TRIQUETRA ~Tributary Zone~ -38ページ目

TRIQUETRA ~Tributary Zone~

2代目のブログです

その体験が起こったのは。

2年生になってすぐの頃だったけど。。。

 

 

2年生になると。。。

 

時事問題とか社会情勢とか。

そういう分野を扱う科目が、追加される

ようになった。

 

多分。。。

就職に備えて。

 

 

 

ひとつの科目は、毎日授業があって、

担当は、イギリス人の男性の先生だった。

 

 

彼のあだ名は、、、「モナキー」

 

 

モナキーって、「Monarchy」のことで、

「君主制」って意味なんだけど。。。

 

先生が授業中、イギリス英語の発音で、

「モナキー」って連発していたのが、

すごい印象的でね。

 

みんなでよく、モノマネしてるうちに、

いつの間にか、あだ名になってた。

 

もちろん、生徒たちの間でだけね(笑)

 

 

そのクラスでは、、、

世界の、主に政治経済系の歴史とか、

あとは、社会の仕組みについてなんかを、

勉強していた。

 

 

そしてあの頃は。

 

・・・というか、いつもだけど。

 

実際の世界が揺れていた。

 

 

ソ連のこととか。

ドイツのこととか。

ルーマニアのこととか。

 

 

私たちは、歴史や仕組みを習いながら。。。

 

同時進行で、今現在、世界で起こっていることを、

毎日毎日、授業の中で追っていた。。。

 

 

 

もうひとつの科目は、週1回くらいで。

そのクラスの教科書は、面白いことに、、、

「新聞」だった。

 

先生は、日本人のおじさん。。。

 

あんまり先生って感じがしない、

普通のサラリーマンのおじさんみたいな

先生だった。

 

 

あの学校は、構内では日本語禁止で、

特殊なクラス以外では、日本人の先生ですら、

ずっと英語で話してた。。。

 

だから、その先生もいちお、

英語で授業をしてたけど、

 

「めんどくせ~」

 

とか言って(笑)

 

たまに、日本語使ってた(笑)

 

 

そういう、ちょっと、不真面目な先生。

私は、、、けっこう、好きだった(笑)

 

 

その授業でもある時、、、

ひとりひとり、何かテーマを決めて、

スピーチをする。。。なんてことがあり。

 

時事問題系の。

 

 

私は、たしかその時。

 

「オゾン層問題について」

 

というテーマを選んだ気がする。。。

 

 

あの頃ってちょうど。

 

オゾン層の穴について。

騒がれ始めた頃だったと思う。。。

 

 

********

 

 

こんなことを書いたけど、、、

 

イギリス人の先生に、「モナキー」って

あだ名がついたり。

 

オゾン層のスピーチをしたりしたのは、、、

 

電車の中での、あの体験をしてから、

ずいぶんあとになってからのことでね。。。

 

 

要は。。。

 

2年生になったら、

そういうクラスも始まっていたということで。

 

だから、その頃の私は、、、

世界のこととか、今の社会情勢とか。

 

そういうことに、関心を向け始めた頃でも

あったので。

 

 

だからね。。。

 

あの体験のあと、私は電車の中で、、、

ああいうことを考えたのだろうな。。。

 

・・・って思ったんだ。。。

 

 

 

あのあと。。。

電車の中で、いろいろ考えた。。。

 

 

それをそのまま書いてしまうと、、、

不快になる人もいるかもしれない。。。

 

 

だけど。

 

10代の時の私が、あの時思ったことを。。。

記録として、そのまんま書いておこうと思う。。。

 

 

********

 

 

通常の意識に戻ってしばらくすると、、、

だいぶ、落ち着いてきた。

 

その時、、、ヒシヒシと感じていたことは。。。

 

 

今自分が、こうして、人間になりきって。

現実だと思い込んでいるこの場所で、

こうして生きていること。

 

それって本当は。。。

なんて、貴重なことだったんだろう。。。

 

・・・って。

 

そういう実感だった。

 

 

こうして、ここに存在しているというだけで。。。

ただ、それだけで。

 

それは、もう、

本当に、素晴らしいことだったんだ。。。

 

・・・っていう実感。。。

 

 

それは、私だけでなく。

他の人も、みんなそう。。。

 

みんなが同じように、貴重で。。。

 

・・・というか。

 

「そこに、自分ではない人がいる」

 

・・・って、思いこめることが、、、

こんなに、すごいことだったなんて。。。

 

・・・と。

 

そんなことに、感動していた。。。

 

 

本当は、全員自分なのに、、、

今は、「他の人」だと思えていること。

 

それって。。。

奇跡なの。。。

 

すごいことなの。。。

 

 

そして、そこにたくさんいる「他の人」が、

みんなそれぞれに、いろんなドラマを体験してるけど。

 

 

でも。。。

 

それって、全部、、、

本当は、「全てである私」の中にあって。。。

 

だから、、、ひいては、

すべてが自分自身の経験であって。。。

 

 

今はもちろん。

人間Lyricaとしての私にはそれは、

「私以外の人の体験」にしか思えないけど。

 

でも、いずれ。。。

あの、本来の自分の意識に還った時は、、、

 

今は、「他の人の体験」と思っていることもみんな、

実は自分だったことを実感するんだ。

 

・・・ということを、リアルで知ったから。。。

 

すべてが自分の体験だと解るってことを

知ったから。。。

 

 

すごい、ワクワクしたの。。。

 

 

これってもう、すごい!!

すごすぎる!!!

 

 

・・・って思った。。。

 

 

あぁ。。。もう。。。

 

この世界って、、、

なんて、貴重なんだって。。。

 

 

また、、、泣きたくなった。。。

 

 

 

そして、その次には、

こんなことを考えていた。。。

 

 

「結局は、みんな。。。

最終的に目指しているところは、

同じだったんだね」

 

・・・と。。。

 

 

どんな道を通ったとしても、、、

最終的に辿り着くゴールは同じ。。。

 

誰一人、取りこぼすことなく、

何一つ、取りこぼすことなく。

 

ここに存在しているものすべてが、

最後の最後には、「全てである私」に辿り着く。

 

絶対に。

 

・・・ってね。

 

 

なぜか。

それが、解った。。。

 

 

そして私は今でも。。。

このことは、疑ってないんだ。。。

 

 

宗教も、あの、心理学も、

ダンスとか音楽とか、あと科学とか。

 

そういうのもみんな。。。

 

最後に還りたい場所って、同じなんだ。。。って。

 

そう思ったの。

 

 

 

何度も書いてきたことだけれども。。。

 

高校時代のいろいろな経験を通じて、

私は、宗教が大嫌いになっていたけど。。。

 

 

まぁ、、、今にして思えば、、、

 

「大嫌い」っていうのは、そこに関心が

あったからこそで。

 

自分が本当に、そこに何の縁もなければ、

「無関心」になると思うんだ。。。

 

 

けど。

あの頃の私には、そんな自覚は、

まだまだなかったから。

 

いつもいつも、思ってたの。。。

不満や怒りの感情と共に。

 

「なんで??」

 

・・・って。

 

 

宗教やってる人って、

なんであんなに頑ななの?

 

なんで、神を信じないと罪びとなの?

 

自分の意見を言うことって、

なんでそんなに悪いことなの?

 

・・・みたいに。

 

疑問だらけだった。

 

 

そういう疑問の奥には。

 

相手を正したい気持ちとか。

自分の主張を認めさせたい気持ちとか。

 

そういう気持ちも、もちろんあった。

 

ファイティング・スピリッツみたいなのが。

 

 

でもそういうのがね。。。

いきなり、スッと形を変えたんだよね。

 

 

宗教的な教義に囚われている人たちが、、、

逆に、可哀想に思えてきたの。。。

 

 

そんな「憐み」も。

 

今となっては、それも立派なエゴだったと

思うけどね(笑)

 

 

けど、あの体験後。。。

 

そうやって、いきなり自分の気持ちが

変化した。。。

 

 

 

私に「我が強い」って言ってくる母も。

私を罪びと扱いしてきたおばさんも。

 

みんながみんな、、、

もうひとりの自分であることが、

解っちゃったから。。。

 

 

そしてみんな。

 

そういう「役」を演じながら、、、

私のドラマ作りに協力してくれていたことが、

実感として、解っちゃったから。。。

 

 

怒る気なんて、なくなった。。。

 

 

けれども。。。

 

みんな、最後に目指している場所。。。

還りたい場所は同じなのに。。。

 

ああいう役を演じてくれた

もうひとりの私は。。。

 

 

今の、人間Lyricaの目には、、、

ものすごく、遠回りしているように見えたの。。。

 

 

だから。。。

可哀想に思えてきた。。。

 

 

みんな。。。

目指しているところは同じなはずなのに、、、

 

「教義」に囚われることで、なんだかどこか、

本質とは違ったほうへと進んでしまうように見える。。。

 

 

そう感じた。。。

 

 

そしてその時、ふと、閃いたの。。。

 

 

「あぁ、そうか。。。イエスは、

これを自分で体験した人だったんだね」

 

・・・と。

 

 

これって。

 

自分自身で体験しないことには、、、

本当のところは、絶対に解らない。。。

 

私は、そう思った。。。

 

