ぶらり荒磯 一竿子

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2018年09月19日

229話 あの日の光いまいずこ

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今はまったく見る影もないが、40年ほど前の磯釣りブームと離島ブームが重なったあの頃、その恩恵にあずかった三宅島では、周囲30キロの海岸線に点在する集落の釣り宿や民宿が、週末ともなると、釣り客や来島者ですべていっぱいになってしまった。

まさに空前の好景気であった。そのブームは今から40年前をピークに、前後10年づつ、通算すると20年くらい続いたろうか。

 

まだ暗い、日の出前の早朝5時、東京からの下りの連絡船が三池港に到着すると、下船口から次から次へと下船客が吐き出された。タラップを降りた下船客は岸壁を人の波で埋め尽くし、長蛇の列をなして緩い坂を上り、目的の釣り宿や民宿を目指して散って行った。その数凡そ800人。ほとんどが釣り道具を抱えていた。

港の坂道を埋め尽くす釣り人の群れは、まさに、アリの大群が行進しているかのように異様だった。これほどの人間が釣りをする場所など、この島にあっただろうか。そう考えると空恐ろしくなったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、岸壁の根元には広い駐車場が設えてあって、連絡船が到着するたびに、釣り宿や民宿から、迎えの車がやってきて所狭しと停車していた。車の側には漁師やら民宿のおやじが立っていて、下船客の群れに目を光らせて、自宿の客が行き過ぎたりしないよう見張っていた。釣り客や来島者も、迎えの車はどこにあるのか必死に探したものである。駐車場はまるで宵祭りの人混みのように、人と車でごった返していたのである。

今や、往時の賑わいは忘れ去られて、三池港につづく坂道からは、かつての名残りは消えうせてゴーストタウンと化してしまった。

 

あの頃、三池港につづく緩い坂道は三宅島の表玄関、メインストリートでもあったのだ。だから、坂道の両側には食堂や喫茶店、土産物屋、釣り宿が軒を連らね、多くの釣り客や来島者で賑わっていた。また、連絡船が着くたびに、サザエのつぼ焼きやクサヤの屋台が、道脇に並んで漁師のおばさんが商売に励んでいた。ノスタルジアかもしれないが、むせ返るようなあの熱気はいったいどこに消えてしまったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

ところで、その頃のわいは時間も金も暇もない、しがない勤め人であったから、日曜日以外は休めなかった。いわんや、日曜すら仕事をした時代であったから、釣り宿にのんびり泊まって、二泊三日の釣りを楽しむなんて余裕は夢のまた夢であった。

その代わりに、わいは土曜の夜の連絡船に飛び乗って、三宅島で半日釣りをして、その日の夜には帰宅するというトンボ返りの釣りを得手としていた。

 

その頃はまだ週休二日制ではなかったので、土曜日になると、わいは無理矢理定時で切り上げて、大急ぎで帰宅すると夕食もそこそこに慌ただしく竹芝桟橋に向かったものだ。一週間の仕事の疲れは連絡船の中で仮眠して癒していた。

 

翌朝、三宅島に上陸すると、すぐさま釣り宿に立ち寄って車を借り、早朝から半日だけ釣りをするのだ。13時半に出港する連絡船に乗らねばならなかったので、昼前には釣り宿に戻り、借りた車を返してから、すぐまた宿の車で出帆港まで送ってもらうという慌ただしい行程であった。そんなアクロバチックな強行軍を繰り返していたのだ。
しかし、まったく休まなかったら身がもたない。ところが世の中よくしたもので、どんなに釣りに行きたくても軍資金が底をついてしまったり、大しけだったりすると、毎週行く訳にはいかなかった。それが救いで、金がない時はゆっくり休めたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは西風が猛烈に吹く冬の夜だった。天気予報は、北西の季節風が激しく吹いて海は大荒れ、波も高くなるという警報を発していた。しかし、この機を逃すといつ行けるか分からない。わいは無理を承知で連絡船に乗り込んだ。ところが、連絡船が東京湾から外洋に出た途端、警報が的中してしまった。


その事態が発生したのは深夜24時頃だった。わいは2等船室の薄いカーペットに横になって、毛布をかぶって寝ていたが、やっと眠りについたばかりだった。

気がついた時には、突然、身体が跳ね上げられ、ゴロンゴロンと転がされ、宙に浮いたと思ったら、すぐさま床に叩きつけられていた。いったい何事が起ったのか。薄暗い船室はパニックに陥り、あちこちで悲鳴やら叫び声が上がっていた。

連絡船は木の葉のように揺さぶられ、前後左右、上下と翻弄されて猛烈な動揺を繰り返していた。船体はギシギシと軋んで今にも沈没しそうな気配だった。船室は乗船客の阿鼻叫喚に包まれていた。ついに年貢の納め時か。わいは観念した。恐怖がわいの身体を硬くしていた。

絶体絶命のピンチはどれほど続いたろうか。今生の別れと観念するほどの危機であったが、連絡船は地獄の淵から取って返し、危地を脱してくれたようだ。

猛烈なしけも30分ほどで収まってきた。通過する低気圧と連絡船の進路が交差して、地獄の一丁目を行きつ戻りつしていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


翌朝5時、相変わらず西風は猛烈で大しけであったが、連絡船はようやく三池港の岸壁に接岸した。わいは駐車場で待っていた光明丸の車で釣り宿に到着すると、いつものワゴン車を借りて大急ぎで出発準備に取り掛かった。
この車はこれまで何度も借りたことがあったが、車体にはボコボコと穴が空き、塩風で腐食した車体はいたるところ赤サビていた。その上、独特の癖があったので、それを承知で乗らないと危険でもあった。

その一つは、古いジーゼル車だったので、一発でエンジンをかけないと二発目以降はなかなかかからないこと。二つ目は、スピードが40キロを超すと急に前輪がブルブル震えだすこと。三つ目は、ブレーキをかけるとハンドルが左に取られること。そんな癖を持つ曲者であったが、慣れてしまえば愛嬌でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


というわけで、わいはワゴン車を運転して、いざ出陣となったが、北西風が強いので自ずと釣り場は限定されてしまう。すなわち、風裏となる南東磯でしか釣りは出来ないのだ。

わいがワゴン車の速度を30キロに落として走っていくと、やがて南東磯が一望できる台地に出た。車を降りて偵察してみると、南東磯一帯にはすべての磯に釣り人が入っていた。しかも、釣り人が密集して接近しすぎていた。季節風で釣り場が限定され、ここしか入る場所がなかったのだ。これでは竿と竿が当たってしまう。まったく釣りにならない。わいは潔くあきらめた。


磯釣りブーム全盛の頃はこんなことは日常茶飯事だった。わざわざ三宅島に来ても、竿ひとつ出せずに諦めたことが何度あったことだろう。それが様変わりして、この頃は一日中釣っていても釣り人の影すら見ないことがある。

おかげで、荒磯を独占できるのだから文句はないが、今昔の感は禁じ得ない。皮肉と言えば皮肉である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年08月18日

228話 岩塊はどこに消えたか

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巨大な貝柱を想わせるゴンパチ磯の溶岩の岩塊、その佇まいは、まるで強風や荒波と対峙するかのように海に向かって決然と鎮座していた。岩塊の背後には、恐竜の尾のように窪んだり隆起した溶岩の溝と背びれが崖下まで続き、深い溝には無数の大岩小岩が転がっていた。
磯足袋の下でガラガラ鳴る火山礫を踏んで、崖の上を振り仰ぐと、ニッパナの砂丘が海になだれ落ちる急斜面に、赤茶けた岩肌があちこちに覗いていた。見事な造形美である。この界隈は数百年前の噴火で、雄山から流れ出した溶岩が、海と陸の境界に創り出した天然のギャラリーなのである。
ところで、貝柱の岩塊といっても全体が似ているのではなく、円柱状の南東から北東面が酷似していて、直径は3メートルほど。海面からの高さが4メートルほど。海面下にも根を張り出している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貝柱の岩塊から数段低くなって右手に広がる荒磯は、海抜2メートル程の低い荒磯の連なりで、沖に向かって岬のようにせり出している。その岬に立って振り返ると、岩塊は、まさに貝柱のオブジェそのものだ。

 

 

岩塊から岬にかけてはゴンパチの磯といい、海が穏やかな日には、岬の低い磯で面白いように釣りが出来るが、一度しけると、波やうねりが岩場を駆け抜け駆け巡って危険この上ない。従って、しけてきたらすぐに撤退しなければならない。しけた時はこの岩塊が逃げ場になる。
貝柱の岩塊なら、南西方向からの強いうねりが入っても、突き出した岬のおかげでうねりの一撃は避けられる。また、岬が防波堤代わりになってうねりの侵入角度を逸らせてくれるので、岩塊が直撃されることはない。それに西風が強い時には、背後の砂丘が風除けになってくれる。まさに、悪条件下の女神である。惜しむらくは、釣果が期待できないことである。というわけで、しけた時の逃げ場として、全幅の信頼を置いていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ数年、わいは足しげくゴンパチの磯に通っていたが、もっぱら低い岬の磯であった。
それが3年前のある夜のこと、低気圧の接近が気象情報より半日も早まって、急速に天候が悪化してきた。折しも時刻は深夜2時、出発の準備を整えて光明丸を出る直前だったから、わいはためらうことなく軽ワゴンを駆って雨中に飛び出していった。

 

 

分厚い雲に覆われた夜空から大粒の雨が降りしきり、天地もわからぬほどの闇夜であった。暗闇の中で木々の梢が揺さぶられ、擦れた枝葉が悲鳴を上げていた。浜からは、荒れ狂う波音がゴーゴーと聞こえていた。これでは竿を出す場所などあろうはずもない。
すっかり予定が狂ってしまった。今夜の釣りは断念するしかないと諦めかけた時、ふと、貝柱の岩塊が閃いた。貝柱なら釣りが出来る。

