祝祭共働の拠点(10)
アウシュヴィッツは遠いので私は冷静でいられるが、もし私の身近な人が見知らぬバカに惨殺されたら、私は落ち着いてバカとの「共通の地平」などと言っていられないだろう。自然の情が私を完全に支配して、私は法律なんか無視してそのバカの惨殺を求める。こうした思いは最近頻発する無差別殺人などの理不尽な犯罪の被害者家族にも通じるものだ。法律は頼りにならない。ドラマでもよく描かれるように、法律は加害者(犯罪者)の人権は守っても、被害者家族の人権まで考慮してくれないからだ。理不尽な現実には理不尽に対抗するしかない。当然のことだ。しかし、この当然はあくまでも「私的領域」における当然、すなわち自然の情に支配された当然にすぎない。ただし、「すぎない」と言っても、「私的領域」は無力でも無意味でも悪いものでもない。先日言及したオキシトシンが「絆のホルモン」であると同時に「敵対攻撃のホルモン」でもある現実に即して、「私的領域」は愛すべき人たちとの「絆の領域」であればあるほど、憎悪すべき奴等の殲滅を望む「敵対攻撃の領域」と化す。愛する我が子をロシア軍に殺されたウクライナの母親はプーチンを決して許さない。我が子を愛すれば愛するほど、プーチンを許すことなど絶対にあり得ない。こうした母親の思いは純粋だが、ついに「私的領域」を超えるものではない。鄙見によれば、ウクライナとロシアに限らず、あらゆる戦争は常にそれぞれの「私的領域」の争いだ。言い換えれば、「公的領域」の欠如が戦争を引き起こす。では、「公的領域」は如何にして実現するのか。愛すべき人と憎悪すべき人が相互承認を求めて闘議する場、すなわち祝祭共働の場は如何にして切り拓かれるのか。言うまでもなく、それは殆ど不可能に等しい至難の業だ。それに「公的領域など必要ない。私的領域だけで十分だ」という人も少なくないだろう。そうした根源的な疑念も踏まえて、私は何とかして祝祭共働が可能となる次元を切り拓く拠点を求めたい。余談ながら、私は先日、笹井宏之氏の「えいえんとくちから」(永遠解く力)という短歌集を紹介するテレビ番組で次のような詩に出会った。前途多難ではあるが、この詩にあるような思いで生きていきたい。
笹井宏之「無題」
わたしのすきなひとが
しあわせであるといい
わたしをすきなひとが
しあわせであるといい
わたしのきらいなひとが
しあわせであるといい
わたしをきらいなひとが
しあわせであるといい
きれいごとのはんぶんくらいが
しんじつであるといい
祝祭共働の拠点(9)
相互承認の可能性について考える時、私はアイヒマンに対するアーレントの態度を思う。アーレントはアイヒマンの「悪」について理解しようとした。それは或る意味、アイヒマンとの「共通の地平」を求めることでもあった。そのことが他のユダヤ人同胞に激しい怒りをもたらした最大の理由だったと私は推察する。「共通の地平」を求めることは、極悪人・アイヒマンと同じ地平に立つことであるからだ。それは一般的なユダヤ人には耐えがたいことであった。極端な話、アイヒマンはケダモノとして遇するべきであり、そこに人間性のカケラを認めることさえ絶対に許しがたいことなのだ。ちなみに、人はよく「一寸の虫にも五分の魂」と言ってイノチを大切にすることを美徳とするが、ゴキブリやムカデは躊躇なく叩き殺す。ゴキブリやムカデの魂を忖度する人など皆無に等しく、そこに「共通の地平」はあり得ない。多くのユダヤ人にとって、アイヒマンとは正にゴキブリやムカデのような存在なのだ。それが自然の情というものだろう。しかし、アーレントのアイヒマンを見る眼差しは自然の情を超えていた。アイヒマンがゴキブリやムカデのように叩き殺されるべき存在であったとしても、そこに魂を認め、「何故そのような存在になったのか」と問う。それが「共通の地平」を求めることに通じる。勿論、それはアイヒマンの「悪」を容認することではない。むしろ、その「悪」を根源的に問うためには「共通の地平」が必要不可欠なのだ。自然の情に任せて、アイヒマンをその場で叩き殺した方が被害者の怒り・無念は晴れるかもしれない。しかし、アイヒマンの「悪」は永久に承認されることはなくなる。承認されなければ、アイヒマンを殺しても、その「悪」はいつでも生き返る。「バカの壁」を崩す相互承認は「善悪の彼岸」における祝祭共働に他ならない。
祝祭共働の拠点(8)
