ぶらり荒磯 一竿子 -3ページ目
2016年09月27日

210話 極楽とんぼがスーイスイ

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9月と言えば赤トンボの季節。黄金色に実った稲穂の上を、赤トンボの群れが列をなしてスーイスイと翔んで行く。いつもなら、赤トンボをそこら中で目にする季節であるが、今年はとんと見当たらない。秋になっても秋風は吹かないし秋晴れもない。だらだらと梅雨のような長雨が続いて、9月下旬というのに、スカッとした秋空には一度もお目にかかっていない。
それでも、今日は久しぶりにお日様が顔を出した。わいは日課であるピンコロでのコーヒータイムを済ませて、昼過ぎに帰宅すると、かみさんが「お昼はお茶漬けでいい?」と尋ねてきた。何でもいいよとわいが答えると、まもなくお茶とご飯と塩鮭が出てきた。

早速、茶漬けにして塩鮭に箸をつけると、なんじゃこりゃ、全然しょっぱくねえじゃんか。お子様向けの府抜けた甘塩の鮭であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいが立腹して「こんなもん食えるかっ!」とちゃぶ台をひっくり返すと、「不調法をいたしました。」とかみさんが畳に額をこすりつけて謝ってきた。

謝って済むなら警察はいらねえ。お前の顔なんか二度と見たくねえ。とっとと失せろ!と塩鮭ひとつで、一昔前ならそんな修羅場が展開されたかもしれない

しかし、今時そんな悲劇はどこを探しても見当たらない。かみさんにいちゃもんでも付けようものなら、何倍にもなって返ってくるから、さわらぬ神に祟りなしなのである。
わいは「この鮭、塩が効いてないから物足りないねぇ。」と言っただけである。

かみさんも一口食べて、「あそこのスーパーのはおいしくないのね。」と同意して、大団円に終わったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鮭と言えば、道北の漁港で鮭の水揚げがほとんどないそうだ。網走沖のサケの定置網にサケが入らないので漁業者が困っているという報道が数日前にあった。

その理由は、道北の海水温が異常に高く、鮭が沿岸に寄り付かないのだそうだ。どこの海も水温が高くて困ったものだ。

 


さて、天候不順や台風の襲来で、今月はまだ三宅島にも大島にも行っていない。

荒天が収まって来たのですぐにでも行きたいが、伊豆七島海域でも海水温が高すぎるのだ。わいの主戦場三宅島にはもう3か月も行っていない。

たぶん、光明丸の船長は「へぼのナカムラ、ぜんぜん来ねえがどうしたんだ。ぽっくり逝ってしまったか。」などと心配しているかもしれない。心配するな、船長よ、まだおれは生きている。水温が下がったらすぐに行くから、待っていてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


という訳で、釣りに行けないのでピンコロに話を戻すが、わいの日課とするピンコロのコーヒーは、月曜、火曜、木曜、金曜の週四日と決めている。

本日はそのピンコロデーに当たっていたが、久しぶりに日が差したので、傘も持たずに住宅地の裏道をトコトコ歩いていたら、道中にはまだ水たまりが残っていて、ゴム草履で歩くたびに泥水が跳ねてズボンの裾が汚れてしまった。

15分ほど歩いてピンコロのドアの前に立つと、ドアノブにクローズと書かれた札が掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだ、まだ開いてないのかと裏手に廻ると、赤いレクサスが駐まっていた。来てるんじゃねえかとドア横のブザーを押すと、すぐにマスターが出てきてカギを開けてくれた。「なんで開けとかねえんだよっ。」ときつく言ってやると、

「だって、開店は11時半ですもの。まだ30分もありますよ。」とトンデモナイことを言い出した。へ理屈である。いつも、わいが11時に来ることは知っているのだから、

「ハイ、忘れていました。」と言えばいいのに、減らず口を叩いたのだ。

「じゃあ、出直そうか。」とわいが踵を返すと、「ホットですか。アイスですか。」と言いながらニタニタ笑っている。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいのコーヒータイムは、ピンコロに11時に登場し、12時に退場するのが習いである。五郎丸同様、これがわいのルーティーンなのだ。もし、ピンコロがなくなれば、ルーティーンも成立しない。そうなるとモチベーションは極端に下がってしまう。だから、ピンコロ存続のため、わいはせっせと通っているのだ。

先日も、いつもの席に座ってコーヒーを飲み始めると、コーヒーカップを片手にマスターがやってきて、はす向かいの席に腰を下ろした。毎度のことである。

そして、おもむろに口を開くと「雨ばかり降っているから、お客さんが来ないですねえ。」とぼやくのである。「じゃあ、晴れたら来るっていうのかい。」と疑問を呈すと、「晴れても来ませんねぇ。」と正直に返事を返してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

降っても降らなくても来ないものは来ないんだよねとわいが引き取ると、

「丸一日、誰一人お客さんが来ないと、ほんとに嫌になりますよ。」「もう店仕舞いしようかな、なんて考えちゃいますね。」と述懐するのだ。
一人もお客が来ないと辛いだろうね。ちなみに、先週はどれくらい来たのと聞いてみると、「10人ちょっとですかね。」というのだ。

お客さんがいないとき、マスターは黒皮のソファに深々と埋まって、70インチの大画面テレビでクラシック音楽をボリュームアップして聴いている。

「今日はナカムラさんが来たのでゼロではないですが、だれも来なかったら店を閉めますよ。」とわいを脅迫するのだ。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしてもピンコロはお客の来ない店である。

日ごろ、マスターが「去る者は追わず、来るものは拒まず。」なんて、妙なことを言っているから常連ができないのだろう。

2、3年前まで、わいも、ああしたらどう、こうしたらどうなどと集客のアドバイスをしてみたが、なんせ、「面倒臭いことは絶対やりません。」とマスターが洟もひっかけないので止めた。

それ以降黙って見ていると、自分なりに危機感を感じたのか、宅建主任者の資格を取りますとか。フィナンシャルプランナーの資格を取りますとか言って、ピンコロで無料コンサルをして集客しようと企図し始めた。満席はいやだが、30席あるお店に、常時2、3人のお客は欲しいというのだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、いくら無料のコンサルでも、喫茶店のマスターに不動産の売買とか、資産管理の話を持ち込んでくるお客がいるだろうか。そうこうしている内に、マスターは両方とも資格を取ってしまった。

嬉々としてライセンスを見せてくれた。定年までどこぞの学校で物理を教えていたせいで、へ理屈だけは一人前なのだ。晴れて、宅建主任者、フィナンシャルプランナーの資格を得て、大ガラスに無料相談と張り紙を貼り出したが、一向に相談者は現れない。見事、この集客方法は空振りに終わったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな失敗にもめげず、今度は終活相談所という張り紙を貼り出している。

終活相談とは安上がりに葬式を出すための方法を指南するということだそうだ。

集客の手段としてはどれも的外れだが、どうせ道楽なのだから、客が入ろうと入るまいと関係ないのだ。わいはマスターの思い付きを距離を置いて見ていたが、時々は、

「試行錯誤はいいことだよ。金鉱を掘り当てることだってあるかもしれない。」とか、「何をやってもいいんだよ。命まで取られることはないからね。」と言って安心させてやる。

 


9月の空に赤トンボが翔ばなくても、ピンコロにはいつも極楽とんぼが翔んでいる。

極楽とんぼがいつまでも翔びつづけられるように、わいはピンコロに通ってやればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年09月10日

209話 心まで折れてしまった

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ことしは8月に入ってからの1ケ月余りで、9号、10号、11号、12号、13号と日本周辺で大小の台風が立て続けに発生した。それらの台風はゲリラ豪雨を伴って局地的に猛烈な雨を降らせ、ツメ跡を東北から北海道の各地に残して行った。

特筆すべきは、そのほとんどが日本近海で発生したことである。経験的に言えば、台風は赤道付近のマリアナ海域やフィリピンの東海上あたりで発生するというのがこれまでの常識である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


