運命の出会い 2 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

宗教というのは、、、

「信じるもの」なのだと思う。

 

 

でも私は、、、

自分は、「考える人」だと思っているので、

自分には、宗教は向いていないと思ってる。

 

 

そして私は。。。

 

ブッダやイエスのことを、

「宗教家」だとは思っていない。

 

 

彼らは「それ」を、信じていたのではなく。。。

ただ、知っていただけなのでもなく。。。

 

 

彼らにとって「それ」は、、、

まぎれもない「事実」以外の何物でもなく。。。

 

 

もう、、、

そうとしか思えない状態の中。。。

 

その事実を、

そのまま生きていた人達だと思ってる。

 

 

********

 

 

話は少し遡るのだけど。。。

 

ちょっと、高校時代のお話。。。

 

 

高校時代は、聖書の授業があった。。。

そして、チャペルでの礼拝もあった。

 

 

聖書の授業も礼拝も。。。

 

そこでどんな話を聞いたのか。。。

そういうことはもう、全然覚えていない。

 

・・・というか。

 

ほとんど聞いていなかった。。。

と言ったほうが、正しいかも。

 

 

でも、聖書の授業と言えば。。。

強烈に覚えていることがある。。。

 

 

授業では、先生が、何時間もかけて、

福音書などの説明をしてた。。。

 

でも。。。

生徒たちは、ほとんどみんな、、、

寝てるの(苦笑)

 

チャペルでもそうだった。

みんな、寝てた。

 

 

だってね。。。

眠くなってしまうのだもの(苦笑)

 

 

でも先生は、そんなこともお構いなしに、

延々、説明を続けてた。。。

 

 

説明が一段落すると、、、

生徒は、それまで説明されてきた部分についての

レポートを書かされる。。。

 

原稿用紙に何枚。。。とか、

指定されて。

 

 

入学したばかりの頃は、、、

私は、その課題に一生懸命取り組んでた。

 

 

まったく興味のない。。。

 

・・・というか、読んでも全然解らない聖書を、

何度も読み返して、そして自分なりに

頑張って、レポートを書いた。

 

 

それなのに。。。

 

いつも、評価は「C」だった。

 

 

何度か「C」が続き。。。

 

そういうものなのかと、思ってた。

 

 

きっと、、、

 

授業中に寝てるからなんだろうな。

先生が、厳しいからなんだろうな。。。と。

 

単純に、そう考えていた。

 

 

ところがある日。。。

 

クラスの子が、評価「A」を貰ってるって聞いて。

 

そして、その子だけではなくて、

いろんな子が、「A」を貰ってるって分かって。

 

私は、焦った。

 

 

みんなも授業中寝てるから。

みんな揃って、「C」だと思っていたのに。

 

なんで???

 

・・・って。

 

 

それで、お友達に、

ちょっと、そのレポートの内容を

見せてもらおうとしたのだけど。

 

見せてくれなかった。

 

 

でも、お友達はみんな、

こう言ってた。

 

 

「めんどくさいから、

超、適当に書いてるだけ」

 

 

・・・って。

 

 

それで、色々考えちゃってね。。。

 

適当に書けば、良い点が貰えるの???

 

・・・って、あれこれ悩んだ。

 

 

でも。。。もしかして。。。と。

 

ちょっと、思ったことがあり、、、

私はそれを、試してみることにしたの。

 

 

次の課題提出の時。。。

 

私は、その内容を、、、

いつもと全然違うものにした。。。

 

 

それまでは、、、

そこに、自分の素直な思いや考え、

そして、疑問に思ったことは疑問だったと。

 

本当に、そのまんまを、

真っ正直に書いていた。

 

 

けど、試してみようと思った時は、

こう書いた。。。

 

 

指定された文章量の、

80%くらいは、ただ、聖書からの引用。

 

そして、そこにちょこっとだけ、、、

 

「聖書のこの部分は、素晴らしいと思った。

感動しました」

 

・・・みたいなことを書いたの。。。

 

 

そうしたら。。。

 

評価が「A」になった。。。

 

 

********

 

 

高校生活の中で体験したことの、、、

 

これは、ほんの一例だけど。。。

 

 

あの3年間では。

こういう感じのことを、よく、経験させられた。。。

 

 

学校だけでなく。

母からも。

 

 

自我を確立していこうとしている時期に。。。

 

自我を持とうとすることに対して、

罪悪感を抱かせるような圧力が。

 

あの頃は、すごくかかってきていた。

 

 

そして私は。。。

いつも、その圧力と戦っていたよ。。。

 

 

自我。。。

 

自分の想いや思い。。。

そして、感じる力。。。

 

 

それは、

消滅させるべきものではなくて。

 

大事に成長させてあげて、

そして、昇華させていくものだと、、、

 

今も私は、思ってる。。。

 

 

 

でも、逆説的に考えれば。

 

こういう経験があったからこそ、

今の私がある。。。

 

 

 

********

 

 

 

あの頃、、、私は、母に愚痴ったの。

 

 

「聖書ってつまんない。キリスト教って嫌い」

 

 

・・・って

 

 

そうしたら、、、母からは、

こんな言葉が返ってきた。。。

 

 

「それは、あんたの器が小さいからよ」

 

 

・・・ってね。

 

 

学校の課題で、本物の教会の礼拝や

奉仕に参加しなければいけなかった時。。。

 

その教会にいたおばさんに。

 

 

「あなたは神を信じていないから、

罪びとなのよ」

 

 

・・・と言われたこともあった。。。

 

 

 

そういう、数々の、「は??」っていう経験が、、、

 

 

「ああいうのも全部、、、

本当は、なんて貴重な経験だったんだろう」

 

 

・・・と、心からしみじみ感じたのは。。。

 

 

それまでの経験のすべてが、

自分にとって、とても大切な宝物になったのは、、、

 

 

これよりも、もう少し後のことだった。。。

 

 

 

それまでは私は。。。

 

いつも疑問だらけで。

いつも、イライラしてた。。。

 

 

宗教やってる人って、、、

なんでこうも、排他的なんだろう。。。って。。。

 

なんでいつも、

自分は正しいと思ってるんだろう?

 

・・・ってね。

 

 

********

 

 

つづく