観終えた、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』 | Joon's blog

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今頃になって、ようやく『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を観終えました。

 

企業複合体ベネリットグループが運営するアスティカシア高等専門学園に転校してきた少女、スレッタ。

登校早々、スレッタは登校前日に知り合ったミオリネと知り合った事から、学園のエースであるグエルより決闘を申し込まれる。巨大ロボット=モビルスーツに搭乗し、1対1による戦いで勝敗を決するというものだ。

スレッタは自らが持ち込んだモビルスーツ、エアリアルに搭乗し、驚異的な力を以てグエルに勝利する。生徒たちがスレッタの勝利に湧く陰で、ベネリットグループの面々は訝しむ。エアリアルは禁忌とされる兵器“ガンダム”ではないか……といったところから始まるお話。

 

ガンダム作品には三つのジャンルが存在し、初代『機動戦士ガンダム』の世界の延長線上にある宇宙世紀系、宇宙世紀とは別世界で”ガンダム”を冠するだけのオルタナティブ系(“アナザー系”と呼ぶのはもう古いらしい)、各作品のしがらみを一切無視しプラモデル=商品としてのガンダムを扱うビルド系が今や確立されています。

 

そんなガンダム作品の最新作である本作。

オルタナティブ系作品という事で、設定の隙間を見つけては変更&改竄を繰り返し、まるで出涸らしのお茶にお湯を足してすすっているような宇宙世紀系よりは遥かに期待していました。

それ故、新しい事をやらねばならないのが定めですが、新しいものが必ず面白いというものでもなく、あまり刺さらない作品でした。現時点での個人的ランキングとしては、かなり下位です。

 

まず最初から懸念していた事でしたが、女子がガンダム作品の主役というのも熱くなれません。やっぱり最後までダメだった。

そもそも、本作の女子キャラ全般にサッパリ魅力を感じなくてね。

過剰に個性を出したがる台詞や芝居が耳障りで、この世界には普通に喋れる女子はいないの?と。声優が与えられた仕事をキッチリこなしているのは分かるんだけど、アニメアニメした芝居がもうムリ。

特にチュチュの一挙一動が盛り上がっていたようですが、個人的にはこの人こそがそう思わせる最右翼。

余談ながら、チュチュがちょいちょい言ってる”アーシ”って何なんだ?と思ったけど、自分の呼び方=一人称だったんだね(アーシアンが関連しているのかと思ってた)。“あたし”→”あーし”と変形したって事なんですね、なるほどなるほど……寒い

 

本作を観て思ったのは、特にオルタナティブ系で言われる指摘ですが、「…じゃ、ガンダムって何?」という問いに対して返せるのは“政治”ではないかと。

ガンダム作品で描かれる戦争は各陣営、主に国家間が抱える問題=政治から始まっている事が多くないですか?

本作ではデカくなりすぎた企業が力を有り余らせているみたいですが、国家と呼べるほどではありません。

クワイエット・ゼロに関しても、コングロマリット企業にある一部の者たちの突出程度のもので、テロ国家を気取る規模。最終的には地球議会連合と呼ばれる大きめの規模の機関が暴徒鎮圧のために戦力を投入していましたが、その程度。

本作で描かれるのは、せいぜい“戦闘”であって“戦争”と呼べるほどのものには見えませんでした。本作を見て戦争の怖さがどうとか言ってる人は、もう少しアニメを見る本数を減らした方がいいと思います。

 

みんなを守りたいしお母さんも助けたいというスレッタの願い、そしてガンダムが集まって(ガンダムを冠するMSが意外に少なかったのは好印象)奇跡を起こすというラスト。

二兎を追う者が二兎を得て、もちろんのごとく誰も死なないってんだから、もうプリキュアの最終決戦でも見てるのかと思ったよね(笑)。

ガンダムと言えば戦争を描いているから人が死ぬけど、あんまやりすぎると慣れっこになっちゃうどころか食傷気味にもなります。

だからって、誰も死なないのも極端な話で、ご都合的というかわざとらしく見えちゃうんだよね。

 

本作はガンダムに若い客を取り込みたいという思惑もあったらしく、媚びるような内容にならなければいいんだがと懸念したものです。

女子が主役の学園モノとか言ってる時点でやれやれ感が半端じゃなかった記憶があります。「バカ野郎、ガンダムなら“士官学校”だろう!」ってガンダム右翼もいたのかな(笑)。

これは本作に限らずですが、ネット発祥の造語(or新語)をセリフとして口に出してしまうのってダサいというか、恥ずかしくなりますね。一例として”ブダスタクソオヤジ”なんてワードが盛り上がってましたが、オジサンは”だぶすた”ってなぁに?って所から始まるんですよ(笑)。

若い(感性を持った)人ほどネット用語が出てきただけで湧いちゃうんでしょうが、その手の言葉って確実に流行り廃りがあるものです。

そして周知の通り、ガンダム作品は何10年後にも語り継がれるシリーズだから、当時の流行り言葉を使おうものなら後世で失笑される事にも繋がるんだよね(『~SEED DESTINY』でそう感じた)。

 

チト話がスレますが、あの異常なまでの『鬼滅の刃』ブームの時期に乗っかっていた人で、今でもあの時のテンションを持続できている人は半分にも満ちていないと思います。

これに始まる、一瞬だけハネたアニメ作品ってかなり多いですが、所詮は流行りモノ。つまりは消耗品です。

若者受けを狙ったところで、若い人ほどいつまでも同じ作品に固執する事なく、”古い作品はダサい”という発想から次に流行る新しい作品に移ろいやすいように見えるんですよ。

それ故、本作で獲得したお客は徐々に減って行き、“~水星の魔女2”でもやらない限り戻ってくる事はないでしょう。

そして残るのは、シリーズとして好きなガンダムファンとガンプラバカだけという現状にループするわけです(笑)。

この辺、我ながらスーパー偏見だけど、あながち間違ってもいないんじゃないかな。

 

そして、ガンダムと言えばモビルスーツは欠かせず、オモチャバカにとっては最大の見どころ。

このところの、“仕方ない”という言葉だけでは割り切れないガンプラを取り巻く状況にシラけてきたというのも相まって、本作に登場するMSにはさほどの魅力を感じませんでした。ガンダムもカッコ悪いし。

特に後半(俗世では”シーズン2”と呼んでいるらしい)に登場するMSは、彩度を落とした地味な色がカッコイイ!という絶賛もよく目にしますが、ガンプラとして見るとビミョ~な成型色で、調色に失敗してできた汚ったねー色に見えてしまうんですよ(笑)。

 

放送開始前、YOASOBIがオープニング曲(”主題歌”とは呼ばない)を担当するとの事で、勿論のごとく(笑)大ブーイングがありましたが、みんなそこまで気にしてるんだなぁと。

『~SEED』リマスター版よろしく、後年になってYOASOBIが本作に関わっていた事を自覚しなくなった時にはボロクソ言っていいと思うけど。

オープニング&エンディング映像は作り手の紹介=作品本編に影響を与える事はないくらいにしか思ってないし、1度見たらもう見てません(笑)。

演出として、

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↑がエンディング曲として使われるのは良かったと思います。

コロコロと無駄にOP&ED曲が変わるのが常となりましたが、やっぱり最初のOP曲こそが最もインパクトを与えるし、見ている側としても愛着を感じるものなんだよね。『~OO』もそんな感じだったし。