異例の典型は10号である。南方洋上で発生した熱帯低気圧が八丈島近海で台風10号になり、意表をついて西進し、東大東島の海域で迷走しつつ停滞し、海からエネルギーを補給されて巨大化し、やおら、東日本から東北、北海道へとなだれ込んだのだから、前代未聞である。日本周辺でこれほどの台風が発生したのは、近海を流れる黒潮の海水温が異常に高かったことが原因である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、三宅島の海水温は8月下旬から9月初頭にかけて、一時30℃台と温泉並に上昇していた。この状況が続けば、温帯系の魚類に深刻な影響が出るのではないかと危惧していたが、その後はなんとか29度台で推移している。
もし、30度超えが続いたら、メジナやイサキのような温帯域の魚には生存の危機が訪れていたかもしれない。地球温暖化などとのんきなことを言っている場合ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そんな訳で、台風と高水温という自然の障壁を前に、わいの半月に一度の釣行計画にも狂いが生じてきた。それでもあきらめずに間隙を狙っていたら、チャンスは訪れるものだ。8月4週目の水曜日、台風9号と11号は通過して、10号はまだ行く先が定まらず、東大東島付近をうろうろしていた。

これなら何とかなりそうだ。すぐさま大島おくやま荘に電話を入れてみると、おばさんが、「だれも来てないけど、海はなぎてるよ。」というのだ。なぎているならチャンスである。すぐさま、午後のジェット船で行くから、と大島での夜釣りを決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところで、わいの釣行は自分だけのためではない。半分はサポーターのためである。サポーターたちがわいの釣った魚がいつ来るか、いつ来るかと心待ちしているのだ。

ピンコロのマスター、友人、知人、かみさんの友達に至るまで、磯魚大好き人間が8家族も待っているのだ。

その大好き人間は、しばらく魚が届かないと、「最近、釣れないの?」とか「釣りに行ってないの?」などと電話やメールで催促してくる。そんなサポーターの期待やリクエストに応えるのも、釣り師の使命と喜びかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、竹芝桟橋を13時30分出港のジェット船なら、大島に15時15分に到着する。日没は18時20分、日没に間に合えばいい。上陸してから、釣り宿でいろいろ支度して、目指す荒磯に上るまでに3時間の余裕がある。

 


この季節、日があるうちは竿は出さない。日が陰ってからが勝負である。時間はたっぷりあるし、釣れなかったら朝まで釣ればいい。しかし、それは取り越し苦労というものだ。夜釣りだから、危険な場所は避けて比較的安全な磯で釣ることにした。

また、今回はサポーターからのリクエストがたまっていたので、イサキをクーラー一杯釣って帰ることにした。真夜中まで釣ればクーラー一杯釣れるはずだ。ジェット船の中でそんな皮算用をしていたが、元町港の岸壁に立つと海はべたべたのべただった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


釣り宿に着いてオキアミや氷を調達し、すべての道具を積み込んで出発しようとしていたら、「麦茶でものんでいかないかい。」とおやじさんから声が掛かった。

そうだね、と食堂に舞い戻ったら、30分も世間話をしてしまった。それもわるくはない。おばさんやおやじさんは釣り人の大事なサポーターである。

 

 

今、釣り宿は釣り客激減と経営者の高齢化で年々数を減らしている。もし、おくやま荘がなくなったら、安心して釣りはできない。おやじさん、おばさんが長持ちしてくれてこそ、釣り人の平安はつづくのだ。だから、おやじさんの話し相手になるくらい面倒がってはいけないのだ。それは釣り人の心得と言えるかもかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そんなこんなで、おくやま荘を出発したのは4時を廻っていた。大島一周道路を20キロほど走って、二つ根に降る雑木林に進入すると、藪の中を200mほど走って行き止まりに到着した。

周囲には背丈を越える茅や篠竹が生い茂っていて、ぽっかりと開いた頭上の空間に青空が見えた。まだ、明るい日差しが残っていて、茅の隙間から漏れてくる日差しが無茶苦茶暑かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


背負子に括った荷物を担いで雑木林の出口に立つと、正面から西日が射しかけてきた。それがまぶしいことまぶしいこと。傾きかけた西日だったが、日差しの力は弱まっていない。じりじりと肌を焼くような西日である。足元の岩は鉄板焼きの鉄板のように焼きついている。15分ほどかけて、目指す溶岩磯に立った時には、全身汗みずくになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと1時間もすれば日は沈む。それまでに仕掛けやコマセを作って、夜釣りの準備をしておけばいい。風はない。まるでサウナの中に叩き込まれたようだ。

無風に近いこんな日は、日暮れとともにやぶ蚊が襲ってくる。やぶ蚊に備えておかねばならない。早速、救命胴衣の内側、腰のあたりに、火をつけた蚊取り線香のホルダーを吊るした。強力な蚊取り線香の煙でやぶ蚊を撃退するのだ。

ホルダーを下げると、たちまち首筋から煙が這い昇ってきた。煙を内側から通さないとぶ蚊に刺されてしまうのだ。自分が先に燻されているが、やぶ蚊に刺されるよりはましなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


色々と準備を整え、リールをロットに装着して仕掛けを作り始めたところで、アクシデントが発生した。あっちっち、あぢ、あぢ、あぢいよ~。こりゃたまらん、なにが熱いかというと、日差しでも岩盤でもない。お腰につけたきび団子でもなく、お腰のホルダーが熱いのだ。カイロを2、3個付けたくらい熱い。

屈みこんで仕掛けを作っていたから、ホルダーが腰のあたりにくっついてやたらと熱いのだ。背筋を伸ばせばホルダーは離れるが、そんな姿勢では仕掛けは作れない。

う~む、天は二物を与えぬというが、こういうことであったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、わいは日が沈む少し前から竿を出したが、潮はほとんど動いていなかった。

長潮前日の小潮だからそれも致し方ない。さらしの出ている場所があったので、今晩はそこで頑張ることにした。しかし、日が暮れてからも木っ端グレがウキを引っ張っていく。たまにイサキも顔を出すが30cmにも満たない小ぶりなやつだ。

この辺りなら今の時期、40オーバーのイサキが釣れてもおかしくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのうち、完全に潮が停まってしまった。いくらコマセを打っても無駄である。

喰ってくるのはハタンポばかり。それでも、潮時が訪れることを期待して辛抱して釣っていたが、とうとう午前0時になってしまった。
それから30分、相変わらずハタンポとの格闘がつづいていた。さすがのわいも精根尽きて、心が折れてしまった。

その夜の釣果は、中イサキ9匹とウリンボ6匹の計15匹という貧果であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

2016年08月21日

208話 わいは君を尊敬する

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う~む、日本周辺の東の海に、台風が9号,10号,11号とたてつづけに三個も出現している。今まで見たことのない天気図だね。
先週の前半、伊豆諸島と小笠原の周辺海域に、熱帯性低気圧が二つあったのは承知している。気象情報では、そのうち台風に発達するでしょうと言っていたが、そんな悠長な話ではなかった。1日か2日もせぬうちに見る間に台風に成長してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、マリアナ海域で発生した台風9号は、10号11号を追いかけるように、駆け足で関東地方に接近しているのだ。あたかも、日本周辺で盆踊りか夏祭りでもするかのように集結してきたのである。
ところで、これまで真剣に考えたこともなかったが、台風と熱帯性低気圧ではどこがどう違うのだろうか。たぶん、台風には目があって、パワーや勢力も大きいが、熱帯性低気圧にが目はなく、パワーも小さい位は知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


しかし、今回の台風祭りを機に気象学的な観点で相違点を調べてみた。すると、違いはただひとつ、風速だけであった。中心付近の最大風速が17メートルを超せば台風となり、17メートル以下なら熱帯性低気圧と呼ばれるというのだ。

