・サタニ(サンターニ)』の歌詞&対訳が載っているのはありがたいですね。あちら側から見た賛美歌になってるんだな、あれ。

『HG M9Dファルケ Ver.IV』、8割方終わってます。

あとはデカール貼りとトップコートを残すのみ。

 

本来ならここに来るまでの紆余曲折、苦労談や失敗談を写真を交えてマメに綴るものなんだろうけど、何しろスマホのカメラを使わない人なので、事後のチャチな写真ばかりになってしまいます。マメに写真を撮って製作記録を残して、後続の人たちの役に立っている方々の足元にも及ばない体たらくっぷりよ。

つまんねープラモブログだなと思っている方々、それが正解です。

 

まずは本体の完成を大優先しているため、メンドくせー武器関連は後回し(笑)。

しちメンドくせ―合わせ目消し後、サフを拭いてこれがキチンと消えていると感無量ですね。別名、一番カッコ良い状態(笑)。

 

ところで、デカール貼りの際、Rがキツい箇所があったので、

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を使おうとしたんですが、

かなり昔に買った物なので、沈殿物がヨーグルト状態に…。全力全開で瓶をシェイクしても溶ける気配が全くない……ナンテコッタイ。

プラカラーは10年後にも余裕で使えるし、そんな感覚でいたらこのザマですよ。

このグッスマの『デカール軟着剤』は22年に再販があったようですが、こういう用具は恒久的に生産してくんなきゃ困りますね。

『放射能X』を観ました。

ニューメキシコ州警察のベンとエドは、独りで砂漠を歩く自失状態の少女を発見する。
近くには内部から破壊されたキャンピングカーがあり、車中からは砂糖が盗まれ、周辺には獣とは似て非なる足跡が残されていた。
現場から一番近い店では店の主人が殺されていて、身体の各所の損傷に加え、20人相当を溶かせるほどの蟻酸が検出された。そして、ここでも大量の砂糖が盗まれていたという。
農務省から派遣された、共に博士であるメドフォード父娘の調査の下、事件を起こしたのは放射線を浴びて巨大化したアリである事が発覚。
巨大アリの巣を発見し駆除に成功したものの、大量の卵を産む女王アリの姿が見当たらず……といったお話。

…これねぇ、ソフトを買ってまで見るつもりではなかったんですよ。
Amazonで『原子怪獣現る』を買おうとした際、関連商品が列挙される中に本作があったんですね。
これもレイ・ハリーハウゼンさんが携わっている作品だったかと、記憶が曖昧なくせにロクに調べもせずに買ったら、しっかり大間違いだったという顛末。
ダイナメーションによる巨大アリがいよいよ登場……したと思ったら、ナンダコリャ状態に陥る事に(笑)。
若い時に培ってきた知識も、所詮は時間と共に薄まってしまうものなんだなぁと、いよいよ老いを感じた出来事でした。

同様の思い込みをしている方に待ったが掛かれば幸いです(笑)。

ってなワケで、本作の陰の主役である巨大アリは操演によるものでした。
もちろん今の目で見ればショボいのひと言で終わってしまいますが、これがアカデミー賞の視覚効果部門にノミネートされていたってんだから、まぁ時代を感じるよね(笑)。
とは言え、2メートル越えの巨大アリを実物大で表現するのは、それなりに迫力を感じます。
さらに言えば、あんなチャチな作り物を相手に大マジで演技する俳優の力量も加わる事で、画的にも説得力が生まれるんですよね。邦画でもそうですが、昭和の特撮作品の俳優の芝居とか、迫真の度が過ぎてるくらいでしょ?

