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イギリス、フランス、イタリアからのアンティークをご紹介させて頂きます。定番品からマニアックな物まで時代背景やそれに付随する情報を交えてご紹介させて頂きます。

スコットランドの首都エジンバラと言えば、タータンチェックやバグパイプが真っ先に思いつきますが、

実はガラス工芸も特産品としております。 17世紀にヴェネチア人によってもたらされてた技術を受けつぎ400年の歴史を誇っております。


その中でも最高峰と言われるエジンバラクリスタル。

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1773年に同社の前身にあたる製造所がエジンバラのリースで始動。


1867年、Edinburgh and Leith Flint Glass Co(エジンバラ&リース フリント グラス社)して創業。400年の歴史での初めての営利企業となる。


1955年、エジンバラクリスタル社に社名を変更


2006年、工場の大火災により、経営難に陥り一気に衰退。 2007年にWaterFord Wedgwood(ウォーターフォード ウェッジウッド社)に買収されて以来、『エジンバラクリスタル』のブランドネームは存在しているもののエジンバラでの生産は行われておらずデザインも一新される。

エジンバラ製のエジンバラクリスタルはこれから希少になっていくこと必須。 今のうちに購入しようと思っている方の為に年代別の透かしロゴを載せておきます。 底を見たらすぐに判別できるので、もし出会いがあれば底をチェックしてみて下さい。



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1955年~1980年



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1980年~2006年



もしかしたら、こんなレア物に出会うかもしれません。

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エジンバラ&リースフリントグラス社時代のロゴ

左が1927年~39年、右が1945年頃


当店で取り扱っておりますシスルパターンのグラスになります。

シスルとはスコットランドの国花アザミの事で、グラス全体にそのアザミが装飾されております。 

このシリーズはエジンバラクリスタルの中で最も価値ある一つとされております。

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1955年~1980年のエジンバラ製になります ※在庫がない場合は取り寄せ致しますのでお気軽にお問い合わせ下さい。 http://www.anticarize.com/8_181.html



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こちらはペアでの販売です。

1955年~1980年のエジンバラ製の透かしが入っております。

http://www.anticarize.com/8_183.html




ウォーターゴブレット

http://www.anticarize.com/8_237.html




シャンペントールグラス

http://www.anticarize.com/8_235.html


ブランデーグラス
http://www.anticarize.com/8_211.html



ソーサーシャンパングラス

http://www.anticarize.com/8_234.html


他にもまだございますので↓より是非お立ちより下さい。

http://www.anticarize.com/index.html


それでは。


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今回もイギリスサッカー事情についてですが、ちょっと路線を変えてフーリガンにスポットを当ててみます。 


日韓ワールドカップの時はフーリガンがイギリスから大挙してくるなんて騒がれていたのを思い出します。 結局は何もおこりませんでしたが。。。


最近では大きい国際大会では問題を起こさなくなりましたが、イギリス国内では飲んで暴れて、火を付けたり、集団でケンカしたりと健在です。


そんなならず者達ですが、すでに1880年頃から存在していたようです。

初めは労働者階級が、憂さ晴らしに飲んで大声だして騒いでただけだったのですが、そのうち群れになって、相手に罵声を浴びせ、乱闘するのを目的として会場に足を運ぶようになりました。


さて、今日のタイトルでもある『フーリガン と バーバリー』、


言い換えると『不良 と 高級ブランド』、


一見真逆の2つですが、混ざり合う事により社会現象 社会問題を引き起こします。

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最近はシナジーなんて言葉が良く使われますが(例:ユニクロ + ビックカメラ=ビックロ)

これはシナジーなんて効果的なものではありません。


確かに1990年頃から2000年半ばに掛け、バーバリーはフーリガンから飛ぶように売れました。

特に一番のアイコンでもあるベースボールキャップは爆発的にヒット。

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でもなぜバーバリー?


理由はこの2つにあるようです。


・バーバリーを身につける事で普通の健全な観客だと見せかけ、警察の監視から逃れる為。

・アメリカのヒップホップカルチャーの影響


しかし、バーバリーからすれば全くターゲット層にしていない不良からどういうわけか受け入れられ、相当なイメージダウンとなりました。 2005年にはベースボールキャップの販売を中止。 

パブではバーバリーの野球帽を被った輩は暴れるので入場規制した店もあったようです。


サッカーとは直接関係ないですが、観客あってのスポーツなのでこういう事を知っていると、また違った楽しみ方ができます。 


興味がある人は↓の映画をおススメします。

日本では話題になりませんでしたが、イギリスでは結構評判でした。

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フットボールファクトリー

フーリガンの日常を描いた作品。

ただのバイオレンスではなく人生の負のドラマも盛り込まれた名作。 超イギリステイスト。



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コンフェデ杯残念でしたね。 2位通過していればスペイン戦だった思うと本当に残念でしょうがありません。


