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イギリス、フランス、イタリアからのアンティークをご紹介させて頂きます。定番品からマニアックな物まで時代背景やそれに付随する情報を交えてご紹介させて頂きます。

今日は山手の洋館の一つ山手234番館についてです。


これからの期待を込めて厳しく書きますが、外装と玄関入って左の居間以外は他の山手の洋館に比べ

見劣りを感じます。


さて、234番館は1927年頃(昭和2年)に外国人向けの共同住宅として建てられました。

設計は朝香吉蔵。 当時は4つの同一形式の住戸に分けられた間取りになっておりましたが

1989年(平成元年)に横浜市が買い取り現在の間取りに改修。1999年より一般公開を開始。
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シンガーミシンなどのアンティークは見物です。床がビニールマットなのが残念でなりません。

外観は素晴らしいので内装ももっと頑張ってほしいです。


◆山手234番館

横浜市中区山手町234-1


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今日は、ガイドブックには載ってないスポットを紹介します。

2010年に横浜市認定歴史的建造物として登録されたインペリアルビルについてです。


ビルのオーナーに話を聞かせて頂き、内覧させて頂きました。


1930年(昭和5年)、設計は以前紹介した昭和ビルの設計を手掛けた川崎鉄三

昭和ビルについては→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11274528712.html


当時はアメリカ駐在員のアパートして利用されていたようです。
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屋上の三角屋根はご愛嬌
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厚感のある正面玄関    
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かつてのフロント


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入って正面にはレトロな体重計

                
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壁には明治時計                  

残念ながらロビーの電話は盗難されたようです。


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床の模様に注目


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アメリカ人住人の手書き非常口非常口

オーナーが残そうか残さまいか迷っていたので「是非残してほしい」とお願いしておきました。

これを当時に書いた人の事を勝ってに想像して楽しめますからね。


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所有者の許可を取って内覧させて頂きました

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階段の壁の装飾


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2階の廊下 右に続く通路が。。。       インダストリアルな感じがたまりません

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右に曲がると非常階段へ通じてました 

    

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下を覗くと椅子がありました。 ここで一服しているのでしょう


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まだ登ります


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最上階のオフィス


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4階休憩所からの風景。 奥にはマリンタワーが

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現在、ビルのオーナーが少しずつ当時↑の様に修復しております。

数年後の完成が楽しみです。

◆インペリアルビル

神奈川県横浜市中区山下町25-2

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今日は、前回で少し登場したロイヤルワラント(英国王室御用達)についてです。


ロイヤルワラントは英国王室にサービスや品物を定期的に収める人物や企業に与えられる名誉で、

1155年ヘンリー2世が織物会社に授与した事に始まります。


飲料品、食料品、文房具、衣料、洗剤、トイレットペーパー等の日用品から、果ては壁紙、ソフトウェア、清掃会社まで幅広く授与され、現在850を超える企業や人物に与えられております。

現在ロイヤルワラントを与える権限を持っているのはエリザベス女王、フィリップ王配、チャールズ王太子の3人。この内の誰かに気にいられれば良いという分けではなく厳しい審査が必要とされます。


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まず、王室に最低5年のサービスや物品を提供して初めて申請する権利が与えられます。

その後、Royal Household Warrants Committee(ロイヤルワラント委員会)が相応しいか否か決議します。そして上記の御三方が最終的に決定します。晴れて授与されると『By Appointment(御用達)』と紋章を掲げることが許されます。


◆それぞれの紋章

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    エリザベス女王           エジンバラ公爵          ウェールズ公

英国王室の称号については→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11576198980.html


ロイヤルワラントを保持できるのは最長5年、質が落ちたり問題を起こしたりすると5年に満たずに失効します。厳しい審査を通るからこそ名誉であり、企業にとっては信用となります。


イギリスに旅行に行った際には、食品のラベルや洋服のタグ、お店の看板をチェックして見て下さい。


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中には3つのワラントを保持するブランドも



当社取扱いのお菓子の缶。 メアリー王妃の紋章がプリントされている(左)

紋章から大体の年代も推定することもできます。

http://www.anticarize.com/3_6.html
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Burgess(バージェス)は今ではソースのブランドとしてのイメージがありますが、