偉そうにカッコイイことばかり言っているが、「バカの壁」を崩すことは実質的にほぼ不可能だ。プーチンを説得することなどできない。そもそもプーチンと徹底的に話し合う「共通の地平」がないからだ。「バカの壁」は「共通の地平」がない場所に建つ。従って、プーチンに対してなすべきことは「説得」ではなく「排除」だということになる。それが唯一有効な対処法だと思われている。果たして、本当にそうか。バカを「排除」すれば問題は解決するのか。確かに、「排除」は即効性のある現実的な対処法かもしれない。しかし、「バカの壁」への屈服でもある。プーチンを「排除」しても「バカの壁」は残る。そしてまた、新たなプーチンが現れる。だから、実質的にほぼ不可能ではあるけれども、私は敢えて「バカの壁」の破壊に挑戦したい。極めて低いが、可能性はゼロではない。非力な私には無理かもしれないが、「共通の地平」さえ見出せれば、「バカの壁」を崩す可能性が出てくる。ヘーゲルの文脈で言えば、それは「主人と奴隷の弁証法」から始まる相互承認の可能性でもある。
祝祭共働の拠点(7)
かつて養老孟司氏は「バカの壁」について語った。確かに、いくら話しても分かり合えない「バカの壁」があることは認めざるを得ない。「話せばわかる」と言った犬養首相も「問答無用」と返されて射殺されてしまった。しかし、「バカの壁」は絶対に乗り越え不可能なものだろうか。ゼレンスキーはプーチンをバカだと言い、プーチンはゼレンスキーをバカだと言う。どちらの言い分が正しいかと言えば、国際世論は圧倒的にゼレンスキーを支持するに違いない。同様に、ヒトラーもスターリンも「問答無用」のバカ、すなわち「本当にバカかどうか」と改めて問う必要の全くない正真正銘のバカとされている。しかし、本当にそうか。もしそうなら、どうしてネオ・ナチが生まれ、スターリンを再評価するプーチン、更にはそのプーチンを支持するロシア国民がいるのか。誤解のないように断っておくが、私は何もヒトラー・スターリン・プーチンといった独裁者を擁護するつもりはない。ただ、彼らとの間に「バカの壁」を確認するだけでは根源的な問題は解決しないと思うにすぎない。とは言え、「バカの壁」が存在するのは厳然たる事実だ。独裁者そのものもバカだが、それを支持する大衆もバカだ。その壁を前にして戦意喪失するのも無理はない。しかし、私は敢えてその壁のデイコンストラクションに挑戦したいと思っている。勿論、今の私にそれを果たせるだけの力はない。それに「バカの壁」に論理の力は通用しないだろう。余談ながら、先日観たNHKスペシャル「シリーズ・ヒューマンエイジ」の第二回「戦争:なぜ殺し合うのか」でオキシトシンという脳内物質の存在を知った。それは「絆のホルモン」とも称され、親子や同族などにおいて、人と人とを愛情豊かに結束させる半面、異質なもの対しては激しい攻撃性を発揮する物質だそうだ。そこには人間的論理などない。「お前は敵だ。敵を殺せ!」という有無を言わせぬ指令だけがある。このような自然性に支配される状況において、果たして「敵の本質」を見極めようとする人間理性が役に立つだろうか。わからない。しかし、挑戦してみる価値はある。
祝祭共働の拠点(6)
私の二つの挫折を総括すれば、どちらも共闘者の戦意喪失に起因している。私はこれを共闘者の裏切りとは思わない。むしろ、共闘者に依存していた自分の怠慢を恥ずかしく思う。しかし、人はどうして戦意喪失するのか。論理的に考えれば、「これ以上戦い続けることは意味がない」と判断するからだ。では何故、戦い続けることに意味がなくなるのか。一般的な理由としては、相手(敵)の力が強大すぎて到底勝ち目がないという諦念が考えられる。この場合には、「戦意喪失=敗北意識」ということになる。確かに、自分が戦意喪失した時点で相手の勝利は確定する。しかし、私の二つの挫折においては少し事情が異なるように思われる。すなわち、相手の圧倒的な戦力を前にした諦念による戦意喪失ではなく、戦いそのものに対する虚しさによる戦意喪失こそが問題なのだ。端的に、「どうしてこんなバカな奴等と戦わなければならないのか」という脱力感による戦意喪失だと言ってもいい。少なくとも、私の共闘者が強大な敵の前から怖気づいて逃げ出すわけがない。むしろ、敵が強大であればあるほど勇敢に戦い続ける人たちばかりだ。