第2回 第一話 屁のようなガス
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10日ほど前、朝飯を食べながら新聞を見ていたら(8月31日読売朝刊34面)、
三宅島全島避難10年というタイトルが目に入った。
三宅島とはなつかしい。光明丸のおやじは今どうしているだろう。
そういえば、光明丸にはだいぶご無沙汰している。
やっと島民に帰島許可が下りた5年前、遅ればせながら、おやじの激励を兼ねて釣行したが、そのときはまだ噴火の傷跡が生々しく、復興には程遠い状況だった。
などと思いを馳せながら、メガネをかけ直して更に目を通すと、
なんと、その光明丸のおやじが、かあちゃんが、あのじゃじゃ馬娘が、写真とともに記事になっているではないか。
民宿マコが建っていた三池地区は、未だ居住禁止地区になっているのか。
「この家で死ぬまで頑張ろうと思ってたんだ。」というおやじさんの言葉が痛々しい。
30年前は船長も元気がよかった。御蔵島からの帰りの船では、釣り人たちがくたびれて眠っているところに、船長が海水をぶっかけて歩いた。
あのイタズラ好きもすっかり精悍さを失い、小太りの老人になっている。新聞記事の( )年齢を見れば致し方ない。
それでは、大島の磯は暫し休止して、
5年前の釣行記「いまだ癒えず三宅島(全4話)」を、もったいぶって一話づつ掲載するので、新聞記事を見ながらご笑覧あれ。
いまだ癒えず三宅島
第1話 屁のようなガス
平成12年に始まった雄山の噴火で、三宅島島民が全員避難してすでに5年。
平成17年5月にやっと帰島がゆるされたが、これはその年の11月、ある木曜日の夜ことである。
時刻は22:00。
東海汽船の竹芝ターミナルに4人の極楽トンボが集結し、夜行船さるびあ丸への乗船を待っていた。
出航30分前、そろそろ乗船案内が放送される時刻である。と、そこに、
『三宅島島内ではガスマスクの携帯が常時義務づけられています。三宅島に上陸されるお客様で、まだガスマスクをお持ちでない方は待合室売店で必ずお買い求めのうえご乗船ください。』
と東海汽船の拡声器から、広い待合室に向かって中年女性の乾いた声でアナウンスが響きわたった。
やっぱし買わなきゃならねえか。(わい)
そんなに危険なんですか?(でんすけ)
なくても大丈夫なんじゃない?(たくべえ)
ところでなんぼするの?(鬼才)
《1コ2550円!!》
ええーっ!たっけぇーなー。もったいねぇ。(みんな)
そんなもん買うなら、死んだ方がましじゃい。(わい)
1人1コでなくても、4人で1コあれば十分じゃねぇの(鬼才)
などなど、それぞれが勝手なことを云って売店のおばさんにけちをつけていた。
この期におよんで揃いもそろって往生際のわるいやつらである。
売店のおばさんもいささかあきれぎみである。
それでも各自1コづつのガスマスクを渋々購入した。
磯づりにガスマスクを携行せよとは前代未聞だが、いまだ雄山の火口からは日量1万5000トン前後の2酸化硫黄が放出されているというから、ガスマスクの携行も致しかたないのである。
ところで、たくべえは出発前夜の夕食の最中、ふたりの幼い娘たちにむかって、パパは明日、毒ガスが噴きだしている三宅島に釣りにいくと告げたそうだ。
危険を承知で毒ガスの島に乗り込む、勇敢な姿を娘たち見せたかったのだろう。
ところが、意に反して娘たちは、「パパいかないで!」「パパ死んじゃいやっ!」と泣きべそをかいたという。いっしょに食事をしていた奥さんも、えらく驚いて引き止めたという。
ばかは死ななきゃ直らないというが、別に死出のたびに旅立つ訳ではないのだ。三宅島にいくなんて云わなければよかったのだ。
せいぜい、大島ぐらいにしておけば誰にも心配かけずにすんだものを。
ガラガラ、ガラガラッ、碇をあげる振動音が最下層の2等船室まで響いてきた。
