私達はどこか【こころのよりどころ】を求めるところがあります。人に求める場合もあるし、モノに求める場合もある。

縁起をかついだり、思い出の品を大切に持っていたり、そんなのも【よりどころ】の一つ。恋人と寄り添っていたいと思うのも、子供を何よりも大切にするのも実は【よりどころ】を求めているところがあるから。

キリスト教だったら「神」、仏教だったら「仏」。精神としての【よりどころ】もあるよね。程度の差はあるかもしれないけど、まったく「よりどころ」を持っていない人のほうが少ないかもしれない。

不思議なことに、私達は「人」をよりどころにすると【依存をしている】と見てしまうところがあります。なんだか【依存】という言葉に過敏に反応してしまうところがある。「自立をしなきゃいけない」と周りも自分も思って、不自然なほどに人を遠ざけて自分ひとりで頑張ってしまったりして。

そりゃあ、相手にすべてを託してしまって、自分で何も決めず、言われるがままに動くとなんだか楽だけど【苦しい】。自分のすべてを託すことなんて、本当はできないもの。自分をゆだねることの【見返り】をこころのどこかでは求めているから、実際にはその通りにはならなくて悩む。これじゃ確かに、なによりもあなたの【こころ】がかわいそう。

本来は「人」も「モノ」も大きな違いはないんだと思います。人そのものやモノそのものをよりどころにしているのではなくて、その裏側にある【たましい】と自分のこころがつながっているから。だからなんだかこころが安らぐし、勇気がでるし、気持ちが優しくなる。「モノ」にもたましいはあるからね。

よりどころはなんでもいいんだよ、きっと。「人」だからといって過敏になることもない。大切なのは、【最後には自分で決める】という意思を持つこと。というか、実は「ちゃんと決めている」自分のこころに正直になること。

【よりどころ】は決して逃げじゃない。自分が自分でいられて、前に進んでいくために必要なあなたの支えであり、殻の外し場所だからね。一人でいること、一人ですべてをすることが【自立】じゃないんだよ。



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