そんな共闘者が戦意喪失したとすれば、その理由は「こんなバカどもとはこれ以上付き合っていられない」ということしか考えられない。「新生会」の挫折もそうだったし、今回の「日々新しき村の会」の挫折もそうだ。結局、「新しき村」に人間の究極的な理想を実現する拠点を築こうとする運動は同じ轍を踏んで挫折した。その「同じ轍」とは「バカどもと戦い続けることの虚しさ」だと私は理解している。では、「バカども」とは何か。言うまでもなく、それは敵に対する蔑称であり、客観的には「無理解者」と言うべきだろう。当然、「無理解者」との戦いは双方にとって虚しく、戦意喪失を伴う意味のないものとならざるを得ない。しかし、それにもかかわらず、戦意喪失を乗り越えて、「無理解者」との戦いは続行すべきだと私は思う。その戦いなくして祝祭共働はあり得ないからだ。
祝祭共働の拠点(5)
第一の挫折から十数年を経て、新しき村は創立百年を迎えた。文豪・武者小路実篤が始めた理想郷が百年も続いていた事実は曲がりなりにもマスコミの注目を集めたが、その大半は単にシーラカンスに対する驚きと同様のものでしかなかった。すなわち、「疾うの昔に絶滅したと思っていたのに、まだ生きていた!」という驚きだ。そして、その驚きは時を置かずして「現在の村は理想郷とは程遠いアナクロニズムに沈んでいる」という嘲笑に転化した。しかし、極めて少数ながら、新しき村本来の理想に関心を抱く人たちがいたことも事実だ。確かに、それは百年前の古臭い理想であり、その多くは現代の労働基準法や社会福祉六法などによって実現されようとしている。実際、村の関係者の中には「新しき村の使命はすでに終わった」と言い切る人までいた。しかし、本当にそうだろうか。「新しき村の理想」は百年経っても決して古くならない「未完のプロジェクト」ではないか。ここで「新しき村の理想」の本質について深く論じることは自重するが、凡百のマスコミ報道を超えて、新しき村創立百年を機にその理想の永遠性に改めて鼓舞される人たちがいたことは厳然たる事実だ。そして、実に幸いなことに、そうした心ある人たちが集って「日々新しき村の会」が結成された。私の勝手な思いによれば、それは「新生会」の復活を意味した。しかも、「日々新しき村の会」は「新生会」など足元にも及ばない大きな実行力を秘めていた。更に言えば、村の高齢化には歯止めがかからず、加えて間違った指導によって導入された太陽光発電のせいで財政が破綻寸前に陥り、誰もが「村存続の危機」に直面して否応なく「村の変革」を考えざるを得ない状況に追い込まれていた。「新生会」の主張など歯牙にもかけずに一蹴した頃とは村を取り巻く状況は一変し、もはや今までの体制ではどうにもならないことが明白になったのだ。その結果、旧体制を担っていた村人は次々と離村し、新体制への準備が整った。私はそれを「毛呂山の無血開城」と理解していたが、残念ながら事はそう簡単には進まなかった。「無血開城」が新体制への道を切り拓いたことは事実だが、その新体制の構築を主導した人たちが「新しき村の理想」を全く理解していないことが判明したのだ。すなわち、彼らの関心は「財政破綻した村の経済的再建」にとどまるものであり、「新しき村の理想」を実現する運動体の復活などおよそ眼中にないのだ。では、何故そのような人たちに新体制の主導を許したのかと言えば、彼らが実務能力に長けていたからだ。私としては彼らの役割は新しい革袋をつくることであり、そこに新しい葡萄酒を注ぎ込むつもりであった。しかし、彼らの作ろうとしているのは「古い葡萄酒を容れる新しい革袋」でしかなかった。言うまでもなく、そのようなものは実質的に「新しい革袋」ではあり得ない。かくして「毛呂山の無血開城」で新体制への道が拓けたと思ったのも束の間、今度は新体制の主導をめぐって新たな戦いが要請されることになった。しかし、「日々新しき村の会」の心ある人たちの忍耐もここまでだった。彼らは旧体制の人たちの無理解と実に辛抱強く戦ってきたが、もはや新体制を主導する人たちの無理解と新たな戦いを始める気力は残されていなかった。無理もないことだと思う。それに、この新たな戦いに勝利して、現時点で新体制を主導している人たちの排除に成功したところで、一体誰が代わりに新体制を主導していくのか。人材不足は明白だ。やはり「新しき村の理想」を深く理解してくれる人を増やし、その連帯を確かなものにすることが先決問題だろう。それは新しい革袋をつくることと同時進行も可能だと私は思っていたが、いささか現状認識が甘かったようだ。何れにせよ、多くの人が「新生・新しき村」への意欲を喪失した今、それを目指した「日々新しき村の会」も空中分解したと言わざるを得ない。これが私の第二の挫折に他ならない。