連絡船はふつう定刻より1、2時間早く三宅島沖に到着するが、そのまま乗船客を上陸させてしまうと、夜の夜中に上陸させることになり、乗船客も島民も困ってしまう。
だから沖合いで停泊し適当に時間稼ぎをするのだ。そして、接岸の30分位前に沖合いから碇をあげて岸壁にむかう。
停泊中の三宅島沖からそろそろ本船が動きはじめるのだ。ということは、もう4時すぎということか。
碇の音を夢うつつで聞いていたが、さるびあ丸が三池港桟橋に向かって移動をはじめたのだ。
接岸の定刻は午前4:50分。下船の案内にしたがってタラップを降りると、桟橋の中央にたつ水銀灯と船の灯りで、その辺りだけが妙にまぶしい。
周囲は墨をながしたようにまだ真っ暗な夜である。
磯の匂いに迎えられた5年前とは異なり、桟橋一帯には腐った下水のような、ゆで卵のような異様な臭いが充満していた。
やはりガスマスクは1人1コづつ必要なのかもしれない。
灯りがなければまだ真っ暗い桟橋だが、遠くの水銀灯と船の薄明かりのなかを下船客が黙々と歩いていく。下船客に比例して出迎えも少ないので妙に閑散としている。釣り客のすがたもまばらである。復興にはまだほど遠いのだ。
桟橋の根元に送迎用駐車場がある。光明丸の船長が駐車場広場のどこかにきているはずだ。船長の姿を探したが、どこにも見当たらない。
あのおやじ、忘れているのではなかろうか。わいはかまわんが、連れの3人ははじめてなのだ。
困ったもんだと思いかけていると、オイ、なかむらっ!とだれかに呼ばれたような気がした。闇を透かすとワゴン車の後ろで、光明丸の船長が手をあげていた。
5年前と較べて、ひとまわり小さくなって背中が幾分まるくなったようだ。
船長が三宅島に帰島してから何度か電話で話したが、そのつど元気のいい返事が返ってきた。
しかし、その声とは裏腹に、この5年間は苦労が多かったのだろう。
わいがはじめて三宅島に来島したのは今から25年ほど前のことである。
その頃、船長はまだ40代半ば、しかし、すでに頭皮はツルツルのスキンヘッドでまるでタコおやじのようだった。
その上、いたずら好きで、口の減らない無鉄砲な漁師だったが、その船長も今は70近くになっているはずだ。三宅島の荒っぽい漁師も、寄る年波には勝てないのだ。
噴火以来、すでに5年も経過しているというのに、雄山の火口から放出される火山ガスは一向に衰えることを知らない。
いまも腐ったゆで卵のような硫黄の臭いが全島をおおっている。硫黄くさいのは箱根や草津もおなじことだが、根本的にちがうのはガス濃度が極めて高いことである。
そのせいで、かつてはバーズアイランドといわれたみどりの島も、山頂から山腹にいたる樹木のことごとくが無残に立ち枯れ、白骨のような残骸をさらしていた。
第1回 大島の磯「市兵衛の呪い」
ブログビギナーの嘆き
わいはやっとのことでブログの開設にこぎつけたが、どうしたわけか画面に写真が入らなかった。マシンがへそを曲げたのか、はたまた、手順に誤りがあったのか。
そんな訳で翌朝再挑戦すると、見事、入ってくれたのだ。うん、うん、マシンの機嫌が直ったようだ。
あとはお客さんの入りだけれど、まだ一人も見えないなあ。
オープンしたばかりだし、磯づりに興味のある人も少ないから、まあいいか。のんびりアタリを待つとしよう。
大島の磯 【市兵衛の呪い】
相変わらずくそ暑い。猛烈に暑い。こう暑いとなにをする気も起こらないが、夜釣りだけはこの限りに非ず、別腹なのである。というわけで、火曜日の午後2時着のジェット船で大島に向かった。
タラップを降りて桟橋に降り立つと、大島も内地とまったく変わらず、亜熱帯の日差しがじりじりと照り付ける猛暑であった。
桟橋の根元でわいを待っていたご主人は、駐めてあったワゴン車に乗り込むと、早速、「一竿子さん、今日はどこに入るの?」と訊ねてきた。
わいはちょっと迷ったが、そうだな、南西がきつそうだから、市兵衛にでも入るか。と答えて、逆に最近の商いを訊いてみた。
お盆前後の1ヶ月で、鳴見荘には何人ぐらいお客さんがあったの?
