「自分を許せる人は相手も許すことができる」って、よく言うよね。これって実際はどういうことなんだろう。

自分にすごく厳しい人がいる。「こんなんじゃだめだめ」って常に思っている人。常に「頑張らなきゃ」って思っているからなのか、頑張っていない人を見るとなんだか腹がたつ。あえて自分を許せるときがあるとすれば、周りの人が評価をしてくれたとき。それでも「まだまだ」って思ってたりする。

どんな自分でも「これが自分だからいいじゃん」と思うときって、こころの中の変な【ストレス】や【プレッシャー】がふわっと外に出ていく。こころの中で暴れまわることもないし、【ぎゅうぎゅう詰め】になることもない。でも、自分に厳しいと、そんな【悪玉】はこころの中で暴れまわるだけじゃなくて、【悪玉】から「矢」みたいなものが外に向けて飛んでいって、相手を傷つけたりする。すごく攻撃的。

私達はある程度の「嫌なこと」や「辛いこと」を我慢することができます。言いかえると、こころの中にそれらをためこんでいるっていうこと。自分自身を許さずにいると、それだけで心の中がいっぱいになっているから、相手のことを受け入れる余裕もない。空間を空けておけば、相手の入るスペースができるから、許してあげられたりする。こころのなかの【ほんわかした状態】の中では、相手の【悪玉】もやる気なくなったりして、いつの間にかなくなってたりする。
自分が耐えられることって限りがあるし、こころの中の状態で消化もしやすくなるっていうこと。

【自分を許す】ということは、【いろんなことを柔軟に考えてあげる】ということにもつながる。柔軟に考えるときって、一旦いろんなことを受け入れるよね。受け入れた上でその先を考える。この世の中、同じことなんて起こらない。今の【正しい姿】は明日の【正しい姿】とも限らない。

といっても自分をなかなか許せないという人へ。まずは、日常生活の中で、【こういう考え方もあるんだあ】【こういう人もいるんだあ】って思ってごらん。思えないなら、口に出していってごらん。一日一回。「自分を許すことと何が関係あるのか」と思うかもしれないけど、あるんだよ。なぜなら、一番大切なのは【自分のキャパシティを広げること】だから。

一日一回【へぇー、こんなのもありなんだあ】。



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私達のこころの中に【理性】と【感情】がある限り、どうしても自己矛盾に陥るように思います。

大切な人の幸せはすごく嬉しいけれど、なんだかとっても悔しくて悲しい気持ちになったり、
「これは人の道に反している」と思ってはいるけど、こころのどこかでは「それをしたい」と思ったり。

筋道をたてて、世間一般で言われる「正しいこと」を突き詰めていく【理性】と、子供の頃のように、自分中心の中で【自分の幸せ】を突き詰めていく【感情】。両方を同じように突き詰めようとすると得てしてぶつかり合う。大人になるほど、表では理性的になっていく。理性的になっていくほどに、なんだか表の自分が【本当の自分じゃない】みたいで悩む。

多くの人は、こうした【感情】をこころの中にしまい続けて暮らしています。だって周りの人がなんて思うかわからないし、自分も出しちゃったらどうなるかわからなくて怖いし。だけど、こころの中でおさまることなんてないから、どんどんそうした【感情】は増えて大きくなって、こころの中がいっぱいいっぱいになる。かなり辛いよね。

あなたがそういった【理性】とは異なる【感情】をもつのには、自分の中ではしっかりとした理由がある。だからそんな【感情】を抱くのは全然自然なことだと思うよ。理由があるからこそ、そうした【感情】を消すことはできない。それを消そうとするから、こころの中が悲鳴を上げるんだ。

どうすればいい?まずは、そんな自分を【認めてあげること】。消せないものを消そうとすることほど辛いことはない。そして、いいところだって悪いところだってあなたの身体の一部。おしるこに塩を入れるとより甘みが増すように、相反するいやなところがあるからこそいいところが引き立っているかもしれない。一番いいのは、そんな自分も【好きになる】ことだけでど、それって難しいっていう人のほうが多い。だから、そんな自分も【しょうがないなあ】とせめて思うこと。それだけで、あなたのこころの中にたまっているどろどろとした【感情】は消化されていく。

さっき、「もし自分の感情を認めたら歯止めが利かなくなるかもしれない」と言う人も多いよ。はっきり言うと、あなたは【感情】だけで動くということはありません。それが今まであなたが生きてきたということの意味。これまで【理性】で生きていくことを経験してきているよね。むしろそのほうがウェイトが高いくらい。生きていた経験がゼロになることはまずない。人はそこまではっきりと白黒つけることはできない。【感情】だけで生きている赤ん坊との違いはそこにある。