自分であれを体験したから、、、

そうとしか、思えなかった。。。

 

 

もし、イエスが。。。

 

今、私が観たものと同じものを観て、、、

そして、今、私が味わったみたいな感動をして。。。

 

それで彼が。。。

その感動を、自分の周りの人達と

共有したいと思ったとしたら。。。

 

一生懸命伝えたんだろうな。。。って。。。

 

・・・そう思ったの。。。

 

 

けど。。。

 

イエスからその話を聞いた人が、、、

自分自身でそれを体験をしないまま。。。

なんとなく、解った気になって。。。

 

それを次の人に伝えて。。。

そしてまた、次の人が次に伝えて。。。

 

・・・と、繰り返していくうちに。。。

 

それは、伝言ゲームみたいに。。。

いつしか何かが、ズレていき。。。

 

 

だから。。。

 

「教義」として、「説明されるもの」っていうのは、

矛盾だらけ。。。というか。。。

 

何かが本質からズレているんだな。。。って。。。

 

そう思ったの。。。

 

 

 

そのあたりまで考えた頃、ふと。。。

 

宗教戦争のことが、頭に浮かんだ。。。

 

ソ連とアメリカのこととか。

ベルリンの壁のこととか。

アウシュビッツのこととか。

 

そういうことも、次々と浮かんできた。

 

 

それこそ、これ。

授業の影響だよね。今思うと。

 

 

そして、そういう、「戦争」にまつわるような

ことが浮かんできたら。。。

 

ものすごく、悲しくなってきた。。。

 

 

特に、宗教にまつわる戦争とかって。

悲しすぎる。。。って。

 

そう思った。

 

 

 

ほんのちょっと前に観たもの。。。

 

「全てである私」

 

私の、、、私たちの本来の姿。

 

 

あれをもし。。。

世界中のすべての人が体験したとしたら。。。

 

戦争は絶対に、絶対に。。。

この世からなくなる。。。

 

 

その時の私は、、、そう確信してた。。。

 

 

あの「私」のことを知ったらもう。。。

 

誰かと、、、何かと、戦おうなんて気持ちは、

絶対に起こらなくなる。。。

 

そう、確信していたから。。。

 

 

 

だってね。。。

 

全部が幻想で。

全部が、本当は自分自身だと解ってて。

 

そこで、戦う気なんて、

どうやったら、起こせるんだろう?

 

 

 

でも。。。

そういう世界が実現するには。

 

宗教じゃ遠回りだ。。。って思った。

 

たった一人の人だけ解っていても、

ほんの一部の人だけが解ってても、

ダメなんだ。。。と。

 

そう、思った。。。

 

 

全員が解らなければ、、、

世界は変わらない。。。と。。。

 

 

そう思った。。。

 

 

イエスだってきっと。

一生懸命伝えたはずなのに。

 

 

イエスの時代と今って。。。

実は、なんにも変わってない。。。って、

そう思ったから。。。

 

 

けど、しかたない。。。

 

人間の頭で想像できること、

理解できることを、

はるかに超えている「あれ」を。。。

 

実際の体験なしに、、、

本当に理解することなんて、不可能なんだから。。。

 

 

じゃあ、どうすればいいの?

 

どうすれば、全員が。。。

 

自分でそれを、体験することができるの?

 

 

そうやって、しばらく悩んでた。。。

 

 

そのうちに、、、

フッと浮かんだの。。。

 

 

たとえば。

 

その装置に触れると、誰でも触った瞬間、

意識が飛んで、あの体験ができる。

 

・・・みたいな。

 

 

そんな装置。。。

そういうのがあったらいいかも。。。

 

 

誰かが。。。

そんな装置を作ってくれたらいいのに。。。

 

・・・と。

 

 

そんなことを考え始めたんだ。。。

 

あの時。。。

 

 

その日の朝までの私だったら、、、

そんなこと、絶対に考えなかっただろうって思う。。。

 

 

あの体験をする前は、、、

 

人類がどうの。。。とか。

戦争がどうの。。。とか。

 

そういうことは、どこか他人事だった。

 

 

学校のそばに出来たおしゃれなお店とか、

流行りのテレビドラマとか。

今週に行く、コンサートのこととか。

 

そういうことで、頭がいっぱいだったから。。。

 

 

本当に、あの一瞬で。。。

いろんなことが、変わってしまった。。。

 

 

********

 

 

その装置。。。

 

のちに勝手に、「悟り装置」と命名した

それについて考えていた頃。。。

 

降りる駅に到着した。。。

 

 

そして。

学校に着いて、クラスメイトと

雑談しているうちに。。。

 

 

意識はすっかり。

普段通りの日常に、フォーカスし。。。

 

 

そういう日々を過ごしているうちに。。。

 

「悟り装置」のことは、、、

もう、すっかり忘れてしまっていた。

 

 

 

あの日、電車の中で起こったことは、

クラスの誰にも喋らなかった。

 

クラスメイトどころか、、、

それから、何年もの間。

 

誰にも話すことはなかった。。。

 

 

話しても、絶対に通じない。。。

頭のおかしい人だと、思われたくない。

 

・・・と。

 

 

ずっと、、、そう思ってたから。。。

 

 

 

それと、例のあの本は、、、

 

怖かったので、封印した。

 

 

奥深く。

見えないところに、仕舞いこんだ。。。

 

 

********

 

 

つづく

その意識の中にすっぽりと入りこんでいる間は、、、

 

前回も書いたけど。。。

 

「安堵感」

 

・・・に包まれていた。。。

 

 

世界中のたくさんの国を旅して。。。

 

秘境とか荒れ地のような場所も、

あちこち探検して。。。

 

最後にとうとう、

自分の家に帰ってきた時のような。

 

そんな安心感だった。。。

 

 

 

でも本当に。。。

 

その「安堵感」って。。。

 

誰が感じていたんだろう?

 

 

 

そうやって、安堵感に包まれていたのに、、、

ここが、なんでなのかは解らないのだけど。。。

 

なぜか突然、、、あの子の顔が浮かんだの。。。

 

1年生のクラスで、、、

コミッティーをやってたあの子の顔が。。。

 

 

そうしたら急に、、、

 

「怖い!!!!」

 

・・・って、感覚が来たのだけど。。。

 

それがね。。。

ものすごい、恐怖だったの。。。

 

 

そして。。。

 

「このままだと、私、おかしくなる」

 

・・・みたいな、焦りの気持ちが出てきて。。。

 

 

そうしたら。。。

いつもの私の意識に戻ってた。。。

 

 

もう。。。

 

ポカーン。。。って感じだった。。。

 

 

 

私は電車の窓辺に立っていたけど、、、

 

意識が飛ぶ前と、戻ったあとと。

その窓から見えていた外の景色は、

1ミリも動いてなかった。。。

 

電車はちょうど、河の上の鉄橋を渡っていた時でね。

 

朝日が、河に反射してて。。。

キラキラと眩しくて。。。

 

 

その景色が、、、

全然変わってなかったの。。。

 

 

自分はいままで、

永遠の中にいたような感じがしていたのに。

 

あんなにいろんなことが解ったのに。。。

 

ここでは、、、

1秒たりとも時間は動いてなかった。。。

 

 

 

戻ってしばらくは、、、

 

呆然自失。。。

みたいな感じだった気がする。

 

満員電車の中で(笑)

 

 

 

あの頃は、、、

こういうことに関する知識なんて、

まったくなかったものだから。。。

 

自分に何が起こったのかなんて、、、

全然、解らなかった。。。

 

 

だから、、、

ちょっと、怖かった。。。

 

 

まず、、、

読んでいた本を、急いで閉じた。。。

 

この本のせいで、こんなことが起きた。

この本をこれ以上読んでいたら、ヤバイ。

 

・・・って、とっさに、そう思ったから(苦笑)

 

 

・・・と同時に。。。

 

 

自分の深い深いところにね。。。

 

今まではいなかったものが、

棲みついていることにも、気づいてた。

 

 

多分今までも、、、

それはそこにいたのだろうけど。。。

 

ずっと、息をひそめていたみたいで。

 

でも。

あの体験後は、それは堂々と、

前に出てくるようになった。。。

 

 

そして、あれ以来、、、

それはずっと、ここにいる。。。

 

 

それは。

「全てである私」としての自覚。。。

 

 

私はあの日以来。。。

 

そっちの「私」と、人間としての「私」の

意識が自分の中で、混在してる。。。

 

両方の意識を、

同時に生きるようになったの。。。

 

 

でもこの感覚を、、、

誰かに説明するのって。。。

 

すごく難しい。。。

 

 

********

 

 

「全てである私」の視点からしてみたら。。。

 

 

本当の自分の姿をすっかり忘れて。。。

 

人間としての私、、、Lyricaという人に、

ああまで完全になりきっていたこと。

 

なりきれていたことは、

ある意味、感動ものだった。。。

 

 

「Lyrica」として、赤ちゃんで生まれて、

19歳になっている今日という日まで。

 

つい、さっきまで。。。

 

 

いろんなドラマを繰り広げ。

そのドラマの登場人物になりきって。。。

 

そこに完全に巻き込まれて、

その中で、右往左往してた。。。

 

それが、ただの「ドラマ」であることも知らず。

ただの夢であり、幻想であることも知らずに。。。

 

その幻想のドラマを、唯一の現実だと信じて

疑いもせず。。。

 

それに翻弄されながら生きていた。。。

 

そんな人間Lyricaが、

なんだか、滑稽に見えた。

 

だから、笑った。。。

 

 

でも、笑ってはいたけど。。。

 

それ以上に、、、

人間Lyricaへの愛しさがこみ上げてきて。。。

 

 

あの感覚は、、、

どう表現したらいいんだろう?