核実験により変異した生物を描いた作品と言えば、日本人なら真っ先に『ゴジラ』を挙げると思います(まぁ半分以上は名前と外観以外については知らないだろうけど)。
本作も核爆発→放射能から生まれた怪物を描いていますが、似たような内容である両作の公開年が1954年という偶然がチト奇跡的ですね。
本作と『ゴジラ』、どっちがどっちをパクッたなんて話も聞こえないし、口裏を合わせるまでもなく日米両国に反核思想が漂っていたタイミングが一致していた表れにも思えます。

正体不明の巨大生物が相手ですからそれなりの武力が必要という事で、軍隊が出動します。
これは『ゴジラ』もそうですが、たかが怪獣映画ごときに本物の軍隊が登場しているんだから、大人の鑑賞も想定している証ですよね。荒唐無稽のお話ながら、こういうところにリアル要素をブッ込む作品は、もっと評価されていいと思うんですよ。

逆に、これこそが怪獣映画の醍醐味であり、怪獣ばかりをフィーチャーしたがる後年の作品がどんどん手を抜いた挙げ句、子供騙しな作風が増えていったのかもしれませんね。

卵を産む女王アリの存在から、本来なら巨大アリの大群と人間との凄絶な戦いを描きたい気持ちがあったのかなぁと勝手な推察。
本作で叶わなかった表現が40数年後、『スターシップトゥルーパーズ』として結実するのです(←気のせい気のせい)。

 

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Blu-ray版にはちょっとしたメイキングを収録。これだけ古い作品でありながら、当時のメイキング映像が残っているのは意外、かつ貴重ですね。

かなり前、デカール貼りに使えるかなーと思い、ダイソーのカップウォーマーを買った&ちょっと使ってみたけどビミョーだな~という記事を綴ったんですが、その後日談です。

コレね。

 

現在進行中である『HG M9Dファルケ ver.Ⅳ』に、少しづつデカールを貼っているんですがね。

チト埃が積もった↑のカップウォーマーが目に入り、捨てるのも可哀想だし、もっかい使ってみるかという気になったんですよ。

 

…ハイ、ここで前回の記事の内容を撤回します……デカール貼り用としてはメチャクチャ使えるじゃないですか!

カップウォーマー本来の使い方としては大した事なかったのでああいう感想になってしまいましたが、塗料皿程度の小さな器(高台がない=底面がフラットな器がいいと思う)であれば、ぬるま湯以上の温度をキープできます。

 

デカール貼りに使う水はぬるま湯くらいが良いとされていますが、これは本当ですね。本当どころか強めに推奨していいくらい。時の流れが変わリますよ(笑)。

デカール貼りの作業順序と言えば、

 1.デカールを水に浸ける

 2.デカールを引き揚げてペーパータオル等に乗せて水分に浸しておく

 3.デカールの糊が溶けるのを待つ

 4.デカールの糊が溶けてスライドするようになったら、つまんでペタッ

といった工程ですが、水温が低かったりデカールが古かったりすると3の工程に時間を取られるんですよね。2分くらい経っても無反応で焦れる事も度々。

 

…が、カップウォーマーでぬるま湯をキープさせると、ビックリするくらいの時短が可能になりました。

浸ける時間は10秒くらい、ペーパータオルに乗せて、次に貼るパーツの準備を終えた頃には、もうスライドするようになりますからね。3の待ち時間がないどころか、デカールの糊が溶ける時間に煽られている感覚です。

「コレ使えるのかなぁ、永遠に動く気配がなさそうじゃん…」と思わせる、とっくに黄ばんで古くなったハセガワのデカールにも有効でした(笑)。

 

デカール貼りは時間が掛かるから嫌いと感じている人にはオススメの一品。少なくとも俺ッチは目が覚めた気分です。

値段も安い=550円だしね。安いは正義!

今さらながら『マトリックス レザレクション』のBlu-rayを買ったので、おさらいの意味で『マトリックス』を観ました。

 

ソフト会社で働くプログラマーのトーマスは、ネオと名乗るハッカーとしての裏の顔があった。

ある日、謎のメッセージを受信したトーマスは、ネットの世界で有名なトリニティやモーフィアスらと出会う。

トーマス=ネオを捜し続けていたというモーフィアスは選択を迫る。この現実と思っている仮想世界=マトリックスに残るか、もしくは真実を知りたくはないかと…。

後者を選び、真の現実世界に足を踏み入れたネオ。そこはコンピューターが人間を支配する世界で、モーフィアスはその反抗組織のリーダー的な存在だった。

ネオを救世主と信じるモーフィアスは、色々な手段を以て覚醒を促す。そんな中、仲間の裏切りにより敵のエージェントに捕らわれたモーフィアスを救うべく、ネオはトリニティと共にマトリックスに向かい……といったお話。

 