【自分が好きなこと】と【自分に甘いこと】はちょっと違う。【好きなことをすること】と【わがままをすること】も結構違う。だから、安心していいんだよ。



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【内面は外見に出る】というけれど。

それはよっぽど鋭い人が見たときのことで、大体は外見と内面にはギャップがある。
そして、私達はまず外見からその人をイメージしてしまうところがある。しかも結構分かりやすい格好で。

きつめの顔→白黒はっきりした、強気
優しい顔→おとなしい、おっとり

話をしてみると全然違っていて、【意外と○○なんだね】って言葉がかえってきたり。【意外と】ってのはやっぱり外見のイメージに比べてってことが多い。

悩むよね。言葉を交わさなかったらきっとそのままの第一印象でいっちゃうし、言葉を交わして「意外と○○」なんて言われると結構きつい。

私達のこころの中にいろんな感情があるように、いろんな性格が同居している。優柔不断なところもあればすぱっと決めちゃうところもある。どれかが【強めに】外に出ているだけかもしれない。その意味ではやっぱり【内面は外見に出ている】。まったく第一印象が違うというわけでもないのかもしれない。

でもね、そんなギャップがあるということは、少なくとも二つ、いいことがあるよ。本当にあなたのことを見てくれている人は、外見にとらわれず内面の【強いほうの】性格をみてくれる。つまり、ギャップがあればあるほど、大切な人を見つけることができるってこと。一人の大切な人を見つける、そんなに素敵なことはない。

もう一つのいいこと。私達は【意外なこと】にこころを揺り動かされることが結構ある。前に書いた【わくわく、どきどき感】とすごく近い。いわゆる【ミステリアス】なものにあこがれるという【もっと知りたくなる】心理。ギャップがあるほどに、あなたはすごく魅力的に映ってたりするよ。

あなたの内面を見てくれる人は絶対にいる。ギャップを楽しんでごらん。



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私達は結構自分のこころの中だけでイメージを膨らませて、そこで完結してしまうところがあります。

これはいろんなことに言えるけど、何かを【期待したとき】、その後期待通りの結果がでてもなんだか【がっかりした】、あるいは【感動がいまひとつだった】ってことはありませんか。期待に沿えない場合は、なんだかすごくマイナスな気分になったり。すごく簡単な例では、レストランとかの料理。値段から「これはすごくおいしいに違いない」と思っていたけど、出てきた料理を食べたらなんだかがっかり。「彼はすごい人に違いない!」と思った瞬間から、なんだか【あら】が見えたりね。

おそらく、期待した瞬間に自分のこころの中ではそれを達成してしまっているのでしょう。おいしいイメージ、素敵なイメージができている。ある意味それが達成できて当たり前になっちゃう。もちろんできたらできたで嬉しいよ。でも、最初に期待したときと比べると【感動】が違う。

だから、本当に感動が最高潮になるのは、【予想外のとき】が多いよね。「えっ、こんなの想像してなかった」みたいな。彼氏からの突然のプレゼントや告白、すごく安いけどかなりおいしい料理。こころの中ではまだイメージを膨らませていないこと、つまり、こころの中で【完結していない】ことほど、嬉しさが増す。

【感動】は一度味わうと、そこが自分の中の「最高点」になる。喜びのバーが上がるんだね。だから、同じ経験をしても同じぐらいの感動は味わえない。もっと【こころの中でイメージしていなかった】こと、これを求めるようになる。いわゆる、感動の【慣れ】。やっかいなのは、そもそもネガティブ思考な私達はそんな「最高点」から減点していってしまうところ。

期待が大きいほど、裏切られたときの減点ポイントは大きくなる。一度味わった喜びが大きいほど、その後の【あら】が目立ってくる。あんなに素敵だった彼氏が、いつのまにか「最低の男」になってたりする。彼氏は変わってないかもしれないのにね。

【感動】は「感情が動く」と書くとおり、私達は感情が動くと冷静さを失います。嬉しすぎて涙が出るなんてのもそうだよね。それは麻薬のような感覚。だから、冷静に【いいもの】とわかっていても物足りなくなる。刺激を求めちゃう。

きっと、あなたが「いい」と思ったものはずっといい。ただ、【こころのゆれ幅】がなくなってしまっているから、そのよさを忘れがちだけど、こころの中にはちゃんと【いいもの】として大切にしまわれている。それはこころの中ではちゃんと光り続けているんだと思うよ。ダイヤモンドのようなきらびやかさはないけど、真珠のように控えめな輝きで。