 

 

愛しくて愛しくて。。。

泣きたくなった。。。

 

 

それは、Lyricaに対してだけでなくて。。。

存在している、すべてのものに対して。。。

 

 

愛してる。。。

ありがとう。。。

 

 

・・・ってね。。。

 

 

そんな気持ちが、溢れてきた。。。

 

 

 

だってね。

 

 

「全てである私」って。。。

ただ、「在ること」しか出来ないの。。。

 

全てを持ってるけど。

全てを知ってるけど。

全てを解ってるけど。

 

ただ、それだけなの。。。

 

 

そんな、ただ在るだけの「私」の望みを

叶えてくれているのは。

 

私たち人間を含む。。。

 

幻想の世界で、その登場人物になりきって

右往左往してくれているもの全て。。。

 

 

「全てである私」の中にある可能性を、

実際に表現したり、創造したりして。

ドラマを動かしていけるのは。

 

そういう。。。

 

幻想の世界の登場人物だけだから。。。

 

 

だからね。。。

 

本当の自分のことを、

思い出させないようにしたのは、

自分なの。。。

 

 

そうしないと。

 

ドラマを、実感を持って

表現できないから。。。

 

 

そのおかげで、

人間は、大変な思いもしたりしてるけど。

 

 

そういう「大変」っていうものまでをも含む、

全てを体現してくれている私たち、人間に対して。

 

 

本当の自分はもう。。。

 

 

愛してる。

ありがとう。

 

 

・・・って。

 

 

ホント、それだけなの。。。

 

 

 

突き詰めれば、人間も、

自分なのだけどね(笑)

 

そのへんはもう。。。

 

人の頭で考えるだけ、

無駄だな。。。

 

・・・って思う。

 

 

 

意識が飛んだあと。。。

 

そういう感覚が、、、

自然と、自分の中に生まれはしたけど。。。

 

人間Lyricaとしての意識がまったく

なくなるわけでもなかった。

 

 

そんな経験をしたからといって、、、

いきなり、聖人君子みたいになるはずもなく。

 

だからやっぱり。

 

愛してる、ありがとう。なんて。

 

そんな簡単には言えないし(苦笑)

 

 

人間Lyricaとしての自分は、、、

相変わらず学生で、相変わらず子供で。

 

まだまだ、経験も浅くて。。。

器の小さい(笑)人であることには、

まったく、変わりがなかった。

 

 

 

けど、そんな人間Lyricaというのは、

実は「夢の中の登場人物」であって。

 

Lyricaだけでなく。。。

ここにいる、全ての人がそうであって。。。

 

みんな、最後の最後は、何があっても必ず。

あの、「全てである私」に戻るように出来ている。。。

 

そして私も、あの人も、あの人も、みんな。。。

 

今、この瞬間でさえも。。。

ずーっと、永遠に。

 

本当は、「全てである私」のままなんだ。

 

 

・・・ということが、自分の中の「事実」になったことは。。。

 

やっぱり、すごく、大きいことだった。。。

 

 

そのおかげであれ以来、、、

 

何があっても常に、

安心して生きていけるようになったことは、

たしかだったから。。。

 

 

 

こういう体験をすると。。。

 

それはもう、「信じるもの」ではなくなる。。。

 

それは、、、自分にとって、、、

まぎれもない「事実」となって。。。

 

それを疑うことのほうが、難しくなった。。。

 

 

********

 

 

あのあと、、、

 

降りる駅に到着するまで、

まだ、しばらく時間があって。。。

 

私は、ギュウギュウ詰めの電車の中で、、、

窓の外の景色を見ながら。

 

いろんなことを考えた。。。

 

 

********

 

 

つづく

さて。。。

 

その意識が飛んだ時、、、

どんな体験をしたか。。。

 

 

「10代のときのあの体験」

 

 

・・・について。。。

 

 

それを書くところまで、やってきたものの。。。

 

どこかで、、、

書くことを、躊躇している自分がいる。。。

 

 

これについては。。。

今まで、いろんな表現を使って書いてきた。

 

 

時には、詩みたいに。。。

時には、事細かく説明的に。。。

時には、訴えかけるように。。。

そして時には、独り言のように。。。

 

 

もう、いろいろ。。。

何度も、何度も。。。

 

 

でも、今まで一度も。。。

 

「あー、今回はうまく書けた~。

よかった、よかった」

 

・・・と、感じられたことがない。。。

 

 

自分が書いたものを読み返すといつも。。。

 

「うーん。何かが違うんだよなぁ。。。」

 

・・・って、なってた。。。

 

 

でも、それは仕方のないことだとも

思ってる。。。

 

 

だって。。。

 

それは本来は、、、

言葉では、語れないものだから。。。

 

 

それは、、、

言葉にした瞬間。

 

 

何か、、、違うものになる。。。

 

 

それになにか、「名前」をつけたとたん、

それは、別なものに固定される。。。

 

 

 

だから本当は、書きたくないし、、、

書かないほうがいいんだ。。。

 

・・・って思う。。。

 

 

それなのに、なぜか、

書きたい衝動が起こって。。。

 

 

私はそれに。。。負けちゃうの。。。

 

 

 

もし私に、、、

 

絵とか音楽の才能があったら。

絶対、そっちで表現してたのになぁ。。。

 

もし、科学者としての素質があったなら。。。

 

絶対、悟り装置の開発に、

命を懸けていたのになぁ。。。

 

 

けれども私には。。。

 

「書くこと」

 

・・・しか、出来なくて。

 

 

それはそれで、また完璧なのだと。。。

 

本当は、解っているのだけどね(笑)

 

 

 

そろそろ。。。

本題に入らないと。。。と思うけど。。。

 

 

もしかしたら、、、

こういうことを書くのも、もう、、、

これが最後かもしれないから。。。

 

 

ちゃんと、思い出しながら、、、

ゆっくり、丁寧に書いていきたいな。。。

 

・・・って。

 

そう思う。。。

 

 

********

 

 

意識のチャンネルは、、、

なんの前触れもなく、突然切り替わった。

 

 

切り替わったあとは、もう。。。

すでに、言葉には出来ない領域。。。

 

 

切り替わった瞬間、気づいた。。。

 

そこには、「私」しかいなかった。

 

今書いた、「そこ」というのも、「私」だった。

 

そこには、何もなかった。

 

でもそこには、すべてがあった。

 

つまり、そこにないものは、何もなかった。

 

けれども、同時に、そこには何もなかった。

 

 

もう一度書くけど、、、

「そこ」というのは、ある場所のことなのではなく、

「私」のことなの。

 

そして、、、

その「私」が、「全て」なの。。。

 

 

そこには、「私」しかいないのだけど、

「私」の中に、「全て」があった。。。

 

 

その、全てである私には、、、

「私がいる」っていう感覚があるのだけど。

 

でも、姿があるわけでもなく、何もないの。

 

ただ、、、在るだけ。。。

 

 

何もないのに、すべてがある状態って、

多分、、、想像出来ないと思う。。。

 

それは、人間の頭で想像できる範囲を、、、

はるかに、超えてしまってるから。。。

 

 

そして。。。

 

さっきから、「私」と書いているけど、、、

 

その「私」は、

「Lyricaという個人」としての

私のことではなくてね。。。

 

 

そうではない、この「私」のことを。。。

なんて表現すればいいんだろうね。。。

 

 

今までの歴史の中。。。

 

いろんな人がいろんな表現で、

それを、伝えてきた。。。

 

 

宇宙

 

 

 

 

全体

 

故郷

 

 

・・・などなど。

 

もう、いろいろと。。。

 

 

私はそれを、便宜上、

 

「Nothing but Everything」

 

と、言ったりしてたけど。。。

 

 

本当は。

そういう名前とか、つけたくなかった。

 

 

だってそれは。。。

 

「私」

 

以外の何者でもないから。。。

 

 

 

今の私たちが想像できるものすべて、

私たち人間が想像できるありとあらゆるすべてが。

 

その「私」の中にある。

 

 

この地球上に存在するものすべて、

目に見える宇宙に存在するものすべて、

目に見えない宇宙に存在するものすべて。

 

 

そして、人間にはまったく想像も

できないものすべて。

 

実現している可能性。

実現していない可能性。

 

ありとあらゆる可能性のすべて。

 

過去、現在、未来のすべて。

 

 

まだまだ書ききれないけど。。。

 

 

そういう「すべて」が、、、

「私」の中にある。

 

中にある。。。というか、

「すべて」が、「私自身」だった。

 

 

ただ、「私がいる」という自覚以外、

何もないところに。

 

それらすべてが、あった。。。

 

 

********

 

 

今思うと、、、

 

あの時、誰が感じていたんだろう?