祝祭共働の拠点(4)
私はこれまで、曲がりなりにも「新しき村」をユートピアの次元を切り拓く拠点にしようと考えてきた。言い換えれば、実篤がおよそ百年前に創立した「新しき村」を祝祭共働の花咲く場にしたいと望んできた。それは二十数年前に私が毛呂山の村で実際に生活し始めた時から変わらない希望だ。しかし、私はことごとく挫折してきた。当時の村は高齢化が進み、もはや創立当初の「理想」を実現する運動体ではなくなり、ただ細々と農業を営んでいるだけの限界集落と化していた。その農業経営も共同体の理念とは無縁であり、村人の生活は個人主義に閉塞するものでしかなかった。尤も、個々の村人は極めて誠実で、日々額に汗して農作業に勤しむ善人ばかりであった。私はそうした村人の生活そのものを非難するつもりはない。むしろ、尊いものだと思っている。しかし、そのような誠実な生活なら「新しき村」の外で生活する人たちにもあるだろう。篤農家や職人のみならず、誠実に日々働くサラリーマンだっている。私はそうした誠実な生活を非難することなどできないが、「新しき村」の生活はそれに尽きるものではないと考えている。誤解を恐れずに言えば、誠実な生活をしているだけでは不十分なのだ。「世界がぜんたい、幸福にならなければ個人の幸福はあり得ない」とは宮澤賢治の言葉だが、誠実な生活は尊いものの、もし村人が個人的な平穏無事な幸福に閉じ籠るならば、それは「新しき村」の生活ではない。キレイゴトにしか聞こえないかもしれないが、たとい個人の平穏無事な幸福を失う結果になるにせよ、「新しき村」は世界全体が幸福になる理想を実現する運動体であるべきだ。少なくとも私はそう確信している。そして、幸いなことに、こうした私の考えに共鳴してくれる人たちが集まり、「新しき村」に運動体を復活させることを目指す「新生会」(新しき生活を始める会)を結成することができた。しかし、村外会員を中心に大いに盛り上がったものの、結局、毛呂山の旧態依然たる体制を打破することはできなかった。もう一歩のところで、有力な共鳴者が古き村の体制と戦い続ける意欲を喪失してしまったからだ。結果、私一人では如何ともし難く、私は離村を余儀なくされることになった。これが私の第一の挫折に他ならない。
祝祭共働の拠点(3)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」と内田樹氏は述べているが、どうも私は前者の知性ばかり求めてきたような気がする。すなわち、説得力のある正論を如何にして構築するか、という問題だ。尤も、真の正論であれば自ずと説得力を持つ筈だと私は信じているので、結局、私の関心は「正論の徹底した主張」という一点に集中することになる。実際、私には「人間の究極的な理想」について正論を主張しているという自負がある。ヒトが人を経て人間に至る過程から生まれてくる理想についての正論だ。しかし、それが真に正論であるならば、どうして多くの人の支持が得られないのか。私の求める理想以外に別の理想があるならば、どちらが真に究極的なのか、私は徹底的に討論したいと思った。今もそうした討論を求める基本的な思いに変わりはないが、少し違う思いも生じてきた。それは正論ばかり主張し続ける自分の愚かさについての思いだ。とは言え、私は正論を曲げるつもりなど全くない。私は常に直球勝負を挑む。その結果、私の直球が通用しないのなら仕方がない。私に変化球という選択肢はない。しかし、そうした愚直さは、例えばジョギングを楽しんでいる人に全力疾走を強要するようなものではないか。正論は必ずしも全力疾走を要請するものとは限らない。祝祭共働はあくまでも正論だが、その拠点はジョギングを楽しんでいる人を無視すべきではない。たといその大半が個人でジョギングを楽しんでいる人であったとしても、そこには正論への突破口がきっとある。
祝祭共働の拠点(2)
