アメリカ駐在から帰国したのが2003年7月始め。
そこから娘が高校を卒業するまで、
3年の別居を経て、
2006年から同居が始まった。
光陰矢の如し、と言うけれど、
間もなく丸20年が経つ。
まあ最初の頃は良かったのよ。
義父もまだ元気で義母の世話もしていたし、
食事の世話と通院位で済んでたしね。
でも同居から3年足らずで、
義父が脳梗塞を起こして、
運動機能にはそれ程酷い後遺症は出なかったものの、
脳血管性認知症が出始めた。
そうなると1人で留守番をさせておくのが危険になって、
義母が大腿骨頚部骨折で、
人工骨頭置換手術を受けた時は、
リハビリ含めて4ヶ月入院したので、
あの頃は大変だった。
ダンナは2度目のアメリカ赴任になり、
単身渡米していたし、
当時は病院に着替を届けに行く、というルーティーンもあったしね。
唯一義父が行っていた、
リハビリのデイサービスの時は、
その間に病院行って買い物して銀行行って、と、目が回りそうだった。
それでも私が恵まれていたのは、
近くに住む義弟の奥さん、
つまり義妹になるんだけど、
週に1回は代わりに行ってくれたこと。
後1回は、義父を連れて行ったりもしていたな。
当時は子供達に留守番を頼んで、
病院へ車を飛ばしたりもしたっけ。
今思えば大変だったけど、
ヘルパーさん含めて、
沢山の人にに助けて貰ってたんだなぁ、と思う。
有難い事に。
今はダンナと2人で義母1人の介護だから、
楽にはなってるはずなんだけど、
その分しないといけない事も増えているし、
何よりこっちも年を取った。
20年前と言えば、
まだ40代半ばだった訳で、
そりゃ元気だわ(笑)
ここまできたら100歳目指せ!とか言ってるけど、
正直息切れもしてきた。
今年の秋に結婚して40年になるんだけど、
半分以上、同居介護してきたんだ、と思うと、
気が遠くなりそうだ😅
それでも放り出す訳にはいかないし、
ダンナは割と他人事だし、
その割にはやってます感を出すのでイラッとするし、で、
永遠に続く訳では無いとは分かっているんだけど、
終わりが見えないのはしんどいな、とも思う。
こんな事言ってて、
実際に義母を見送ったら、
なんか気が抜けてガックリしてるかもしれないけどね。
よく子育てが終わったら、
空の巣症候群になる、とか言うんだけど、
私は薄情なのか、
子供の時はそれは全くなかった。
むしろヤレヤレだったな。
後は自分の足でしっかり生きていってくれ、って感じで。
介護に時間取られて、
それ程子供に手を掛けて無かったからかもしれんが(笑)
だけど望まなくても義両親には、
金銭面も含めて、
物凄く手が掛かったので、
それが無くなると自分がどうなるのかよく分からない。
肩の荷が下りて弾けるか、
気力が萎えて無気力生活になるか。
さあどちらでしょう?