誰が思っていたんだろう。。。

 

 

その「私」の意識にチャンネルがあった瞬間。。。

 

「あぁ。。。そうだった」

 

・・・って、そう感じたのを覚えてる。。。

 

 

あぁ。。。思い出した。。。

 

あぁ。。。戻ってきた。。。

 

 

・・・って。

 

 

そして。。。

ものすごい、ホッとしたの。。。

 

安堵感に包まれた。。。

 

 

********

 

 

そこには、「時間」もなかった。。。

 

永遠であり、一瞬だった。。。

 

 

「そこ」っていうのは、もちろん、

「全てである私」のこと。。。

 

 

その「私」には、解らないことは何もなく。。。

 

 

さっきまで、学生Lyricaが読んでいた

難しい本の内容も、一瞬で解った。

 

解った。。。というより、それすらもまた、

「私」であったという感覚。

 

 

世界の七不思議が、、、

不思議でもなんでもなくなる。

 

今ある謎が、、、

すべて、謎ではなくなる。。。

 

なぜなら。。。

 

その謎も答えも、

全部、自分自身だから。

 

 

 

たとえば。

 

この地球が誕生してから、消えるまでに、

存在した人たち全員が。

 

生まれて死ぬまでの間に経験したことのすべて。

考えたり、感じたりしたことすべて。

 

そういうのも、瞬時にして、全部解る。

 

 

もっと話を拡大してみると。。。

 

「存在の世界」に出現した魂のすべてが、

あらゆる輪廻転生を繰り返し、、、

やがて、「全てである私」に溶けていくまでの間に、

経験したことすべて。

 

そういうのすら、全部、解る。

 

 

なぜなら、そういうのも全部、

自分だから。

 

 

 

歴史上の有名人も。

王様も乞食も。

聖人も悪人も。

セレブも庶民も。

 

男も女も。

大人も子供も。

敵も味方も。

 

どこの国の人も。

どこの星の人も。

 

自然も動物も。

 

天使も悪魔も。

精霊も妖怪も。

 

そして、神々も。

 

そして。

 

あなたも私も。

 

 

ありとあらゆるものが、

結局、全部、自分。

 

 

 

けど。

 

ここでの「自分」というのは、、、

 

生まれもしなければ、

死ぬこともない。。。

 

 

永遠であり、一瞬であり、すべてであり、無である

「私」として、、、

 

ただ、在るだけ。。。

 

 

どんな時でも、、、

今、この瞬間もね。。。

 

その「私」は、ここにいる。

 

 

・・・というか。

 

 

本当に存在していたのは、実は。。。

 

その「私」だけだった。。。

 

 

********

 

 

ここまで書くのに、何分かかっただろう。。。

 

ここまで読むのに、

どれくらい時間がかかるのだろう?

 

 

でも、その「私」の意識にチャンネルがあった瞬間、

 

今書いたことのすべてを、、、

書いたこと以上のことを、理解した。

 

 

いえ。。。

思い出したの。。。

 

 

一瞬で。。。

 

 

********

 

 

つづく

その日、家に帰ってから私は、

「タイムパラドックス云々」の本を、

ちょっと、パラパラとしてみた。。。

 

 

今更ながら、思うけど。

 

ホント。。。

あの時、書店で中身も何も確認せずに、

買ったんだね。その本。。。

 

 

だから、家に帰ってきて、初めてその

内容をチラッと見た時、、、

 

その本を購入してしまったことを、

即、後悔した。。。

 

 

だって。。。

 

その本は、もう、本当に、、、

 

「????」

 

・・・以外、何の感想も出ないくらい。

 

当時の私にとっては、

難解すぎる内容の本だったから。。。

 

 

けれども。

 

学生時代、なけなしのお小遣いで

買った本。。。

 

だから、読まないともったいない。。。と。

そう思った記憶がある。。。

 

 

そして。

一度読むと決めたのだから、絶対、

意地でも最後まで読むぞ~~

 

・・・みたいな(笑)

 

 

そんなバイタリティーが。

あの頃の私には、まだあった。。。

 

 

 

あの頃。。。

読書タイムは、ほとんどが、

通学の電車の中だった。

 

 

その本も、いつものように。。。

 

朝、学校に行く電車の中で、

読んでいた。。。

 

 

それは、、、

あの本を読み始めて、2、3日

経った頃だったか。。。

 

その日、私は。。。

ドアのすぐそばに立っていたのを

覚えてる。。。

 

 

結構な満員電車で。。。

自分のスペースは、ほんの少ししかなく。。。

 

学校のカバンは重いしで。。。

 

だいぶストレスがかかるような

状況の中だったけど。

 

あの頃の私は、、、

もう、そういうのは毎日のことで、

すっかり慣れていた。。。

 

だから、、、

そんな中でも、平気で本なんて

読めてしまったのだろうな。。。

 

 

 

難解だったその本は。。。

 

数行読んでは、ワケが解らなくなって戻り。

また数行読んでは、戻り。。。の繰り返しで。。。

 

たった1ページ読むのに、

どれだけ時間がかかってるの?

 

・・・ってくらい、読書の進みは、

亀の歩みだった。。。

 

 

内容をまったく理解できず。。。

ただ、活字を目で追ってるだけ。みたいな。

 

そんな感じで読んでいた気がする。

 

 

そんな中。。。

 

かすかだけど、覚えていることがある。

 

 

そこには。

 

「タイムトラベルは可能か?」

 

みたいな話が書かれていた。。。

 

 

・・・気がする。。。自信ないけど。。。

 

 

で、そこには。

 

タイムトラベルをするためには、

時間の跳躍もそうなのだけど、

空間も跳躍する必要がある。

 

だからまず、時間よりも先に、

空間をワープすることは可能なのか?

ってところから、考察していく必要がある。。。

 

みたいな。

 

 

そんな話があった気がするの。。。

 

 

でね。

 

そこに、例の「図」が登場したの。。。

 

 

点Aと点Bがあって、

ふたつの点が直線で結ばれてる。。。

 

その直線を歪めることで、

点Aと点Bが近づき、最終的には、

一点に重なる。

 

 

そういう、、、

とっても、シンプルな図が、

そこに描かれていた。。。

 

 

その図はつまり。。。

 

A地点とB地点の間にある

空間を歪ませることができれば、

その瞬間、AとBは同じ位置になり。

 

よって。

ワープは可能になる。

 

っていうことを、説明した図。

 

 

図は、とってもシンプルだったけど。

 

そして、今の私は、こんなことを

書いてはいるけれども。

 

 

当時の私には、そういうの、

意味不明だった。。。

 

 

その図を何度も眺めてみても。。。

 

図に関する説明を、なんど読んでみても。。。

 

一体、何を言ってるのか、、、

全然解らなかった。

 

 

********

 

 

だいぶ大人になってから。。。

ふと、気づいたことがあった。。。

 

 

「科学用語」を、「それそのもの」ではなく、

「象徴用語」として捉えてみると。。。

 

なんだか。

物理学者たちが言ってることが、

急に解りやすくなるなぁ。。。って。

 

ある時、思ったの。。。

 

 

でも。

今思えば、あの時の私は。。。

 

その本に書かれていることを、、、

頑張って、頑張って。

 

頭だけで理解しようとしてた。。。

 

 

だから。。。

 

読めば読むほど、頭がグルグルに

なっていったの。。。

 

 

でもね。。。

 

逆にそれがよかったんだ。。。と。

のちのち、解ることになった。。。

 

 

 

それが、「引き金」になったのだと。。。

 

その「グルグル」がね。。。

 

実は、、、トリガーだったんだ。。。と。

 

 

********

 

 

あの時、あの本に書かれた、、、

 

ワープがどうの。。。とか。

タイムトラベルがどうの。。。とか。

 

そういうところを読んでいるうちに。。。

 

頭はグルグルになって、

何も理解できないのに、、、

 

でも、同時に深いところがザワザワとなってきて。

 

 

「あぁ。。。私、このことを知ってる。。。

これ、本当は解ってる。。。」

 

 

・・・って。

 

そういう感覚が、、、

強烈に湧き上がってきたの。

 

 

でも。

自分が何を知ってるのか。

何を解ってるのか。。。

 

 

それを、頭で解ろうとしても、

全然解らないの。。。

 

 

だから、頭の中は。

どんどん、混乱していく。。。

 

 

自分は、なんでこんなになってるの?と思って、

また、本を読み返してみる。。。

 

でもやっぱり、、、

相変わらず、全然理解できない。

 

 

理解できないのに。

何が書いてあるのか、本当に、

全然解らないのに。

 

でもまた、深いところが、ざわつく。。。

 

 

「これ、知ってる。

これ、解ってる」

 

 

・・・って。

 

 

さっきまで、しっかり覚えていた夢が。。。

 

それを誰かに話そうとした途端に、

サーッと流れ散っていってしまい。

 

思い出せそうで思い出せない、みたいな。

 

あんな、気持ち悪さ。

 

あれの、強烈版のような感覚だった。

 

 

「なんだっけ?なんだっけ?なんだっけ?