降りしきる雨の中、車一台、猫の子一匹通らない木立の中の一周道路を、わいは目指すゴンパチの磯に向かってひた走った。ゴンパチ磯に下る入口に到着すると、わいは背負子に荷物をまとめ、ヘッドランプで足元を照らしながら目指す貝柱の岩塊に降って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貝柱の岩塊はニッパナ砂丘の崖下に位置しているので、わいは砂丘の突端から下を覗いてみようと、ヘッドランプの光を下に向けると、光がまったく届かない。激しい雨と波しぶきで、数メートル先がホワイトアウトして視界が遮断されてしまうのだ。崖下からは荒れ狂う波音が狂ったように聞こえていた。

 

それでも、急斜面を降って目指す岩塊に辿り着いた。その直後、わいを待ち構えていたかのように稲妻が走り、雷鳴がとどろいた。あまつさえ、突風が吹きつけて大粒の雨がバシバシと叩きつけてきた。

立っていることさえ困難なのだ。これでは釣りどころではない。わいは溶岩の溝に身を潜め、風雨をやり過ごすことにした。強風が溝の中まで波しぶきを運んでくる。斜め後方10メートルほどにある、ワンド奥の巨大な岩壁にうねりが直撃し、ドッドーン、ドッドーンと轟音を響かせていた。水柱が噴きあがる気配がする。うねりの侵入角度が岩塊を逸れているので、ここまでは届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは低気圧などという生易しいものではない。もはや大嵐なのだと覚悟を決め、じっと身を潜めていると、30分ほどして若干風雨が弱まってきた。溝の中で固まっていても埒はあかない。折角だから釣りをしようと、溝の中で仕掛けを作り始めた。
仕掛けを作り上げると、わいは貝柱の岩塊の先端から大きく下がって、荒れ狂う波間にコマセを打ち始めた。底を洗うほどの大しけでは絶対魚は食って来ない。それは分かっていたが、成り行きである。

とりあえず、左右に数回、正面に数回コマセを打ったところで、岬の側から猛烈な波しぶきがかかってきた。たまらずわいは後ろ向きになって耐えた。

それをやり過ごして、再び正面を向いたところに、怒涛のようなうねりが襲ってきた。逃げる暇などあろうはずもない。わいは死に物狂いで岩角にしがみついた。バッカンや竿は一瞬にして吹き飛ばされた。幸い、わが身は無事だったので、流されずに済んだリュックとロッドケースを抱えて、砂丘の下まで走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西風や南西なら大丈夫。うねりはこの岩塊まで届かない。その思い込みは愚かだった。自然は人間の経験値など斟酌してくれない。経験などまるで役に立たなかった。

自然は人知をはるかに超えているのだ。

 

それからしばらくの間、わいはゴンパチの磯に足を向けることはなかった。間一髪命拾いはしたが、あの判断ミスは致命的だった。苦い思いが胸の底に沈殿していたのだ。

 

その後1年ほどが経過したよく晴れた日、わいは久しぶりにゴンパチの磯に足を向けてみた。すると、な、な、ない、ないのだ。どこにもない。岩塊が跡形もなく消えていたのだ。200トンはあろうかという岩塊がものの見事に消え失せていた。

ここなら安全、大丈夫と思い込んでいたわいは、背筋が凍り付いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年07月17日

227話 大船長の誕生祝い

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それは6月の中旬のことであった。三宅島の海は台風や低気圧の通過に加え、梅雨前線の居座りで連日大荒れに荒れていた。離島の生命線ともいえる東海汽船すら、悪天候と大しけで就航がおぼつかず、航海の途中でトンボ返りをしたり欠航したりを繰り返していた。悪天候の時には大人しくしているのが釣り師の常道だが、わいにはそれを承知で行かねばならぬ事情があった。
その事情とは、わいの磯釣り人生を40年以上も支えてくれた光明丸の船長が、この6月下旬の某日に、現役漁師のまま86才の誕生日を迎えるからである。

よくまあ、ここまで持ったものである。三宅島でも、80才を越してなお現役の漁師なんて数えるほどしかいないだろう。この一事だけでも凄いことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいはその船長の誕生祝いを誕生日の来る前にやってやりたかった。なぜ誕生日の前かというと、離島の海や天候、或いは連絡船の運航は一筋縄ではいかないからだ。

ひとたび海がしけたら、たちまち欠航となってしまうから、ピンポイントでの渡島はほとんど不可能なのだ。

 

誕生日まであと2週間足らず、折角渡島するのだから、できれば磯釣りもしたかった。

そんなわけで、わいは連日、現地の天候の推移を子細に検討し、3日先まで予想してくれるインターネットの天気図サイトと睨めっこしながら、わずかなチャンスも見逃すまいと手ぐすね引いていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、先月三宅島に釣行した折、帰り際に光明丸の娘ムツミに、「来月は船長の誕生日があるから、誕生日の前にまた来るよ。」と言っておいたが、ムツミの姿勢は消極的で、「ジジイの誕生日なんかどーでもいいよぉ。おれだって誕生祝いなんてやったことはねえんだよぉ。」と素っ気ない返事を返してきた。

元々、生活環境の厳しい三宅島では、誕生祝いなどする余裕はなかったのだろう。勢い、誕生祝いなんて都会人のお遊びとしか映らないのだ。

 

 

とはいえ、船長はわいの大恩人である。船長がいてくれたからこそ安心して磯釣りが出来たのだ。あの大雨の真夜中、わいの車が深い森の中で立ち往生した時も、文句ひとつ言わずに大急ぎで駆け付けてくれた。ドジを踏んでもへまをやらかしても、困ったときには必ず船長が助けに来てくれた。そんな船長だから、せめて誕生日ぐらい、サプライズで喜ばせてあげたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い起こせば6年前、船長が80才を迎えた時、「船長、あと10年現役でやってくれ。」と無理難題をリクエストしたら、船長はしばらく考えてから、「90才までかあ。おめえ、そりゃあ無理だろう。だけど、85才までやってみるよ。」と約束してくれた。

その85才を通過点にして、今や、86才を迎えようとしているのだ。先月、来島した時、「船長、まもなく86才を迎えるね。」「無理しないでぼちぼちやれば、90才まで持つかもしれないよ。」と言ったら、意外や意外、「そうだなあ、90才までやってみるか。」と前向きな言葉が返ってきた。

 

 

今は見る影もないが、船長が40代半ばの頃は鬼神もたじろぐほど筋骨隆々としていた。さすがに80才を過ぎた頃から、腰が曲がって背丈も縮み、見るからに貧弱になってきた。誰しも寄る年波には勝てないのだ。体力の衰えはあちこちに見え隠れするが、船長には気力が残っている。気力さえあれば、ある程度のことは乗り切れる。いつまでも気力が持続するよう、背中を押してあげるのがわいの勤めかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、天候の回復を待っていたら、瞬く間に10日が過ぎてしまった。おかげで誕生日は目前に迫っていた。その朝8時、いつものようにパソコンで気象情報をチェックしていたら、三宅島周辺海域にわずかながらも変化のきざしが現れた。しけが収まりそうな天気図になってきたのだ。待てば海路の日和である。その時点で、わいは三宅島での釣りは諦めていた。誕生祝いだけでも、渡島できれば上等という気持ちになっていた。

 

 

わいは携帯を取り上げると、「船長、へぼ太だよ~、今夜の船で行きたいんだけど、いいですかあ。」と呼びかけた。すると、「おめえ、三宅島は連日大しけだぞぉ。」「連絡船だって着くかどうか分からねえ。おめえがいつも行く釣り場なんか、大波かぶって近寄れねぇ。」という厳しい返事が返ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいはその言葉に反論し、「三宅島に行くだけでいいんだよ。」「釣りができなかったら宿で寝ているさ。だけど、天気図を見ると、明日と明後日は風が収まりそうな気配だよ。」と言い返して了解をとった。

しかし、その日の午後4時ごろ、船長から電話があって、「おめえ、明日は南西が猛烈に吹くみてえだぞ。波だって6メートルを超す大波だ。海岸には絶対に近づけねえ。釣りどころじゃねえから、来るんじゃねえ。」と怒ったように怒鳴っていた。

この情報源は漁業情報だから、船長の言葉に従うしかない。わいはやむなく渡島を断念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年05月09日

226話 びびりのマスター

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今年のゴールデンウィークは5月1日と2日の平日を休みにすれば、超豪華な9連休であった。その9連休明けの7日、カフェピンコロのドアを開けて、上り口でスリッパに履き替えていると、店の奥のピアノの陰から「ホットにしますか?アイスにしますか?」とマスターの声が聞こえた。
ホットでと答えて、わいが窓際の席に腰を下ろすと、マスターがコーヒーと水を載せたトレーを「お待たせしました。」と言いながら運んできた。トレーをテーブルに置くと、マスターはすぐにカウンターに戻って、今度は自分のコーヒーカップを片手に、はす向かの椅子に腰を下ろした。広々とした店内に客はわいひとりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大ガラスを隔てて、通りを行きかう車を眺めながらコーヒーをすすっていると、マスターがおもむろに口を開いた。

「連休中は家にいてもやることがないので、3日、4日、5日と店を開けたんですが、甘かったですね~。」と苦笑するように話し始めた。「3日間で、何人お客さんが来たと思いますか?」と尋ねてきたので、普段でも少ないから、一日一人として、三日で三人かなと答えてやると、ブブーとブザーを口で鳴らし、「では三択です。1人、5人、10人のうちどれでしょうか。」とヒントを出してくれた。