まるで魚のスズキではないか。出世魚のスズキは小さいうちはセイゴと呼ばれ、大きくなったらスズキと呼ばれる。
ともかく、今月は異常なほどの台風ラッシュである。この現象、リオオリンピックの日本チームのメダルラッシュとどこか似てはいまいか。どうせ、成績不振でメダルなんかと諦めていたら、なんと、金銀メダルを量産してくれるではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、伊豆大島での夜釣りについては、お盆前から、いつ出撃しようかと虎視眈々と狙っていたが、雨模様の日が続いたり海が荒れたりして、とうとうお盆を1週間も過ぎてしまった。しかも、週明けの月曜日には台風9号が伊豆諸島を直撃するという。

そうなれば、どんなに渡島したくても確実に連絡船は欠航する。そればかりか、台風が掻き混ぜてくれた海は、暫くの間うねりと大波でしけそうである。しけが収まるまでには2,3日はかかるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それはそうと、三宅島にはもう2か月近くも行っていない。炎熱地獄の荒磯と海水温の上昇とで、7月以降は三宅島から遠ざかっているが、条件さえ整えば三宅島に渡りたい。

ただ、海況速報によれば、一昨日の三宅島の海水温は29℃であった。たぶん、9月いっぱい28℃前後で推移するだろう。夜釣りが御法度の三宅島で、28℃の海水温では釣りにならない。海水温が低下してくるのは10月からなので、9月一杯は大島で夜釣りということになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


余談ではあるが、昨夜入った風呂の湯温は30℃であった。夏場であれば、この湯温で十分温かいし、温泉気分にも浸れるのだ。

しかし、海水温が29℃ということになれば、メジナにとっては、朝から晩までお湯に浸りっぱなしということになって耐えがたいはずだ。人間でいえば43℃くらいのお湯に入りっぱなしということになって、人間なら生きていられない。

そんな過酷な環境で生き延びている三宅島のメジナ君、わいは君を尊敬するぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年08月14日

207話 もう手遅れなバチ当たり

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今から20年以上前の一時期、わいは伊豆七島の神津島に足しげく通ったことがある。その頃は神津島でも大物が上がっていたし、(今はあまり釣れないそうだ)それ以上に神津島の荒磯は、地磯にしろ沖磯のタダナエにしろ、見るからに荒々しく惚れ惚れするロケーションであったからだ。黒々とした潮が足元を洗い、竿下からすぐ30メートル、40メートルというどん深な海は、なにが飛び出してくるか分からぬほど魅力に溢れていたのである。

 


その神津島は東京の南西180キロにあって、人口2000人ほどの離島である。東海汽船の下りの大型客船に乗ると、大島、利島、新島、式根島の各島に立ち寄って、5番目に到着する折り返しの島でもある。

さすがに所要時間は長く、深夜22時に竹芝桟橋を出港すると、神津島に到着するのは翌朝9時半だから、凡そ12時間を要するのだ。というわけで、神津島遠征には最低でも二泊三日を要するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

その頃、わいは会社勤めをしていたから、いくら離島で釣りがしたくても、二日も三日も続けて休むわけにはいかなかった。だから、お盆の時期の夏休みは価千金の価値があった。たまたま台風や大しけでもない限り、いつもお盆休みには離島遠征をしたものだ。

 

 

ところで、台風でもない限りと言ったが、あの時は確か、南方洋上に台風が発生し、フィリピンの東海上をゆっくり北上していたと記憶している。

わいの山勘では、その台風は東シナ海を通って、中国か朝鮮半島に抜けると読んでいた。また最悪の進路をとっても、伊豆諸島への影響は数日後になると考えていたから、読みどおりなら、神津島への影響は軽微なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


午前9時半、連絡船は神津島の表玄関前浜港に入港したが、岸壁にはすでに真夏の日差しが降り注いで、そこここにかげろうがゆらゆら立ち昇っていた。
わいと同行のタクさんは下船客の流れに沿ってゆっくり歩いていたが、200メートルほど歩いた岸壁の曲がり角で、船頭の乗った迎えの軽トラを発見した。荷物を載せると車はすぐに発車して、曲がりくねった狭い坂道を何度か折れて5分ほどで釣り宿に着いた。

 


わいらは着替えを終えると、解凍しておいてもらったオキアミと氷を出してもらって、再び、船頭運転の軽トラで裏側の多幸湾へ向かったのである。

その日、釣り宿の磯割りはタダナエの平段であったから、運転中の船頭に、明日の朝まで平段でやると告げると、「台風のうねりが入っているから、平段は無理だろう。」と言うので、船頭に任せることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここで、磯割りの意味を説明しておくが、磯割りとは、磯釣り全盛の40~50年前、神津島の磯は釣り人であふれかえっていたのである。混雑解消と醜い場所取り争いを防ぐため考え出されたのがこの磯割り制度で、例えば、平段とかオネーモの1番、2番、3番と、荒磯を白ペンキで3分割して数字を書き込み、神津島の渡船15隻に、その日割り当てられた磯以外は渡船客を渡せないようにした仕組みである。

割り当ての磯は毎日変わって、15隻でローテーションしていく。神津島だけが採用しているシステムで、無粋きわまりない。磯釣りブームが去った現在、磯割りは過去のものとなって、荒磯には閑古鳥が鳴いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


さて、わいら二人は夜釣りでも安全な磯に昼前に渡してもらった。しかし、真夏の炎天下、荒磯は熱したフライパンのように焼き付いて、じりじりと肌が焼け焦げるようだ。

釣れるものといえばサバ子やカンパの子、木っ端グレばかり。ただただジャミとの戦いに終始するだけであった。とは言え、あと数時間もすれば日が沈む。夜にさえなれば大イサキが釣れるのだ。

 


夕方、船頭が弁当を持って見回りに来た。船上からわいらに、何か釣れたかと尋ねてきたが、なにも釣れないと答えるしかなかった。

ようやく日が沈んで、夜のとばりが降りてきた頃、わいらはいよいよ本番開幕とほくそ笑んだ。しかし、釣りも人生もほろ苦いもので、本命のアタリはまったくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何も釣れないのではなく、釣れてくるのはハタンポやスズメダイばかりだ。

それでも、潮さえ変わればと淡い期待をかけて釣りつづけたが、どうあがいてもハタンポとスズメダイ。それがとうとう翌朝まで続いたのだ。ガッチョーン!

 


翌朝6時、迎えに来た船頭が、どうだった?と聞くから、ぜんぜんダメ、お手上げだったよと答えると、

「お盆の長潮だからな。」「神津の漁師はなっ、お盆のときは殺生しねえんだ。だれも船は出さねえよ。」ましてや、「長潮じゃあねえか。長潮のときは魚は釣れねえんだよ。」と結果はお見通しだったとでも言いたげな顔でニタニタ笑っている。

お盆に釣りをするなんてバチ当たりとでも言いたかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


帰宅後、お盆についての世間の常識を調べてみたら、こんなことが分かった。
盆の十六日は地獄の赤鬼、青鬼も亡者の呵責を休んで、釜の蓋を開けっ放しにするそうだ。釜の蓋が開いているので、そのころ殺生したものは即座に釜に放りこまれるそうだ。ホンマカイナ、だから、殺生したりせず、娑婆に生きる人間は仕事を休んでおとなしくしていろという訳だ。

 


おまけに、釜の蓋は旧暦7月1日に開いて7月30日に閉まるというから、旧暦7月(新暦では8月)はまるまる1ヶ月間がお盆月とされ、この期間は祖霊が戻ってくるだけでなく、いろんな霊があの世とこの世を行き来するといわれている。

特に、海や川などは来世と現世の通路になるから、お盆の時期に海や川に近づくと、あの世に引きずり込まれてしまうという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そればかりか、釜の蓋が開いているお盆月は、地獄に墜ちた悪霊や亡者どもまで、この世に戻ってくるそうだ。悪霊は関係の無い人の足まで引っ張って溺れさせてしまうというから恐ろしい。