私は何を、知っていたんだっけ?」

 

 

・・・と。

 

 

外から見たら、全然普通に見えていただろうけど。

その時内側は、大パニック起こしてた(笑)

 

 

もしこの状況が、

今の私に起こったとしたら。。。

 

 

「私、、、ひとりで何やってるんだろう」

 

・・・って苦笑いしながら。

 

すぐに、我に返ってしまうだろうと思う。。。

 

 

そういう状況を。。。

すぐに、手放してしまうだろうと思う。。。

 

 

 

けど。。。

 

まだまだエネルギーに満ち溢れていた

当時の私は。。。

 

 

そういうことで、

自分を笑ったりはしなかった。。。

 

解ろうとすることを、

すぐに諦めはしなかった。。。

 

 

そうやって。。。

 

思い出せそうで思い出せないものを、

必死で思い出そうと頑張っていたら。。。

 

 

突然。

意識が飛んでしまったの。。。

 

 

チャンネルが、、、

切り替わったみたいに。

 

 

 

********

 

 

 

つづく

2011年にこの本を読んで、、、

それまで謎だったことのひとつが、

解決した。。。

 

 

 

 

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本の中で紹介されていたある実験が気になり、

探してみたら、youtubeでその映像を見つけ。

 

で、早速、家族で実験してみたの。

 

 

********

 

 

この動画の中で、

白いシャツを着た人と黒いシャツを着た人が  

バスケットボールをしています。  

 

黒いシャツの人は無視していいので、

白いシャツの人達のドリブルとパスの回数を正確に、

間違えないように数えてみてください。。。  

 

 

さて。。。  

 

白シャツチームのパスとドリブルは、

何回だったでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

あなたは、ゴリラが見えましたか?

 

 

********

 

 

・・・という、この実験。。。

 

私は、この映像を観るよりも先に、

本を読んでしまっていたので、、、

自分自身では実験できず。

 

 

だから、夫と子供たちに協力してもらった。

 

 

するとやっぱり。

ゴリラは消えた。。。

 

 

それで、、、

この本に対する信頼度が高まり。。。

 

 

本の中に書かれていた、

 

「記憶の錯覚」

 

・・・について読んだとき。。。

 

 

私のあの。。。

 

10代の時の体験に関わる、

ひとつの「謎」が、解けたような気がした。。。

 

 

自分の中の、おかしな記憶。。。

 

 

あれもまた、、、

脳のイリュージョンのひとつだったんだろう。。。

 

・・・と。。。

 

 

********

 

 

 

英語の学校の2年生になったばかりの頃。

 

あの、役員決めがあった、

すぐあとくらいのこと。

 

 

あの頃は、、、

学校帰りはよく、書店に寄っていた。

 

 

1年生の時の論文の課題以来、、、

私はなんだか、神話にハマっていて。

 

なので、その日も。。。

ギリシャ神話に関する本で、

何かいいのがあったらいいな。と。

 

そんなことを、思っていた気がする。。。

 

 

書店をグルッと周って、、、

ギリシャ神話の本と、ギリシャ美術の

本を選んだ。。。

 

それは2冊とも、緑色の新書だった。

 

 

私はその時、、、

なぜか、もう1冊、本を選んでいて。

 

記憶の中では、、、

 

その本は、ギリシャ神話の本の隣に

並んでいたのだったと思う。。。

 

 

それは。。。

 

『タイムパラドックスは存在するのか?』

 

・・・というタイトルの本で。

 

 

「時間」とか「タイムトラベル」に関する、

学術書みたいな本だった。

 

 

その本の帯には。

 

「宗教と哲学と科学の融合」

 

・・・と書かれていた。。。

 

 

********

 

 

でも。。。

 

のちに、この記憶がだいぶ、

メチャクチャだったことを知る。。。

 

 

その本は、、、

「あの体験」に繋がる重要な本だったので、

私は大人になってから、ネットを使って探しまくった。。。

 

その時はもう。。。

本は、手元にはなかったから。。。

 

 

そうやって探しているうちに、

おそらく、これだったんじゃないか。。。と。

 

そう思ったのが、この本だった。。。

 

 

 

 

 

 

 

『タイムパラドックスは存在するのか?』

 

・・・というタイトルではなかったけど。

 

 

多分。おそらく。

 

この本だっただろうと思った。。。

 

 

そして、再購入してみた。。。

 

 

 

けれども。

それを読んでみて、どうしても納得

できないことがあった。。。

 

 

「これじゃない」

 

 

・・・って思った。

 

 

なぜなら、10代のあの時の私が、

当時、この本を読んだときに。。。

 

この本の中で見たはずの、

ある「図」が。。。

 

そこにはなかったから。。。

 

 

 

いくら探しても。

この本の中には、それがなかった。。。

 

 

だから。。。

やっぱり、違う本だ。。。と思い、

他にも探してはみたのだけど。。。

 

それらしい本は、他には見つからなかった。。。

 

 

 

私はあの本の中の、、、

あの「図」がキッカケとなって。。。

 

それで、意識が飛んだ。。。

 

 

そう、、、

記憶していたはずなのに。。。

 

 

********

 

 

けれども、2011年に。。。

 

私たちの脳が、

すごい嘘つきであることを知り。

 

 

おそらく自分のこの記憶の中にも。。。

そういった記憶違いが色々あるのだろうと。。。

 

多少、納得できた。。。

 

 

 

それでも、思い出せなかったのは。。。 

 

なぜあの時、自分があの本を 

購入しようと思ったのか。。。

 

・・・ということで。。。

 

 

10代で、まだまだ子供だった私が。。。

 

当時、まったく興味も関心もなかった

世界の本なんて。

 

なぜ、手に取ったんだろう?

 

・・・と。

 

 

それは今でも。。。

 

本当のところは、解らない。。。

 

全然。。。

 

 

大人になった私は、

あれこれ考えた末。。。

 

子供の頃の自分が、ただ単に

かっこつけたくて、あえて難しい本に

手を出したんだろう。。。と。

 

そう、結論付けた。

 

 

でも、実際のところは、、、

 

あの時の自分の「本当の」心境は、

まったく思い出せないまま。。。 

 

 

だからもう。。。

 

あれは、運命だったんだ。とか。

魂の導きだったんだ。とか。

 

シンプルに。

そう片づけてしまうことにした。

 

 

 

いろんな記憶がごちゃ混ぜになって。

 

過去も現在も未来も、

ごちゃ混ぜになって。。。

 

もしかしたら、こういう記憶自体も、、、

今の自分が創り上げているのかもしれなくて。。。

 

 

それでも私には。。。

 

これが、「自分に実際に起こったドラマ」としか

感じられなくて。。。

 

それは、、、本物の想い出としか

思えなくて。

 

 

本当に、、、面白いな。。。と思う。

 

 

 

あの春。。。

 

あの本を読み始めた直後。。。

 

あの体験が起こった。。。

 

 

・・・という記憶すら。。。

 

本当は、、、記憶ではなかったとしたら。。。

 

 

********

 

 

つづく

そうして、2年生になった。

 

2年生の時のクラス担任の先生は、

イギリス人の女性の先生だった。。。

 

彼女は、学長のお姉さんで。

だから、ものすごくベテランで、

落ち着きがあって。

 

この先生のことも、

私はもう。。。大好きだった。。。

 

 

「風の谷のナウシカって、最高ね」

 

・・・って。。。

 

 

あの先生が、静かに、、、

でも、猛烈に絶賛してたのを。

 

すごく覚えてる。

 

 

ある時先生は、

授業中、私たちに、イーグルスの

『ホテル・カリフォルニア』を聴かせた。。。

 

歌詞を配って。。。

そして、先生は言った。。。

 

 

「ホテル・カリフォルニアって、、、

あなたたちは、それ。何の象徴だと思う?

 

それを考えて、レポート用紙にかいて」

 

 

・・・って。

 

 

あとは、丸々一時間。

先生は、何もしゃべらない。

 

何も説明しない。

 

 

生徒が質問すれば、書いている文章の文法が

あってるかどうかくらいは教えてくれたけど。

 

 

授業終了のチャイムが鳴ると、

先生は、生徒たちのレポートを回収。

 

そして、そのまま、教室を去ろうとする。。。

 

 

私たち生徒はみんなで、先生をひきとめて。

 

 

「え~~、先生。

答えを教えてよ~~~」

 

 

・・・ってせがむの。

 

 

先生は、笑いながら、「No~~~~」って

言って、教えたがらない。

 

けど、生徒たちがあまりに

しつこいので、先生もしかたなく折れる。

 

 

「それはね、、、『アメリカ』のことよ。

多分ね。。。」

 

 

・・・って。

 

 

最後に、「maybe」ってつける先生が。。。

 

私には、とてもかっこよく見えた。。。

 

 

 

そんな先生が担任だった

2年生でのこのクラスでも。

 

やっぱり最初に、

クラス役員決めがあったのだけど。

 

 

この年は、立候補する人がいなくて、

役員決めが難航した。

 

 

先生は最初、辛抱強く、自発的にやるって

言う人の出現を待っていた。

 

でも。

いつまで待っても、そんな人は

出てこなかった。

 

 

それでしかたなく、先生が提案したの。。。

 

 

「みんな、各自それぞれ。

誰かひとり、推薦する人の名前を

紙に書いて」

 

 

・・・って。

 

 

