ほんのわずかな時間も無駄にしないという意味で、次のような言い方をしたことはありませんか?
「寸暇を惜しまず勉強に励みます」
実はこの言い方は間違っています。
どこが間違っているのか、正しくはどう言うのか、答えられますか?
正解は「寸暇を惜しんで勉強に励みます」となります。
「寸暇」とは、ほんの少しの空き時間のことを指します。
「寸」は昔使われていた長さの単位で、「暇」は「ひま」のことも読みますので、「寸暇」と組み合わせて使うと「ほんの少しの時間」という意味になるのですね。
平成22年度に実施された「国語に関する世論調査」では、本来の「寸暇を惜しんで」を使う人が28.1%だったのに対して、「寸暇を惜しまず」を使う人が57.2%いたという結果が出ています。
なぜこのような間違いが増えているのでしょうか。
おそらく、「惜しむ」という言葉は「別れを惜しむ」のようにネガティブな意味で使われるイメージが強く、「無駄にしない」という意味で使うなら「惜しまず」のほうがしっくりくると感じる人が多いのでしょう。
「惜しまず」とセットで使う言葉としては、
- 骨身を惜しまず仕事に取り組む
- 身命を惜しまず従事する
などがあります。
「骨身」も「身命」も自分自身の体や命そのもの意味を指すことから、本来なら惜しむべきものです。
惜しむべきものを惜しまないということは、それだけ本気で、一生懸命に取り組むということが伝わるわけです。
これに対して「寸暇」はそもそも「ひまな時間」のことですから、どうしても惜しまなくてはならないものではありません。
惜しくないものでも惜しいと感じ、「ひま」にしないで仕事や勉強に充てていくわけですから、それだけ熱心に取り組みたいという意味になるのですね。
ちなみに、「暇」は「余暇」のようにも使われます。
英語で言うところのvacationですから、しっかりと休んで英気を養い、休暇明けの仕事に備えるといった意味合いで使われることも多くなっています。
休む=暇を持て余している、といった捉え方ばかりではなくなっているわけです。
そのため、「寸暇」は「惜しむべきもの」なのか「惜しむべきではない」ものなのか、分かりにくくなっている面もあるでしょう。
言葉は、その時代の風潮や価値観の影響を受けます。
「エネルギーを充電して休み明けに備えればいいのに、その『寸暇』さえも仕事や勉強に充てる」という意味で使われているとすれば、「寸暇を惜しまず」も今後は違和感がなくなっていくのかもしれません。
本来の使い方としては「寸暇を惜しんで」が正しい日本語です。
混乱しないように覚えておきましょう。