とは言え、わいらが釣れなかったのはお盆のせいでも長潮でもなさそうだ。その日の潮と腕がわるかっただけなのだ。それでも、警鐘は鳴らしておく。

釣り人よ、お盆に殺生したら地獄に墜ちるぞ。わいは手遅れだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年08月04日

206話 真夏の夜のよもやま話

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その日の午後の高速ジェット船は伊豆大島の元町港に15時35分に到着した。
高速ジェット船は時速80キロで海上を疾走するから、東京から大島までわずか2時間足らずで着いてしまう。あっという間だから、のんびり寝ている暇などない。わいは座席のシートにもたれて居眠りをしていたが、「まもなく大島に到着します。」というアナウンスで目が覚めた。
わいが午後便で来島するのは、真夏になると夜釣り専門にシフトするからである。夏場の日中は猛烈に暑くて釣りにならない。もし、昼日中に磯に立っていれば、熱中症になるか干物になるかのいずれかである。しかも、日中はエサ取りやジャミが群れをなしており、ジャミを躱して釣りをするなど至難の業である。だから、日中の釣りは捨てて夜釣りに徹するのだ。大物は夜が来るまで岩陰に潜んで昼寝でもしているのだろう。







 






さて、3時半頃大島に到着すれば、日没は6時55分だから、日没までにはまだ大分時間がある。
釣り宿でゆっくり支度は出来るし、入磯を焦って車を飛ばすこともない。午後遅いジェット船は夜釣りには最適なのだ。わいが港の駐車場で、迎えの車はどこに来ているのかと探していたら、ちょうど、進入路におくやま荘の車が現れた。
目ざとくわいを見つけたおばさんが、運転席から乗り出して手を振ってくれた。わいが車に近づくと、「あんたっ、先に観光協会に行って、助成金の手続きしておいで。」と手際いい指示を出してくれた。
助成金とは、3年前の記録的豪雨による土石流や大雨被害の復興事業の一環で、東京都から来島者に1泊3000円の宿泊助成金が支給されるのである。















おばさんは当年73才だが、ほんとうによくしゃべる。それにシャキシャキしている。車の運転は荒っぽいし、口も荒いから、男みたいだとよく言われるそうだ。それに地元の泉津で、週2回、2時間以上卓球をするというから、まさに女傑である。
わいが、今日はお客さんは来ているのと尋ねると、「暑いからだれも来てないよっ。」「あんた、夜釣りするんだろ。夜釣りならいいかもしれないね。」とそれなりに釣り人の気持ちは分かっている。
車が泉津のおくやま荘に到着すると、わいは早速釣り装束に着替えて、物置から救命胴衣やバッカンを持ち出し、頼んでおいたオキアミや氷を積み込むと、いつもの軽ワゴンで大島西側の表磯に向かった。
おくやま荘のある泉津は島の東側に位置しており、わいの目指す二つ根とは正反対の位置にある。








 

 





わいはほとんど信号のない一周道路を30分ほど走って、目指す二つ根近くの林の道に進入した。
林の中は両側から覆いかぶさるようにブッシュが密生していて、それをかき分けて走るのだ。暫く走ると、山道は丈高いブッシュの中で行き止まりとなる。わいはそこに車を駐めて、背負子を背負って荒磯に降って行った。荒磯に降る途中で海を眺めると、べったりと凪ぎて、海面はまるで湖沼のように静かである。
前日までは雨風が残
っていたが、その日は梅雨明けで、おまけに長潮であった。
風がないのが幸いである。太陽はまだ西空に残っていたが、さすがに光は弱弱しく直視できるほど衰えていた。







 





こんな日はやぶ蚊が猛然と襲ってくるだろう。わいは蚊取り線香に火を点けて、ホルダーをシャツ内側のパンツにぶら提げた。すると、立ち上る煙が衣服から漏れて、海上にもうもうと流れて行く。蚊取り線香は渦巻き一つで5時間以上いぶってくれる。これひとつで深夜までやぶ蚊の攻撃が避けられる。
日没を過ぎた頃から、わいは磯際のさらしにコマセを打って本格的に釣り始めた。まもなくイサキやメジナの入れ食いが始まるのだ。とのんきに皮算用していたら、まったくアタリが出ない。長潮とはいえ、潮がぜんぜん動かないのだ。それでも、そのうち喰いは出てくるだろうと淡い期待をしていたが、いくら待ってもそんな気配はない。2時間ほど粘ったが、ウリンボクラスのイサキが3匹釣れただけだった








 






これでは辛抱も限界である。わいは釣り座を替えて、潮通しのいい沖目を狙うことにした。
すると、まもなくアタリがあって中型のメジナが食ってきた。それから先は頻繁にアタリが出て、入れ食い状態になってきた。イサキのオンパレードである。とは言え30センチ程度の中型がほとんどで、40センチクラスはぜんぜん来ない。それでも、潮だまりのスカリにはとんとん拍子にイサキやメジナが溜まっていった。深夜近くになると更に喰いが活発になって、アタリがなくても、誘いをかければたちどころにイサキが飛びついてきた。






 







ある程度の釣果が出ていたので、午前0時頃に納竿しようと考えていたが、イサキの喰いはなかなか止まらない。そうこうしている内に午前0時を迎えてしまった。
ともかく、お茶でも飲もうと後方を振り返ってみると、なんと、真っ暗だった背後の空がわずかに明るくなっていた。三原山の山の端に三日月が掛かったのだ。薄暗い月明かりではあったが、わいの夜釣りに声援を送っているような光であった。声援には素直に応えねばならない。

わいは午前0時以降も、三日月に背中を押される格好で釣りを続けていたが、これ以上釣ってもクーラーに入らないほど釣ってしまった。まだまだ釣れそうだったが、そろそろ撤収しようと腕時計を見たら、時計の針は午前3時を指していた。いつの間にか3時間が経過していたのだ。







 






このまま釣っていたら夜が明けてしまう。わいは急いで竿をたたみ、仕掛けや道具類をリュックに納めると、ゴミを拾い集め、荷物を背負子にまとめ上げると、車を置いた林のブッシュに向けて磯伝いに歩き出した。車を置いた地点までは100mあるかないかの上りであったが、溶岩の起伏が意外と激しくて、車にたどり着いたときには全身から汗が流れ落ちていた。
息の上ったまま車に乗り込み、ヘッドライトを点灯し、暗闇をメインビームが切り裂いた時には正直ほっとした。
撤収に多少時間はかかったものの、それでもスムースにいった方だ。薄暗くはあったが、三日月が空の上から味方してくれたからだ。もし、キャップランプだけで撤収していたら、途中で方向感覚を失って、真っ暗な磯で径を失ったかもしれない。














車が山道を抜けて大島一周道路に出ると、たとえそこに人家などなくとも、正直、ほっと安心する。この時間に一周道路を走っている車など1台もない。そればかりか、人っ子一人、猫の子一匹起きてはいない。対向車に出遭うこともなく、森閑とした一周道路をひたすら走って、わいはおくやま荘に帰着した。

時刻はすでに午前4時、東雲の空は白々と明らんでいた。わいは車から降りると真っ先に、玄関先の水道の蛇口からホースを引っ張り、バッカンに入れたイサキやメジナをぶちまけて水をかけ、よく洗ってクーラーに移し替えた。最後に氷を入れて保冷した。
それだけでは終わらない。潮に濡れた道具類を洗って干さなければならない。それが終わって、初めて一連の作業から解放されるのだ。






 





釣竿から磯タビ、バッカン、コマセ柄杓、磯バケツ、ナイフなどを水道で洗っていると、なにかひとつ足りない気がした。それがなにかを調べてみると、しゃもじだった。コマセを攪拌するときに使うしゃもじであるが、二つ根に置き忘れたのだ。近ければ取りにも行くが、片道20キロの距離である。しゃもじひとつのために往復40キロは気が重い。心残りではあるがお別れだ。しゃもじくん、二つ根で成仏してくれ。