本当にあなたにとって何が【いい】のか、時々こころの中の【宝探し】をしてみてはいかがですか。



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こころに余裕がないときは、他人のことを気遣うことなんてしたくない。そりゃそうだ、自分が一番大切だもの。
でも、自分は他人のことがすごく気になる。他人の目、していること、言葉。すごく敏感に反応して、感情が高ぶる。

「周りの人のことを考えることはできないけど、周りの人が自分のことを考えてくれないと悲しくなる。」
なんだかすごく矛盾しているようで、よけいに自分に腹が立つ。

基本的に世界は【自分を中心に】回っています。「まずは自分が」って思うのは当然だよね。確かに、【自分の人生のすべては人にささげる】生き方を選んで動いている人はいます。それを【自分の喜び】と発見できたこと、それは素敵なことだと思います。でもほとんどの人はやっぱり「まずは自分」。でもそれは全然いいと思います。

子供の頃から社会的に「他人に対して思いやりをもちなさい」を教えられてきているよね。なんだか、それが「自分のしたいことをしてはいけない」という意味にすりかわってしまっているような気がする。「自分のしたいこと=わがままで他人に迷惑をかける」、みたいな。だから他人に気を遣わないとなんだか自分が悪い人間のようにさえ思ってしまう。

だから、自分がどんなに辛くても、言いたいことがあっても、我慢して、周りの人に合わせたり、変に気を使ったり。なんだか疲れちゃう。「人に対する思いやり」って本当はこころがすっきりするはずなのに、なんだか我慢している分【もやもや】が残る。そんな【もやもや】があるから、「自分を殺して気を使っているのに気づいてほしい。自分がそこまでしているのだから何かお返しがほしい」、なんだか【見返りを求めた思いやり】になってしまって、自分の思うとおりに相手が反応してくれないと腹が立つし悲しくなる。余計に疲れちゃう。

だから実は、こころに余裕のないときって、自分が【気を遣うか遣わないか】に関わらず、相手が【そんな自分を分かってくれていないこと】に悲しさややるせなさを感じるのかもしれないね。

【他人に気を遣うこと】と【自分が遠慮をすること】は違います。こころから相手のことを考えて接しているときと、自分が何かを我慢して相手に合わせているときとは、相手の受け取り方も変わる。相手はきっとその違いを感じ取っているんだと思うよ。【気遣いたい】から気遣うのであって、【気遣わなきゃいけない】から気遣うんじゃない。自分を殺してそうしたとしても、本当の意味で相手は嬉しくない。相手にとってあなたが大切な人であればあるほどね。

最大の相手に対する気遣いは、【今自分のこころに余裕がなくて、あまり気を遣ったことができないかもしれない。ごめんなさい。でもあなたはとても大切な人です。】っていう言葉なんだと思うよ。そこから何かが変わるかもしれないよ。

無理しない、無理しない。



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どうにもならなくなることがある。
どこにいっても、何をしてもうまくいかない。なんだか袋小路。

そんなことが続くと、何も信じたくなくなって、何も感じたくなくなって、こころの殻をすごく厚くして、ますます【狭い世界】の中に閉じこもる。普段の世界も結構狭かったりするけど、もっともっと狭い【自分のこころの中だけの世界】。

【自分のこころの中の世界】は、今までの自分の経験で作られた世界だから、結構ここちいい。安心感はあるよね。でも、現状どうにもならないことを変えていくだけのパワーがそこにはない。だって、そもそもずっとこころの中で悩んできているのだから。進もうと思っても狭いこころの中の壁にぶちあたって、また元に戻る。その繰り返しでだんだん疲れてきちゃって、動くことをやめたくなる。絶望感。

苦しいときほど、外をみてごらん。いろんな人と、いろんなところで話しをしてごらん。いろんなところに行ってごらん。解決するためだと思うと相手にすごい期待感をもっちゃってがっかりするから、ただ何気ない話でいいからしてごらん。相手のことを、【頭の中で考える】のではなくて、【こころの中で感じて】ごらん。

必ず感じることがあるから。その人が、実は【必死に生きている】というところ。言葉の端々に、ちょっとしたしぐさにそれはでてくるから。自分に余裕がないときは、【必死さが自分とはレベルが違う】って思うかもしれない。根っこは同じだから。人の悩みや必死さには優劣も、レベル分けもない。【何かを求めて生きている】というところはいっしょなのだもの。

それを感じているうちに、何かのヒントが出てきたりする。どうにもならなかった環境が自然に変わってくることもある。はからずも、その人が力になってくれることもある。だったら、最初から【答えを求めて】人に接する必要はないよね。