始まりは1760年、ロンドンの食料品店から始り、イタリアから輸入されたアンチョビ、オリーブオイル、トリュフ等を取り扱っておりました。


その内にオリジナルの商品を製造販売、新聞広告を巧み使う事でその名をロンドン中に知らしめます。

敢えて1788年のThe Time(新聞の方)の創刊号も狙って広告を出すほど広告の力を信頼していたようです。


王室や著名人にもファンが多くロイヤルワラント(英国王室御用達)を4度授与されております。

1851年 ヴィクトリア女王
1911年 ジョージ5世

1951年 ジョージ6世

1955年 エリザベス2世


ネルソン提督がフランス軍に勝利したナイルの海戦の際にもバージェス製品を船に積んで航海したようです。

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ホレーショ・ネルソン(1758-1805)          ナイルの海戦

残念ながら、ブランドネームは残っているものの代表作と言えるアンチョビペーストやアンチョビソース(ナンプラーみたいな感じ)は今では見る事はできません。


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現在スーパーでよく見ることができるバージェス製品



当店取扱いのバージェスアンチョビペーストの容器です。

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他のアングルから見たい方は→http://www.anticarize.com/2_188.html



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前回に引き続きホテルニューグランドについてです。


今日はニューグランド5階のフレンチレストラン、ル・ノルマンディをご紹介します。


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1930年に実在した豪華客船ル・ノルマンディ号のダイニングがモデルになっております。


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ノルマンディ号


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ノルマンディ号のダイニング




内装をデザインしたのは、パリのフォーシーズンズホテルやロンドンのサヴォイホテルの内装を手がけたピエール・イヴ・ロション

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ピエール・イヴ・ロション  



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フォーシンズホテル フィレンツェ




レストランはノルマンディ号と同じで高さにあり


窓から見える横浜港にまるでホテル自体が船となって海に浮いているような。。。


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窓の下は山下公園


よく見ると噴水がクワトレフォイル


クワトレフォイルについては→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11214920849.html



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右に見える船は氷川丸





肝心の食事のご紹介です

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アミューズのホワイトアスパラのスープ




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和歌山産鮎のプティバトーサラダ添え 胡瓜ソース




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自家製フレッシュパスタ 野菜のコポー生ハム添え



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網焼きにしたフランス産鴨胸肉とフォワグラのピエスモンテ 丸ナスのコンフィ




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仔羊のロースト 黒オリーブソース



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マルク 木苺のソルベ添え







こんな歴史あるホテルですがウェイターの方は気さくで肩の力を抜いて食事ができます。


記念日にいかがでしょうか。




それでは。


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いよいよ8月も終わりますね。

夏の思い出はつくれましたか。 満喫した方にもまだこれからって方にも是非訪れて頂きたい横浜の名所ホテル・ニューグランドをご紹介します。 


ニューグランドの前身、グランドホテル1873(明治6年)に創業しました。

しかし1923年の(大正12年)の関東大震災により倒壊。 


横浜市復興委員会により綿花の輸入、生糸の輸出で支えた横浜経済を立て直す為、外国人専用ホテルの建設が優先と決議され1927年(昭和2年)ニューグランドとして再建されました。

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倒壊前のグランドホテル 人力車が停まってます。


設計は銀座和光(旧服部時計店)を設計した渡辺仁
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東京在住でない方も見覚えあるのではないでしょうか。

銀座って言ったら取りあえずこれがTVに映ります。


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向かい側は山下公園


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ロビー
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泊まらなくても見るだけでも価値のある建物です。

山下公園もあるので観光ついでにお立ち寄り下さい。


〒231-0023

神奈川県横浜市中区山下町10


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 ニューヨークの香水メーカー、プリンスマチャべリの創業者、ジョージ・マチャベリノリーナ・マチャベリの奇妙な人生を紹介します。

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                             1880~1957


創業者ジョージ・マチャベリはグルジア王室(当時ロシアの一部)の王子であり、グルジア大使としてイタリアに滞在中、人気の舞台女優ノリーナ・ジリ(舞台名マリア・カルミ)と出会い結婚。(ノリーナは2回目、1回目は舞台作家カール・ボルモエラー)

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ノリーナの代表的な舞台『ザ・ミラクル』     舞台作家カール・ボルモエラー(1878~1948) 
前夫カール・ボルモエラー作    


ジョージとノリーナはロシア革命の後、アメリカに亡命。 そしてアンティークショップLe Rouge et le Noir(ル ルージュ エ ル ノワイア)をオープン。 1926年薬剤師でもあったジョージは自らブレンドした香水、ノリーナはその香水を入れる王冠型のボトルをデザインしプリンスマチャベリとして売り出し人気を博した。 大統領、王室、女優達にも好まれ特別にブレンドを提供していた。