ただし。

1年生の時に役員やってた人は、

今年はやらなくていいわよ。。。って。

 

 

 

クラス替え直後の。

ほとんど、知らない人ばかりの中。

 

一体、誰の名前を書けばいいのやら。。。

 

 

もう、こうなったら。

直感。。。というか、適当に書くしかない。。。と。

 

 

クラスのみんなも。

多分、そんな感じで書いたのだと思う。。。

 

 

 

みんなの紙が回収されて、、、

先生がひとりで、集計を取る。。。

 

集計が終わると、先生は、

ホ―ッと一息ついて。

 

そうしたら、先生と目が合ってね。。。

 

 

「Lyrica、あなたがコミッティーやって」

 

 

・・・と、先生が言った。

 

 

 

そのあと。。。

どうなったかと言うと。。。

 

 

 

私。。。

 

「やだやだ~~、絶対にイヤ~~~

無理、無理、無理~~~!!!」

 

・・・って、大騒ぎした(苦笑)

 

 

「でも、、、みんなの投票で、

あなたに決まったのよ」

 

・・・って、先生は言ってたけど、

私は、ずっと、イヤイヤって騒いでた。

 

 

大人になって。。。

子供たちのPTA役員を決める時は、、、

こんなこと、絶対に出来なかったけどねぇ。。。

 

 

あの頃って、

こんなこと出来ちゃってたんだ。。。

 

 

無邪気、、、というか。。。

子供だったんだね。。。まだまだ(笑)

 

 

 

しばらくの間、そんな感じがずっと続き。

先生は困り果て。。。

 

そうしたら、ひとりの男の子が出てきて。

 

「俺、やってもいいよ」

 

・・・って、言ってくれた。

 

 

その子は、去年のクラスでコミッティーをやったから、

今年はやらなくていいはずだったのだけど。

 

「俺、別に、こういうの嫌いじゃないから」

 

・・・って、コミッティーを引き受けてくれたの。

 

 

彼が、、、救いの神様に見えたよ。。。

あの時は。本当に。

 

 

そして、先生がまとめた。

 

「じゃあ、、、あなたに任せるわね。

Lyrica、あなたはサブ・コミッティーをやって?

それだったら、いいわよね?」

 

・・・と。。。

 

 

その時、先生は、、、

なぜか、とても申し訳なさそうな顔してた。。。

 

 

それは、コミッティーになった彼に対してではなく、

どちらかというと、私に対して。。。

 

私が、あんなにワガママを通していたのに、

全然、怒ってなかった。。。

 

 

そして私は。。。

 

先生のそんな顔を見ていたら、、、

これ以上、先生を困らせちゃいけないな。。。って。

 

自然と、そんな気持ちになった。。。

 

 

 

そんな感じで。。。

 

私は、そのクラスのサブ・コミッティーを

引き受けることにしたのだけど。。。

 

 

でも。

コミッティーの彼が、

すごく頼りになる子だったので。

 

結果的にはそのお仕事。

意外に楽しかった(笑)

 

 

********

 

 

コミッティーになることを

あんなに拒絶したのは。。。

 

やっぱり、1年生の時の、

ああいう経験の影響があったのだと思う。。。

 

 

当時の私の中で。。。

 

「コミッティー」って言葉で、

最初に思い浮かぶのは、、、

1年生の時のあの子の、虚ろな顔で。

 

 

多分。。。あの出来事が。

 

多少。。。

トラウマになっていたんだと思う。。。

 

 

********

 

 

つづく

 

 

 

最近は、忘れかけていたけれども、、、

 

少し前までは、、、

毎年春は、気が重かった。。。

 

子供たちのPTAの役員決めがあったから。。。

 

 

逃げられた年と、逃げられなかった年が

あったけど(苦笑)

 

子供たちのPTAの役員、、、

出来ればやりたくない。。。って。

 

役員決めの時は、、、

いつも、下を向いていたっけ。。。(笑)

 

 

でも、、、小さな子供の頃は違ってた。。。

 

クラス役員をやるの、嫌いではなかった。

 

小学校の3、4年生くらいまでは、、、

自ら、立候補していた記憶がある。。。

 

 

それが、いつの間にか。。。

 

気づけば、そういうのはめんどくさい。と。

 

そう思うようになっていた。。。

 

 

 

あの、英語の学校に入学した春も。。。

 

クラス役員を決める日は、

やっぱり、気が重かった。

 

 

でもその年は、みんなの予想に反して、

クラス役員は、あっという間に決まった。

 

 

学級長に、自ら立候補した、

女の子がいたから。。。

 

そして、その子につられて。。。

また、別の女の子が、副学級長に

立候補したの。。。

 

 

あの学校では、学級長のことを、

コミッティーと呼んだ。

 

副学級長は、サブ・コミッティー。。。

 

 

その、コミッティーになった子は、、、

 

とっても明るくて。。。

いつも、ニコニコ笑っていて。

元気で、愛想も良くて。

 

誰もがみんな、口を揃えて、、、

 

「あの子はすっごい、いい人だよね」

 

・・・って言うような。。。

 

そんな感じの子だった。

 

 

その笑顔の裏に、、、

 

その子が周りに対して、ものすごく

気を遣っているのだろうな。。。

 

・・・みたいなのが、チラチラと

透けて見えてはいたけれども。。。

 

 

でも。

その子のことを嫌いになる人は、、、

まず、いなかっただろうと思う。。。

 

 

 

あれはたしか。。。

その学年の、冬休みが明けた時のこと。。。

 

 

コミッティーのその子が、、、

いきなり、何も喋らなくなった。。。

 

笑顔も消えた。。。

 

誰が何を話しかけても、、、

まったく答えなくなってしまった。。。

 

 

かろうじて、学校には来てたけど。。。

 

そのうち、、、休みがちになって

しまったのだっけかな?

 

 

このあたり、、、

ちょっと、記憶が曖昧なのだけど。。。

 

覚えているのは、、、

学校に来ていた時のコミッティーは。。。

 

いつも、うつろな目をして、

ボーッとしてたこと。。。

 

 

私たちのクラスの担任の先生は、、、

アメリカ人の男性の先生だったのだけど。。。

 

先生になって1年目の。

まだ、若くて新米の先生でね。。。

 

だから先生も。。。

どう対応していいのか分からずに、、、

すごい、混乱してた。。。

 

 

私も。。。

コミッティーとは、特別な親友づきあいを

していたわけではなかったけど。。。

 

でもあのクラスって。

クラス全員が、ものすごく仲良しでね。。。

 

みんな、彼女のことを、

本気で心配した。。。

 

私もあの頃は。。。

 

その子のことで、いつも頭が

いっぱいになってた。。。

 

 

なぜ突然。。。

彼女が、そうなってしまったのか。。。

 

その理由も解らないまま。。。

 

 

 

 

サブ・コミッティーだった女の子は、、、

実は、私たちよりも、年がいっこ上でね。

 

そのせいなのか、どうなのか?

 

サブの子は、なんとなく、、、

 

「お母ちゃん」

 

・・・みたいな雰囲気を

醸し出しているような子だった。。。

 

 

そういう雰囲気って。

人を安心させるよね。。。

 

 

だから、コミッティーも、、、

サブのその子にだけは、多少、

心を開いていたようで。。。

 

ある時、コミッティーは、、、

サブのその子に、ほんの少しだけ、

心の内を打ち明けたの。。。

 

 

そしてサブの子は、、、

コミッティーに了承を得たうえで。。。

 

それを、私たちに伝えてくれた。

 

 

そうして、ようやく。。。

 

クラスの私たちも、先生も。。。

少しだけ、その理由を知ることになった。。。

 

 

コミッティーは、、、

 

冬休み中に、心理学の本を

読んだらしく。。。

 

でも、、、

心理学の世界を知っていくうちに、、、

人間不信になってしまった。。。

 

 

シンプルに言えば。。。

そういうことだったらしい。。。

 

 

クラスのみんなはそれを聞いて、、、

 

「???」

 

・・・となっていた。。。

 

 

なぜそうなるのか。。。

それが、よく解らないようだった。。。

 

 

私もみんなと同じように。。。

 

その時は、頭ではあんまり、

理解できなかったのだけれども。。。

 

 

でも、その時。。。

 

自分の深いところで、

なぜか強烈な反応が起こったことを、

覚えてる。。。

 

 

「心理学に対する、ものすごい抵抗」

 

 

・・・っていう、反応。

 

 

心理学なんて。

絶対に、勉強するもんじゃない!!!