映画史において、その後に登場する作品に影響を与える革命的な作品は多々ありますが、間違いなく本作もその中の1作です。

クールというに相応しいビジュアル、抽象的で分かりにくい世界観、東西折衷のアクションと、斬新な要素がてんこ盛り。

本作の影響下にある作品を多々目の当たりにしている令和の今の目で見ても、十分以上に楽しめます。

 

これまで数回観ていますが、本作には三つの世界があると解釈していました。

 1.ソフト会社に勤めるトーマスが住んでいる世界

 2.ボロボロの薄汚い服を着ている薄暗い世界

 3.黒づくめの服にサングラスでイキッてる世界

最も我々の世界に近い1が現実とした上で、2と3とどうリンクするんだろう?と混乱していたものです。

…が、これは大ボケな話で、2こそが本作における現実の世界。1と3は電脳世界=マトリックスの中(の世界)なんですよね。

ずいぶん遅ればせながら、ようやく気付けて納得できるようになって、一つのストレスが解消された気分(笑)。おかげで新たな楽しみ方ができるようになりました。

分からないからって他人の考察やネタバレに頼る人もいるんでしょうが、こうして自分なりの落としどころを発見するのも映画の楽しみの一つだと思います。それ故、↑の解釈も俺ッチだけのものかもしれませんよ。

 

特に映像に関しては、CGという言葉を普及させた『ターミネーター2』が元祖にして究極に近い位置にありますが(『T2』がCG技術の最高峰と思っている人も未だにいそう)、CGの可能性にはまだまだ伸びしろがあると思い知らせてくれます。

現実にないものを構築するだけでなく、本作のアクションシーンで見せるような、現実にできそうな事を誇張するような表現とかね。この辺に関しての後継作は『少林サッカー』あたりが挙げられます。

 

スクィッディーやらセンティネルといった、滑らかに動くCGキャラも本作の世界観を表す要素の一つなんですが、こういうのには全く魅力を感じません(笑)。

触手が変形してパラボラアンテナみたいな形状になるとか、いかにもCG(のモーフィング)って感じで、立体化できないようなデタラメな構造は嫌いです。

こいつらが大挙する3作目=『~レボリューションズ』になると、もはやゲームの映像でも見せられているような印象が強く、ウンザリすらしてくるんですよね。

 

肝心のお話としては第1話のようなもので、ネオが救世主として覚醒、もしくはその片鱗を見せるに留まっています。

謎の要素も上澄み程度しか見せないし、風呂敷を広げるだけ広げて終わってるんだから、もちろん続き=続編が気になります。

仮に本作が大コケして続編が作られない未来があったとして、だとすればカルト化確定は間違いないし、どっちにせよ続編は作られたでしょうね。

 

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今から改めて見る人は少ないだろうけど、Blu-ray版を買うなら3作セットが割安ですよ。映像特典も多めです。

今頃になって、ようやく『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を観終えました。

 

企業複合体ベネリットグループが運営するアスティカシア高等専門学園に転校してきた少女、スレッタ。

登校早々、スレッタは登校前日に知り合ったミオリネと知り合った事から、学園のエースであるグエルより決闘を申し込まれる。巨大ロボット=モビルスーツに搭乗し、1対1による戦いで勝敗を決するというものだ。

スレッタは自らが持ち込んだモビルスーツ、エアリアルに搭乗し、驚異的な力を以てグエルに勝利する。生徒たちがスレッタの勝利に湧く陰で、ベネリットグループの面々は訝しむ。エアリアルは、禁忌とされる兵器“ガンダム”ではないか……といったところから始まるお話。

 

ガンダム作品には三つのジャンルが存在し、初代『機動戦士ガンダム』の世界の延長線上にある宇宙世紀系、宇宙世紀とは別世界で”ガンダム”を冠するだけのオルタナティブ系(“アナザー系”と呼ぶのはもう古いらしい)、各作品のしがらみを一切無視しプラモデル=商品としてのガンダムを扱うビルド系が今や確立されています。

 

そんなガンダム作品の最新作である本作。

オルタナティブ系作品という事で、設定の隙間を見つけては変更&改竄をして、まるで出涸らしのお茶にお湯を注いですすっているような宇宙世紀系よりは遥かに期待していました。

