すごくやさしいきもちのはずなのに


うしろをふりむくと


すごくつめたいじぶんがいて


ほんとうに にくい とおもっているのに


ひっくりかえしたら


たすけてあげようとおもう


なんてひどいにんげん


なんてすてきなにんげん


ひかり があたると かげ ができるように


くらやみにひかりをあてるとあかるくなるように


ひかりがあるからかげができる


くらやみがあるからひかりがいきる


そんな せなかあわせ


それが にんげんなんだ



☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

私達はどこか【こころのよりどころ】を求めるところがあります。人に求める場合もあるし、モノに求める場合もある。

縁起をかついだり、思い出の品を大切に持っていたり、そんなのも【よりどころ】の一つ。恋人と寄り添っていたいと思うのも、子供を何よりも大切にするのも実は【よりどころ】を求めているところがあるから。

キリスト教だったら「神」、仏教だったら「仏」。精神としての【よりどころ】もあるよね。程度の差はあるかもしれないけど、まったく「よりどころ」を持っていない人のほうが少ないかもしれない。

不思議なことに、私達は「人」をよりどころにすると【依存をしている】と見てしまうところがあります。なんだか【依存】という言葉に過敏に反応してしまうところがある。「自立をしなきゃいけない」と周りも自分も思って、不自然なほどに人を遠ざけて自分ひとりで頑張ってしまったりして。

そりゃあ、相手にすべてを託してしまって、自分で何も決めず、言われるがままに動くとなんだか楽だけど【苦しい】。自分のすべてを託すことなんて、本当はできないもの。自分をゆだねることの【見返り】をこころのどこかでは求めているから、実際にはその通りにはならなくて悩む。これじゃ確かに、なによりもあなたの【こころ】がかわいそう。

本来は「人」も「モノ」も大きな違いはないんだと思います。人そのものやモノそのものをよりどころにしているのではなくて、その裏側にある【たましい】と自分のこころがつながっているから。だからなんだかこころが安らぐし、勇気がでるし、気持ちが優しくなる。「モノ」にもたましいはあるからね。

よりどころはなんでもいいんだよ、きっと。「人」だからといって過敏になることもない。大切なのは、【最後には自分で決める】という意思を持つこと。というか、実は「ちゃんと決めている」自分のこころに正直になること。

【よりどころ】は決して逃げじゃない。自分が自分でいられて、前に進んでいくために必要なあなたの支えであり、殻の外し場所だからね。一人でいること、一人ですべてをすることが【自立】じゃないんだよ。



☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

みえるのは


みているということ


きこえるのは


きいているということ


しようとおもうほど


ちゃんとみえない きこえない


みるんじゃなくて

きくんじゃなくて


ながれのまま


こころのまま


あるがまま


かんじる ということ


そのまんまを うけとめるということ


それが


あなたでいる ということ



☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

そらとか

かぜとか

あめとか


そんな しぜんのなかで


ぼくたちはなにもできない


ただただ


みをゆだねて


ながれにまかせて


ともにいきる


いきていること


それだけでいい


そんなよろこびは


みんなのすぐそばにある





☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

本来なら

【好きなものは好き】
【嫌いなものは嫌い】

なはずだよね。だってそれは自分のこころの中から生まれてくる、【生きるために必要な】感情だから。

実際には、好きだけど好きといえなかったり、好きの気持ちを押さえ込んだりする。「嫌いじゃいけないんじゃないか」と思って好きになるよう努力したりする。

そう考えるときって、「人の視線」を気にしていたりしていませんか?「自分が好きだと言ったら周りの人はどう思うだろうか」とか、「嫌いといったらなんだかすごくわがままな人間に見られてしまうんじゃないか」とか。

自分が好きとか嫌いとかじゃなくて、周りの人の【好き嫌い】に合わせてしまう。合わせることで「こいつ変わってる」って思われなくてすむし、相手が上機嫌になったりするから。

もし、周りの人の目を気にしなかったらあなたは好き?嫌い?

これが一つの答えです。

正しいことと正しくないことの境界線は実にあやふや。ましてや感情なんて、理由がないだけに誰も本来は正しいとも間違っているともいえないんだよ。

私達は「正しいこと」を【表面的には】求めようとする。それは実は【正しいこと】じゃなくて、【「正しい」と皆に同意してもらいたいこと】だったりする。だから「正しいね」といってくれる人が多いことはなぜか「正しく」なる。本当にそうなのかな?