最後に残ったのが入浴である。二階に着替えを取りに行って入浴の準備もできた。
うれしいことに、おくやま荘では真夜中に帰ろうが、徹夜で釣ろうが、一言も文句は言わない。
過度に心配されることもない。釣り人を信頼しているのか、自己責任でやれと言っているのか定かではないが、ありがたいことこの上ない。













そんなわけで、深夜でも明け方でも風呂に入れる。ただし、深夜を過ぎると、湯が冷えて表層だけが温かく、下層は水になっている。それでも汗やコマセ臭が洗い流せれば御の字である。
夕食だって食べる気さえあれば、深夜でも明け方でもオールタイムOKである。夕食は一人分づつテーブルに作り置きしてあるが、それに昔懐かしい蠅帳という蠅よけネットがかぶせてある。深夜遅く帰ったりすると、先に戻った釣り人が前夜の夕食を黙々と食べている光景を目にする。






 





やっと眠れる状況になってきたが、時刻はすでに午前5時、夜はすっかり明け切って、二階の部屋のガラス窓から、朝の光がまぶしく差し込んでいた。窓辺に伸びた木々の葉を、朝の光が明るく透かして、緑のスクリーンを作っていた。周辺の木立からはカナカナゼミの声が高く低く聞こえてきた。
なにはともあれ早く眠りたかったが、明るくてまぶしくて眠るどころではない。暑いのは承知で、束ねてあったぶ厚いカーテンを引き、窓と網戸を閉め切って、外の光を遮断して横になった。


















 

2016年07月01日

205話 もんじゃ焼きなの、ケーキなの

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それは連絡船が竹芝桟橋を出港する15分ほど前のことであった。
22時15分、竹芝桟橋の入場ゲート前に二列に並んだ乗船客に、「ご乗船のお客様はそのまま前にお進みください。」と係員の声が拡声器で流れた。入場ゲートの幅は約1メートル、長さ10メートルほどだが、出口のところで係員が一人一人の乗船客からチケットの半券をもぎっていた。30メートルほど先には、連絡船橘丸が黄色と緑茶色の船体を岸壁に停泊させていた。
その夜も三宅島・八丈島航路の乗船客はわずかしかいなかった。九州で猛威を奮っていた梅雨前線が、明日は伊豆諸島を通過するというし、かてて加えてウィークデーである。ざっと数えて40人ぐらいしかいなかった。














 

ところで、今回の三宅島行きは船長84才の誕生日に、おめでとうの祝辞を言上するための渡島である。
キンメ漁師として、瀬渡し船の船長として、今なお現役を続けている船長の誕生祝いに馳けつけることが今回の目的なのである。
プレゼントには特上のタルトケーキを用意したが、こぼれるほどのフルーツで飾られた豪華なもので、三宅島では絶対お目に掛かれない代物である。ケーキはクーラーに入れて運んできたが、歪んだり傷ついたりしないよう細心の注意を払って運んできた。しかし、ここまで来れば安心である。








 







自宅から光明丸までは片道凡そ10時間かかるが、その間、クーラーの中でケーキは揺られっぱなしとなる。ホームを昇り降りする階段で、万一躓ずけばアウトなのだ。しかし、これから先は連絡船で寝ていけばいい。輝くような豪華なタルトケーキに、目を見張る船長やおばさんの顔が目に浮かぶようだ。
そんなことを考えていたら、好事魔多しとはよく言ったものだ。
丁度、わいが入場ゲートの出口にさしかかった時、突然、前がつかえてしまった。すぐ前のおばさんが、もぎり係と立ち話を始めたからだ。はた迷惑もいいところだ。









 







わいがおばさんの後ろを迂回しようとしたら、突然、おばさんが後ずさりしてきた。そしてキャリーにドカンと当たってきたのだ。載せていたクーラーともどもキャリーは転倒してしまった。
わっ!! やっちまった~。ケーキが壊れたかもしれない。とほほほほ~、一巻のおわり~。
おばさんはケーキが入っているなんて知らないから、「すみませ~ん。」と一言言って行ってしまった。
わいは頭に血が上ってしまい、連絡船に乗ってからもそのことが頭から離れず、消灯時間が過ぎても、かっか、かっかして眠れなかった。










翌朝、三宅島での接岸港は三池港であった。三池港の駐車場には船長が迎えに来ていた。わいは船長に、「おめでとうございます。」とお祝いを述べ、途中、竹芝でケチが付いてしまったと軽く言っておいた。
まもなく車は光明丸に到着したが、おばさんが台所にいたので、「ケーキを持ってきたんだけれど、竹芝の乗船ゲートで、女がぶつかってきたので壊れたかもしれない。」と断って、そのまま手渡した。

それから暫くして、わいは小雨の荒磯に飛び出して行った。目指す荒磯に着いてみると、風が弱く小雨が降る程度の穏やかさだった。しかし、1時間もしないうちに、激しい雨と南西風が吹きつけてきた。これでは竿は振れない。しかも、ジャミだらけで魚も釣れない。日中の釣りはあきらめて、光明丸に戻って昼寝することにした。










 








夕刻、所在なくごろごろしていると、ナカムラ~ッと船長の呼ぶ声がした。食堂に行ってみると、まだ5時半だというのに、もう夕食の支度が出来ていた。誕生日ということもあって、テーブルの料理はいつにも増して賑やかで豪華だった。
船長とビールで祝杯を上げたあと、おかずをあれこれつまんでいたら、すぐに満腹になってしまった。

「もう、これ以上食えねえ。」とわいが言ったら、台所にいたムツミが「じゃあ、みんなでこれを食おうよ。」
とあのケーキを持ちだしてきた。
「そのケーキ、ひょっとして壊れてなかった?」と訊いてみると、
「うん、箱の中でぶっちゃけてた。」「生クリームやトッピングが飛び散ってたよぉ。だけど、おれが直しといた。」と言いながら小皿に盛りつけてくれた。








 






転倒した衝撃で飛び散ったのだろう。皿に載ったタルトケーキを見たら、元の形とはかけ離れていた。
しかし、元の形を知らないムツミが、よくここまで復元してくれたものだ。とは言え、それはケーキというより、もんじゃ焼きの具材に近かった。それでも、ムツミが全力で復元してくれたのだから文句は言えない。「よくここまで復元してくれたねえ。ありがとう。」と礼を言ったら、「うう、うん、たいしたことねえよぉ。」と言って、
「見てくれなんてどうでもいいんだよぉ。食えば、都会の味がするぅ。」と言いながらうっとりしていた。
船長も「うめぇ、うめぇ、」と言ってくれたから、ぶっちゃけたケーキでも存在価値はあったのだ。










翌朝、わいは午前1時に起きて前日と同じ荒磯に向かった。
きのうはギブアップした荒磯だが、夜ならジャミも姿を消して邪魔者はいない。雨は止んで風もほとんどないが、やぶ蚊がわんさか飛び回っている。上空は厚い雲に覆われているので真っ暗闇である。
わいはさらしの脇に断続的にコマセを打ちながら仕掛けを作っていると、御蔵島の近くを貨物船が航行灯をつけてゆっくりと動いていた。
釣り始めて30分ほどして、やっと初めてのアタリがあった。弱いアタリであったけれど軽く合わせてみると、ぐぐぐぐ、ぐーっと竿先を猛然と引き込んでいく。引き方からみてオナガではないが、大物であることには間違いない。









 






やり取りの末、玉網に取り込んだら、50センチを超える大型イスズミであった。その後1時間ほどの間に、45センチ前後のイスズミを立て続けに2匹上げた。
なによりムツミが喜んでくれるだろう。ムツミはノラ猫の女神と言われるほどの猫好きで、常時20匹~30匹のノラ猫の面倒を見ている。そのノラ猫の好物がイスズミだから、光明丸に持ち帰れば大歓迎される。ケーキを復元してくれたムツミへの恩返しにもなる。

それにしても、イスズミだけかとがっかりしていると、夜明け前の4時ごろ、ようやくオナガが2匹上がった。40センチと40センチ弱ではあったが、ともかく、今回の目的は船長の誕生祝いに来たのである。
釣りはおまけなのだから、オナガ2匹なら上等である。






















2016年06月21日

204話 バカヤローッ!!

