今回は、インド自動車市場において、日本では見かけることのないブランドについてご紹介していきたいと思います。
1 タタモーターズ(インド)
タタ財閥の自動車部門ですが、タタ財閥は鉄鋼、化学など重工業から食品・飲料など一般消費財まで多くの産業に関わるインド最大の企業グループです。19世紀半ばにペルシア(現イラン)から移民してきた一族がボンベイ(現ムンバイ)で綿貿易を始めたのを皮切りにその業容を広げていきました。
タタモーターズはその中の中心的な企業の一つで、1945年に創業、当初は蒸気機関車を製作していましたが、56年から商用・軍用車メーカーとしてトラックや軍関連の車両を製造していました。
ちなみに乗用車市場については、1958年にイギリスから生産ラインごと輸入して国産車アンバサダーが登場すると、長くインドは社会主義政策として乗用車の輸入も新規参入も禁じられていました。(80年代に部分的緩和でマルチスズキが進出したのみ)
1989年の湾岸戦争による国家破綻危機とその後の自由化を受けて、1991年にSUVのSierra,翌92年にステーションワゴンのTATA Estateを発表、本格的に乗用車市場に参入し、98年発売のインディカは大ヒットモデルとなり、マルチ800(スズキ・アルトベースの小型車)と並びインドの国民車と言われるようになりました。
2008年には旧宗主国(植民地支配をしていた国)であるイギリスの名門メーカーであるジャガーとランドローバーをフォードから買収、他にも、スペイン、イタリア、韓国で商用車の合弁事業を行うなど国際進出も加速しています。
2009年、TATA Nanoが発売され世界一安い乗用車として日本でも報道されますが、販売は振るわず改良も受けたモノの2018年に生産終了となりました。
現在は、マルチスズキ、ヒュンダイにつぐインド乗用車市場で3位の位置につけており、(商用車では5割ほどのシェア)低価格の小型車から安価なSUVまで揃っています。
タタ・ナノ
タタ・インディカ(初代)
2 マヒンドラ&マヒンドラ(マヒンドラ)
マヒンドラもインドを代表する財閥の1つで、1945年に北部パンジャブ州で鉄鋼の商社を立ち上げたことが始まりです。47年のインド独立後は、イギリスとの鉄鋼に関する貿易、自動車部品の生産、トラクターの製造など多くの分野に進出していきます。
自動車部門のマヒンドラ&マヒンドラは1948年に設立され、当初はアメリカのジープ(現在はFCA フィアットクライスラーオートモティブの1ブランドですが、当時は米国の軍需企業ウィリス者が生産、軍に納品していました)のライセンス生産を行うことから始まりました。
その後、トラクター(のちに分離)、トラック・バスといった商用車、軍用車の生産を拡大していきます。
乗用車市場に進出したのは2000年、まずSUVのBoleroが発売され、続いて2007年に仏ルノー車と合弁会社を作り、ルノーのルーマニア子会社ダチア社が製造する小型車Roganをベースにしたマヒンドラ版のロガンを発売しました。
余談ですが、1982年の第二国民車構想の際、当初インド政府の高官は大家族が多いインドでは大人数が乗れるルノーの中型車ルノー19をライセンス生産することを考えていたようですが、最終的にはスズキが日本の軽自動車アルトをベースにしたマルチ800を推してそちらが採用されることになりました。
ルノーとの合弁は2010年に解消し、以後はマヒンドラが乗用車からSUVまで単独で開発・販売を行っています。しかしどちらかというと、SUVの印象が強く、Scopioという7-9人乗りSUVは安価で多人数(定員+3人くらい)乗せて走ることもしばしば見かけます。
また、Tharというモデルは、本家ジープの流れを受け継ぐタフなオフロード車で、軍用でも使われています。
マヒンドラ・スコーピオ
マヒンドラ・Thar
3 ヒュンダイ(現代自動車)
韓国を代表する自動車メーカー2020年時点で世界第5位の規模です。2000年前後に日本にも進出していましたが、販売が振るわず撤退しました。