わいが5人ぐらいかなと答えると、「残念でしたぁ、3日間でたったの一人です。それも、いつも土曜日に来てくれるお客さんが一人でした。」と答えたので、

それは残念だったね、でも、1人でも来れば御の字だよ。祝祭日はいつもやってないんだから、思い付きで店を開いたって、営業してるなんて誰も知らないよ。マスターだって、家でゴロゴロしているよりましだったろうとあしらってやると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「こないだのメジナ、塩焼きで食べましたが、あれくらいのが丁度いいですねぇ。今度はいつ行くんですか?」と唐突に話題を変えてきた。連休前に行ったばかりだから、体がまだ回復していないよ。行くとしても中旬以降だねと答えると、「少し早かったですか。でも、今度行ったら、サバを釣って来てくださいね。」と注文をつけてきた。

三宅島でメジナが釣れると、わいはいつも、マスターに釣れたよとメールを打ってやる。そうすると、翌朝、マスターがわいの自宅前に受け取りに来る。

 

最初の頃はどんな魚でも文句ひとつ言わなかったが、最近はやたらと文句が多くなって、40センチを超すメジナを上げると、ウロコを取るだけで苦労するとか、骨が固くて刃が立たないとか言って文句をつけてくる。塩焼きにするのだから、20センチくらいのを釣って来てくれと平気で我が儘を言うようになった。

前回は肥ったサバが釣れたので持ち帰ってやったが、それに味を占めたのか、味噌煮にするから、またサバを釣って来てくれなどと注文してくる。言うに事欠いて、メジナはいらないからサバを釣って来てくれとまで言い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところで、料理好きのマスターは率先して朝晩の食事づくりをしているらしいが、メジナを料理する場合、従来は刺身中心だった。ところが、最近では塩焼きとか煮魚またはフライばかりで、刺身にすることは全くないという。

その理由が奮っている。昨年の中頃、マスコミが一時、魚の寄生虫アニサキスについて大々的に報じたことがあったが、そのさなかに、マスターはアニサキスの恐ろしさを誇張して家族に伝えたのだ。そのせいで家族が刺身恐怖症になってしまったらしい。マスター自ら刺身嫌いを作り出していたのだから笑い話である。


それは、昨年の初夏の頃、マスターは夕食にカツオのたたきを作ろうとして、近所のスーパーでカツオの柵を仕入れてきたが、ひょっとして、この柵にもアニサキスがいるかもしれないと考え、念入りに調べたそうである。

すると、「いたんですよ。半透明の糸みたいな細い虫が、長さは4,5センチありましたね。」と話してくれた。それだけならいいが、その発見を鬼退治でもしたかのように、手柄話として家族全員に話して聞かせたらしい。それ以後、マスターの家では全員が刺身恐怖症になってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、30年以上も前のニュースだが、俳優の故森繁久彌が公演中に腹部に激痛を訴えて緊急手術を受けたことがある。手術の結果、森繁さんの腸からはアニサキスが見つかったそうである。森繁さんは前日、サバの押しずしを食べていたそうである。
そういうこともあるから、決して見くびってはいけないが、そうかと言って過度に恐れることはない。アニサキスはサバやサンマなど青魚またはイカなどに寄生するが、メジナには寄生していない。もし、いたとしても、一度冷凍するか加熱すれば、すぐに死んでしまうから心配ない。生きていても、よく噛んでしまえば、死んでしまうだろうと教えてやったが、もはや、マスターは聞く耳を持たなかった。マスター自身がびびりまくっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年04月10日

225話 逃げるが勝ち

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伊豆諸島上空に高気圧が張り出してきて、やっと天候が回復しそうな気配である。わいはこの機を逃すまいと、先月の29日、竹芝桟橋を22:30発の夜行船で1か月ぶりに三宅島に向かっていた。

 

 

それにしても3月はよくしけたものだ。本州東岸に沿って低気圧が入れ替わり立ち替わり北上し、強風を吹かせ、雨ばかりか雪まで降らせてくれた。おまけに、三宅島の東を50キロ以上も離れて北上していた黒潮が西寄りに大きく流れを変えたので、黒潮の帯がすっぽりと三宅島を呑み込んでしまった。おかげで、17℃まで低下していた海水温は21℃近くまで跳ね上がって、例年に較べて4℃も高くなっていた。
何とか下がってくれないものかと様子見していたが、自然現象が希望どおり変化してくれる訳はないから、悪条件を承知で渡島することにしたのだ。ところが、いざ三宅島に来てみると、あまり期待していなかった分、面白い釣りができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上陸した日の朝6時、わいは釣り宿光明丸で借りた軽ワゴンを駆ってカドヤシキの磯に向かっていた。カドヤシキまではわずか4~5キロしかないが、荒磯に上って実際に釣り始めたのは7時を廻っていた。気象情報では北東の風やや強しという予報だったが、ここカドヤシキでは左側から吹く東風が結構強く、仕掛けを投げるとたちまち糸ふけして、ふけたラインが潮流や波や風で引き戻され、仕掛けが引っ張られて自然な形で流せない。そんな苦労を除けば、その他はもろもろ順調だった。

 

 

折から、御蔵島の上空には朝日が昇って、沖に向かって海面はまぶしいくらい輝いていた。今朝の海は遥か彼方までべたなぎに見えたが、実際にはかなりうねりがあって、磯際に押し寄せるうねりがあちこちで激しいしぶきを上げていた。沖合では、船影を波間に見え隠れさせて、小さな漁船が何かの漁をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいは、岩の上に置いた付け餌の脇にペットボトルを置いて、時折茶を飲みながら釣っていたが、小一時間してもコツリとも魚信はなかった。それから30分ほどたったろうか、やっと微かなアタリがあったので、軽く合わせてみると、瞬時に強烈に引き込んでくれた。取り込んでみると、元気のいい30センチ大のイシガキであった。水温が高いせいでイシガキダイが釣れるのだ。暫くすると、またしてもイシガキが食ってきた。

皮肉にも、上物釣りに底物ばかり掛かって来る。ただ、ここは水深が浅いので底物が釣れてもおかしくはない。

 

9時頃になって、やっとそれらしいアタリがあって、竿を煽ってやると猛烈に絞り込んできた。竿も折れよとばかりに深場に向かって疾駆していく。まるで潜水艦が掛かったような気分である。姿こそ見えないが、感触からして大物である。

10分以上格闘したろうか。取り込んでみると、50センチオーバーのイスズミだった。外道ではあったが、十分に堪能できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そのあと掛かってきたのは、青物と見まごうばかりに疾駆する猛烈アタローである。

こいつは青物はだしに海面近くを豪快に疾り回るのだ。その疾り方はヒラマサやカツオにも似て実にパワフルなのである。疲れ知らずに右に左に走り回るので、左右から突き出した磯岩にラインが引っ掛かるのではないかと、はらはらしながらのやり取りとなった。

その正体はオキナメジナで、別名ウシグレともいうが、ずんぐりむっくりの肥満体で顔も姿かたちも実に不細工なのである。しかも、オキナメジナは南方系なので、オナガとは逆に水温が高くなると活性化する。馬に例えると、オナガは俊足優美なサラブレッドで、オキナは短足肥満の道産子である。

 

 

取り込んだオキナは体長が40センチほどあって丸々と肥っていた。その後も同じくらいのオキナが立て続けに釣れて、デブちゃんを都合3匹も釣ってしまった。同時にイスズミの35センチクラスが2匹上がった。どちらも本命には程遠かったが、めちゃめちゃ走ってくれたので、大いに楽しませてもらった。

しかし、11時を過ぎたあたりで急に食いが止まって、アタリが途絶えてしまった。しばらく辛抱していたが、遠くで12時のチャイムが鳴ったのを契機に、わいは竿をたたむことにした 。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌4月1日は早々と午前0時に目が覚めてしまった。午前2時の起床予定だったので、いくらなんでも早すぎる。再び目を閉じてみたが、ぜんぜん寝付けない。どうせ眠れないならと午前1時に起きてしまった。

 

 


午前2時、光明丸を出たわいの軽ワゴンは深夜の一周道路をひた走り、カドヤシキに降る森の草むらまで下ってエンジンを止めた。草むらに車を駐めて、背負子を背負い、帽子のヘッドランプを点灯し、真っ暗な森の入り口で立ち止まって、木々の梢を振り仰ぐと、木立の間に青い月が煌煌と輝いていた。

その夜の潮は大潮、月はまんまるの満月であった。
真っ暗い森のブッシュの中を抜けて、海岸伝いに溶岩と瓦礫を踏んでしばらく行くと、月明の下に黒々とした岩塊がいくつも連なって、打ち寄せる波音がまじかに聞こえてきた。あと5分もすれば海に突き出た溶岩岬に到着する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいは月明かりに照らされた崖側の高い場所に立ち止まって、いつものように、

「カドヤシキさん、よろしくお願いしま~す。」と叫んで頭を下げた。

なにを血迷っているのかと笑われるかもしれないが、人っ子一人いない神聖な領域に真夜中に侵入するのだ。森や岩山、海岸や岩塊に潜む精霊や魑魅魍魎に敬意を表し、謙虚な態度で臨むのは当り前のことである。殊に、わいは一人なのだから、万一危機に陥った場合、精霊や魑魅魍魎にすがるしかないのだ。

 

 

カドヤシキの荒磯に入ってみると、波もうねりも前日と同程度であったが、風向きが真南に変わっていた。風速は6~7メートル。真南の風は完全なアゲンストだから釣りづらいこと甚だしい。もし、これ以上強まったらアウトである。そうならないことを祈るしかない。