きっと、【自分が正しい】んだよ。もしみんなとの感じ方が違ったとしたら、こんなに嬉しいことはない。だって、あなたは、【誰とも似ていない、この世ですごく貴重な存在】なんだもの。




☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

なんでも自分だけで決められるものじゃない。周りの人や環境とかが絡み合って今の自分があったりする。

逆を言うと、周りの人や環境に左右されることだけじゃなくて、自分自身が決めて動いている部分っていうのがある。

【今の自分を受け入れる】っていうことはすごくパワーがいるよね。できることなら認めたくないところもある。うまくいかないときや嫌なことがあったとき、【今の自分を受け入れる】ことを避けようという気持ちが強くなると、怒りややるせなさが外に向いちゃう。「誰々がこんなことを言った(した)からこんなになっちゃったんだ」とか、「周りの環境の中ではやりたいと思ってもできないよね」とか。

それは確かに正しいかもしれないね。でもそんな気持ちが強くなりすぎると、【自分を省みる】ことを封印しちゃう。「自分は間違ってない、周りが違うんだ」っていう感じにね。それって実はこころの中では大変なことになっている。こころの中の【自分の部分】を【外の部分】を戦わせて、頭の中で前者を押さえつけてるって感じ。押さえつけられて窮屈で動きたくて、もがくけど動けなくて。なんかそれって辛いよね。【自分の部分】は絶対に行き続けるし、押さえつけられる分反発力は強くなる。弱っているときにすごく自己嫌悪になるのはそれがここぞとばかりに反発したときなんだ。

まずは今の現状を内側も外側もひっくるめて考えてみてごらん。方法は二つ。
「今の環境だったら自分はどんなことができるのか」
「自分がしたいことをするには環境がどう変わればいいのか」
【できること】【したいこと】から考えるのがミソ。「できないこと」「したくないこと」から考えるのと結果的にはおんなじなんだけど、気分が変わる。
その次は【じゃあ、どうやったら環境が変わっていくか】を考えるのがいいけど、難しいこともある。でも、最初に「今の環境から考える」ことで、意外と満足感がでたりする。

実は、どんな環境でも【自分のしたいことはできる】。なぜかって?ヒントはこれ。

【自分の根っこは変わらないけど、環境は変わる】



☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

たいようがおとしてくれるもの


ひかり


あたたかさ


たいようだけじゃない


すみきった そら

すきとおった くも

うえをみあげてごらん

こころのなかの


じめじめしたところを


かわかしてくれるから


こころのせんたくをしましょう



☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

基本的に私達は悪口とか噂話が大好き。

前にも書いたけど、私達は【比べて自分を評価する】ことに慣れてしまっている。だから、誰かを常に「自分より下」にしないと安心できない。悪口、うわさ話って「あの人はあんなにひどい人なんだ」と言うけど、【自分に比べてあの人はこんなにひどい】と言っているような感じになる。いじめもそれに近いよね。

でも、実はそれだけじゃない。ネガティブな悪口やうわさ話をするときって、得てして自分もネガティブになっているときが多くありませんか。自分の思うようにならなくていらいらしていたり、周りの人に認められなくて悲しかったり。そんな、「なんだ自分だけがこんなに辛いんだ」っていう思いが、「自分だけ辛いのは不公平だ」って思いに変わっていって、周りの人に向いていく。逆に言うと、自分が楽しかったり、幸せなときってあまり周りの人のことが気にならなかったりするでしょ。

笑っているときに【ほんわかしたもの】が外に出るのと反対に、悪口を言っているときには【いやーな感じのもの】がこころから出て行く。それが話相手のこころの中に入っていって相手のこころの中にも【いやーな感じのもの】が広がる。伝染するみたいなもの。実は口から出るだけじゃなくて、全身にそれは広がるから、顔に出ちゃってる。だから話しているときにふと鏡をみると「はっ!」としたりする。

こころの中で生み出した誰かに対するそんなものと自分の持っている【いやーなもの】が混ざり合い大きくなる。人の話をしているはずなのに、どんどん自分もネガティブになったりするのはそのせい。他人のことのつもりが自分に返ってくる。

誤解してほしくないのは、相手に対するネガティブな感情はおさえようとしてもこころの中には生まれてくるということ。「そんなことを考えちゃいけないよ」って言うつもりなんてない。生まれちゃうからね。もしどうしても悪口を言いたくなったら、いっしょに【ポジティブなこと】も言ってごらん。
「○○はこんなにひどい人。こうしたらもっとよくなるのに」
「▲▲はこんなところはいいけど、ここはだめなんだよねえ」

こころの中で、ポジティブな思いとネガティブな思いを中和させてしまってごらん。そうするときっと【毒】も抜けるし【トゲ】も鈍くなる。

そうすることで、きっとあなたの印象は変わるよ。そして、あなた自身も変わる。


☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

「あなたの笑顔はあまりに素敵で、世界まで変わってしまいそう」

あなたはこころから笑っていますか?