それ故、新しい事をやらねばならないのが定めですが、新しいものが必ず面白いというものでもなく、あまり刺さらない作品でした。

現時点での個人的ランキングとしては、かなり下位です。

 

まず最初から懸念していた事でしたが、女子がガンダム作品の主役というのも熱くなれません。やっぱり最後までダメだった。

そもそも、本作の女子キャラ全般にサッパリ魅力を感じなくてね。

過剰に個性を出したがる台詞や芝居が耳障りで、この世界には普通に喋れる女子はいないの?と。声優が与えられた仕事をキッチリこなしているのは分かるんだけど、アニメアニメした芝居がもうムリ。

チュチュの一挙一動が盛り上がっていたようですが、個人的にはこの人こそがそう思わせる最右翼。

余談ながら、チュチュがちょいちょい言ってる”アーシ”って何なんだ?と思ったけど、自分の呼び方=一人称だったんだね(アーシアンが関連しているのかと思ってた)。“あたし”→”あーし”と変形したって事なんですね、なるほどなるほど……寒い

 

本作を観て思ったのは、特にオルタナティブ系で言われる指摘ですが、「…じゃ、ガンダムって何?」という問いに対して返せるのは“政治”ではないかと。

ガンダム作品で描かれる戦争は各陣営、主に国家間が抱える問題=政治から始まっている事が多くないですか?

本作ではデカくなりすぎた企業が力を有り余らせているみたいですが、国家と呼べるほどではありません。

クワイエット・ゼロに関しても、コングロマリット企業にある一部の者たちの突出程度のもので、テロ国家を気取る規模。最終的には地球議会連合と呼ばれる大きめの規模の機関が暴徒鎮圧のために戦力を投入していましたが、その程度。

本作で描かれるのは、せいぜい“戦闘”であって“戦争”と呼べるほどのものには見えませんでした。本作を見て戦争の怖さがどうとか言ってる人は、もう少しアニメを見る本数を減らした方がいいと思います。

 

みんなを守りたいしお母さんも助けたいというスレッタの願い、そしてガンダムが集まって(ガンダムを冠するMSが意外に少なかったのは好印象)奇跡を起こすというラスト。

二兎を追う者が二兎を得て、もちろんのごとく誰も死なないってんだから、もうプリキュアの最終決戦でも見てるのかと思ったよね(笑)。

ガンダムと言えば戦争を描いているから人が死ぬけど、あんまやりすぎると慣れっこになっちゃうどころか食傷気味にもなります。

だからって、誰も死なないのも極端な話で、ご都合的というかわざとらしく見えちゃうんだよね。

 

本作はガンダムに若い客を取り込みたいという思惑もあったらしく、媚びるような内容にならなければいいんだがと懸念したものです。

女子が主役の学園モノとか言ってる時点でやれやれ感が半端じゃなかった記憶があります。「バカ野郎、ガンダムなら“士官学校”だろう!」ってガンダム右翼もいたのかな(笑)。

これは本作に限らずですが、ネット発祥の造語(or新語)をセリフとして口に出してしまうのってダサいというか、恥ずかしくなりますね。一例として”ブダスタクソオヤジ”なんてワードが盛り上がってましたが、オジサンは”だぶすた”ってなぁに?って所から始まるんですよ(笑)。

若い(感性を持った)人ほどネット用語が出てきただけで湧いちゃうんでしょうが、その手の言葉って確実に流行り廃りがあるものです。

そして周知の通り、ガンダム作品は何10年後にも語り継がれるシリーズだから、当時の流行り言葉を使おうものなら後世で失笑される事にも繋がるんだよね(『~SEED DESTINY』でそう感じた)。

 

チト話がスレますが、あの異常なまでの『鬼滅の刃』ブームの時期に乗っかっていた人で、今でもあの時のテンションを持続できている人は半分にも満ちていないと思います。

これに始まる、一瞬だけハネたアニメ作品ってかなり多いですが、所詮は流行りモノ。つまりは消耗品です。

若者受けを狙ったところで、若い人ほどいつまでも同じ作品に固執する事なく、”古い作品はダサい”という発想から次に流行る新しい作品に移ろいやすいように見えるんですよ。