さて、前回はイギリスサッカーが4か国に別れている理由について書きました。


今日はその母国でのフットボールの始まりについてです。

フットボールと言っても今のサッカーのような感じではありませんでした。


◆原始フットボール

実は元々サッカーとラグビーの起源になったスポーツは同じで、現代のサッカーが近代フットボールと呼ぶなら、原始フットボールと呼ぶのがしっくりします。

中世のお祭りうちわ行事で村 vs 村、街vs 街で競技されており、人数制限はなく数百人、数千人参加。

決まった大きさのフィールドはなく、例えば、向こうの一本松や教会がゴールみたいな感じで行われておりました。 暴力ありで死者が出るほど激しい試合だったようです。

基本1点先取で勝利。 地域によってはすでにオフサイドがあったとか。。。

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◆パブリックスクールでの導入

 そして19世紀に入り、次第にイートン校、ラグビー校、ハロー校などのパブリックスクール(私立の11歳から18歳までの中等教育学校)でもスポーツとして取り入れられました。 

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各校とも独自のルールがあり、それを統一しようじゃないかとの事で1863年、ロンドンのフリーメイソンズアームズでの協議の結果、手が使えない派手も使える派に別れました。

サッカーとラグビーが誕生した瞬間です。

手が使えない方をAssociation Football(アソシエーションフットボール)略してSoccer

手も使える方をRugby Football(ラグビーフットボール)略してRuggerと呼ばれるようになりました。


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フリーメイソンズアームズ

コヴェントガーデンにあるのでどちらのファンの方も観光で訪れた際には寄ってみては。。


◆伝説

1823年にラグビー校のウィリアム・ウェブ・エリック少年が試合中に突然ボールを持って走りだしたのがラグビーの始まりとの伝説があります(その当時のルールではボールを持つのはOK、ランニングインはNG)

しかし、ラグビー校が自分達の学校が始まりだと言いたいが為のでっち上げとの噂あり。

もし、この話が本当だとしたらエリック少年は相当な天然ですね。


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ウィリアム・ウェブ・エリック             ウィリアム・ウェブ・エリックカップ



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イタリア戦、残念でしたね。勝てる試合だったぶん、悔やみきれません。


さて、前回でイギリスは4つの国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)の連合国と書きました。


しかし、一つの国であるのに、サッカーでは個々の国で大会に出場しております。


なぜイギリスは連合国で参加しないのか。。


みなさんFIFA(国際サッカー連盟)はサッカー好きじゃなくても一度は聞いた事があると思います。

1904年に創立された世界中のサッカー協会を仕切っている連盟です。


各国にサッカー協会があり、日本にはJFA(日本フットボール協会)があるように、イギリスにはFA(フットボールアソシエーション)があります。FAは、イングランドフットボール協会、スコットランドフットボール協会、ウェールズフットボール協会、北アイルランドフットボール協会から成り立っております。


そのFAはサッカーの母国だけあってFIFAの41年も前に創設されている最古のサッカー協会になります。


当初FIFAは世界大会を催す目的でスペイン、ドイツ、フランス、オランダ、スイス、デンマーク、ベルギーの8か国で設立されました。 


もちろん、イングランドも加盟する予定でしたが、1国1代表が決まりとの事で認められず。

しかし、母国イングランドからすれば、わざわざ譲歩してまで加盟する必要がないほど他国とレベルの差がありました。 


しかし、FIFAは当時ぶっちぎりの強さを誇っていたイングランドをどうしても加盟させたかったのです。


というわけで翌年の1905年から4か国での参加が認められ現在に至ります。


もし、仮に今、イングランド連合国で参加したとしても、メンバーはほぼイングランドのみで構成されるでしょう。 他の3か国については、100年前は強豪国だったかもしれませんが、今はどうでしょうか。。。


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イングランドサポーター


しかし、どの国もイギリスの一部になろうともイングランドを負かしてやろうと思ってます。 

形式上はイングリッシュでも、スコティッシュ、ウェルシュ、ノーザンアイリッシュであり、『俺たちはイングリッシュ』ではないぞという誇りがあるのです。 


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北アイルランドサポーター


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ウェールズ


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スコットランド



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今日はユニオンジャックの話です。


UK/ユナイテッド・キングダムは文字通り連合国で4つの国(イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド)から成っております。 


