祝祭共働の拠点(4) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

祝祭共働の拠点(4)

私はこれまで、曲がりなりにも「新しき村」をユートピアの次元を切り拓く拠点にしようと考えてきた。言い換えれば、実篤がおよそ百年前に創立した「新しき村」を祝祭共働の花咲く場にしたいと望んできた。それは二十数年前に私が毛呂山の村で実際に生活し始めた時から変わらない希望だ。しかし、私はことごとく挫折してきた。当時の村は高齢化が進み、もはや創立当初の「理想」を実現する運動体ではなくなり、ただ細々と農業を営んでいるだけの限界集落と化していた。その農業経営も共同体の理念とは無縁であり、村人の生活は個人主義に閉塞するものでしかなかった。尤も、個々の村人は極めて誠実で、日々額に汗して農作業に勤しむ善人ばかりであった。私はそうした村人の生活そのものを非難するつもりはない。むしろ、尊いものだと思っている。しかし、そのような誠実な生活なら「新しき村」の外で生活する人たちにもあるだろう。篤農家や職人のみならず、誠実に日々働くサラリーマンだっている。私はそうした誠実な生活を非難することなどできないが、「新しき村」の生活はそれに尽きるものではないと考えている。誤解を恐れずに言えば、誠実な生活をしているだけでは不十分なのだ。「世界がぜんたい、幸福にならなければ個人の幸福はあり得ない」とは宮澤賢治の言葉だが、誠実な生活は尊いものの、もし村人が個人的な平穏無事な幸福に閉じ籠るならば、それは「新しき村」の生活ではない。キレイゴトにしか聞こえないかもしれないが、たとい個人の平穏無事な幸福を失う結果になるにせよ、「新しき村」は世界全体が幸福になる理想を実現する運動体であるべきだ。少なくとも私はそう確信している。そして、幸いなことに、こうした私の考えに共鳴してくれる人たちが集まり、「新しき村」に運動体を復活させることを目指す「新生会」(新しき生活を始める会)を結成することができた。しかし、村外会員を中心に大いに盛り上がったものの、結局、毛呂山の旧態依然たる体制を打破することはできなかった。もう一歩のところで、有力な共鳴者が古き村の体制と戦い続ける意欲を喪失してしまったからだ。結果、私一人では如何ともし難く、私は離村を余儀なくされることになった。これが私の第一の挫折に他ならない。