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イギリス、フランス、イタリアからのアンティークをご紹介させて頂きます。定番品からマニアックな物まで時代背景やそれに付随する情報を交えてご紹介させて頂きます。

-前回の続き-


1848年、公衆衛生法が定められ、コレラの流行が収まると思いきや、1854年、ロンドンのソーホー地区を中心に再び蔓延が始まります。


当時は細菌感染の概念がないため、人々はゴミや汚染水から発せられる臭い空気、感染者の息を吸い込んで感染すると信じていました。


医者のジョン・スノウ は感染者が多い地区でも地域全体で感染していないことから、経口感染の仮説を立てます。 

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ジョン・スノウ(1813 ~1858)


そして、多発している地域の発生率を分布図にまとめ、感染原はブロードストリートのポンプと突き止めました(その後ポンプは封鎖)


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発生地区の分布図(黒い点が感染が確認された場所)


スノウは実際にはコレラ菌を発見はしておりませんが(発見されたのは1883年、ロベルト・コッホによる)流行の現象や状況を調査することにより、感染病は防ぐ事が出来ると証明しました。


-次回に続く-


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-前回の続き-


19世紀半ば、衛生環境が見直され始めます。


そのきっかけとなったのは、1842年のエドウィン・チャドウィックの報告書『The Sanitary Condition of the Laboring Population』(労働人口の健康状態)によるものです。


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この報告書でチャドウィックは『病は生活環境に直結し、緊急の衛生環境の改革が迫られている

と記しました。 この報告書は7000部刷られ政府に行動を起こさせました。


1848年、ロンドンにコレラが大流行した同年、エドウィン・チャドウィック の考案の元、

Public Health Act(パブリック・ヘルス・アクト 公衆衛生法) が執行されます。


これにより道路の清掃が行われ、ゴミの集積所、下水処理場が設けらることになります。

そして、各家にトイレを設置する事が義務付けられました。


当時は排水管の設備がまだ整っておらず、水洗トイレは裕福な人にしか持つことが出来無かった為、

庶民はアッシュピットと呼ばれる水の代わりに灰で排泄物を覆い悪臭を防いでおりました。

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アッシュピット


-続く-


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今日はヴィクトリア朝(1837~1901)の衛生環境についてです。


ヴィクトリア朝と聞くと華やかなイメージが膨らむ人も少なくないと思います。

しかしながら、それはそれは不衛生な時代でありました。


19世紀半ば、ロンドンの人口は250万人に膨れ上がりました。 住む家が足りず一般庶民は何十人も何世帯もが一つ屋根の下で生活を共にし、貧困層は道路で寝泊りをしておりました。

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水道水は外に設置されたポンプを皆で使用し、トイレは煉瓦を積み上げ、そこに木の板の便座を乗せただけの簡易的な物を共有しました。

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水を汲むための列


ゴミは窓から外にぶちまけられ、工場排水、下水を通った汚水はすべてテムズ川に流されます。


そして1848年、汚染された水道水が原因でロンドンにコレラが大蔓延。約52000人が命を落し、人々からは王冠キングコレラ死神様と呼ばれ恐れられました。


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-続く-


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-前回の続き-


前回、登場した人物が『トイレの基礎』を作ってきたとしたら、トーマス・クラッパーは『見せるトイレ』を作り世に広めた人物と言えるでしょう。


ショウルームを使い演出する事でそれまでになかったトイレビジネスを開拓します。 
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トーマス・クラッパー (1836~1910)
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トイレだけでなく、バスタブ、洗面、タオルハンガーとバスルーム全体でプロデュースする事でトーマス・クラッパー社を発展させ、創業以来100年以上イギリスのお洒落なバスルームメーカーとして続いております。 


その洗練されたデザインでトーマスクラッパー社はロイヤルワラント(英国王室ご用達の栄誉)をこれまで3度授与されました。



それでは。



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当店で取り扱っておりますトイレットペーパーホルダーになります。

こういったアイテムでトイレを飾ってみませんか。
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※トーマスクラッパー社製ではございません。

こんにちは。


今日はトイレの始まりと発展についてです。


毎日当たり前に使っている水洗トイレですが、その始まりの一番古い記録では紀元前2800年頃だと言われております(その頃は水洗トイレと言っても溝を掘って川に流すという程度ですが。。


現代のモダンなトイレの原型になったのは1596年、最初のモダントイレはエンジニアでも発明家でもなく、作家のジョン・ハリントン(1561~1612) によって開発され、クイーンエリザベス一世の住んでいたリッチモンドパレスと自分の家に備え付けられました。
       

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Jacks(古い俗語でトイレの意味)を文字ってAjax(エイジャックス)と名付けられました



それから179年後の1775年、時計工のアレクサンダー・カミングス (1733–1814)が

水洗トイレで初めて特許を取得しました。 特徴は何と言ってもSトラップでしょう。 



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↑排水管がS字にカーブしておりますね。これをSトラップと言います。 これにより排水された水で溜まる事で蓋がされ、下水からの臭いや虫や動物の侵入を防ぎます。 現代でも洗面所、キッチンシンクでこのSトラップが見ることができますね。 約240年も前から現在に至ります。



そして1778年、前回登場したジョセフ・ブラマー(1749~1814)が改良を加え特許を取得
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 便器の内底にフラップを付けレバーを引くとパカッと一気に流す仕組みを採用



◆公衆トイレの誕生
1851年、ロンドン万国博覧会でジョージ・ジェニングス(1810~1882)が初めて公衆トイレを設置(設置数69台)。 来場者の827,280が1ペニーを支払って使用することが出来ました。