もとは一つ一つの国でしたので初めからあのお馴染みの旗ではありません。

今日は現在の国旗になるまでの過程を紹介します。


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◆スコットランドとの併合

1603年にイングランドとスコットランドが併合

そして、1606年、イングランドの国旗(セント・ジョージクロス)にスコットランドの国旗(セント・アンドリュークロス)を組合わせて初期のユニオンジャックが完成。 



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イングランド                       スコットランド



                         ↓

まだ斜めの赤ラインがありませんね。


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しかし、↑はイングランド側で使用されていたユニオンジャックで、

スコットランド側では1707年まで↓が使用されます。 お互いの国の模様が前面に出てますね。
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上の2つになる前は↓の案もあったようです。 

個人的には中下と右上は不公平な感じがしないので、これはこれでいいかなと思います。

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◆アイルランド王国との併合

1801年、アイルランド王国との併合によりグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立しまました。 その際セントパトリック・クロスが組み込まれ現在のユニオンジャックが完成。

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                            ↓

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あれ、ウェールズはどこに入っているの?
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ウェールズは1284年にイングランドに征服されました。1606年に初期のユニオンジャックが登場した際には既にイングランドの一部という位置づけだった為に組み込まれず。


近年になってウェールズの意匠を取り込もうじゃないかという案もありましたが、

今更、世に知れ渡ったデザインを変えるのも変だし、ドラゴンを盛り込むのに違和感があるとの理由で現在に至ります。


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こんな感じになっていたかもしれません。 


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1ポンドコインにウェールズの象徴、ネギ(正確にはリークと言う西洋ネギです)がデザインされていると前回書きました。


さて、でもなぜネギなんだって思いませんか? 草花、樹木ならわかるけど野菜が国の象徴だなんて。。。


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それには2つの言い伝えがあります。


7世紀、サクソン人との戦の際、ウェールズの聖人セントデイヴィットが味方の区別がつくようにリークを帽子に付けることをアドバイスしたところから来ております。
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セント・デイヴィッド

もう一つは、1346年、エドワード王太子率いるイギリス軍がフランス軍を打ち破ったクレシーの戦いの
戦場はリークが広がる土地だったとか。。。



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クレシーの戦い


毎年3月1日にはセント・デイビットを祝ってパレードが行われます

皆、その日はリークのプリントしたTシャツやブローチを着けお祝いします。

中には着ぐるみを纏っている人も。 
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そして、兵士達はその日は生でリークにかぶりつきます。。。-アンティカペディア-

いい顔してますね。  


それでは。


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前回のミルナーズ塔の回で50ペンスコインについて触れました。

今日は1ポンドコインのデザインの話です。


現在イギリスで流通しているコインは1P(ペンス)、2P、10P、20P、50P、£1ポンド、£2です。


私だけではないと思いますが1ポンドだけはなぜか特別な感じがします。 


2ポンドよりも断然1ポンド。。


分厚くて3.15㎜もあってぽってりと小さくて、小銭というよりコインの方がしっくりきます。


ピッカピカのお釣りが来た時はついつい両面見てしまいますね。


イギリスは頻繁にお金のデザインが変わるので、綺麗なおつりが来ると 『おっ!見たことないのだ』と、

しばらく使うのがもったいなくなります。



◆イングランドの紋章
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発行年:1983、1993、1998、2003、2008

初めに発行されたのは1983年。 実は歴史は浅い



◆アザミと王冠

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スコットランドの象徴、アザミ

発行年:1984,1985

エジンバラクリスタルのデザインにも用いられております。



◆ねぎ
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ウェールズの象徴、ねぎ
発行年:1985、1990

通貨にねぎ(正確には西洋ネギ)のデザインなんて渋い

因みにウェールズの旗の配色はネギを表しております。

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◆亜麻
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発行年:1986、1991

北アイルランドの象徴、亜麻


◆カシの木
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発行年:1987、1992

イングランドの象徴カシの木


◆盾
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発行年:1988

こちらもイングランドの紋章


◆ライオン
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発行年:1994、1999

スコットランドの象徴


◆ドラゴン
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発行年:1995、2000

ウェールズの象徴


◆セルティッククロスとルリハコベ
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発行年:1996、2001

北アイルランドの象徴の太陽のシンボル円環と十字が組み合わさったセルティッククロス(ケルト十字)。

聖パトリックがアイルランド人を改宗する為に作ったという伝説がある。


◆スリーライオン
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発行年:1997、2002

サッカー、イングランド代表でもお馴染みスリーライオン


反対側はクイーンエリザベス2世が描かれているのですが、パッと見はわかりませんが実は徐々に年を取っていきます。


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1983年
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1990年