すると、「延べにして60泊くらいかな。」とよどみない返事が返ってきた。
ちょっと少ないんじゃない。それじゃあ、網走行の軍資金に届かないじゃない の。せめて80泊ぐらい欲しかったね。と言葉をつづけると、
「そのくらいで丁度いいんだ。それ以上だと身体がもたねえよ。」と悟りを開いたような言葉が戻ってきた。
「ところで今日から3日間、お客さんがいないから、久しぶりに釣りにいこうか。」 「一竿子さんについていっていい?」としおらしいことを言いだした。
勿論、ウエルカムだ。お盆休みはフル回転で疲れたろう。少し息抜きしたらいい。それに、市兵衛はひとりより二人のほうが賑やかでいい、と大歓迎したところだった。
軽ワゴンに一通り釣り道具を積みこんで、座卓の麦茶を飲んでいると、「一竿子さん、ばかにのんびりしてるね。」とご主人が余計な心配をしてくれた。
いいんだよ。日が翳ってから入るから、とテレビの電源を入れると、そばから「おれは後から追っかけるけど、ロープとハーケンは持っていったほうがいいかな?」と訊ねてきた。岩壁を登攀するわけではないから、ロープやハーケンはいらんだろう。
しかし、言われてみれば、市兵衛の手前の岩場には難所があって、上の岩と下の岩の間には結構な落差があり、それに下の岩には傾斜があって裂け目もあるから、一歩踏み外せば海に転落してしまう。とは言え、岩の窪みや突起をつかんで下降すれば無事に通過できるのだ。ロープやハーケンは荷物になってしまう。
ロープなんていらない。荷物は手渡しすればいいし、落ちないように降りればいいんだ。と安心させたが、ご主人の表情には不安が残っていた。
さっき、車の中で市兵衛に入ると言ったが、わいは南側の磯コダハムの鼻に入るつもりだった。しかし、元町の桟橋で南西が強かったので急遽予定を変えたのだ。
いずれにしても、市兵衛には日差しが傾くのを待って入磯することにし、暑い盛りはクーラーの冷風を浴びて麦茶を飲んですごすことにした。
5時過ぎに磯に降りると、まもなく日は三原山の山陰に隠れてしまった。
今夜はご主人が一緒に釣るというから相棒がいて心強い。
ところが、後から来るというご主人は、周囲に薄闇が降りても現れなかった。
ご主人は来ると言ったが、日ごろから、足、腰、腕とあっちこっちが痛い痛いと騒いでいるから、やめたのかもしれない。齢七十だから身体がついてこないのかもしれない。
たとえ一人でも今宵は満月だから寂しくない。イサキ釣りに満月は禁物だが、足元が明るいのはこのうえなくありがたい。7時を過ぎれば月もでてくる。
わいは夜釣りの仕掛けをつくり、おにぎりを食べ水を飲み、帽子にヘッドランプを装着し、蚊よけスプレーを首筋にかけ、すべての段取りを了えて第1投をくりだした。
わずかに明るさの残る海面に電気ウキの赤い灯がぽっと点った。ふだん、この時間帯はチョウチョウオやジャミがコマセに群がってつりにならないが、今回は違った。
第一投のウキがぐぐーんと水中に消しこまれた。たぶん、小メジナだろうと思って合わせると、一発目からイサキであった。小振りではあるが25センチ強あった。
幸先がいい。つづけて数投するうちにまたまたイサキがかかってきたが、今度はアジかアユのようなミニサイズであった。
その時、40メートルほど離れた後ろの森からオーイと呼び声が聞こえた。
振り返って森の出口を見ると、ご主人が左手にクーラーボックス、右手にリール付きの竿2本、そして背中に竹籠を背負って、まるで七つ道具を背負った弁慶のようないでたちで崖っぷちの藪から姿を現した。来ないはずのご主人の登場である。
わいは足元に竿を置いて、難所の岩の下まで迎えにでると、暫くして、顔を真っ赤にしたご主人が岩の上に現れた。急斜面が余程応えたのだろう。おつかれさん、と呼びかけても返事がない。それでも、流れる汗を拭きながら竹籠を降ろすと、すぐにボルトとロープを取り出して下降の準備を始めた。