 

 

本日から4月に入ったとはいえ、真夜中の荒磯は結構冷えるものだ。風は寒いし、頭上から差す青白い月光は冷気さえ感じさせる。防寒対策に厚手のシャツを着込み、背中にはホッカイロを貼っている。カッパは上だけ着ていたが、ズボンも履かないと震えてしまいそうだ。ともかく、用心に越したことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その日の満潮は午前6時30分、おそらく、4時ごろから食いが立ってくるだろう。慌てることはまったくない。ゆっくり支度すればいいのだと考えて、ゆっくりと準備をしていたら、3時前に支度が終わってしまった。

折角だから釣り始めたが、満潮までにはまだ3時間余りある。現在の満ち加減は上げの4分くらいだろうか。わいは要所要所にコマセを打って、風の影響の少ないワンドの内側で釣り始めたが、いくらコマセを打っても電気ウキには変化はない。ともかく、息長くコマセを打って魚をたくさん寄せておくことにした。

 

 


それが功を奏したのか。4時すこし前からアタリが出始め、40センチ前後のオナガが次々に掛かってきた。ハリスは6号、竿3号で釣っていたから、全部抜き上げである。

30分ほどすると、40センチクラスのオナガが4匹ほど上がっていた。このまま行くと、また釣り過ぎてしまうと懸念されたが、4時半を過ぎたら急に型が小さくなって、25~30センチにダウンしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5時を回ったら、突然、サバの群れが登場した。こうなるとどこに投げてもサバしか掛かってこない。とは言え、この時期には珍しく、丸々としたビール瓶並みのサバだったから、何匹か持ち帰ることにした。気を許したら、30分もしないうちに6匹も釣れてしまった。もう、これ以上釣りたくない。

あと30分もすれば夜が明けてくる。サバの群れは夜が明けた途端、忽然と姿を消すから、夜が明けるまでコマセも釣りも中断し、小休止することにした。手持ちぶたさだったので、ペットボトルの茶を飲んでいると、やがて夜が白々と明けてきた。
 

さ~て、サバが消えたところで、改めてオナガ祭りでも始めるかと、再び足元にコマセを打って仕掛けを打ち込んだところ、

ギャ~ッ ⁉ 仕掛けが海面に着水するやいなや、またしてもサバが食らいついてきた。

2投、3投と試してみたが、やはり、サバが食らいついてきた。ふつうなら夜明けとともに沖に去っていくものだが、今朝のサバは足元でオキアミが来るのを待っていたのだ。

これほど嫌がっているのに付き纏ってくるのだからストーカーである。しかも、手の打ちようはなさそうだ。ストーカーから逃れるために、わいは竿をたたんで退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

2018年03月05日

224話 言い訳は聞かぬぞ!

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このところ、急速に発達する低気圧、いわゆる爆弾低気圧というやつが頻繁に列島を北上している。そいつが本州南岸を通過していくと、当然ながら、三宅島や伊豆諸島は大しけとなる。その大しけの合間を縫って、わいは三宅島に渡って釣りをしてきた。

奇しくも、光明丸の船長が「おめえは鼻が利くよなあ。いつもしけが収まる寸前にやって来て、大しけ直前にけえって行くからな。」と冗談半分褒めてくれたが、わいは易者でも予報官でもない。当たればいいが、当たらなければ散々である。今回は渡島初日が外れて、二日目は当たったようだ。
そして、自宅を出てから三日後の2月28日午後10時、わいは疲労困憊し、へとへとになって帰宅した。疲労困憊したのは欲張って釣りをしたからだろうと思われるかもしれないが、そうではない。

その理由はなんとクーラーの重さにあった。33リットル入りのクーラーボックスに魚と氷を目一杯詰め込んできたから、帰路の持ち運びで往生してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいは、気象庁がスーパーコンピュータで解析している、三日先までの予想天気図を参考にして計画を立てているが、渡島初日の三宅島は高気圧圏内にすっぽり入ってしまうから、しけは収まり、穏やかな天候に恵まれるものと予測していた。ただ、日本海や北海道にいくつも低気圧が居座っているから、その影響があるかもしれないと考えていた。

 

 

それでは、渡島初日からの足跡をたどってみよう。

早朝6時、事前の予想に基づいてカドヤシキの磯に入ったが、風は北東風で風速は4、5メートル、かなたに御蔵島を浮かべた海がのどかにさざ波を立てていた。足下の岩の窪みには普段大小の潮だまりが出来ているが、その日は底の方にわずかな潮を残すだけでほぼ乾いていた。ここ数日、この辺りはしけを免れていたということである。これでは静かすぎて釣りにならないかもしれないと危惧していると、しばらくして、東南の方角から間歇的にうねりが入るようになった。

風はさほどでもないから、うねりもそのうち収まるだろうと予測した。ところが、30分ほど経過して、仕掛けやコマセの準備が整ったころから、沖から津波のようなうねりが時々押し寄せるようになった。うねりは岩場に当たって波しぶきを上げている。これから竿を出そうとしていたU字型の狭いワンドにもうねりが入って真っ白くさらしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


経験的に言って、この磯は浸入したうねりがワンドの中で暴れた方が食いが立つのだ。さあ、条件は整ってきたぞ。わいはワクワクしながらコマセを打つと、泡立つサラシに仕掛けを打ち込んだ。すぐさまアタリがあって、竿は満月を描いて絞り込まれ、獲物は狂ったように走り出した。

なんと幸先の良いことか。第一投から狙いどおりの展開である。わいは笑いを噛み殺さずにはいられなかった。ところが、好事魔多しとはよく言ったもので、針掛かりした獲物はあっちこっち走り回ってなかなか浮いてこない。やっと足元に寄せてきたと思ったら、そこにうねりがなだれ込んできた。

取り込もうとして海面に出した玉網は、うねりの直撃を受けて弾き飛ばされ、海面近くに浮かせた獲物も、うねりにさらわれてワンドの奥に飛ばされて、あろうことか道糸が突き出した岩に引っ掛かり、外そうとしたら高切れしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バラシはしたがここは荒れ模様がいいのだ。わいは意を強くして、仕掛けを作り直して再び打ち込むと、30分ほどしてまたもや強烈なアタリ。

ところが、時間の経過とともにうねりは更に激しくなって、カッパは着てはいたものの、わいは潮をかぶってずぶ濡れになっていた。その上、うねりが強くなり過ぎて、もはや磯際に近づくのさえ危険であった。玉網入れどころではなくなって、またしてもバレリーナ。

そうこうしている内にうねりはますます強くなって、防波堤のように見なしていた沖側の高さ4メートルほどの大岩を乗り越え、猛烈なしぶきがかかってきた。

絶対安心と思っていた岩陰のバッカンまで、うねりの直撃にさらされて、あわや、流されそうになったので、あわてて取り押さえたが、バッカンは倒され、中のコマセはほとんどが流出してしまった。

バッカンで済んでよかった。これがわが身だったら笑い事では済まされない。わいは即座に撤収することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という訳で、初日はあえなく撃沈だった。では二日目を紐解いてみよう。
二日目の深夜2時、枕元においた携帯のアラームが電子音を響かせた。

わいは即座に起床して、すぐに洗面や小用を済ませて真夜中の釣りに備えて防寒対策を開始した。30分ほどかけて釣り支度を完了すると、庭先に駐めた軽ワゴンに乗り込んでエンジンを始動させた。
光明丸の敷地を囲む黒い木立の隙間から藍色の夜空が覗いて、斜め上の空には明るい12日月がぽっかりと浮かんでいた。ありがたや、今夜はお月さんと同行二人か。
人家もまばらな雑木林の脇道から一周道路に出ると、そこは都道になっているので、数十メートルおきに街灯がぽつんぽつんと点いている。

ここ坪田の集落は戸数100戸に満たない集落である。三宅島は一周すると30キロほどあるが、住民はわずか2000人ほどだと船長が笑いながら教えてくれた。だから、この集落には信号機ひとつない。一周道路と言っても深夜に走る車など滅多にない。

人っ子一人ネコの子一匹歩いていないのだ。深夜に走り回っているのは、お化けと一竿子ぐらいのものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一周道路を西に向かって500メートルほど走っていくと集落の外れで、その先は両側から木立が覆いかぶさる森の道となって、道は上ったり下ったりしながらくねって行く。

暫く走ると木立が途切れ、前方の空にまた12日月が顔を出した。更に数キロ走って、枯れ沢にかかる橋の向こう側の藪道を下っていくと、樹林が大きく刈り取られ、地元建設会社の資材倉庫がぽつんと建っている。そこの空き地に車を駐めて、わいは真っ暗な林の中に踏み込んでいくのだ。

 

 

 

折から、カドヤシキの磯も12日月の月光を浴びて溶岩の影が長く伸びていた。

そのカドヤシキで、午前3時から竿を出したが、前日とは打って変わってうねりもなければ波しぶきもない。西空にはまだ月が残っていたが、まもなく山陰に隠れそうであった。背後から吹き降ろす北西風は多少気になったが、フォローだから凌げそうだ。昨日とは正反対に、潮はたるんで波ひとつない。物足りないほど海は穏やかであった。

天気予報では昼から大きく崩れるそうだから、嵐の前の静けさである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


釣り始めて30分、いまだ何のアタリもない。潮は足元の磯際を右から左にトロトロと流れている。これではメジナなど寄って来そうにないが、今朝はウロチョロしている時間はない。釣れても釣れなくてもこの磯と心中するしかないのだ。だから、考えられるすべての場所にコマセを打って入念に探っていくことにした。