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2002年


2000年初頭までを紹介しました。

1、2年に一回デザインチェンジしておますのでまだまだあります。

その他にも限定バージョンもありますのでイギリスに行った際には手軽に楽しめるのでチェックしてみてください。



最後に2008年に発行された1ペンスから2ポンドを並べると。。。。。。。
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イングランドの盾の紋章が現れます。
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それでは。


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今日は、1814年にイギリス・リバプールで創業した金庫メーカー、Milners(ミルナーズ)社の話です。


創業者のトーマス・ミルナーは耐火性金庫で初めて特許を取得し炎焚火の中に金庫を入れるパフォーマンスでその頑丈さを証明し、ミルナーズ社の名を上げました。


トーマスは厳しい家庭で育てられ、父の見習いとして11年間、鍛冶、ブリキ職人として修業しました。

その11年間、結婚は禁止、食べ物、飲み物、着る物、住む場所と何かと厳しく父に管理されていたようです。 もしかしたら、この厳しい環境のおかげで強固な金庫を産み出せたのかもしれませんね。


そしてトーマスの息子ウィリアム・ミルナーは『エリン港のゴッドファーザー』のニックネームを持っておりました。 ゴッドファーザーと言ってもギャングとして恐れられていたわけではなく、マン島に慈善基金団体を設立して貧しい島民漁師を助けていたそうです。 

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そして、ウィリアムの功績を称え1871年、エリン港のBradda Head(ブラッダヘッド)にミルナーズタワーが建てられました。
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photo: NigeHomer

塔は金庫メーカーらしく錠前のモチーフに

高さは116m


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50ペンスのデザインにもなっております。

2007年に発行されたので今も普通に出回っております。

50ペンスのおつりがきたらついでに見てみましょう。


それでは


当店で取り扱っておりますミルナーズ社のエンブレムになります。

-アンティカペディア-  -アンティカペディア-  http://www.anticarize.com/11_172.html      

http://www.anticarize.com/11_178.html



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草花が綺麗な季節になりました。


今日はHAWS(ホウズ社)のジョウロについてです。


最近では、日本のガーデニングショップでも頻繁に見かけるようになりました。


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実は、創業当時からほとんどデザインが変わっておりません。


創業者ジョン・ホウズは当時イギリス領であったモーリシャス(1865年独立)で公務員として従事しておりました。 その時の趣味はバニラの木に水をやる事。


ホウズは当時流通していたジョウロが扱いにくく不満を抱いていました。


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ジョン・ホウズ


そして、モーリシャスでの任期を終えイギリスへ帰国後、持ち手が後ろに付いたデザインで特許を取得。

水が満タンでも、半分でも、空っぽでも持ち運びやすく、ローズ(口部分)からのシャワーは種蒔きの時、小さい苗の時でも優しく注がれる様に改良されました。


1894年、National Chrysanthemum Society(イギリスの菊の団体)、1911年にはRoyal Horticultural Society’s Banksian Meda(イギリスの園芸団体)lの賞を授与されました。


それでは。




当店取扱いのHAWSのジョウロ。

1976年~1982年に製造されたデッドストックになります。
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他のアングルから見たい方は↓よりお立ち寄り下さい。

http://www.anticarize.com/11_164.html


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こんにちは

今日も衛生関連についてです。

前々回でエドウィン・チャドウィックの報告書『労働人口の健康状態』について書きました。


その報告書には下水道、配水管の改革の必要性について書かれております。


ドルトン社(現ロイヤルドルトン)の創設者ジョン・ドルトンの息子、ヘンリー・ドルトンはその報告書に感銘を受け、配水パイプ、衛生用品専門の製造所を立ち上げました。
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1848年に公衆衛生法が定められ、ロンドンのランべス地区にあった陶器製造所はこぞって配水パイプ製造に乗り出しました。 いち早く手を付けたドルトン製の物は特に質が高かったようでロンドンの公衆衛生に貢献し富をもたらしました。

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ドルトン製のパイプ


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当時のドルトン社の当時の広告

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当時のランベス地区の写真  見にくいですが写真中央にある建物の看板にDOULTONと書かれてます。


ドルトン社についての以前の記事です。興味があったらこちらも覗いて見て下さい。

http://ameblo.jp/anticarize/entry-11165002466.html


当店で取り扱っておりますドルトン性のボトルです。

http://www.anticarize.com/2_75.html

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