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1926年にプリンスノリーナ、クイーン オブ ジョージア 、イブ マリアの3種が発売された。


しかし、ここから更に波乱に満ちてきます


1931年、ノリーナはインドの霊的指導者メヘル・ババに出会い彼の教えに傾倒していく

1933年、ジョージと離婚

1935年、ジョージ死去 

1936年、プリンスマチャベリ社をSaul Ganz社へ売却


ノリーナはその後も宣教師としてメヘルババに仕え、1940年、カリフォルニアにメヘルババセンター建設

1957年、ノリーナ死亡(77歳)、遺灰はインドのメヘルババの丘に葬られる。


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メヘルババ(1894~1969)

1925年から1954年までの間、言葉ではなく文字のみで伝達していたそうです。


不思議な人生です。 ジョージも波乱な人生を歩みましたが、特にノリーナは波乱と言うかエキセントリックですね。


そんなノリーナがデザインした王冠の香水瓶です。

1950年代に発売された『Wind Song/風の歌』 創業当初と同じ意匠。

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http://www.anticarize.com/1_177.html

他のアングルから見たい方は↑からお立ち寄り下さい。
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Wind Songの当時の広告です


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今回も王室関連について書きます。


1997年、ダイアナ妃はパパラッチに執拗に追われ、パリ市内のトンネル内での交通事故で亡くなりました。


しかしダイアナ妃が英国王室と英国秘密諜報部MI6に謀殺されたのではないかとの説もあり、最近では日本でもテレビで放送されるようになってきました。


今日はダイアナ妃の死の真実についてです。 不可解な出来事を並べてみました。


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◆なぜ英国王室により謀殺されたか?


1996年にチャールズ王太子と離婚。 離婚後は高級デパート『ハロッズ』や『リッツホテル』のオーナー、モハメド・アルファイド氏の息子ドディ・アルファイド氏と交際。

ダイアナ妃はドディ氏の子供を妊娠していたとの噂もあり、事故が起こる翌日に結婚発表を計画していた。


イスラム教徒の男子はキリスト教徒、ユダヤ教徒と結婚出来るが、結婚した女性はイスラム教徒に改宗することが望ましいとされている。 


もし、ダイアナ妃がイスラム教徒に改宗し(既に改宗していた可能性も。。。。。。。)出産したとなるとウィリアム王子が王に即位した時、ドディ氏との子供は英国王の異父弟となる。 王室はアルファイド一族に王室の地位が利用される事を恐れた。


尚、ドディ氏の母は悪名高い武器商人アドナン・カショギの妹であり、武器ビジネスでアルファイド一族は巨万の富を築いた。 そして独裁者、故カダフィ大佐との繋がりもあった。


英国王室の家系図については→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11576198980.html


◆フランス政府も絡んでいた?

死亡した運転手のアンリ・ポールは検査の結果、大量のアルコールが検出されたとフランス政府から発表された。 ポールはアルコール依存症かのように発表されたが、ポールは自家用飛行機のパイロットでもあり事故の三日前にパイロットの身体検査をパスしている。 この検査には肝臓、血液の検査も含まれていてアルコール依存症かどうか判別できる。 ましてや要人を乗せる車に泥酔するまで飲酒するとは考えにくい。


◆ポールもMI6?

運転手のアンリ・ポールはダイアナ妃とドディ氏がこっそりリッツホテルの裏口から出て行く直前にパパラッチの何者かに手を振って合図を送るような仕草がCCTVに映っていた。


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◆事故現場のCCTVはなぜかどのカメラも作動していなかった。


◆救急車が事故現場のトンネルに到着したのが12:40AM、トンネルを出たのが1:41AM

1時間もトンネル内で何をしていたのか?