しかし何をやってもアタリはない。生体反応が途絶えたように全くアタリがないのだ。

それでも耐えて待つしかない。潮上にこれでもか、これでもかとコマセを投じ、赤い電気ウキを注視していると、やっと微かなアタリが顕れた。

それはウキを軽く押さえるような小さいアタリで、小魚のような引きであった。それでもアタリがあっただけましである。軽く合わせてみると、竿先に弱い反応があった。ところがその数秒後、弱い引きが一転して猛烈な引きに激変した。

獲物は深みに向かって突っ込んでいく。まさに、赤ちゃんトカゲと思っていたら、実は巨大なワニだったというくらいびっくりした。

取り込んでみると40センチのオナガだった。それを契機に、午前4時から6時頃までの2時間で、オナガの良型を15、6匹釣り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


特筆すべきは、釣れたメジナのすべてがオナガで、クチブトはただの1匹も出なかった。それに、2週間前の釣行ではあれほど跋扈していたイスズミが、今回は全く姿を見せなかったことである。水温がオナガの適水温まで低下したからだろう。
その日の潮は中潮で、満潮が午前4時50分だったから、満潮を挟んで2時間が時合であったのだ。

6時を過ぎると、さっきまでの入れ食いが嘘のようにぱったり釣れなくなった。それでも時々アタリはあった。再び腕時計を覗くと時刻は6時半、水温が低下したのか、7時を過ぎたら全くアタリが途絶え、付け餌がそのまま戻ってくる。

何事にも終わりがある。にぎやかなカーニバルは終わったのだ。撤収の時が来たのである。わいは納竿して8時前に光明丸に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭先の洗い場で車から荷物を降ろし、バッカンに入れたメジナをぶちまけると見事なほどの大漁である。これを全部持ち帰ったら大変なことになる。
台所からムツミを呼び出し、「メジナがいっぱい釣れたから、2、3匹置いていくよ。」と告げたら、「折角釣ったんだから持って帰れよぉ。」と言いながら、大きな容器を持って現れた。洗い場にぶちまけられたメジナを見ると、「こんなに釣ったのかよぉ。」「寒メジナは脂がのってうめえんだよぉ。」と喜んでくれた。

 

 

三宅島での二日間の釣りを終え、船長の運転する軽ワゴンで、上りの連絡船の出帆港に送ってもらう時だった。庭先に置いていたクーラーを車に積み込もうとしたら、これが重くて持ち上がらないのだ。やっとのことで積み込んだが、まるで沢庵石でも入れたように重いのだ。

釣りすぎたのは分かっていたが、それにしても重すぎる。怪訝に思ってクーラーの蓋を開けてみると、詰め込んだメジナのその上に何匹ものキンメダイが敷き詰められ、更に、その上に氷がびっしり詰められていた。魚と氷で満杯になった33リットルのクーラーボックスは、少なく見ても総重量30キロは下らない。わいが食堂で転寝している間に、船長とムツミが入れておいてくれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

助手席に乗り込んでから船長に尋ねると、「どうせ、おめえは釣れねえと思って、一昨日釣ったキンメをとっといたんだよぉ。」と言うから、

「ありがとう。」「でも、このところ不漁なんだろう。それなのに、こんなに貰っちゃっていいのかい。」と訊いたら、「そうだよぉ、きのうも釣れねえし、今日も4時から沖に出て3回流したんだけど、サバが2匹釣れただけだったよぉ。」

「水温が昨日より1℃下がってたんで、引き揚げてきた。」と二日連続で不漁だったという。 それなのに、たくさんのキンメをくれたのだ。

 

 

ちなみに、キンメ漁の1回流すということと、その仕掛けについて簡単に説明しておこう。キンメ仕掛けは長さ20メートルほどの幹糸に40本のエダスをつけ、エダスの先にそれぞれ針と疑似餌をつける。仕掛けを沈ませるために前後に重さ1キロの鉄筋を錘代わりにつけておく。それを300メートルから400メートルの深海に沈めて1時間前後待つらしい。頃合いを見計らって仕掛けを回収するが、仕掛けの投入から回収までは2時間近くかかるらしい。この一連の作業を1回流すと言うそうだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽ワゴンが三池港に到着すると、船長は「荷物だけ降ろして、船が接岸するまで車の中で待ってろっ。」というから、連絡船が接岸するまで船長と世間話をすることになった。

その船長は3年前に故障した五十肩がいまだ治癒せず、そのせいで、右腕がほとんど上がらなくなっていた。肩の高さより上に上がらないのだ。

 

 

 

船長は今年86才、これまで70年も漁師を続け、肉体や筋肉を酷使してきたから、どこにガタがきてもおかしくない。それでも、90才まで漁師をするんだと意気込んでいる。

それなら、医者任せとかマッサージ頼みでなく、もっと自助努力をしないといけねえよ。他人任せだと、漁師どころかポンコツにされてしまうよと講釈してやった。

ともかく、リハビリが大事だ。筋肉や関節が固まらないようゆっくり動かすんだ。固まったら最悪だからね。無理せずリハビリを続けていれば、まだまだ使っていけると思うよとアドバイスしたが、船長の性分から、面倒なことは一切嫌いなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入港してきた連絡船は10分ほどで接岸作業を完了し、岸壁から船に向かってタラップが掛けられた。わいは船長に手を振りながら、連絡船に向かって岸壁を歩いて行った。背中にリュック、左手にロッドケース、そして最大の荷物が右手で引いているキャリーに載せたクーラーである。キャリーをタラップの下まで引いていくと、わいは右手でキャリーとクーラーを抱え、タラップを上がろうとしたが、重すぎて上がれない。

船が動揺するたびにタラップまで動き回るから、タラップに足がかけられないのだ。甲板上から下を見ていた船員が、タラップに降りてきて船内に運んでくれた。早速、危惧していた事態が出来してしまったのだ。

 

 

 

今回のブログは実に4か月ぶりの更新である。更新しなかった理由は、体調が悪かったとか失明したとか、深刻な理由があったわけではない。ただ、ただ、なまけ癖がついてしまっただけである。
それが、三宅島から帰還した翌日、パソコンの着信メールを読んでいると、10年ほど前まで、よく一緒に釣りに行った釣り仲間の昌竿先生から、「ブログを更新しないのは、まさか冬眠している訳ではないでしょう。一体如何したのですか。」となまけものは許さんとばかりに、お叱りの言葉が送られてきた。まなじりを決して、言い訳なぞ聞かぬぞと言っている気がしたので、急いで更新したというわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年11月22日

223話 立ち直ってくれるかな

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今年は冬が早いのか、まだ11月半ばだというのに、この先一週間はこの冬一番の寒気が南下して日本列島のあちこちで雪を降らせるという。予想天気図を見れば、気圧配置は西高東低の典型的な冬型となって、強い北西風が吹き荒れ大しけになりそうだ。

ただし、明日一日だけは移動性高気圧圏内に入って冬型が緩みそうである。

気象予報どおりなら、一日だけは釣りが出来ると踏んで、わいは竹芝桟橋から三宅島行きの夜行船に乗り込んだ。
しかし、竹芝の出札窓口では、わいの出鼻を挫くように、「本日の三宅島行は条件付き出航になっています。」と告げられた。条件付きとは、海上模様や港内状況如何で、就航欠航の可否が決められるので、到着は保証できないと言われたようなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


欠航となれば、勿論上陸できないが、だからと言って船が沈没するわけではない。そのまま乗っていれば、八丈島からの折り返し便が寄港するかもしれない。それも欠航したら、竹芝まで乗って帰ればいいのだ。往復の運賃は払い戻してくれるから、ロハで船旅ができたと思えばいい。とはいえ、喜ぶ人は少ないだろう。ともかく、この季節の連絡船は欠航と背中合わせで運行している。

 

午前4時30分、船室に灯りが点灯して、しばらくすると船内放送で、「本船はまもなく三宅島は三池港に入港します。」と報せてきた。しかし、まだ、入港できるかどうか分からない。

幸い、その日の連絡船は無事に接岸できた。まもなく岸壁からタラップが掛かって、50人ほどの下船客は夜明け前の暗い岸壁に次々に降り立った。わいはタラップを降りると100メートルほど岸壁を歩き、港の駐車場の端あたりで薄闇を透かしてみた。すると、30メートルほど先で、軽ワゴンから人影が降りるのが見えた。あれが迎えの車だろう。近づいていくと、荷物室のドアを開けてムツミが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おはようと声を掛けてリュックやクーラーを車に載せると、助手席に乗り込んだ。車はすぐに発進し海岸沿いの道を走りはじめたが、「天気が悪くなるみてぇだけどぉ、大丈夫なのぉ?」とムツミが心配気に尋ねてきた。うん、悪くなるのは明日からで、今日一杯はもつと思うよ。危なくなったらさっさと逃げて帰るさ。無理すると年寄りの冷や水って笑われちゃうからねと返事を返すと、「そうだよぉ、ナカムラさん、齢とったら無理しちゃだめだよぉ。」と完全に年寄り扱いされてしまった。わいは謙遜して言ったつもりなのに、ムツミは額面どおりに受け止めたのだ。


ところで、今朝、船長は漁に出たの?と聞いてみると、「じいさんもはた迷惑だよぉ。」「夕べから漁に出たくて出たくてウズウズしてたんだけどよぉ。今朝は午前2時に起きてきたから、おれも付き合わされて、弁当作ったりお茶を淹れたり、だから、眠くて眠くてしょうがねえよぉ。」「うちのじじいもキンメ漁なんかいい加減止めて欲しいよぉ。年寄りの冷や水だよぉ。」と朝からムツミの愚痴を聞かされてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