赤ん坊の満面の微笑みや、子供の無邪気な笑みを見るとなんだかこころがやさしくなることって結構ある。彼らはただ純粋に、こころから楽しい、嬉しいと思って笑っている。楽しんでいる。そして、だからこそ私達のこころを動かし、行動まで変えてしまう。

大人になっていくにつれて、本当に楽しくなくても笑うことが増えていく。人とのコミュニケーションの手段として、雰囲気を維持するために。こころの中では泣いているのに、表では笑ったりすることができるようになる。

こころから笑っているときは、いつのまにか口が開いたりするよね。こころの中の【楽しい部分】が口を通して表に出ているのかもしれない。それが相手に届いて、相手のこころの中に入っていく。だから実に楽しそうにしている人の近くにいると、自分もなんだかほんわかした気分になったりする。これは子供も大人もおんなじ。

【笑いの治癒法】ってあるよね。病院で【笑いの場】を作ったら治ったり病気が軽くなる人が増えるっていう話。きっと、こころの中の【楽しい部分】が外に出るときに、いっしょに【悪玉】も連れて行ってくれるのでしょう。

だから、「世界」とまでは行かなくても、【笑い】で自分の周りの雰囲気を変えることは結構できる。笑わせる必要なんてない。自分が楽しんでいることだけで、相手にそのパワーを与えることができるんだよ。自分が楽しんで笑っているだけでも相手も楽しい気分になる。なんだか不思議。

もちろん、日常を生きていると楽しいことばっかじゃない。むしろ、辛いことのほうが多いぐらい。そんな気分のときに【こころから楽しむ】ことなんてできないし、笑ってなんかいられない、そんなことを思う人もいるよね。一つ考えてほしいのは、「自分から【今は楽しんではいけない】って思ったりしていませんか?」。私達は元来楽しいことに対して貪欲で、笑うことが好きなはず。実は身の回りにはそんな【材料】はいっぱいある。

自分がどんな状態でも、楽しんでいいし、笑ってもいいんだよ。周りの人がなんと言おうと、自分がまずは一番なんだから。そして、自分が【こころから】笑っていると、そんな周りの人もきっと変わってくるから。

【あなたの笑顔はそれだけのすごく素敵なパワーを持っている】




☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにTOP50位内にくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○

周りの人が自分に持つ印象は実にさまざまで、どんな風に接するのがいいのかを考えるほどにわからなくなる。だって、人によって感じ方は違うものね。

でも、ちょっとした一言でほとんどの人の印象がポジティブになることがあります。今日はそんな話。

【ありがとう】と【ごめんなさい】。あなたはどれぐらいこの言葉を一日の中で使いますか?

以外と少ないかもしれませんね。【すみません】という言葉を使うことのほうが多くないですか?

【ありがとう】の効果を研究している人もいて、「ありがとうという言葉を植物に投げかけて育てるとよく育つ」とか、「ありがとうという言葉がすごくきれいな波動になる」とか。

【ごめんなさい】には「自分が悪くて詫びようと思う」という意味が隠されていて、【すみません】には「自分が悪くないときも含めて相手に申し訳ないと思う」意味が隠されているような気がする。

【ありがとう】と【ごめんなさい】。この二つの言葉は相手にすごくストレートな印象を与えます。【こころから】という意味。こころから感謝する、こころから申し訳ないと思う。こころの中に出てきたそうした感情が、そのまま相手のこころに届いていく、そんな感じ。【素直なこころ】で相手と会話をするということ。私達はこころを開いてまっすぐ送ってきた言葉には結構弱い。子供のまっすぐな言葉に「いい加減なことは言えないなあ」と思ったり、すごくこころに響いたりするのと同じ。

「あ音」って人のこころに残る音なんだって。【ありがとう】も【ごめんなさい】もあ音が2つ。【すみません】は1つ。こんな違いもあるのかもしれないね。

なんだか、この二つの言葉を使うのって照れくさい。そりゃそうだ、だって「自分のこころの殻をすっごくオープンにして相手に伝えようとする」言葉なんだもの。自分のこころの中を見られるようなもの。だから恥ずかしい。

だからこそ、まっすぐ目をみて、【ありがとう】と【ごめんなさい】。これだけでも周りの人のあなたに対する印象は変わったり、周りの人の気持ちを動かすことができるかもしれませんよ。



☆★ブログランキングに参加しています。皆様いつも本当にありがとうございます。久しぶりにまた上がってくることができました。再びトップ10目指して頑張ります。よろしければワンクリック お願いします★☆



○。

こころがちょっとつかれていませんか?そんなときは【こころの止まり木】 に立ち寄ってみませんか。

。○