 

 

みたいな。

 

 

それは、怒りにも似たような。

すごく、激しい抵抗だった。。。

 

 

 

あの頃の私は、本を読むことに

興味を持ち始めていた頃で。。。

 

いろんな本を読みたいな。。。と

思ったりしていたのだけど。

 

心理学の本だけは、、、

絶対に読むまい。。。と。

 

その時、固く、心に誓ってた。。。

 

 

まぁ、結局。。。

 

大人になってからは、読んじゃったけどね(笑)

 

ユングとか。

ケン・ウィルバーとか。

 

 

 

ただ多分、、、

コミッティーに関する、あの一連の流れは。。。

 

当時の私の中にあった、

高校時代の宗教絡みの経験とか、

そういうのを。

 

とても刺激してきたのだろうと思う。。。

 

 

だからあんなに反応したのだろうし。。。

 

 

この経験もまた。。。

 

このあとに続く体験に、

深く関わってくることになった。。。

 

 

********

 

 

つづく

宗教というのは、、、

「信じるもの」なのだと思う。

 

 

でも私は、、、

自分は、「考える人」だと思っているので、

自分には、宗教は向いていないと思ってる。

 

 

そして私は。。。

 

ブッダやイエスのことを、

「宗教家」だとは思っていない。

 

 

彼らは「それ」を、信じていたのではなく。。。

ただ、知っていただけなのでもなく。。。

 

 

彼らにとって「それ」は、、、

まぎれもない「事実」以外の何物でもなく。。。

 

 

もう、、、

そうとしか思えない状態の中。。。

 

その事実を、

そのまま生きていた人達だと思ってる。

 

 

********

 

 

話は少し遡るのだけど。。。

 

ちょっと、高校時代のお話。。。

 

 

高校時代は、聖書の授業があった。。。

そして、チャペルでの礼拝もあった。

 

 

聖書の授業も礼拝も。。。

 

そこでどんな話を聞いたのか。。。

そういうことはもう、全然覚えていない。

 

・・・というか。

 

ほとんど聞いていなかった。。。

と言ったほうが、正しいかも。

 

 

でも、聖書の授業と言えば。。。

強烈に覚えていることがある。。。

 

 

授業では、先生が、何時間もかけて、

福音書などの説明をしてた。。。

 

でも。。。

生徒たちは、ほとんどみんな、、、

寝てるの(苦笑)

 

チャペルでもそうだった。

みんな、寝てた。

 

 

だってね。。。

眠くなってしまうのだもの(苦笑)

 

 

でも先生は、そんなこともお構いなしに、

延々、説明を続けてた。。。

 

 

説明が一段落すると、、、

生徒は、それまで説明されてきた部分についての

レポートを書かされる。。。

 

原稿用紙に何枚。。。とか、

指定されて。

 

 

入学したばかりの頃は、、、

私は、その課題に一生懸命取り組んでた。

 

 

まったく興味のない。。。

 

・・・というか、読んでも全然解らない聖書を、

何度も読み返して、そして自分なりに

頑張って、レポートを書いた。

 

 

それなのに。。。

 

いつも、評価は「C」だった。

 

 

何度か「C」が続き。。。

 

そういうものなのかと、思ってた。

 

 

きっと、、、

 

授業中に寝てるからなんだろうな。

先生が、厳しいからなんだろうな。。。と。

 

単純に、そう考えていた。

 

 

ところがある日。。。

 

クラスの子が、評価「A」を貰ってるって聞いて。

 

そして、その子だけではなくて、

いろんな子が、「A」を貰ってるって分かって。

 

私は、焦った。

 

 

みんなも授業中寝てるから。

みんな揃って、「C」だと思っていたのに。

 

なんで???

 

・・・って。

 

 

それで、お友達に、

ちょっと、そのレポートの内容を

見せてもらおうとしたのだけど。

 

見せてくれなかった。

 

 

でも、お友達はみんな、

こう言ってた。

 

 

「めんどくさいから、

超、適当に書いてるだけ」

 

 

・・・って。

 

 

それで、色々考えちゃってね。。。

 

適当に書けば、良い点が貰えるの???

 

・・・って、あれこれ悩んだ。

 

 

でも。。。もしかして。。。と。

 

ちょっと、思ったことがあり、、、

私はそれを、試してみることにしたの。

 

 

次の課題提出の時。。。

 

私は、その内容を、、、

いつもと全然違うものにした。。。

 

 

それまでは、、、

そこに、自分の素直な思いや考え、

そして、疑問に思ったことは疑問だったと。

 

本当に、そのまんまを、

真っ正直に書いていた。

 

 

けど、試してみようと思った時は、

こう書いた。。。

 

 

指定された文章量の、

80%くらいは、ただ、聖書からの引用。

 

そして、そこにちょこっとだけ、、、

 

「聖書のこの部分は、素晴らしいと思った。

感動しました」

 

・・・みたいなことを書いたの。。。

 

 

そうしたら。。。

 

評価が「A」になった。。。

 

 

********

 

 

高校生活の中で体験したことの、、、

 

これは、ほんの一例だけど。。。

 

 

あの3年間では。

こういう感じのことを、よく、経験させられた。。。

 

 

学校だけでなく。

母からも。

 

 

自我を確立していこうとしている時期に。。。

 

自我を持とうとすることに対して、

罪悪感を抱かせるような圧力が。

 

あの頃は、すごくかかってきていた。

 

 

そして私は。。。

いつも、その圧力と戦っていたよ。。。

 

 

自我。。。

 

自分の想いや思い。。。

そして、感じる力。。。

 

 

それは、

消滅させるべきものではなくて。

 

大事に成長させてあげて、

そして、昇華させていくものだと、、、

 

今も私は、思ってる。。。

 

 

 

でも、逆説的に考えれば。

 

こういう経験があったからこそ、

今の私がある。。。

 

 

 

********

 

 

 

あの頃、、、私は、母に愚痴ったの。

 

 

「聖書ってつまんない。キリスト教って嫌い」

 

 

・・・って

 

 

そうしたら、、、母からは、

こんな言葉が返ってきた。。。

 

 

「それは、あんたの器が小さいからよ」

 

 

・・・ってね。

 

 

学校の課題で、本物の教会の礼拝や

奉仕に参加しなければいけなかった時。。。

 

その教会にいたおばさんに。

 

 

「あなたは神を信じていないから、

罪びとなのよ」

 

 

・・・と言われたこともあった。。。

 

 

 

そういう、数々の、「は??」っていう経験が、、、

 

 

「ああいうのも全部、、、

本当は、なんて貴重な経験だったんだろう」

 

 

・・・と、心からしみじみ感じたのは。。。

 

 

それまでの経験のすべてが、

自分にとって、とても大切な宝物になったのは、、、

 

 

これよりも、もう少し後のことだった。。。

 

 

 

それまでは私は。。。

 

いつも疑問だらけで。

いつも、イライラしてた。。。

 

 

宗教やってる人って、、、

なんでこうも、排他的なんだろう。。。って。。。

 

なんでいつも、

自分は正しいと思ってるんだろう?

 

・・・ってね。

 

 

********

 

 

つづく

10代のあの体験については。

 

今までに、何度も何度も。。。

イヤというほど書いてきたから。。。

 

だからもう、今更書く必要もないよね。。。と

ずっと思っていたのだけど。

 

なぜか、無性に書きたくなってきた。。。

 

 

最近、いろいろと。。。

想い出を整理していたのだけど。。。

 

 

これもまた。。。

 

記憶の整理をする、

いい機会なのかもしれない。。。

 

そんな気持ちになった。。。

 

 

********

 

 

英語教育が盛んで、

土曜日がお休み。

そして、校舎がとても綺麗。。。

 

そんな安易な理由で入学した高校は、

たまたま、ミッション・スクールだった。

 

 

高校時代の私は、卒業の日を、

指折り数えていた。。。

 

 

だって。

学校が、ものすごくつまらなかったの。

 

 

規則は厳しいし、キリスト教関連、

すごくイヤだったし。

 

そして。

 

英語が勉強したくて入ったはずなのに、

全然、話せるようにならないし。。。

 

 

英語は。。。

学力をつけたかったのではなくて、

ただ、ネイティヴのように話せるように

なりたかった。

 

 

でも、その動機は不純。。。

 

通訳になって、海外のミュージシャンと

会いたかったから(笑)

 

 

卒業後の進路を決める頃になっても、

そんな想いは、変わってなかった。

 

 

年上の従兄妹のお姉さんが、

短大の英文科を卒業したのだけど。

 

でも、全然話せるようにならなかった。。。と

聞いていたので。

 

大学の英文科はやめようと。

 

そう思ってた。

 

 

進路相談の面談の時。。。

 

「英語を勉強したいのなら、推薦してあげるから、

大学に行った方がいいよ」

 

・・・と、先生は言ってたのだけど。

 

断っちゃった(苦笑)

 

 

だって。。。

なんだか、日本の大学って。。。

 

勉強するところというよりは、

遊びに行くようなところに見えていたから。。。

 

そういうのも、当時の私は

イヤだったの。。。

 

 

結局私は、、、

 

自分の意思を貫き通して、

英語の専門学校へと進んだ。。。

 

 

そこでも。。。

ネイティヴのように話せる。。。

 

・・・まではいかなかったけど。

 

けど、今でも、、、

 

あの学校を選んだことには、

微塵の悔いもなく。。。

 

あそこを選んで、本当によかった。。。と。

 

そう思ってる。。。

 

 

あの学校にいた2年間というのは。。。

 

今思い出しても。。。

今までで一番、自分らしく生きられた

時間だったような気がしなくもなく。。。

 

私にとっては。。。

すごく、生きやすい環境だった。というか。

 

楽しくてしかたのない、2年間だった。。。

 

 

 

そんな学生生活、1年生の時のこと。。。

 

 

「ワークショップ」というクラスがあって。

 

それは、日本でいう国語の英語版のような。

そんなクラスで。

 

そのクラスの先生は、

アメリカ人の女性の先生だった。

 

 

ある日、彼女が課題を出した。。。

 

 

英語で論文を書いてください。

テーマはなんでも、好きなのでよし。

 

そして最後に、

それをみんなの前で発表すること。

 

 

・・・と。

 

 

その時私が選んだテーマ。

 

それは、「エジプト神話」だった。

 

 

けど、先生は言ったの。

 

「エジプト神話なんて、あなた。

それはちょっと、難しすぎるんじゃない?