車が光明丸に到着すると、わいはいつもの四畳半に荷物を置いて、身支度を済ませると、ヘッドランプを点けて物置からバッカンや磯タビなどを持ち出した。軽ワゴンは玄関前に駐めていたので、そこで釣り支度に掛かるのだ。玄関脇には光明丸の壊れたクーラーが置いてあって、その中に、ほどよく溶けたオキアミが入っている。それをバッカンに移し替え、しゃもじで砕いて配合エサと混ぜ合わせるのだ。手の抜けない大切な作業である。一連の作業には30分ほど掛かるが、それが完了したら朝飯である。

 

食堂に入ってみると、台所にもムツミの姿はない。仕方がないので、茶碗に湯を注いで白湯でおにぎりを食べていると、ムツミが現れて、ごめん、ごめんと言いながら茶を淹れてくれた。

台所に戻ろうとしたムツミは、急に立ち止まって「クロマルが猫エイズになっちゃったんだよぉ。」と哀しそうにつぶやいた。「食欲がなくなって体重が落ちてきて、口内炎がひどかったんで、昨日、八丈島に送って看てもらったんだよぉ。そしたら、獣医から電話があって、猫エイズだって言われたんだよぉ。」と相当ショックを受けているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いつもは粗野で乱暴な物言いをするムツミだが、この時ばかりは打ちしおれていた。

わいは慰める言葉が見つからなかったが、黙っている訳にもいかないので、「心配ないよ。猫エイズだからって、すぐに死ぬわけじゃあないから。」と言ってやったが、これではまったく慰めにはならない。


ところでクロマルというのは、ムツミが一番可愛がっている猫のことで、数年前、ノラの母猫に連れられてきたが、その時は鼻水をビロビロ垂らし、痩せて風邪でも引いているようなひ弱な子猫だった。

鼻水は半年ぐらい続いたが、ムツミが面倒を見ているうちに治ったようだ。毛並みがカラスのように真っ黒で、目が金色をして黒目が異常に大きかったのでクロマルと名付けたのだろう。口元から両側に、白い牙がニョキッと飛び出していて妙に愛嬌のある猫である。クロマルは光明丸にやって来るとすぐ、ムツミに可愛がられ、すぐさま部屋住みの身となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


断っておくが、ムツミが面倒見ているノラ猫は20匹を下らないが、そのほとんどは絶対部屋に入れない。しかし、その中の3匹だけは別格で、天下御免なのである。クロマルはその1匹である。だから、クロマルは暖かい部屋の中で優雅に暮らしていられるが、部屋に入れないノラ猫は、縁側に座ってガラス戸越しに、羨ましそうに部屋の中を覗いている。クロマルの母猫でさえ入れてもらえないのだ。

ムツミの溺愛の甲斐あってか、クロマルの鼻水も止まり、2年もたたないうちに体重が5キロ近くのデブ猫になっていた。そのクロマルが不治の病、猫エイズになったというのだ。

これからは毎日薬を飲まさなくてはならないし、栄養のあるものを食べさせなければならないという。おにぎりを食べながらムツミの話を聞いていたが、猫エイズではわいはどうすることもできない。せめて、ムツミを元気づけてやるしかなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいは朝飯を済ませると、荒磯に向けて軽ワゴンを走らせた。行く先はカドヤシキである。カドヤシキは20日前にも入ったが、その時は早朝から入れ食いとなって、昼前に納竿するほどの爆釣だった。45~50センチのオキナメジナを5匹も釣って、ほかに、シマアジの子やカンパチの子を30匹ほど釣り上げた。それ以上釣ったらクーラーに入り切れないので止めたのである。

そんなおいしい思いをした磯だから、またぞろ釣れ過ぎたら困ると心配しなければならなかった。しかし、いざ釣り始めたら、その心配は無用だった。前回とは正反対に、ウキはピクリとせず、エサがまったく取られない。潮は薄濁りでとろとろ動いていたが、雑魚一匹掛かってこない。戻って来た付け餌を掴んでみるとひどく冷たい。水温が急に低下して食いが止まってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まったくアタリの無い世界が2、3時間続いたろうか。それでも丹念にコマセを打って、あちこちポイントを変えながら仕掛けを流していると、泣きっ面に蜂とはこのことで、仕掛けが沈み根に根掛かりしてしまった。半分沈みかけたままウキが静止している。

根掛かりを外そうと竿を大きく煽ったところ、あらまっ、ウキがモゾモゾ動き出すではないか。慌てて竿を煽り直して針掛かりさせると、モゾモゾ野郎は突然奔りだした。

引きが強烈である。メジナでもイスズミでもない引きである。フエフキダイでも食ってきたかと竿をためたり緩めたりしていると、数分後に、水中に魚影が現れた。

 

釣りあげてみるとイシダイであった。メジナの代わりに外道のイシダイが掛かってきたのだ。外道でもイシダイなら満足である。体長45センチの立派なやつだ。

それからは2匹目のドジョウならぬ2匹目のイシダイを狙って棚を深く取ってみたが、ベラとブダイの子が1匹づつ来ただけで、2匹目が来る気配は全くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼頃まで辛抱したが、お先真っ暗なので磯替わりすることにした。

行く先は、東に数キロ離れたオキバラである。オキバラに来てみると、御蔵島方面から激しいうねりが入っていて、あちこちで波しぶきが上がっていた。磯際には真っ白いサラシができて潮も動いていた。一帯は低い溶岩原になっているので、うねりが入ると潮が足元を洗って行く。潮に洗われると足元が妙に生暖かい。さっきまでいたカドヤシキの潮はひんやりと冷たかったが、ここはぬるま湯のように生暖かいのだ。


水温の違いが吉と出るか凶と出るか、真っ白くさらしたワンドに第1投を打ち込んだ。

すると、ゼロ号のウキがさらしの中に吸い込まれるように沈んでいく。それを何度か繰り返すうち、突然、仕掛けがスルスルと引き込まれていった。合わせをくれると、ググーと強い引きに変わって猛然と奔り出した。強烈な奔りである。10分以上やり取りしたろうか、漸く釣り上げてみたら50センチを超える大イスズミであった。

外道ではあったが強烈な引きが楽しめた。しかも、イスズミはノラ猫たちの大好物で、ムツミを元気づける最大のみやげになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


次はメジナだとばかりに意気込んでみたが、そうは問屋が卸さなかった。その後も釣れるのはイスズミばかりで、2時間ほどでイスズミが5匹ほど釣れた。ここの潮は温かくてイスズミの好む潮らしい。これではいくら頑張ってもメジナは釣れないだろう。

見切り千両である。イシダイも釣れたことだし、ムツミへのみやげも出来た。時刻は3時前であったが、潔く納竿することにした。今回はこれにて終了である。


光明丸に戻ると、庭先にムツミがいて「なんか釣れた?」と尋ねてきた。

「うん、釣れた。これがみやげだ。」とイスズミを見せると、「でっけえっ、」と小躍りして喜んでくれた。ノラたちも喜ぶよ。ありがとうと言ってムツミが笑顔を見せた。

イスズミで立ち直ってくれるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年09月02日

222話 荒磯の本格コーヒー

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8月というのに、梅雨のような長雨が続いていたが、その雨も上がって、久しぶりに夏の日差しが戻って来た。

その日、わいは日課のコーヒータイムで、15分ほどの距離を歩いてカフェピンコロにやって来た。ドアにCLOSEの札が掛かっていたが、マスターが裏返すのを忘れているのだ。わいは庇の陰に入って一息つくと、帽子をとって額の汗をぬぐった。15分ほど歩いただけでTシャツはぐっしょり濡れてしまった。

ドアを開けて上り口でスリッパに履き替えていると、「ホットですか。アイスですか。」と鉢植えの陰からマスターの声が聞こえた。

わいは「アイスで。」と答えて、いつものシートに着席すると、暫くしてマスターがアイスコーヒーを運んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいがおしぼりを使っていると、マイカップを手に再びマスターがやって来て、斜め前のソファに腰を下ろした。いつものように広い店内に客はわい一人だ。

わいがアイスコーヒーを飲み始めると、マスターがやおら口を開いた。

「雨も上がったことだし、天候も回復してきましたから、そろそろ行くんでしょ。」と直近の釣行予定を詮索してきた。釣行の動機に雨上がりを持ってくるなんて、いかにもマスターらしい。

わいはそれに答えて、たとえ雨が上がってもカンカン照りになったら、その方がしんどいよ。真夏の季節は小雨とか曇りの方が凌ぎやすいんだと説明してやったが、マスターはそんなことには頓着せず、「そろそろ釣ってきてくださいよ。うちの家族が魚を食べたがっていますから。」と早く釣ってこいと催促してきた。嬉しいことに、マスターの一家は家族そろって魚を待っているのだ。それなら、お盆明けにでも行ってくるかと約束手形を切ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスターの注文を聞いていたら、わいからもマスターに注文したくなった。今度はおれの話しを聞いてくれ。マスターを見込んでたっての頼みだ。実は、荒磯には喫茶店がない。だからコーヒーが飲めない。今度、三宅島に行った時、荒磯までコーヒーを出前してくれないか。お礼はたっぷりするからと付け加えた。

すると「ダメ、ダメ、ダメです。お店はどうするんですか。」とくだらない理由をつけて断ってきた。どうせ、お客がいないんだから、休んだらいいよと言ったら、「それなら、コーヒー一杯10万円です。」「一杯10万円なら出前します。」と吹っ掛けてきた。10万円と言えば諦めると思ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10万円でいいの?それじゃあ10万円で頼むよ。とわいが即座にオーケーしたら、意表を突かれたマスターはビビッてしまって、「10万円じゃなかった。」「100万円です。それも前金ですよ。」と条件を釣り上げてきた。