それ故、本作で獲得したお客は徐々に減って行き、“~水星の魔女2”でもやらない限り戻ってくる事はないでしょう。

そして残るのは、シリーズとして好きなガンダムファンとガンプラバカだけという現状にループするわけです(笑)。

この辺、我ながらスーパー偏見だけど、あながち間違ってもいないんじゃないかな。

 

そして、ガンダムと言えばモビルスーツは欠かせず、オモチャバカにとっては最大の見どころ。

このところの、“仕方ない”という言葉だけでは割り切れないガンプラを取り巻く状況にシラけてきたというのも相まって、本作に登場するMSにはさほどの魅力を感じませんでした。ガンダムもカッコ悪いし。

特に後半(俗世では”シーズン2”と呼んでいるらしい)に登場するMSは、彩度を落とした地味な色がカッコイイ!という絶賛もよく目にしますが、ガンプラとして見るとビミョ~な成型色で、調色に失敗してできた色に見えてしまうんですよ(笑)。

 

放送開始前、YOASOBIがオープニング曲(”主題歌”とは呼ばない)を担当するとの事で、勿論のごとく(笑)大ブーイングがありましたが、みんなそこまで気にしてるんだなぁと。

『~SEED』リマスター版よろしく、後年になってYOASOBIが本作に関わっていた事を自覚しなくなった時にはボロクソ言っていいと思うけど。

オープニング&エンディング映像は作り手の紹介=作品本編に影響を与える事はないくらいにしか思ってないし、1度見たらもう見てません(笑)。

演出として、

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↑がエンディング曲として使われるのは良かったと思います。

コロコロと無駄にOP&ED曲が変わるのが常となりましたが、やっぱり最初のOP曲こそが最もインパクトを与えるし、見ている側としても愛着を感じるものなんだよね。『~OO』もそんな感じ。

『HG M9Dファルケ Ver.IV』の、地味~な進捗状況。
 
まずは、前回やってた頭部の塗装に関して。
その後、
顔のパーツをマスキングして、ヘルメットを組んでみました。
頬から顎にかけた部分に全くクリアランスがないので、厚さ0.07~8mmもあるマスキングテープではなく、0.01mmのコンビニ袋でマスキングしました。ちゃんと後で取れればいいんだけど…。
 
その後、瞬着で接着し、なるべく周囲の塗装してある部分には触れぬよう、ストロークを短めに意識してペーパー掛け。
からの、ヒヤヒヤドキッチョのサフ吹き。
まずは第1段階、合わせ目は消えてくれています。
そして本塗装をしてみると…。
おお~、頭のてっぺん&耳の上の方を消したんですが、イイ感じになってくれました。
既に塗装してある面と削って露出したプラとの境目はどうなるか気になりそうですが、400→600番→スポンジやすりの後、サフを挟んで本塗装すれば見分けが付かないくらいにはなります。ちょっと気になるくらいだったとしても、なーに、ツヤ消しトップコートという魔法で消えてくれます(笑)。
 
合わせ目消しは形状によってはメンドくせーし難しいけど、そこから塗装してキレイなツライチになってくれるのって、プラモ製作で一番エクスタシーを感じる瞬間です。別名、パチラーには分かるまい領域の世界。
 
ついでながら、武器の合わせ目消しも。
久々にハードな合わせ目消しで骨が折れたよ。こちらもちゃんと消えてくれていればいいんですが…。
ちなみにこの銃=グラーツマンリッヒャー、基本形のサブマシンガンの先端にパーツをくっつけてアサルトライフルになるんですが、
サブマシンガンのバレルを突っ込んで固定するんですよね。こういうパーツ構成にウンザリするのは塗装派の人々です(笑)。
先端パーツの穴を広げて(確かφ3.8)、僅かに触れるくらいまでユルユルにしておけば、キャリングハンドル的なパーツで両パーツを固定できます。
 
にしても、ここまでカッコ良いデザインですが、40mmライフルのグリップ形状だけはダサダサですね。
何かこう、もう少し角度を付けて欲しいのに加え、グリップ自体も長すぎて掌パーツからずいぶんハミ出ちゃうんだよ。
トリガーがないのもウ~ンですが、ま、これが近年のバンダイ仕様だからねっ☆ 4000円近いキットでこんな真似されちゃなぁ…。