私はもっと、身近なテーマを薦めるわ」

 

・・・って。

 

 

でも私は、

 

「No. 私はこれをやりたいの」

 

って言った。

 

 

すると、彼女の返事はこうだった。

 

「OK!  Let's try!」

 

・・・ってね。

 

 

そのあとは、何のあとくされもなく、

先生も熱心に協力してくれた。

 

 

あぁ。。。こういうの、

すごくラクだ~~~って思ってた。

 

 

ミッション・スクール時代の先生や、

仏教にハマっていた母に、

 

「No」

 

なんて言おうものなら。

もう、とんでもなかったもの。。。

 

 

「あんたは、我が強い」

 

 

・・・って、何度母に言われたことか。。。

 

 

 

そんなこんなで。。。

 

「エジプト神話」をテーマにした論文を書くために。

 

エジプトだけでなく、いろんな国の神話の本とか、

神話に留まらず、エジプト関連のあらゆる本とか。。。

 

片っ端から、色々読みまくった。。。

 

 

 

その学校での違うクラスに、

「文章表現」というクラスがあった。

 

このクラスの担当は、日本人の女性の先生。。。

 

 

その先生は、月に一度くらいのペースで、

何冊かの課題図書を出すのだけど。。。

 

そこで選ばれてた本は、多分、先生の趣味(笑)

 

生徒たちは、出された課題図書の中で、

どれか一冊好きな本を読んで、

感想文を書いて提出するの。

 

これは、日本語でOKなんだけどね。。。

 

 

普段は、課題図書は数冊あって、

その中から選べばよかったのだけど。

 

ある時先生は、、、

 

「今回は、全員、これを読んでね」

 

・・・と。

 

珍しく、たった一冊の本を提示したの。

 

 

それは、

 

 

『ライ麦畑でつかまえて』

 

 

・・・って本だった。

 

 

 

正直、、、もう、何十年も前のことなので、

この本の内容って、ほとんど覚えていない。。。

 

 

けれども、覚えているのは、、、

 

私が、この物語の主人公の男の子に

共感していたこと。

 

 

たしか、、、

 

その男の子がやってることはメチャクチャだったけど、

でも、どうしてそういうことしちゃうのか、

彼の気持ち、ちょっと解るな。。。

 

この男の子、、、

可哀想だな。。。と。

 

そんな風に思った記憶がある。。。

 

 

だから、感想文にも、、、

そんな内容を書いた。。。

 

 

そしてその時の私は、、、

この本を読んだ誰もが。。。

 

自分と同じ感想を持っているものだと。。。

 

そう思い込んでいた。。。

 

 

けれども。。。

 

全員の感想文を回収して、、、

それをすべて読み終わった先生は。。。

 

「ふふふ」

 

って、意味ありげに笑ってね。

こう言った。。。

 

 

「この本の感想文を書かせると、

必ず、真っ二つに分かれるの。

 

主人公に、ものすごい嫌悪感を示す人と、

主人公に共感を示す人に。

 

毎年、同じ課題を出すのだけどね。

結果は、毎年同じなのよ。

 

面白いですね」

 

・・・って。

 

 

私は。。。

 

主人公に嫌悪感を示す人がいるってことが、

すごく意外でびっくりだったのだけど。

 

そういうもんなのかぁ。。。って。

なんだかすごく、面白いなって思ったの。

 

 

そして先生が。。。

 

事実としての結果と。。。あとは、

 

「面白いですね」

 

という感想しか言わなかったことが。

 

とっても素敵だ。。。って思った。

 

 

こんなことがキッカケで。

 

私は、その先生のことが好きになり。。。

尊敬するようになり。。。

 

 

だから、先生の出す課題図書は、

片っ端から読んだし、それ以外にもたくさん。。。

 

 

********

 

 

「ワークショップ」の授業と、

「文章表現」の授業。

 

このふたつのクラスの影響があり。。。

 

私は、本を読むことが好きになった。

 

 

あの頃はいつも。

かばんの中に、本が入ってた。。。

 

 

 

けれども。。。

 

「本を読む」という行為が、、、

のちのち、とんでもない経験に繋がるとは。

 

 

まったく想像もしていなかった。

 

 

 

********

 

 

つづく

夫に初めて。。。

 

10代のあの体験の話を打ち明けた時、

私は必死に、こう言った。。。

 

 

「お願い、信じて!!

絶対に本当なんだってば。

嘘じゃないんだってば!!!」

 

 

・・・って。

 

 

その時に、彼の言った一言。

 

その言葉がきっと。

 

のちの私の在り方に、多少なりとも

影響しているのだとも思う。

 

 

「うん。嘘だとは思ってない。

でも、解らないっていうのが、正直な

気持ちだよ。。。

 

火が熱いってことは、実際に

触ってみないと解らないでしょ?

 

それと同じで」

 

 

・・・と、あの時、彼は言って。

 

私も、「まったくだ。。。」って思った。

 

 

 

私自身。

 

自分が「それ」を体験した時。。。

 

「これは、実際に体験しないと、

絶対に解らない」

 

・・・って。

 

そう思ったのだから。。。

 

 

だからこそ、あの時。。。

 

「誰か、悟り装置を作って~~~」

 

・・・って思ったわけだしね(笑)

 

 

********

 

 

言葉で説明しようとすればするほど。

 

「それ」は、本当のところから、

離れていくような。

 

そんな気がした。

 

 

 

けどね。。。

 

「自分が知ったことを伝えたい」

 

・・・って思うのは、

 

人のサガなんだよね。

 

 

そのサガに無意識でいれば。

 

語っちゃうよね。ついつい(笑)

 

 

私も、語りたくてしかたない時期って

あったよ。。。

 

 

けど、語れば語るほど。。。

 

人を惑わすのではないかって。。。

 

 

いつも。

どこかでそう思っていて。

 

 

「あぁ。。。言いたい、伝えたい。

でも。。。でも。。。」

 

 

・・・ってね(笑)

 

 

そうやって。

ジタバタしていた頃もあった。。。

 

 

********

 

 

真理について、

あれこれ説明するのは、、、

 

ブッダやイエスが、とうの昔にやってた。

 

だから本当は。

 

「説明」は、もう、それで十分なはず。

 

 

それよりも。

 

どうしたら、みんなが、

それを自分で「体験」できるのか。

 

その「方法」を伝えたほうが、

早道だよね。。。って。

 

 

私はやっぱり、思っちゃうの。

 

 

 

けど、残念なことに、、、

 

私自身の体験は、そこに、

「偶然」の要素が強すぎて。。。

 

他の人にとっては、

全然、参考にならない。

 

 

だから、探した。。。

 

悟り装置が存在していない今。

 

他に、何か方法ってあるのかって。。。

 

それを、意図的に起こす方法って、

あるのかしら?って。

 

 

 

ブッダのヴィパッサナー瞑想とか。

禅問答とか。

 

そういうツールが、

この世界にいくつかあることを、

あとになって知ったけど。。。

 

 

私自身、そういうのは、

「理論」でしか知らない。。。

 

それに、自分でそれを試して、

それで、成功したことはないから。。。

 

 

「みなさーん、これで悟れます」

 

 

なんて、断言はできないし。

 

 

それに。

 

瞑想自体が、それをやれば誰でも

絶対に悟れます。。。っていう。

 

確実なものではないから。。。

 

 

本当に真剣に悟りたいと思ってなければ、

なかなか、喰いつかないし。

 

喰いついたとしても、

よほど根性がなければ、続かないだろうし。

 

 

********

 

 

最近ね。。。

 

真剣に悟りを目指している人との

ご縁がちょっとあったので。。。

 

 

久しぶりに、考えてしまった。。。

 

 

どうしたら、みんなが悟れるのかしら?って。

 

 

 

別に。。。

 

悟らなくても全然いいんだよ。。。

 

悟らなくても。。。

今の人生を大切に大切に生きるだけで、

それでもう、十分なんだよ。。。

 

 

・・・と、私は思うけど。。。

 

 

でもそれはもしかすると。。。

 

私が、「本当の自分」というものを、

もう、思い出しているからこそ、

出てくるセリフなのかもしれなくて。

 

そうじゃなかったらきっと。。。

 

私の性格のことだから。

やっぱり、目指したいと思っていたかも

しれない。。。

 

 

だから。。。

 

悟りを目指したくなる境地。。。というか。

 

魂が。。。

 

そういうポイントに差し掛かっている人に対して、

 

目指さなくてもいいんです。。。

 

なんていうことは。。。

 

あんまり、誠実ではないかもしれないね。

 

 

 

だから思う。。。

 

 

誰か!!!

悟り装置を作ってください!!!

 

・・・って。

 

 

特に、科学者のみなさま。

 

よろしくお願いします。。。