祝祭共働の拠点(3)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」と内田樹氏は述べているが、どうも私は前者の知性ばかり求めてきたような気がする。すなわち、説得力のある正論を如何にして構築するか、という問題だ。尤も、真の正論であれば自ずと説得力を持つ筈だと私は信じているので、結局、私の関心は「正論の徹底した主張」という一点に集中することになる。実際、私には「人間の究極的な理想」について正論を主張しているという自負がある。ヒトが人を経て人間に至る過程から生まれてくる理想についての正論だ。しかし、それが真に正論であるならば、どうして多くの人の支持が得られないのか。私の求める理想以外に別の理想があるならば、どちらが真に究極的なのか、私は徹底的に討論したいと思った。今もそうした討論を求める基本的な思いに変わりはないが、少し違う思いも生じてきた。それは正論ばかり主張し続ける自分の愚かさについての思いだ。とは言え、私は正論を曲げるつもりなど全くない。私は常に直球勝負を挑む。その結果、私の直球が通用しないのなら仕方がない。私に変化球という選択肢はない。しかし、そうした愚直さは、例えばジョギングを楽しんでいる人に全力疾走を強要するようなものではないか。正論は必ずしも全力疾走を要請するものとは限らない。祝祭共働はあくまでも正論だが、その拠点はジョギングを楽しんでいる人を無視すべきではない。たといその大半が個人でジョギングを楽しんでいる人であったとしても、そこには正論への突破口がきっとある。