1967年に韓国で操業、当初はフォードの技術支援で小型車を製作し、70年代以降は日本の三菱自動車の支援で発展を続けました。
インド進出は1996年でトヨタより2年早く、小型車を中心にマルチスズキ、タタと激しい競争をしており、一時期シェア2位となりました。 2020年のコロナ対策によるロックダウン(自粛より厳しい外出禁止、工場など操業禁止措置)が終わったあとも小型車人気を受けて好調な販売を維持しています。
かつては安かろう、悪かろうのイメージが強かったヒュンダイですが、新興勢力同士の戦いとなるインド市場では、マーケティング力(価格、デザイン、広告宣伝の効果、品質)のバランスで勝ち組になっています。
ヒュンダイ・i20
4 スコダ
スコダは19世紀末にオーストリアハンガリー二重帝国時代に自転車や機械の製造で始りました。20世紀初頭に自動車生産を開始、戦後はチェコスロバキア(現チェコ)で国営化されたあと、東欧民主化の波を受け90年に民営化、まもなくドイツ・フォルクスワーゲング(VW)の出資を受け、VWグループの1ブランドになります。
インドには2001年に進出、マハラシュトラ州に工場を建設しました。インド市場では中・上級モデルとして中型セダンのスコダ・オクタビアを中心に販売されています。
2019年に親会社VW(フォルクスワーゲン)グループとしてVWインドと統合されました。ちなみにVWもインドに進出しており小型車ポロ、中型車ヴェントを生産・販売しています。今後、ブランド・モデルごとの立ち位置が整理される可能性もあります。
スコア・オクタビア
5 MGモーター
MGとは元々はイギリスのブランドですが、その遍歴をたどると本1冊書けそうなくらい複雑です。
1930年にイギリスで操業、35年にモーリス社に吸収、そのモーリス社が60-80年代の長期にわたるイギリス自動車産業大再編により、ブリティッシュモーター、ブリティッシュレイランド、オースチンローバーなどの再編していくなかで、MGはスポーツカーブランドとして残ってきました。
2005年、当時MGブランドを所有していたMGローバー社が破綻、中国の南京自動車が買収し、2007年から南京自動車が上海自動車に買収される。同年中国でのMGブランドの生産が始まります。
2016年イギリス工場閉鎖(デザイン、マーケティングの研究機関は残す)、イギリスおよび欧州向けは全て中国工場からの輸入になる。
2017年インド・グジャラート州で同年限りで閉鎖したGMの工場を入手、整備の上2019年からMG Indiaの工場としてインド市場向けSUV社ヘクターの生産を開始となっています。
まだインド進出から2年、しかも2020年から印中対立(領土問題で争っている印中国境で度重なる小競り合い)のさなかで、インド政府が中国企業、中国製スマホアプリ締め出しするなど、反中感情が高まっているという最悪な状況にも関わらず、着実にディーラー網を整備し、販売を伸ばしています。
インドは90年代まで乗用車の輸入を禁止していたため、MGブランドはインド初参入となります。つまりMG=英国というイメージはなく、新興企業として受け入れられているようです。さらに今後はEVの発売も予定されており、政治的には国際的な批判にさらされながらも、中国企業の勢いを感じさせるものです。
MG・ヘクター
インドの自動車産業は、長く閉鎖市場であり、1950年代設計のアンバサダーと、80年代に国営企業のパートナーに選ばれたマルチ・スズキの2強が続いてました。
そのため、長年の歴史・ブランドがあるメーカーも新しいメーカーもインド市場においては全て新興勢力、良くも悪くも同じ土俵で戦うことになります。
世界最大の自動車会社であるトヨタも、インド市場ではシェアは第5位に甘んじており、一方ヒュンダイはマーケティング力で伸ばし、MGという英国名門ブランドはかつてのスポーツカーのイメージを使わず、近代的なSUVとして、さらに今後はEVメーカーとして売り込もうとしています。
このように他国とは状況が大きく異なるインド自動車市場、人口の多さから世界最大の市場になることも考えられます。ぜひご注目下さい。