いいとも、とすぐまたわいは同意して、テーブルの上にあったコースターにサラサラ100万円と書いてやった。これ100万円の小切手と言って差し出すと、横着にも「そんな紙切れ受け取れません。」とマスターは拒絶したのだ。

小切手はだめなの。踏み倒すとでも思っているのとわいが怒って見せると、

「そうです。三宅島まで行って、踏み倒されたら敵いませんからね。」

「それに、持って行っても、どこで釣っているか分からないじゃないですか。」とわいの頼みが無理難題だと言って怒るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、出前コーヒーの話はボツになったが、マスターの一家はわいの釣った魚を心待ちにしているのだ。待っている人がいる限り、背中を押してくれる人がいる限り、モチベーションは維持できるのである。

 

わいは地獄の業火に灼かれるような炎天下の釣りは避けたいと思っていたが、インターネットの週間天気予報がお盆明けの予報を表示してくれた。それを見たら、三宅島の盆明けは曇り時々雨という格好の日和だった。

そこで、早速、東海汽船の予約センターに電話をしたら、オペレーターが「三宅島行きは空席がありますが、2日後の上り東京行きは満席です。1等と特等は空いています。」とトンデモナイアドバイスをしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいが乗る連絡船はいつも2等と決まっていて、往復の船賃は1万6千円である。それが1等となると料金は2倍になり、特等となれば約3倍に跳ね上がる。物見遊山でもないのにそんな贅沢はできない。予約できなくても、席ナシ券で乗船し、甲板でごろ寝するという手もあるが、くたびれた身体には酷である。

 

今更気づいた訳ではないが、お盆には都会に出て行った若者や近親者が数多く帰省する。また、お年寄りにとって、墓参りは欠かすことが出来ないだろう。

特に三宅島では17年前の噴火で5年余りの全島避難を強いられたが、生活の拠点を都会に移したまま帰島できなくなった島民が三千人もいるのだ。その数全島民の半分に当たり、これらの元島民が一斉に帰省したり、また一斉に都会に戻るとなれば、連絡船が満席になって当然である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段の連絡船なら、予約できないなんてことは滅多にないが、今回のお盆明けの上り船に関しては満席なのである。そのため、わいは出発を順延し、次の日の朝、光明丸の船長に電話を入れた。

「船長、へぼ太だけど、今夜の船で行きたいんだけど、いいですかあ。」と宿の都合を聞いてみた。

すると、「へぼのナカムラかぁ、来てもいいけどよぉ、ここんとこ潮がぜんぜん動かねえぞぉ。あんにも釣れねぇぞぉ。」と消極的な返事が返って来た。

船長は来ねえ方がいいと言ったが、幸いにもわいは漁師ではない。釣れなくたって痛くもかゆくもないのだ。

という訳で、わいは竹芝桟橋2230出港の橘丸に乗船した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝500 橘丸が満員の船客を乗せて西側の港錆が浜港に接岸すると、まもなくタラップが掛かって下船が始まった。

いつもと違って、岸壁には出迎えの民宿やダイビング店の関係者が、目印の旗を提げてそこかしこに立ち並んでいた。タラップから下船客が降りてくると、薄暗い岸壁はたちまち人でいっぱいになってしまった。

 

出発を一日遅らせたせいで、その日は完全に晴れてしまった。迎えの軽ワゴンに乗せられて一周道路を南回りに走っていると、遥かに御蔵島を浮かべた太平洋が眼下に一望できた。霞みのかかった水平線には薄い雲がたなびき、朝焼けに染まって真っ赤に燃えていた。今日の日盛りを暗示するような赤さであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸で釣り支度を整えたわいは、すぐに軽ワゴンを駆って荒磯に向かったが、入磯する磯を決めかねていた。偵察がてらに、海沿いに軽ワゴンを走らせ、潮の動いているところを探したが、徒労だった。

船長が潮が動かないと言っていたが、どの磯にも白波もうねりもなく、見渡す限り静穏なのだ。しかも、黒潮が大蛇行しているというから、当面、この状況に変化はなさそうだ。

どこもかしこもダメなら、カドヤシキでも同じことだ。外れくじの中に当たりくじがあるというから、わいは原点に帰ってカドヤシキで釣ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いざ、カドヤシキで竿を出すと、船長の言うとおり、潮はまったく動かない。潮は笹濁りで湖面のように静かなのだ。おまけに海亀まで泳いでいる。

それでも辛抱して釣っていると、1時間ほどして30センチのタカノハが釣れた。日が昇るとともに荒磯の岩が焼き付いてきたが、そのまま釣っているとイスズミとカンパチの子が掛かって来た。

しかし、いくら粘っても外道しか釣れない。日差しはじりじりと照り付けて猛烈に暑い。午前11時、わいはギブアップして撤収することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に戻ってくると、庭先に船長の軽トラが駐めてあった。船長はキンメ漁から戻っていたのだ。

食堂を覗いたら、上半身裸の船長がカーペットにグデンと横になって昏睡していた。まるでタコつぼを脱走した萎びたタコが、ヨレヨレになって伸びているようであった。

ムツミがいたので、船長はどうだった。釣れたの?と聞いてみると、ぜんぜん釣れねえから、早上がりして帰ってきたんだとよぉと答えた。

沖でキンメ漁をしていた船長もまるでダメ。荒磯でメジナを狙ったわいもダメ。とどのつまりは、潮悪時には何をやってもダメということなのである。

くそ暑い中、本日はご愁傷さまでした。チ~ン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年07月23日

221話 天は二物を与えない

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その日の朝、連絡船で三宅島に上陸したわいは、早朝から荒磯に立ってすでに6時間が経過していた。時刻はとうに正午を回っていたが、釣れたものといえばイスズミが10数匹と木っ端や外道で、待てど暮らせどオナガグレの大物は一匹も来ない。潮がまったく動かないのだ。朝からトロトロと弛んだまま一向に動かない。これでは手の施しようがない。
おまけに、雲ひとつない夏空から、じりじりと日輪が厳しい陽射しを浴びせてくる。焼き付いた岩盤からはめらめらと陽炎が立ち昇り、熱気にさらされた肌がピリピリと悲鳴を上げていた。目を開けているのも辛いほどだ。
四方八方、天地左右からの熱線を浴びて頭がくらくらして力が抜けてしまった。せめて、冷たい水が欲しかったが、ペットボトルの水はお湯になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夏の炎暑に荒磯に立つなんてほとんど狂気の沙汰だが、実は、昨日までの天気予報は曇り時々雨を予報していた。わいはそれを頼りにやって来たのだ。まさか、こんなカンカン照りになるとは思わなかった。これ以上続けるのは無謀である。
わいは疲れ切った身体にムチ打って、のろのろと撤収作業に取り掛かった。のろのろしているのは、急ごうにも身体が言うことを聞かないからだ。身体から力が脱けてしまったのは熱中症の初期症状かもしれない。
それでも撤収するために、仕掛けからウキを外し竿からリールを取り外していると、傍らに置いたリュックの中で携帯の着信音が鳴り出した。

ああ、船長だ。この着信は100%船長からだ。わいが荒磯に出ると必ず「今、おめえはどこで釣っているのか?」「釣れたのか?」と電話してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちとらは炎熱地獄からの脱出に必死になっているのに、船長の電話なんかに構ってはいられない。それでも折角だからとリュックから携帯を取り出すと、予想通り、沖でキンメ漁をしている船長で、早速、「おめえは今、どこにいる?」と訊いてきた。

それが場違いな感じがしたので「東京だよ~」とはぐらかしてやった。すると、「あんだとぉ?あんでおめえは東京にいるんだよぉ?」「今朝の船で三宅に来たんじゃねえのか?へぼのナカムラだろ?」と電話相手がわいであることを確かめている。

そこで、「へぼ太は今、東京の三宅島にいるんだよ~」と種明かししたら、「バカヤロー、どこで釣ってんのか聞いてんだよぉ。」と立腹した様子が伝わって来た。

わいが続けて「目が眩むほど暑いし、釣れねえから、これから引き上げるところ。」とまじめに答えると、「それがいい。キンメもぜんぜん釣れねえからオレも上がるところだ。」

と船長もギブアップした模様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいの軽ワゴンが光明丸の敷地に滑り込むと、まぶしいばかりの日差しが中庭を白く染め上げていた。いつもは庭先でうろうろしているノラ猫たちも、この強烈な日差しには勝てないのか、縁側の下や庭木の陰に潜って寝転んでいた。

わいが荷物室のドアを開けて、バッカンからイスズミを入れたビニール袋を取り出すと、その臭いに誘われたのかノラ猫が5、6匹集まってきた。袋には重量にして7、8キロ、十数匹のイスズミが目一杯詰まっていた。その袋をぶら提げて玄関先から、お~いっ!と呼びかけると、台所にいたムツミが急いでやって来た。にゃんこのおやつと言って差し出すと「ありがとう。」と言って笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスズミはノラ猫の刺身と称して、ムツミが洗い場でウロコを落とし、ぶつ切りにしてたむろしているノラ猫に食わせてやる。イスズミはノラ猫の大好物なのだ。だから、ムツミが庭先に出てくると、20匹以上のノラ猫が尻尾をピンと立ててムツミの後を追いかけて歩く。袋を片手に持ったムツミが「人間の分は?」と問いかけてきたので、「にゃんこの分だけ。人間のは夜中に釣るさ。」とわいが答えると、釣れるといいねと言って台所に戻って行った。

 

 

