祝祭共働の拠点(7)
かつて養老孟司氏は「バカの壁」について語った。確かに、いくら話しても分かり合えない「バカの壁」があることは認めざるを得ない。「話せばわかる」と言った犬養首相も「問答無用」と返されて射殺されてしまった。しかし、「バカの壁」は絶対に乗り越え不可能なものだろうか。ゼレンスキーはプーチンをバカだと言い、プーチンはゼレンスキーをバカだと言う。どちらの言い分が正しいかと言えば、国際世論は圧倒的にゼレンスキーを支持するに違いない。同様に、ヒトラーもスターリンも「問答無用」のバカ、すなわち「本当にバカかどうか」と改めて問う必要の全くない正真正銘のバカとされている。しかし、本当にそうか。もしそうなら、どうしてネオ・ナチが生まれ、スターリンを再評価するプーチン、更にはそのプーチンを支持するロシア国民がいるのか。誤解のないように断っておくが、私は何もヒトラー・スターリン・プーチンといった独裁者を擁護するつもりはない。ただ、彼らとの間に「バカの壁」を確認するだけでは根源的な問題は解決しないと思うにすぎない。とは言え、「バカの壁」が存在するのは厳然たる事実だ。独裁者そのものもバカだが、それを支持する大衆もバカだ。その壁を前にして戦意喪失するのも無理はない。しかし、私は敢えてその壁のデイコンストラクションに挑戦したいと思っている。勿論、今の私にそれを果たせるだけの力はない。それに「バカの壁」に論理の力は通用しないだろう。余談ながら、先日観たNHKスペシャル「シリーズ・ヒューマンエイジ」の第二回「戦争:なぜ殺し合うのか」でオキシトシンという脳内物質の存在を知った。それは「絆のホルモン」とも称され、親子や同族などにおいて、人と人とを愛情豊かに結束させる半面、異質なもの対しては激しい攻撃性を発揮する物質だそうだ。そこには人間的論理などない。「お前は敵だ。敵を殺せ!」という有無を言わせぬ指令だけがある。このような自然性に支配される状況において、果たして「敵の本質」を見極めようとする人間理性が役に立つだろうか。わからない。しかし、挑戦してみる価値はある。