こころに余裕がないときは、他人のことを気遣うことなんてしたくない。そりゃそうだ、自分が一番大切だもの。
でも、自分は他人のことがすごく気になる。他人の目、していること、言葉。すごく敏感に反応して、感情が高ぶる。

「周りの人のことを考えることはできないけど、周りの人が自分のことを考えてくれないと悲しくなる。」
なんだかすごく矛盾しているようで、よけいに自分に腹が立つ。

基本的に世界は【自分を中心に】回っています。「まずは自分が」って思うのは当然だよね。確かに、【自分の人生のすべては人にささげる】生き方を選んで動いている人はいます。それを【自分の喜び】と発見できたこと、それは素敵なことだと思います。でもほとんどの人はやっぱり「まずは自分」。でもそれは全然いいと思います。

子供の頃から社会的に「他人に対して思いやりをもちなさい」を教えられてきているよね。なんだか、それが「自分のしたいことをしてはいけない」という意味にすりかわってしまっているような気がする。「自分のしたいこと=わがままで他人に迷惑をかける」、みたいな。だから他人に気を遣わないとなんだか自分が悪い人間のようにさえ思ってしまう。

だから、自分がどんなに辛くても、言いたいことがあっても、我慢して、周りの人に合わせたり、変に気を使ったり。なんだか疲れちゃう。「人に対する思いやり」って本当はこころがすっきりするはずなのに、なんだか我慢している分【もやもや】が残る。そんな【もやもや】があるから、「自分を殺して気を使っているのに気づいてほしい。自分がそこまでしているのだから何かお返しがほしい」、なんだか【見返りを求めた思いやり】になってしまって、自分の思うとおりに相手が反応してくれないと腹が立つし悲しくなる。余計に疲れちゃう。

だから実は、こころに余裕のないときって、自分が【気を遣うか遣わないか】に関わらず、相手が【そんな自分を分かってくれていないこと】に悲しさややるせなさを感じるのかもしれないね。

【他人に気を遣うこと】と【自分が遠慮をすること】は違います。こころから相手のことを考えて接しているときと、自分が何かを我慢して相手に合わせているときとは、相手の受け取り方も変わる。相手はきっとその違いを感じ取っているんだと思うよ。【気遣いたい】から気遣うのであって、【気遣わなきゃいけない】から気遣うんじゃない。自分を殺してそうしたとしても、本当の意味で相手は嬉しくない。相手にとってあなたが大切な人であればあるほどね。

最大の相手に対する気遣いは、【今自分のこころに余裕がなくて、あまり気を遣ったことができないかもしれない。ごめんなさい。でもあなたはとても大切な人です。】っていう言葉なんだと思うよ。そこから何かが変わるかもしれないよ。

無理しない、無理しない。



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