【明けない夜はない】という言葉がある。下を向いて地べたを這いずり回っているからこそ、上を向いたときの空がきれいだったりする。必死で生きているということはそういうこと。

【絶望からこそ見える美しさ】ってあるんだよ。



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幸せな時間にはすぐに慣れて、「他の人のほうが幸せかもしれない」と思ってしまう。

不幸せな時間はずっとこころに残って、「自分は誰よりも不幸せだ」と思う。


私達は【悲観的な動物である】とよく言われます。ちょっと気を許すと、すぐにネガティブな方向に振り子が振れる。うまくいっているときでさえも、なんだかその状態が怖くなる。「いつまでもこんなにうまくいく状態は続かない。そのうち悲しいことが起こるにちがいない」ってね。だから、人を愛すれば愛するほど、恋人と幸せな時間を過ごすほどに、なんだか不安になってくる。不安になって、本当は望んでいないはずの行動にでる。喧嘩する。でもそれで仲直りしてまた幸せが増していく。


痛みのほうに敏感なのかもしれません。痛いと辛いよね。でも一方で、痛いときほど【生きていること】を実感したりする。本来は【痛いこと=いやなこと】なのに、痛くなることを選んでなんだかほっとする。なんだかすごく矛盾しているような。


「幸せ→不幸せ」と「不幸せ→幸せ」。後者のほうがなんだかすごく幸せになった気分になる。私達は「どきどき」「わくわく」したときにすごく気持ちが高ぶる。全然別のことで「どきどき」したときに、近くにいた【なんとも思っていなかった」異性のことが好きなのかと誤解してしまうのとちょっと似てる。実は、【不幸せ】は、幸せな気持ちを維持するために自分が自ら招いているのかもしれない。


【何もないこと】がすっごく幸せなのかもしれないよ。「わくわく」や「どきどき」があるとなんだか【幸せ感】が分かりやすいけど、それを超えて何も感じなくなっても、【幸せのタネ】がすぐそこにまだあるときは【安心感】という、このうえない幸せが続いている。こころの殻を安心して薄くしている状態。それが続くと、薄くしていることすら忘れてしまうけど、忘れられるほど薄くできていることほど素敵なことはない。こころが【呼吸】できているんだから。


それに、あなたが【幸せ】なときはどうにも【幸せ】。【不幸せ】なときはきっとどうにも【不幸せ】。あなたの幸せは他の人の幸せじゃないかもしれない。そもそもが悲観的に考えがちだから、他の人と比べると安心するよりも不安に思うほうが多いと思うよ。だったら、自分が【幸せなのか不幸せなのか】、それを考えるだけのほうがいい。


「じゃあ自分は【不幸せ】だ。」

ちょっと待って。さっき言ったみたいに、【不幸せ】の多くは自らが招いている。ちょっと楽観的に言うと、【不幸せは幸せを招くための準備期間】でもある。すぐそばに【幸せのタネ】は転がっていたりする。探してごらん。顔を上げて、辺りを見回してごらん。絶対に見つかるから。


でも本当は、自分が【幸せ】とか、【不幸せ】とか、考えなくてもいいんだよ。あなたが今ここにいるだけで十分【幸せ】なんだもの。




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もしも

うまれかわることができたなら

なにをするだろう


すくなくとも

いまよりも もっと

しあわせになっているはず

だって うまくいかなかったことをやりなおせるから


そのとききめたことは

いまおもうとただしくなかった

でも

そのときはきっとただしかった


うまれかわっても きっとおなじかもしれないね


きょう

したいことを

したかったことを

ひとつでいいから してごらん


それがしあわせへのだいいっぽ

いまのじぶんは

かけがえのないほど すてきなじぶんだから




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本当に辛いことが続くと、こころの中では「この辛い感情を感じていたくない」と思うようになります。こんなに辛い気持ちが続くと自分が壊れてしまうから、それを何とかしたいという【自己防衛】。だからこころの殻をすごく厚くして、こころにふたをして、その感情が出ないようにもするし、外からその感情が刺激されないようにする。

いろんな人と話をしていますが、本当に辛いことほど、すごく淡々と話をする人が多いように思います。こころの中の感情が外に出てきていない。自分のことでないかのように冷静に。ある意味これは当然のことだと思います。そうでないと自分を守れないから。

