学校に行かない人生というものもあります。正確には行けなかったと言った方がよいですが、ろくに学校に行けなかった人物として、エジソンとかアインシュタイン(大学は一応ちゃんと通いましたが)などがいますが、僕が強い印象を受けるのは棋士の村山聖9段です。29歳の若さで癌で亡くなりましたが、あの羽生善治氏のライバルとして将棋界で活躍しました。村山9段を主人公とした「聖の青春」という映画を見て感動しました。
村山氏は子供の時に難病を発症して、長くは生きられないことを宣告されていました。病気のせいで学校にいけないということもありましたが(院内学級や養護学校には在籍していました)、自分の持ち時間が少ないことを思い、体調の許す限り自分が夢見る将棋を優先したこともあると思います。中学生の時期に奨励会に入るために親元を離れて都会で暮らしました。好きな少女漫画を読むこと以外は(少女趣味に親近感がわきます)ひたすら将棋に打ち込み、17歳でプロとなり、病気を抱えながら羽生氏とともに将棋界で活躍しました。そして持病ではなく癌でしたが、30歳を前にして亡くなりました。
中学をどうしていたのかはよくわかりませんが、病弱な体を引きずっている限り、何よりも将棋を優先しなければなかったでしょう。彼に学校の影はまるで感じられません(漫画はとにかく好きなようでしたが)。村山氏を見ていると、少なくとも彼の人生には学校は必要がなかったと感じます。もちろん限られた寿命を駆け抜けなくてはならない事情もありましたが、こと彼の人生では学校の優先順位は低いと言わざるを得ないでしょう。
村山氏の場合は難病ということがありましたが、学校というものを人生の中でどう位置付けるかは人によって様々なのではないかと思います。村山氏には「友達百人できるかな」はありませんでしたが、両親や棋士の方々の支えがあり、羽生氏は映画「聖の青春」を見た後、村山氏を演じた松山ケンイチの熱演に、「本当にまた彼に会えた。」と語ったそうです。
不登校に悩む親子は、自分たちにとっての学校の位置づけを独自に考えてみてもよいのではと思います。学校は絶対でもなく、その位置をどこに置くかは自由だと思います。学校を有効に活用して楽しむも良し、自分には合わないと思えば、他の可能性を探ってみてもよいと思います。「エジソンやアインシュタインや村山聖は特別だから。」とは言わないで下さい。だって、誰もが、みんな、特別なのですから。
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