夜更けの街角の精霊             崇神天皇の皇子の陵墓 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 

人間たちが寝静まった夜更けの街

それは猫と精霊物の怪の散歩道

人ならぬ者たちのカフェもオープン

そこに迷い込む人間に幸いあれ

 

(画像と本文は直接の関係はありません)

 

 

 連れ合いの癌治療は良好に経過していて、今のところ差し迫った状況ではない。とはいうものの、通常の生活ではないわけで、山歩きの時間は取れず、バイクのライド&ハイクからは遠ざかっている。それでも時間ができれば史跡に向かってバイクを走らせる。

 5月26日(日)、崇神天皇の第一皇子の陵墓と伝えられている茨城県石岡市の丸山古墳を訪ねた。崇神天皇といえば神話と歴史の境目の天皇。実在したかどうかはわからないが、実在の可能性も考えられている。その第一皇子の陵墓(丸山古墳)が東国の坂東の地にあるとは不思議なものだ。軍団長としてこの地に派遣され、そしてこの地で没したのか、あるいは東国の有力者とよしみを結ぶために大和政権が送り込んだ高貴な客人(体のいい人質)だったのか、それは神話と歴史の境目の時代のこと。よくはわからない。弟が皇位を継いだといわれるし、いろいろ想像できて興味が尽きない。

 バイクを走らせ、土浦市で6号パイパスを降りて、朝日峠のトンネルを抜けると八郷盆地。筑波山系の山々に囲まれた広々とした盆地で、なかなか開放感のある盆地だ。丸山古墳は盆地中央部の丘陵地帯にある。

 排気量110ccの小型自動二輪、スーパーカブ110プロを古墳公園の駐車場に置く。中古の小型バイクだが、バイパスは4輪車に混じって楽々走れるし、合流はむしろ4輪車よりやりやすい。ギアを3速に落とせば峠道も不自由しないし、舗装された林道では小回りがきいて便利だ。

 丸山古墳のすぐそばにある佐志能神社。旧八郷町の市街を見下ろすこの神社には陵墓の主である皇子が祀られているとも伝えられている。

 小社ながら落ち着いた趣のある拝殿。夏に涼しければ涼みに来るのもよいと思うが、標高が低いので、どんなものだろう? この裏手が陵墓。

 このあたりの丘陵は中世から戦国にかけて城郭として使われたようで、これはおそらく空堀の跡ではないかと思う。

 空堀らしき場所を過ぎると丘の上の古墳。墳丘を囲むようにこのような古樹が立ち並ぶ。墳墓は4世紀ごろのものとされるが、まさかその頃からある樹ではないだろう。

 墳丘全体を撮ることができず、その上部を写してみた。大規模な調査も行われていて、その後の保存状態も良さそうだ。

 八郷盆地に来たからにはやはり峠越えをしたい。筑波山北部の山並みを越える峠を目指し、関東平野に降りて家路につく。バイクと歴史の小さな旅だ。

 

 

 さて、我が家の新参仔猫のスモモと古参猫のクーさんの様子だが。

 生後6か月の小娘スモモ。相変わらずピュンピュンと走り回っている。一昨年に18歳で亡くなったサクラも、現在の先輩猫のクーさんも、どちらかというと動きの小さい仔猫だったので、スモモの動きに目が回る。でも、やはりカワイイ。癌療養中の連れ合いも面白がっている。

 とにかくクーさん大好きのスモモにまとわりつかれて閉口していたクーさんだが、スモモの動きにも慣れた様子で、ゆったりと寝そべってスモモを見ている。スモモがしつこくしすぎると前足でチョイチョイをして、「あっちへお行き。」というようにスモモを追い払う。思えば、クーさんはスモモと対照的に、仔猫の頃からノロマで、その鈍重さがとてもユーモラスで、可愛かった。今は老猫なのだが、あまり変わった感じがしないのは、仔猫の頃から動作が緩慢だったからかもしれない。そして性格は、どこまでも穏やかだ。

 

 

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