皆さま、おはようございます!

 

前回のブログ徳島線・川田(かわた)駅のことを書きました。

徳島線・川田駅

大正3年、徳島線が全線開通した際に開業した駅でしたが、

この駅には数々の疑問があったのですよ。

 

まずはこちらをご覧ください。

Wikipediaに載ってる徳島線の路線図でしたけど、

現在ある川田駅は二代目の駅で、

大正3年(1914年、表に”-1911”と書かれているのは誤り?)までは、

初代駅の川田駅と、その先には船戸駅が存在してたのです。

徳島線は「徳島鉄道」と呼ばれる私鉄が前身で、

明治40年に国有化される以前は、ここが終着駅だったのですよね。

徳島線の全線開通による線路付け替えによって

旧線上にあった初代・川田駅と船戸駅は消滅しましたけど、

最初の疑問、この2駅と旧線の在処がわからん!

 

この点については、地図を確認したらすんなりと答えが見つかりました。

川田駅の西側300メートルの辺りに「舟戸地区」があり、

旧線と「船戸駅」はこの辺りに存在していたみたいです。

徳島線・川田駅

なぜここに終着駅が設けられたかと言うと、

明治時代の貨物輸送は水運が主流で、

吉野川上流から運ばれてきた貨物を「舟戸」で水揚げ、

ここから鉄道輸送によって徳島市内に運んだのではないかと。

大正3年に吉野川沿いに伸びる徳島線が全線開通したことから

水運は廃止されて、船戸駅も運命を共にしたのではないでしょうかね?

 

歴史をまとめると、こんな感じでしょうか。

・徳島鉄道の終着駅として明治33年に船戸駅が開業。

・明治40年に船戸駅の手前300メートルの位置に初代・川田駅が開業。

・大正3年に徳島線が全線開通して線路が付け替え。

 船戸駅、初代・川田駅が廃止され、新線上に現在の川田駅が開業。

 

となると、ここで新たな疑問が湧いてきました。

川田駅から300メートルしか離れていないこの場所に、

なぜ船戸駅か存在してたのか?(開業は船戸駅→川田駅の順です)

そしてもうひとつ、

初代・川田駅がわずか7年しか存在しなかった理由です。

「旧線が廃止されたのだから仕方ねーべや!」

って言われるかもしれませんけど、

そこには何かしら理由があったのだと思うのですよね。

 

船戸駅があった時代の航空写真があれば

答えが簡単に見つかるのかもしれませんが、

船戸駅が廃止されたのは100年以上も前の話です。

そんな古い写真はさすがに見つからず…

そこで、昭和22年に撮影された川田駅周辺の写真がありましたので

見てみたのですけど、そこには驚きの事実が!

現在の川田駅から西方に緩やかにカーブする線路がありました。

 

この線路、新線の付け替えによって廃止された旧線だと思いますが、

その先を辿ると…

ホームらしきモノがあるじゃないのよ!

徳島線・川田駅

徳島線と並走する形で伸びてるホームが見えます。

おそらくこれが、大正3年に廃止された船戸駅なのでしょう。

駅から吉野川に道(緑線)が伸びてますが、

この道を伝って鉄道と吉野川水運が結ばれていたのだと思います。

 

しかし、この写真が撮られたのは

船戸駅が廃止されてから33年後のことで、

なぜ駅施設がそのまま残されていたのかという疑問も。

この答えは昭和28年刊行の専用線一覧で確認出来まして、

吉野川から産出される川砂利を輸送するために、

船戸駅は川田駅の構内施設に変わって

戦後もしばらくの間は利用されてたみたいですね。

 

…ということで、川田駅の跨線橋から見えたこのカーブ、

大正3年に廃止された徳島線の末端区間で間違いないかと。

徳島線・川田駅

 

せっかくなので、このカーブを歩いてみました。

まずはカーブから見た川田駅の様子です。

徳島線・川田駅

奥に川田駅の跨線橋が見えますよね。

現在の徳島線はこのカーブよりやや北側(吉野川寄り)にありますので、

大正3年に廃止された初代の川田駅は、

現在の位置よりもやや南側(山寄り)にあったと思いますが…

 

川田駅方向をちょっと離れた場所から見る。

徳島線・川田駅

 

カーブを更に進んでみました。

徳島線・川田駅

 

道はやがて住宅地の中に入ってゆきます。

徳島線・川田駅

この辺りは古い家屋が散見されますけど、

昔、駅近くだった頃の名残かな?

 

更に更に道を直進。するとそこで驚きの建物を発見!

徳島線・川田駅

これって給水塔じゃないの!?

 

手前側にはやたらと高い煙突もありましたよ。

徳島線・川田駅

 

ひょっとしたら、蒸気機関車が運行されてた頃に使われていた、

徳島鉄道があった時代からの給水塔?

そんな思いでワクワクしながら見てたのですが、

そこに敷地の主さんが現れたので、この給水塔について聞いてみました。

徳島線・川田駅

この施設が使われていたのは遠い昔のことで、

あくまでも先代さんからの聞き伝えという注釈がありましたが、

主さん曰く、ここにはかつて製糸工場があり、

給水塔はそこで使われていた施設だそうです。

奥に見えるタンクや煙突も、それらの施設だったみたいですね。

あらま、鉄道で使われていたモノじゃなかたんだ。

 

いろいろ調べてみてたら、

現在の吉野川市一帯はかつては養蚕産業が盛んな地域で

徳島線沿線では、製糸工場の高い煙突が各地で見れたらしく。

ちなみに、川田駅の南側の空き地で見たこの煉瓦積みですが…

徳島線・川田駅

こちらも製糸工場の一部だったみたいですね。

この時、工場は解体作業の真っ只中でしたので、

今は跡形なく姿を消しちゃったかもしれません。

 

なお、かつて船戸駅があった場所ですが、

現在は船戸団地が並んでいる模様。

住所が「舟戸」なのに対して団地名は「船戸」。

船戸駅があった名残り…ではないですよね?

徳島線・川田駅

 

給水塔があった工場前の空き地で、

数多くの鉄道境界杭を見ることが出来ましたよ。

徳島線・川田駅

 

空き地は枕木で出来た柵で囲まれておりました。

徳島線・川田駅

ここもかつては船戸駅(のちに川田駅)の構内だった場所。

製糸工場で生産された製品も、鉄道貨物を利用して出荷していたようです。

昭和28年の専用線一覧には

「郡是製糸」「川田醸造」の2社が砂利線沿線に名を連ねてましたが、

昭和39年の専用線一覧にその名はなく…

船戸駅廃止後に専用線として生き延びたこの線路も、

昭和30年代には廃止されたのかもしれません。

 

それと、初代の川田駅が

船戸駅から300メートルしか離れていない場所に造られ

わずか7年間で廃止された理由ですが、

この駅は徳島線を延伸する際の

物資輸送の拠点として造られたのではないかと。

元々、廃止前提で設けられた駅だったのではないでしょうかね?

 

…以上、妄想モード全開で

大正3年に廃止された船戸駅、初代の川田駅のことを探ってみました。

あくまでも自分の中の妄想で書きましたので、

史実と番っていた場合の責任は取れませんので念のため。

 

最後に、ここで見た煙突は徳島線の列車の車窓からも見ることが出来ます。

徳島線・川田駅

この付近がかつては徳島線の終点だったことを思うと、

不思議な気持ちになれること間違いなしです。

ただし鉄道ファン、中でも廃線ファン、駅ファン限定。

 

 

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