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たぶん、わいはいびきをかいていたろう。わいがいい気持で寝ていると、午下がりの2時ごろ、突然、太平の夢を破られた。
わいは正午過ぎまでカドヤシキの磯で釣っていたが、薄曇りの空から、時折薄日が射す地獄のような蒸し暑さと、どこに投げても、秒殺で付け餌が盗られてしまうジャミの猛攻と、更には、釣れたかと思えば手の平にも満たない木っ端グレである。もはや、わいのストレスは頂点に達し、心身に支障を来たして発狂寸前になっていた。限界である。もはや抵抗する気力すらない。ギブアップである。








 








わいが光明丸に戻って部屋で寝ていると、枕元に置いた携帯からけたたましい着信音が鳴り響いた。
なんだよぉ、ひとがいい気持で寝ているのに。邪魔するやつはどこのどいつだ。大事な用事でもあるのかと渋々携帯を取り上げると、
「おいっ、おめえー、今、どこで釣ってんだよぉ。」と船長からの電話であった。
「どこでって、 どこでもねえよ。光明丸で寝てえるよ。」と答えると、
「あんだぁ、おめえ、釣ってねえのか。」
「釣れなかったのかよぉ? 」と訊くので、
「ジャミが真っ黒くなるほど出てきて、手も足も出ねえんだよ。日中はダメだね。」と答えると、
「そうか、水温がたけえからな。ところで、おめえは昼ごろまでニッパナにいなかったか。」と訊くのである。







 







「カドヤシキに入ってたよ。ニッパナの先端に釣り人らしい白い影が見えたね。」と答えてから、船長に、今どこに遊びに行ってるのと尋ねたら、「今、ニッパナの沖をとことこ走ってるよぉ。」と返事があった。
ニッパナとカドヤシキは隣同士の磯である。隣同士と言っても、ニッパナとカドヤシキは東西に500mほど離れていて、桟橋のように沖に向かって伸びたニッパナの磯は、カドヤシキからも良く見えた。定かではなかったが、ニッパナの先端で、ゴマ粒のような白い影が見え隠れしていた。






 







しかし、今朝、連絡船が入港した阿古の港に迎えに来てくれたのは船長だった。
その後、わいが釣り仕度を済ませて出掛けようとしたら、「おめえ、お茶ぐれえ飲んでけっ。」と茶をすすめてくれたのも船長である。
あの時は「潮が悪いから出ねえ。」とか言って、漁に出る雰囲気は微塵もなかった。それが漁に出たというなら、【へぼがやって来たから、新鮮なカツオでも食わせてやるか。】と思い立ってくれたのだろう。
40年近く付き合っていれば、船長の思考回路ぐらいだいたい見当がつく。







 







それに、携帯に電話してきたのはいつものことで、わいの単独での地磯歩きが心配らしく、毎度釣り場まで電話してくる。心配してくれるのはありがたいが、反面煩わしくもある。
ところが、携帯に電話されてもわいには着信音などまったく聞こえない。普段、わいは携帯をリュックのサイドポケットに入れておき、
リュックは釣り座から離れた場所に置いておくので聞こえる訳がない。
「何回電話しても、おめえはぜんぜん出ねえじゃねえかっ。」とよく怒られるが、いくら怒られても聞こえないのものは仕方がない。





 








一応「わりい、わりい、携帯をリュックに入れて、離れた場所に置いておくから、聞こえねえんだよ。」と弁解はする。
しかし、「あんでおめえは自分のポケットに入れとかねえんだよぉ。」と船長は追及の手を緩めたりしない。
「大切なものだから、落としたり濡らしたりしないようにリュックの底に入れてあるんだよ。家では、金庫の中にしまっておくよ。」と答えると、船長はあきれ返って、「バカヤローッ!」とひと声怒鳴って幕となる。
バカヤローッ!って意外と親近感があるよね。







 






さて、今週の金曜日、6月24日はその船長の84才の誕生日である。現役の漁師と瀬渡し船の船長を60年余り続けて今なお現役である。キンメ漁はきついけれど、85才まで続けると言っている。見方によってはイチローより立派かもしれない。
わいは明晩の夜行船で、その船長におめでとうを言いに行く。
船長が元気なことは何にもましてありがたいことだ。



















 

2016年05月02日

203話 アホにもバカにもなり切れなかった

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わいは人気の絶えた深夜の街を歩いていた。通りの所々に薄汚れた街灯が立っていて、薄暗い光で瀕死の街並みを照らしていた。
森閑としたアーケードを歩いていくと、街灯の下に路地の入り口がぽっかりと口を開けていた。試しに踏み入ってみると、その先には細いどぶ板通りが続いていた。路地の両側には貧相な家屋がひしめいていたが、そのどこからも灯りは漏れてこなかった。








 

 






しばらく行くと、かなりの音量でオルゴールの音が聞こえてきた。真夜中にオルゴールとは何事だろう。
どこから聞こえてくるのだろうかと聞き耳を立ててみたが判然としない。ふと気が付くと、オルゴールの音はいつの間にか電子音に変わっていた。その時、はたと気がついた。
わいは釣り宿で夢を見ていたのだ。電子音は、昨夜セットした携帯のアラームだった。








 





時刻は午前3時、足腰は痛むがそろそろ起きろという合図なのだ。
わいは暗がりの中で、天井から下がった蛍光灯の紐を手探りで探して、ようやく部屋に明かりを点けた。脱ぎ捨てておいたシャツやズボンを素早く身に着けると、瞬く間に釣り仕度を整えた。最後に、ヘッドランプを帽子に着けて、玄関のたたきで磯タビを履くと、扉を開けて暗闇の中に踏み出した。

釣り宿の外は雨であった。さすがに夜気が冷たい。待ち構えていたように風が吹き抜けた。帽子につけたヘッドランプの光輪の中を矢のように雨粒が落ちて行く。暗い夜空から無数の雨粒がわいの首筋に落ちてきた。周辺で木立が騒いでいる。







 







前日は風もなく、よく晴れた釣り日和だったが、夜半から下り坂となって、船長の予想通り、悪天候となった。雨や風はあってもこの程度なら躊躇することはない。わいは玄関内に取って返して雨合羽を着こむと、再び雨の闇夜に飛び出した。
駐めて置いた軽ワゴンに乗り込むと、すぐさまエンジンをかけて発進しようとしたが、フロントガラスにびっしり付いた雨滴が見事に出鼻を挫いてくれた。
風はナライ(北東風)である。しかも結構吹いている。その上雨ともなれば、入れる磯は自ずと限定されてしまう。








 






うねるように曲がりくねった三宅島一周道路を、わいは坪田から阿古に向かって走っていた。
途中、ツルネ入り口の高台の森に差し掛かった時、車を路肩に停めてわいは思いあぐねた。このままこの森に入っていきたいが、山中のぬかるんだ悪路を無事通過できるだろうか。
ふつうなら、山中を数百メートルも走れば終着点に到達するが、この雨である。山中至るところ蔦やブッシュが密生していて、しかも急勾配の悪路である。軽ワゴンは四駆でないから、一度ぬかるみに嵌まってしまえば動きだせない。しかも、終着点にたどりついても、目的の磯はずっと先にあるのだ。






 





もし、ワダやヤシイケの磯に入るとすれば、断崖下の大岩の崩落地帯や崩れかけた岩の隙間を縫って歩かねばならない。それだけでも背筋が凍ってしまうのに、その上、いくつもの溶岩の山を昇り降りしなければならない。30分以上歩く行程なのだ。それに、雨、風、闇の三重苦である。