◆ジェームス・アンダーソン

ダイアナ妃を乗せた車に衝突させた実行犯といわれる人物

2000年に焼死体で発見される。死因は一酸化炭素中毒による自殺と発表されたが、こめかみに銃弾の跡があり首が切り落されていた。 首が落とされる=これ以上余計な事を喋るなとの関係者への警告WARNING


どうでしょうか? 不可解な事が多すぎますね。 ただの交通事故とは思えません。


ダイアナ妃は1981年にチャールズ王太子と結婚。 しかし、この時もまだカミラとの交際を続けていた。 それが原因で自傷行為、過食症、拒食症を引き起こしていた。 もし、チャールズ王太子がどちらかに絞っていれば。。。。。悲劇は起こらなかったかもしれません。
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信じるか信じないかはあなた次第です。


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ロイヤルベイビーが誕生しましたね。

男の子でしたので、父ウィリアムが王になった時にはプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ王太子)の称号を賜ります。 ※詳しくは前回をご覧ください。


今日は、プリンス・オブ・ウェールズの紋章についてです。


紋章には王冠がデザインされております。、王冠と言えば、普通は宝石が散りばめられたのを想像しますね。 しかし、プリンスオブウェールズの王冠は大きな3本の羽が立っております。

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これには伝説があります。


1346年、ブラックプリンスことエドワード王太子(黒太子)率いるイギリス軍がフランス軍を打ち破ったクレシーの戦いに遡ります。 王太子ではなく黒太子なのは黒い装備を好んでいたいたことから。
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↑ブラックプリンスことエドワード黒太子(1330~1376)


この戦いで戦死した盲目のボヘミア王(現在のチェコ共和国)ヨハン・フォン・ルクセンブルクに敬意を表し、エドワード王太子はヨハンの兜を飾っていたダチョウの羽を抜き取り、、彼のモットーIch Dien(我は仕える)を引き継いた事から今に至っております。


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l盲目の王 ヨハン・フォン・ルクセンブルク(1296~1346)


余談ですが、FF4のセシルってエドワード黒太子をヒントにしたのでしょうかね?

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それでは。


当社取扱いのプリンス・オブ・ウェールズの紋章がデザインされたアンティークボトルです。
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キャサリン妃がもうじき出産とのことで連日ニュースでもちきりですね。

ロイヤルベイビーはどんな称号を与えられるのでしょうか?


今日は英国王室の称号についてです。


英国王家にはもれなく称号が与えられます。

家系を遡ったら複雑な上にとんでもなく膨大な数(私も分かりません)になるのでポイントをだけを押えて書きます。


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まず、ホットなところから説明します。

ウィリアム王子は結婚しDuke of Cambride(ケンブリッジ公爵)の称号を賜る。

キャサリン妃はその婦人なのでDuchess of Cambridge(ケンブリッジ公爵夫人)を賜る。


ウィリアム王子の正式な称号は、

His Royal Highness Prince William, Duke of Cambridge(ケンブリッジ公爵ウィリアム王子殿下)


◆His Royal Highness とは、

王子の意味で国王の息子、国王の息子の息子、Prince of Walesウェールズ公)の長男の長男に与えられます。 


Prince of Wales(ウェールズ公)とは、

チャールズ王太子の現在の称号。 次期国王が賜る。

なので、チャールズ王太子が王位を継承すると、息子のウイリアムはウェールズ公の称号を賜ります。


で、その息子のウィリアムが王位を継承したら、もし今度産まれるウィリアム王子とキャサリン妃の子が男ならウェールズ公をいずれ賜ります。


◆でも、イングランドランドなのになぜウェールズの称号???

1282年、エドワード一世がウェールズを征服。 もちろん納得いかないウェールズ人の反乱を恐れ策を打つ。

1284年、妻をウェールズに連れてきて息子のエドワード2世を出産させる。

そして、ウェールズ国民の前で赤ん坊を掲げ『次期国王はウェールズ生まれの英語を喋らないプリンスだ!』と公表しプリンス・オブ・ウェールズの称号は現在に至る。



◆カミラ夫人はなぜウェールズ公妃ではないのか

ウェールズ公のチャールズの夫人なのにコーンウォール公爵夫人なのは、

故、ダイアナ妃への配慮。


このぐらい知っていれば十分ですね。 知らなくても問題ありません。

「こんなのあるんだ~」ってくらいで心に留めていただければ幸いです。


因みにエリザベ2世の正式な称号は、


Her Most Excellent Majesty Elizabeth the Second by the Grace of God,of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of Her other Realms and Territories Queen,Head of the Commonwealth,Defender of the Faith. 

(神の御加護による、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国ならびにその他の諸王国および諸領土の女王、イギリス連邦の元首、信仰の擁護者、エリザベス2世陛下)


略してHer Majesty(HM) = 女王


になります。 なんか王室って大変そうですね。


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