ご主人、そんなの必要ないよ。荷物は手渡せばいいし、身体ひとつなら手足があれば十分だ。とアドバイスしたが、「オレは墜ちたくないから。」とアンカーに長いボルトをねじ込んだ。
なんでも、アンカーは事前に打ち込んでいたというし、ロープには等間隔にこぶしがついている。余程、市兵衛に来たかったのだろう。周到に準備していたのである。
ご主人の荷物を先端まで運び入れ、仕掛けづくりを始めたご主人に、小さいけど既にイサキが2枚あがったよ。と伝えると、「そうかぁ、今夜は大漁になりそうだな。」
「イサキを30枚釣ったら、その後はぶっ垂らしをやるよ。」と元気がでてきた。
ごそごそ仕掛けづくりをやっていたご主人が竿を出したのは、それから4、50分たってからだった。南東の低い空にはすでに白い満月が浮かんでいた。
期待されたイサキの食いはばったり停まって、たまに釣れてくるのはミニイサキである。
隣でウキ釣りを始めたご主人にもほとんどアタリがない。暫くすると業を煮やしたのか、おれはぶっ垂らしをやると、10号の錘をつけて磯際の底を狙いだした。
垂らしに変えたとたん、30センチ前後のイサキや中型メジナが次々にヒットした。
ご主人のぶっ垂らしを横目に、わいはあくまでウキ釣りに徹していた。
わいは7、8メートル先の潮の動くポイントにコマセを丹念に打ちつづけ、仕掛けを投じていると、突然、もぞもぞっとした弱いアタリがあった。竿先を小さく煽って糸を送り込むと電気ウキが静かに引き込まれていった。ミニイサキかそれとも小メジナか。
一度軽く合わせてみると、突然、竿先が絞り込まれた。その引き込みは尋常でなかった。両腕で竿をためてやっと耐えるほどだった。やり取りすること数分。
隣からご主人が「デカそうだな。」「待っててよ。玉網用意するから。」と言うのを聞きながら、やっとこさ足元まで持ってきた時、磯際で再度猛烈な引きに見舞われた。その強烈な引き込みで仕掛けはブッツリいってしまった。
なんと、電気ウキの赤い灯が波間を漂っているではないか。
あろうことか高切れである。道糸は、変えたばかりのVARIVASの3号。なんともうかつだった。ラインに傷でもついていたのだろうか。
※高切れとは、魚の強烈な引きまたは根掛かりによって道糸が高いところで切れることで、高切れするとウキなどの仕掛けを丸ごと失うことなる。
たぶんオナガメジナのドデカ判であったろう。
取り込めなかったのは残念だが、イサキ狙いのわいにとって、でかくてもメジナはメジナ、ありがた迷惑な客であった。
ところが、それから小1時間すると、またまた物凄い引きに遭遇した。竿をためて止めないと根に入られてしまう。絞り込まれる竿先を渾身の力でこらえたが、またもやブッツリ。しかも電気ウキが流れていく。またしても高切れである。
そして、その1時間後、更に強烈な引きに遭遇。またまた高切れてウキを盗られた。
アンビリバボーとはこのことを言う。高切れを起こすなんて、年に1度あるかなしかの椿事である。それが一晩に3回も発生するとは。
これがもしメジナ狂のつり師であれば、3億円宝くじが3回続けて当たったように狂喜乱舞することだろう。いや、結果ばらしたのだから、1番違いが3回続けてカスッたと残念がるか。
原因はなんであったのか。道糸かガイドか、それともリールか。高切れと最も関係が深いのは道糸だが、買ったばかりの道糸に何箇所も傷があったとは考えにくい。
帰宅してからすべてのツールを点検してみた。しかし、どのツールのどの箇所にも瑕疵は見出せなかった。とりあえず、道糸のVARIVASをシーガーのリアルドリフトに巻き変えてみた。ほかに考えられることはただひとつ。
このごろイサキを釣りすぎたので、イサキの怨霊にたたられたのかもしれない。
これは腕や技量を超えて、市兵衛の呪い、あるいはイサキのたたりとしか考えられないバラシの3連発であった。