ふつうのひとならこの辺で諦めてしまうだろうが、釣りバカは腰が引けても目をつぶって行ってしまうのだ。リスクを覚悟すれば、どこにでも行けるのである。ハハハハ、ハ








 





とはいえ、わいはワダやヤシイケは敬遠して、比較的楽で安全なヤナガネに入ることにした。
軽ワゴンは魑魅魍魎の跋扈する森の中を、ヘッドライトで悪霊を打ち払いながら、なんとか終着点にたどり着いた。車を降りたわいは地獄のような暗闇の中で、ヘッドランプの光を頼りに背負子に荷物をまとめ、ロッドケースを片手に崖伝いに降ろうとした。ところが、オーマイガッド!突如、待ったがかかったのだ。
ふだんは何でもない枯れ沢が、雨を集めて濁流となり、崖上から滝のように噴き出している。
恐れ入谷の鬼子母神である。崖を降りるどころか、崖には何人たりとも近づけない。手も足も出ない。
わいはアホにも釣りバカにもなり切れず、黙って宿に戻るしかなかった。




















2016年04月09日

202話 そうでもねえんだよ

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三宅島二日目の釣りは未明の午前4時からカドヤシキに立ったが、夜明け前の暗いうちこそ良型オナガが上がったが、夜明けとともに湧き上がってきた木っ端グレの群れに、手も足も出ぬほど翻弄されて早上がりを余儀なくされた。
わいは光明丸に戻って遅い朝食を摂り、帰り支度を済ませると、自分の部屋でトドのように転がっていた。いつの間にか寝てしまったが、気がついたら、防災無線のカリオンが鳴って正午を報らせていた。
上りの連絡船は錆が浜港を13時40分に出港する。出帆港へはムツミが送ってくれるはずだ。








 






出発までにまだ時間があったので、光明丸の庭先を出て海岸線に降りる林の道を散策してみた。道の両側からはオリーブ色の椿の葉が枝を伸ばして緑のトンネルを作っていた。分厚い枝や葉の隙間から木漏れ日がちらちらと射してくる。椿トンネルの向こう側にはアシタバの萌黄色が広がっていた。
わいが春の景色に浸っていると、遠くでわいを呼ぶ声がした。耳を澄ますと船長の声である。踵を返して庭先に戻ると、軽ワゴンの傍らで船長が、「おめえ、どこをウロウロしてたんだよぉ。」と怒声を上げた。








 






なんか用があったのと訊いてみると、「おれが錆が浜まで送っていく。早く乗れっ。」とせかされた。
見送りに出てきたおばさんに、ありがとう、また来るね、と言って助手席に乗ろうとすると、「じいさんが送っていくのかよぉ。」とガラス戸を開けてムツミが顔を出した。
船長が軽ワゴンをバックさせようとすると、「おやじーっ、車の下にノラ猫が寝てるよぉ。」とおばさんが大声を上げた。






 






そう言えば、だいぶ前から体の大きなノラ猫が後部バンパーの下で横たわっていた。
春の日を浴びて日向ぼっこかと思っていたら、ムツミ曰く、「こいつは6歳ぐらいのオスで、この辺のノラのボスだったんだけどよぉ。もうおしまいなんだよなあ。死にかけてんだよぉ。」とノラの頭に手を置いた。
ノラの女神と言われるだけあって、ムツミは光明丸周辺のノラについては細大漏らさず知っている。
「かわいそうだけど、しょうがねえなぁ。」と言いながらノラを撫でようとすると、「汚ねえから、さわんじゃねえっ。」とおばさんが
制した。







 






それは汚いを通り越していた。元の白い毛は汚れ放題汚れているし、皮膚病なのだろうか、いたるところ毛が抜けて爛れていた。船長はこのノラが嫌いで、以前は棒で追っかけ回していたというが、面構えは未だにふてぶてしい。
「まだ、下にいるよぉ。」のおばさんの声に、船長はエンジンを何度か吹かしたが、一向に立ち去る気配はない。おばさんが運転席のそばに来て、「だめだあ、ぜんぜん動かねえ。」「こいつはもうあの世に行くんだとよぉ。」とムツミの話を船長にしていると、いつの間にかノラ猫はよろよろと立ち上がった。ムツミの言うとおり、死期が迫っているのだろう








 






ところで、船長は2、3年前に五十肩になって腕がぜんぜん上がらなくなった。だいぶ治ってきたようだがまだ完治していない。その日もわいが見ていると、両手でハンドルの下側を持って運転していた。腕が上がらないから、ハンドルの下側を持って小刻みにちょこちょこ動かしている。
痛いのは分っているが、優しい言葉や同情は却って船長を弱気にさせてしまうし、90才現役漁師構想にも支障をきたしてしまうだろう。84才ともなれば、どこにガタがきてもおかしくないのだ。







 





光明丸から錆が浜までは車で15分ほどだが、船長は一周道路をゆっくりと走っていた。出港時刻までにまだ時間があったのと、ハンドルがスムースに操作できないからだ。
途中、ニッパナの上り坂の頂上で船長は車を停めると、運転席から穏やかな海を眺めて、「もう、すっかり春だよなあ。」と漁師に似合わぬセリフを吐いた。
明るい日差しを浴びて三宅島の海は、風になびく銀箔のように、さざ波がキラキラと輝いていた。山腹を覆う木々の緑も一段と豊かさを増していた。









 








「春は来たし、船長は元気だし、天気もいいし、いいことづくめだねえ。」とわいが言ったら、「そうでもねえんだよぉ。ナカムラ、」とわいの言葉を打ち消して、船長は3年前の大けがの話を始めた。

それは3年前の秋のことだ。大型台風の進路が急に変わって、三宅島を直撃する気配が濃厚となり、台風はますます勢力を強めていた。仲間からの緊急連絡を受けて、大雨の真夜中、船長は10キロ先の阿古の漁港に急いだ。









 






台風が接近するというので、船長は光明丸を坪田漁港から安全な阿古漁港に移していた。事前にそれなりの手は打っていたが、直撃となれば話は別だ。もっと厳重に船を繋いでおかねばならない。漁師にとって船は命なのだ。

阿古漁港に到着すると、船長は真っ暗な岸壁を小走りに走って光明丸に急いだ。漁港の岸壁にはすでに何十艘という漁船が繋がれていて、その係留ロープがくもの巣のように岸壁を這っていた。暗闇で慌てていた船長は、そのロープの1本に足を取られ、ズッデンドォーッと転倒してしまった。そのはずみで、額と顔面を岸壁で強打して失神してしまった。暫くして気付いたら、額や顔から激しく出血していたそうだ。







 






船長が大けがをした数日後、わいは何も知らずに三宅島に渡ったが、ムツミやおばさんから「じじいはそそっかしいから、もやい綱に引っ掛かって大けがしたんだよぉ。」「死ぬかとおもったよぉ。」と腰も抜かさんばかりの話を聞かされた。傷は大けがであったが致命傷にはならず、顔と額に大痣とタン瘤を作っただけで、2か月ほどで治ってしまった。

ところが船長曰く、「あんときゃ言わなかったけどよぉ、脇腹と太腿も酷く打撲してたんだよぉ。治ったと思っていたら、その傷が今頃になって痛み出してきやがった。齢とるってことは大変なことだよぉ。」としみじみ述懐してくれた。










 









数年前まで三宅島の山の斜面は月面のように焼けただれていた。13年前の噴火とその後に噴出した火山ガスのせいである。かつては緑豊かだった三宅島の森も白骨砂漠と化していたが、その白骨も緑に包まれて目立たなくなった。
「緑がだいぶ回復してきたねえ。あと10年か20年で、元の三宅島に戻るかな。」と話題を変えると、「いや、元に戻るにゃ100年はかかると思うよ。」と船長なりの考えを口にした。
遠目に強い船長はいつも雲か霞の彼方を見て、「ほれ、あそこに船が見えるだろう。」と教えてくれるが、今日のニッパナ沖には白い靄がかかって、連絡船の船影はどこにも見えないようだ。




