でもそんなときでも、すごく殻が薄くなって感情が全身から飛び出てくることがあります。例えば、とっても楽しいことや好きな人の話をするとき。目の輝きが変わり、口調が変わり、表情が変わる。空気が黄色くなる。辛くてこころにふたをしているときは、楽しいときの感情も外にでにくくなるのですが、このときはそんな殻も突き破って飛び出てくる。本人は気がついていないことが多いんだけどね。

僕はこの【飛び出る気持ち】をすごく大切にしています。飛び出るきっかけとなっている出来事は必ずしも大切ではない。だってその出来事に対する気持ちは時間とともに変わることが多いから。大切なのは、どんなに辛いときでも、気持ちが【飛び出た】という事実。普段、【自分は感情がわかなくなってしまった】と思っていても、実はそうじゃないということ。

【飛び出る気持ち】には共通点がある。【楽しい】【嬉しい】【気持ちいい】【ここちいい】といった気持ち。色でいうと「黄色」とか「オレンジ」とか「ピンク」。そういう気持ちは、自分がどんな状態でもこころの中には生まれているんだよ。それに気づかなくなっているだけ。だから、まずはそれに気づけばいい。

どうやったら気づくかって?周りにいる気の置けない人に、そいういう顔をしたときに指摘してもらうのが一番早い。カウンセラーでもいい。親でもいい。私達は自分の楽しいことを誰かに伝えたいという気持ちを結構もっている。子供が楽しかったことをしつこいぐらいに何度も話したがるのと同じ。実はちょこちょこと表に出ているはず。

そんな自分に気づけたら、今度は自分と向き合う番。【何が自分にとって楽しいのか、ここちいいのか、嬉しいのか】、自分のこころに聞いてごらん。それは一つじゃないよ、きっと。疲れているときは、すぐにはでてこないかもしれないね。だから、何度も何度もこころにたずねてごらん。

この二つのステップをクリアするだけで、何かこころの中のもやもやがすっきりするかもしれないよ。それだけで【もつれた糸】がほぐれてくるからね。

【こころとあたまがつながるのが心地よい】



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・テストでトップになった
・すごく難しい試験に合格した
・「あなたはとてもすごい人だ」と褒められた

【自信】ってどうやれば手にすることができるのでしょう。【自信】って【自分っていいなあ】と思うことだから、言い換えると「どうすれば【自分っていいなあ】と思う」のでしょう。

【自信】をもてるかどうかは、常に何らかの【尺度】があるような気がする。上の3つは【自信】をもつきっかけになりやすい出来事だけど、これにも【尺度】がある。
・「○○人いる中で」トップになった
・「難しいと【他の人が認める】」試験に合格した
・「他の人に比べて」あなたはすごい人

実はこれって結構難しい。だって上には上がいるもの。中学時代にトップクラスで、難関校に入学したのはいいけれど、みんなレベルが高くて自分は全然「並の人」になってしまった。中学時代の自信が高校時代になくなってしまった、ってことはよくある話。

よく、「【自信】を持つには、成功体験を重ねることが一番」なんてことが言われる。確かにそうだね。成果がでたということは【自分が頑張った証】だから分かりやすい。周りの人も判断しやすいから「すごいねえ」って言ってくれる。確かにそれは自信になる。

でも、これも実際にやってみると難しいよね。そんなにいっつも「周りの人が認めるような」成功体験ができるわけじゃない。むしろ、失敗することのほうが多いぐらい。成功体験を積んで【自信】を持つつもりが、失敗体験が増えちゃってよけいに【自信を失う】。これは結構悲しい。

【自信】って本当に「周りとの比較」でしかもてないのかなあ。実は【自分のこころの中】に自信をもつ要素はあるんじゃないかな。例えば、あるとき「○○をしよう!」って思ったとする。それって、自分の中で何らかの変化をしようとこころに浮かんだこと。それってすごくない?そもそも私達って変化を嫌うところがある。先が見えないと不安になるからね。それを打ち破って新しいことをしようとする、それは絶対にすごい。そんな自分を【褒めてあげる】。これだけでも【自信】につながる。

それを実行してうまくいったらもっと自分の中で【自信】になるのは間違いない。自分がしようと思ったことができるなんて、すばらしいことだもの。でも結果がでなかったからといって【自分を責める】こともない。さっき言ったみたいに、「○○をしよう!」と思えた自分をすごいと思えばいい。結果は環境や運が含まれてくるから、必ずしも自分の力だけで生み出されるものじゃない。だから少なくとも【自分のこころ】の中では、結果がすべてではない。

もっと簡単に言うと、自分が「▲▲がしたい」と思ったときに、【自信】は生まれるんだよ。その時点で【今の自分から違うところに進もうとする】ということだからね。



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