わいは荷物室の中をざっと片付けると、汗とコマセで異臭を発している長袖シャツを水洗いして物干しに掛けた。それより、昼寝の前に一汗流さなければと、着替えを持って食堂に入ると、台所から出てきたおばさんが「釣れたかよう。」と尋ねてきた。

イスズミばっかりでダメだったと答えると、「あにがおもしれえのか知らねえけど、このくそ暑いのによく行くよなあ。」と異星人を見るような目でわいを見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうコメントは今に始まったことではない。真冬は真冬で、「このくそ寒いのによく行くよなあ。」「こたつにへぇってミカンでも食ってりゃいいのに。」と折々に貴重な意見を聞かせてくれるのだ。磯釣りに関心のないおばさんにとって、磯釣り師なんてバカか狂人の類いにしか見えないのだろう。おばさんのコメントが一段落したので、ひと風呂浴びたいんだけどと断ると、「いいよぉ、どうぞごゆっくり。」とにこにこ笑っていた。

 

 

 

その晩、わいが就寝したのは午後7時ごろだった。翌朝の満潮が午前4時なので、アラームは午前1時にセットした。昼間の疲れがどっと出てわいは泥のように眠ってしまったが、夜中に目が覚めて小用に立つと、それ以降、目が冴えてしまった。

時計を見るとまだ午後11時、そのまま横になっていたが、掛け時計が0時を告げたのを機に思い切って起きてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔を洗って身支度を整え中庭に出てみると、晴れた夜空に蒲鉾型の明るい月が浮かんでいた。事前に調べた月齢は二十日月。正中が午前3時だから満潮の1時間前である。ちなみに、正中とは月が子午線上に達し、天頂に一番近くなる時を指す。

天気予報は曇りと言っていたので、月明などまったく期待していなかったから、望外の幸運である。

 

 

 

背負子を背にして月明かりに浮かぶ荒磯に出ると、海ははるか御蔵島の沖まで湖水のように鎮まりかえり、さざ波が小皺のような月光の帯を作って、金箔を揺らめかしていた。ユートピアである。こんな夢のような光景に邂逅したら、いつ成仏しても不足はない。この上、魚まで釣れたら申し分ないが、天は二物を与えずとはよく言ったものだ。

それからの数時間、雑魚や外道の攻勢に遭って、散々な戦いを強いられたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年07月01日

220話 密林のアリ地獄 続章

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 「これぞ、船長の真骨頂」 

 

わいは軽ワゴンに取って返すとすぐに急坂を下った。急坂は下るだけでも容易ではなかった。アシタバの群生地まで下り、車を降りてヘッドランプの灯りで周囲を見回したが、方向転換できる場所はここしかなかった。

もう、後には引けない。わいは腹を決めて群生地に乗り入れた。その途端、車輪がズブズブと沈み込んでしまった。たちまち半分近く沈んでしまった。
群生地の土壌は腐葉土だったのだ。そのため堆肥のように柔らかく、歩くだけで沈んでしまうのだ。破れかぶれでエンジンを吹かしたら、腐葉土がえぐられて車体まで傾いてしまった。まるで、底なし沼かアリ地獄である。
時刻は真夜中の26時半、人里離れた密林で、わいはなす術もなく途方に暮れてしま
った。しかし、車は脱出させなければならない。こうなったら船長を叩き起こすしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


森の中から船長の携帯に電話をすると、圏外の表示が出てNGだった。一周道路に出て掛け直したら、やはり圏外。光明丸のある坪田までは4、5キロあるが、たぶん、集落に近づけば電波は届くだろう。わいは通話圏内まで歩くことにした。
本降りの雨の中、山を下り坂を上ったが、行けども行けども電波は届かない。30分ほど歩いて、集落の外れにたどり着いてやっと圏内に入った。そこには新鼻荘(にっぱなそう)という釣宿が木立の中に佇んでいた。

 

 

ここで補足しておくが、三宅島は円錐形をしたフジツボ状の島で、海岸線は40キロ余り、中央部に海抜700メートルほどの雄山が火口の口を開いている。
一周道路は海岸線に沿って雄山の山裾を巻くように造られており、いくつもの丘陵を越えて上り下りしている。過疎の島なので、集落を外れると電波の届かない場所があちこちにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、船長の携帯に電話をすると、電源が切られていた。ならばと、光明丸の固定電話にかけたら、いくら呼び出しても誰も出ない。もはや歩くしかないと再び歩き出した時、わいの携帯が鳴り出した。電話はムツミからだった。

「こんな夜中にどうしたんだよぉ、」と怒ったような声が聞こえてきた。怒って当然である。

車が森の中で動けなくなった。船長を起こしてくれと頼むと、暫くして船長から電話があった。「どこで動けなくなったのか。今、おめえはどこだ。」「すぐ行くから待ってろ。」

と言ってくれたのでほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいが新鼻荘の向かいの道路端で雨を凌ぎながら待っていると、20分ほどして木の間にヘッドライトの光が見えた。バンザイ、やっと来てくれた。わいが安堵して手を振っていると、車は通り過ぎてしまった。その後は通る車もない。さては気付かずに通り過ぎてしまったかと落胆していると、船長から電話が入った。

「おめえは一体どこにいるんだよぉ。いっくら探しても見当たらねえじゃねえかっ。」と怒っている。新鼻荘の前と言ったのに、勘違いして現場付近を探していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船長は大型のワゴン車で来てくれた。牽引のために漁船の舫い綱(もやいづな)と長い牽引ロープを持ってきてくれた。しかし、大型ワゴンは四駆ではない。

わいを拾って現場の入り口まで行くと、「あんでこんなとこにへえったんだよぉ。」とぶつぶつ言いながら、「試しにバックでへえってみるか。そうすれば、駆動輪に重心がかかって、引っ張り上げられるかもしれねえ。」「ともかく、へえってみよう。おめえは後ろで合図しろ。」と急坂に進入することになった。とは言え、急坂は藪草に覆われていて道幅が極端に狭く、進入できるかどうか微妙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐにワゴン車はバックで進入してきたが、4、5メートル下ったところで、道脇から突き出た岩にバンパーが当たりそうになった。やり直すよう指示を出すと、船長は前進しようとアクセルを踏んだが、その途端、駆動輪が空回りしてしまった。救援の大型ワゴンまで立ち往生してしまったのだ。

 

 

やむなく、ムツミとイシイさんを呼び出すことになった。しかし、ここは携帯の圏外である。電波の届くところまで30分は歩かねばならない。それを船長に伝えると、

「おめえは東向きに歩いたからいけねえんだ。西向きに行けば、そんなに歩かねえ。」

と言うので西向きに歩いて行くと、「おめえみてえに早く歩けねえ。」と言い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に通って40年余り、船長と並んで歩いたことなど一度もなかったが、足が痛え、腰が痛え、と言いながら、わいの隣を歩く姿は見るに忍びなかった。
40年前の船長はまるで仁王像のように筋骨隆々としていたが、今は腰が曲がって背丈も縮み、故障だらけの身体になってしまった。減らず口と憎まれ口が健在だったので体力の衰えを見逃していたが、90才まで現役でやれなんて、ずいぶん無理なことを言ったものだ。船長、ごめんなさいと謝りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、イシイさんとムツミを呼び出しはしたが、二人が乗ってきたのは軽トラで、急坂の大型ワゴンを引っ張るには力不足で無力だった。それに、二人が来ても何の役にも立たなかった。この先どうなることやら五里霧中だったが、ここからが船長の真骨頂であった。
一度、光明丸に戻ると、船長は作戦を練り直して、あっちこっちに電話をかけて助っ人を頼んでいた。そして、午前7時に現地集合の号令をかけたのだ。

 

わいが、「あの軽ワゴンどうやって脱出させるつもりなの?」と船長に聞いてみると、

「あんなもん廃車だよぉ。」とさらりと言ってのけた。

「そりゃあ勿体ないよ。まだ十分乗れるんだから、」と言い返すと、「おめえが新車を買って返せばいいんだよぉ。」と毒舌を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、現場に舞い戻ってみると、船長の漁師仲間や友達がすでに集まっていて、それぞれが四駆で来たり、ダンプカーを調達したりして集まってくれた。

一周道路から数メートルの地点で立ち往生した大型ワゴンは難なく引き上げられたが、急坂の下80メートル地点の、密林の中の軽ワゴンには難航した。なにしろ密林の中は腐葉土なのだ。軟弱な上、雨が降って濡れている。急坂が滑って四駆でも入れない。ダンプで引こうにも狭すぎて入れない。80メートル下ではロープも届かない。
仕方がないのでロープの届く、入り口から40メートル地点まで人力で押し上げることになった。ムツミがハンドルを握り、男衆が5人で車を押すという作戦だ。これだけいれば難なく押し上げられると思ったが、そうはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにしろ、車輪の半分近くが腐葉土に埋まっているし、方向転換もままならない。
その上、足元が滑って押すにも力が入らない。それでも、尺取虫のように数メートルづつ押し上げて行くと、30分ほどでやっと40メートル地点まで押し上げられた。しかし、それ以上は無理だった。
そこで、ダンプカーの出番となった。ポンコツではあったが、ダンプはダンプ、そのパワーには脱帽した。ダンプの全長は5メートルほど、そのダンプが幅員8メートルほどの一周道路を横断する形でロープを引くから、1回でわずか3~4メートルしか
引っ張れない。それでも尺取虫を繰り返し、やっと脱出に成功した。

 

 

作戦には総勢8名が参加したが、作戦の段取りから陣頭指揮に至るまで、船長は85才のじいさんには見えなかった。船長には最大級の賛辞を呈したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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