 


 

2016年03月23日

201話 見切り千両というからね

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わいとはあまり関係ないが、あと数日もすると彼岸の三連休である。台風並みの低気圧の通過で、昨日まで大荒れに荒れていた海もやっと小康状態を取り戻し、今夜あたりから高気圧圏内に入って海も穏やかになりそうだ。と思っていたら、三宅島行きの連絡船が竹芝桟橋を出港して数時間後の真夜中、船が太平洋に乗り出したあたりで、大きく動揺して左右に揺れ始めた。
トイレに目覚めたわいが狭い廊下を歩こうとして、まるで酔っぱらったように身体が揺れて真っ直ぐに歩けない。そう言えば出札口で、「三宅島行きは条件付き出港となっています。」と断りが入っていた。








 






条件付きとは、気象条件や海上模様、波やうねりの状態如何で、連絡船が寄港地に入港できない惧れがあるということで、接岸できなければ欠航となる。とは言え、三宅島には大型船の入港できる港が三つあり、風や波、うねりの状態に応じて、東側、北側、西側の三つの港を使い分けている。この程度の時化なら、そのどこかに入港できるはずだ。
前夜の気象予報では、明日は北東風なので、連絡船は西の港に入港すると予想していたが、予期に反して北の伊ケ谷に入港した。伊ケ谷港は光明丸のある坪田地区の反対側にあるから、三宅島一周道路を30分も走らねばならない。









 






午前5時、船の灯りに照らされてタラップを降りると、岸壁はまだ真っ暗な夜であった。舷側の灯と岸壁の照明灯が届かぬ場所は黒々とした闇に包まれていた。闇の深さが際立って濃い山の中腹に、緑の信号灯が連絡船に向かって丸い光を放っていた。
岸壁に降り立ったわいは、カギの字に伸びた長い岸壁を200mほど歩き、村営バスと迎えの車が10数台停まっている駐車スペースのあたりで付近を窺うと、暗がりのなかに船長と思しき影がぽつんと立っていた。おはようございますと声を掛けて近づくと、「車はあそこだっ。あと三人来るから待ってろっ。」と言いながら、船長は闇に向かって目をこらしていた。







 





わいがワゴン車のリアゲートを上げて待っていると、3人連れと船長が話しながらやってきた。顔はよく見えないが、日帰りで来る船釣り客のようだ。それぞれが荷物やクーラーを荷物室に積み込んだが、ひとつのクーラーは90リットル、あとの二つは70リットルであった。ちなみに、90リットルのクーラーに魚と氷を満たしたら、総重量は100キロを超えてしまう。磯釣りと違って船釣りの釣果は格段に大きいのだ。

車が港の坂道を上り切って、曲がりくねった一周道路に出た途端、ゆで卵のような火山ガスの臭いが車内に漂ってきた。後部座席の客が、ガスくせぇなあと声を上げた。すると船長はすかさず、「ガスなんて臭わねえよぉ。」「そうだっ、ネコッ、おめえが屁こいたんだろう。」とその客の上げ足を取った。
客は常連であだ名が「ネコッ、」というらしい。ネコッと呼ばれたおっさんは船長の言葉に否定も反論もせず、へへへ、へと笑っていた。








 






光明丸に到着するとわいはすぐに釣り支度に着替え、ヘッドランプを点けて暗い物置からバッカンや磯タビを持ち出した。
しばらくすると夜が明けてきた。夜明けが早くなった。一月前には6時過ぎても暗かったのに、今は5時半ごろに明るくなる。磯に出る前に腹ごしらえをしておこうと食堂に入ると、おばさんが茶を淹れてくれた。
茶を飲みながら塩むすびを食べていると、「きょうはどこにへえるの?」と問いかけてきた。すぐ下のカマカタにしようかなと答えたら、自分自身の迷いも吹っ切れた。2週間前、カドヤシキで大釣りしたが、釣れすぎて翌朝はまったく釣りをせず、近くの釣れそうな場所をあちこち偵察してみた。その時、面白そうな磯をひとつ見つけていた。今日はその磯に賭けてみることにした。







 






大釣りが保証されたような磯より、見捨てられた二級磯の方がサプライズがあって面白い。丁と出るか半と出るかは運次第だが、ともかく博打を打つのは楽しいことだ。
塩むすびを食べ終わり、わいは予定の荒磯に向かって軽ワゴンを始動させた。ところが、光明丸の急坂を下り、海際に出た途端、目に入ってきたのは荒磯に襲い掛かるうねりだった。いくつものうねりがあちこちで弾けていた。それが半端でなかったから、瞬時に博打はご破算にした。
カマカタがNGなので、その先にあるズナゴを考えた。ズナゴには1年以上行っていないが、行く価値はある。それに、ズナゴはV字型に切れ込んだワンドだから、最奥にうねりに強い場所がある。







 





逡巡しても埒は明かない。わいは海岸近くの高台に車を駐めると、背負子を背にしてズナゴの磯に降って行った。ズナゴのワンドは激しいうねりに真っ白く泡立っていたが、わいはうねりの死角に釣り座を構え、手早く仕掛けを作って、白くさらした海面に第一投を打ち込んだ。
ズナゴは荒れた時がチャンスなのだ。棚を何度も変えながら、仕掛けを打ち込んで30分ほど、棚二ヒロでやっとウキが消し込んだ。軽く合わせるとぐんぐんぐんと強烈な引きである。5分ほどやり取りをして取り込むと、40センチのオナガだった。幸先のいい出足である。その10分ほどあとに次のアタリがあって、今度は35センチのオナガだった。






 





この分だと、釣れ過ぎて困ることになるかなと皮算用していたら、それから後は手の平サイズの木っ端しか来なかった。恐らく、黒潮の接近で水温が上がり、木っ端天国になってしまったのだ。その後も辛抱して釣っていたが、やはり木っ端しか来ない。木っ端の入れ食いである。釣っては逃がし、釣っては逃がししていたが、60匹以上釣ったろうか。
途中、塩むすびを食べていると、背後でカラスが鳴くので振り返ると、新聞紙にくるんだ付け餌が突つかれていた。気づいた時には時すでに遅く、半分以上食われていた。食い残しの付け餌でも、選別して使えると思ったが、ほとんどが千切れてぐちゃぐちゃになっていた。
木っ端相手ならそれでも十分だが、3時過ぎたら、それすらなくなってしまった。







 



 


翌朝は深夜1時頃に目が覚めた。外は猛烈な雨であった。時折、雷鳴さえ聞こえる。
屋根を打つ雨音、庇を叩く雨音、木々の枝葉を揺らす雨音が交錯し、壮大な交響曲を奏でていた。これでは釣りにならない。もう一寝入りすることにした。
再び目が覚めたのは午前4時だった。慌てて支度をすると、荒磯をあまり歩かなくてすむカドヤシキに急行した。寝すぎたおかげで雨はすっかり上がっていた。背負子を背に、森の中の小道を抜けて境界点のブッシュに立つと、闇の濃さより更に黒々とした御蔵島の空に、時折、稲妻が走って島影を浮かび上らせていた。





 

 

 
 





夜明けまであと1時間余り、わいは大急ぎで仕掛けを作ると釣り始めた。10分もたたぬうちに40センチ弱のオナガがきた。直後に今度は30センチである。またもや大釣りになるかと浮かれていると、その後はサバ、サバ、サバのオンパレード。まったく本命に届かない。そうこうしているうちに夜が明けてしまった。

夜が明けたら、木っ端とじゃみの饗宴である。投げた付け餌が3秒ともたない。着水と同時に食われてしまうのだから手の打ちようがない。潮の悪い時にジタバタしても仕方がない。見切り千両というから、8時過ぎに切り上げて、宿に帰ってのんびりすることにした。
今回の三宅島は天候が回復して、まるで春のような陽気だった。初日は風こそあったが、日差しが初夏のように強くて、顔が真っ赤になるほど焼けしてしまった。




















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