性懲りもなく私は、「人間として本当に生きること」を求めて様々な問題に苦悩している人たちが自由に語り合える場をつくりたいと思っている。そのために、これまで私なりに便りを発信してきた。それはこれからも続けていくつもりだが、私の問題意識は致命的にズレているのだろうか。さっぱり手応えがない。苦悩している人は確実にいる筈なのに、そこに私の言葉が響かないとすれば、やはり私の問題意識がズレているとしか思えない。確かに、太宰治を気取って、人間の根源的な苦悩を問題にしているという「藁一筋の自負」が私にないとは言えない。しかし、私の問題はむしろ、太宰が批判した志賀直哉の方に近いと思われているのではないか。すなわち、偉そうに「暗夜行路」などと言っているがお前の人生行路のどこに「暗夜」があるのか、という批判だ。実際、私は生きることのギリギリの苦しみを知らない。食べる物も住む処もない生活苦。いじめ、失業、病気や怪我といった苦しみを私は知らない。例えば、先日観たドラマに、派遣社員が「正社員にしてやる」という企業側の誘いの言葉に惑わされて犯罪に手を染めるという場面があったが、私は咄嗟に「たかがそんなことで…」と思った。派遣社員が日々どんな過酷な環境で労働しているのか、そして「正社員として安定した生活を手に入れること」がどんなに素晴らしいことなのか、私は全く理解していなかった。その無知を私は心から反省する。「正社員として安定した生活を手に入れること」を求めて苦しんでいる人にとって、「人間として本当に生きること」をめぐる問題など贅沢な苦悩でしかないだろう。実篤や志賀直哉といった白樺派の苦悩も然り。そこに生きることのギリギリの苦しみはない。
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しかしながら、だからと言って、「人間として本当に生きること」を求める苦悩が無意味だということにはならない。生きることのギリギリの苦しみは切実で、直ちに死に直結するものだが、それは人間の根源的苦悩ではない。私は、人間の根源的苦悩には或る一定の生活の余裕が必要であることを認める。その意味では「贅沢な苦悩」であり、全世界の人が生きることのギリギリの苦しみから解放されることこそ先決問題に他ならない。具体的には。貧困や経済格差、そして食糧危機をもたらす環境破壊の問題だ。我々の目指す運動がそうした問題と取り組むべきことは言うまでもない。しかし、それはあくまでも我々の運動の往相にすぎない。「すぎない」と言うと誤解を招くかもしれないが、我々の運動にはその先がある。単なる貧困の解消では終わらない。むしろ、そこから真の運動が始まると言ってもいい。祝祭共働は貧困から脱出するための共働ではなく、その後の豊かさから始まる共働なのだ。そうした私の問題意識はやはりズレているのだろうか。
祝祭共働の拠点
「親ガチャ」という言葉がある。生まれによって殆ど人生が決まってしまうということらしい。現実にそうしたことはあるだろう。「親ガチャ」だけではなく、「国ガチャ」とか「顔ガチャ」とか、自分ではどうしようもない要因で人生に大差が生じてしまう。勿論、「親ガチャ」に恵まれても下らない人生をおくる人もいれば、不遇をものともせずに立派な人生をおくる人もいる。結局、「親ガチャ」などを口実に人生を諦めることほど愚かなことはない、ということだ。我々はこの世界に投げ出された地点から生き始めるしかない。とは言え、その出発点をできるだけ平等なものにしていく努力を怠るべきではない。実際、まだまだ不十分ではあるが、身分制が常識だった昔に比べれば、出発点はかなり平等になりつつある。少なくとも人は誰しも(権利としては)自由に夢を抱くことができるようになった。大きな夢である必要はない。もとより平等な出発点が平等な結果を生み出すわけではない。しかし、それぞれの身の丈に合った夢を自由に追求できる社会であって欲しい。そのような「自由への物語」を完成するために人々が共働する拠点をつくりたいと思う。それは今ある様々な不平等と闘っていく拠点だ。「親ガチャ」もさることながら、貧困・国籍・性別・障害などによって夢の追求が困難になる社会をラディカルに変革していく拠点。おそらく、そうした拠点はすでに世界各地に点在し、地道な活動を展開しているだろう。それにもかかわらず、更に新たな拠点が必要だとすれば、そこには「自由への物語」を超える「新しき物語」が要請されるに違いない。その要請こそが点在する既存の拠点を線で結び、来るべき祝祭共働の原点となる。