イギリス英語で 『spend a penny =トイレに行く』 はここから来ました。


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公衆トイレと言ってもリフレッシュルーム的な感じで、腰掛に掛けながら、アテンダントから手拭きタオルが渡され、ブラシで髪を整えてもらい、砂埃で汚れた靴まで磨いてくれて、そしてレディーにはラベンダーウォーターのサービスもありと至れり尽くせりだったようです。

この位の時期からトイレをビジネスにと目を付ける人達が出てきてトイレもお洒落になります。

続きは次回。


それでは。



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今日は先週登場した、ブラマーロック社の創業者ジョセフ・ブラマー(1749~1814)の話です。

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ジョセフ・ブラマーは大変向上心のある人物で、常に「もっと使いやすくならないか」、「こんなのがあったら便利なのではないか」と考えていたそうです。 その証拠に生涯で18もの特許を取得しました。


彼の発明品の代表的な例を挙げると、


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1778年/水洗トイレ(ブラマー式)

従来のトイレに満足いかずブラマー式に改良。ここからブラマーの才能が爆発します。



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1795年/水圧プレス(ブラマープレス)

右のレバーで左のタンクに水を流し仕込み、その水圧でプレスが上へ押し上げられる仕組み。

本の製本やビールを汲み上げるポンプに応用されました。



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1806年/お札に番号をプリントする機械

それまでの手動から自動になり効率良く印字することが可能に



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1784年/シリンダー錠(ブラマーロック)

形は変われど現代の鍵のほとんどが未だシリンダー錠です。

特許を取得した1784年、ブラマーロック社をロンドンのピカデリーサーカスに創設します。

そして、「チャレンジロック」としてショップウインドウにこう掲げます


『こじ開ける事が出来たら懸賞金200ギニーを差し上げます』 と、


1851年のロンドン万国博覧会までの67年もの間、開錠されることはありませんでした。

アルフレッド・チャールズ・ホブスが現れるまで。。。。


ホブスに関しては前回をご覧ください。



おまけ

1778年、Joseph Bramah (ジョセフ・ブラマー)の方がエレガントだとの理由でJoe Bremmer(ジョー・ブレマー) から改名するお茶目な所もあります。


それでは。


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今日は錠前や金庫の製造メーカー、Hobbs Hart & Co. Ltd(有限会社ホブス ハート)の創設者、アルフレッド・チャールズ・ホブス(1812~1891)の話です。
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ホブスは1851年に開催された世界初の国際万博、ロンドン万国博覧会にアメリカの同業社Day & Newellの社員として参加しておりました。


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ロンドン万国博覧会の様子


博覧会の観衆の前で、それまで絶対にこじ開けられないと言われていたBramah Lock(ブラマーロック)社が1784年に開発したシリンダー錠をこじ開けて見せました。


開錠に掛かった時間は51時間、しかし67年間誰も開ける事が出来なかった難航不落のシリンダー錠を初めて破った彼はたちまち名を上げました。


そして、懸賞金の200ギニーを資本金として、ロンドンにHobbs and Co.を立ち上げ独立します。



Hobbs Hart & Co. Ltdの金庫のエンブレムです。

プレートのサイズから、かなり大きいサイズの金庫だったと分かります。

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http://www.anticarize.com/11_137.html


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こんにちは。

数回に渡り温度計の歴史について書いてきましたが今回で温度計シリーズは最後になります。


-前々回の続き-


◆セルシウス度(℃)

1742年にスウェーデンの天文学者、アンデルス・セルシウス(1701~1744)が定めた温度基準。

摂氏はセルシウスを中国語音訳の「摂爾修斯」から摂氏となりました。 華氏は「華倫海特」から。


ご存じの通り、水の融点は0度、沸点は100度になります。
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アンデルス・セルシウス  1716~1732年の間にオーロラを316回観測し論文に纏めたそうです


◆ケルビン度 (K)

1848年、イギリスの物理学者、ウィリアム・トムソン(1824 ~1907)が全ての分子の運動が停止する絶対零度を導入しセルシウス度を元に-273.15と定義。

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ウィリアム・トムソン(通称:ケルビン卿)


最後にこれまで紹介してきたレーマー度、ファーレンハイト度、セルシウス度、ケルビン度を分かりやすく図で比較します。

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完全に温度は私達の生活に溶け込んでいるので全くありがたみを感じませんが、体温の変化とか、オーブン料理の温度設定とか、外気は何度で今夜は寒くなりそうだから一枚多く羽織って行こうとか、何気ない事ですが私達は常に温度を気にかけて生活しております。それもこれも昔の偉人たちの研究の積み重ねのおかげなのです。


それでは。


当店で取り扱っております。イギリス・Brannan社製のお菓子作り用の温度計になります。

℃と゜Fの両方の表記されております。
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http://www.anticarize.com/11_153.html


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今日は、前回登場した、ガブリエル・ファーレンハイト(1686~1736)について取り上げてみます。


物理学者であり、技術者でもあり、そして職人でもある多感な人物です。


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ファーレンハイトは1人の弟、3人の妹をもつ長男としてポーランド-リトアニア共和国・ダンツィヒで産まれました。


1701年に両親を毒キノコきのこで亡くしたのを機にオランダ・アムステルダムに留学に出されます。 両親が商業を営んでいた事から、見習いとして簿記など、商業について嫌々ながらべーイヤ4年間学びました。


見習い期間中に自然科学に興味を持ち、気圧計や温度計などの気象学に使う器具を製造する為、ガラス吹き工としての技術を身につけました。


1707年、ファーレンハイトは旅立ちます。 ドイツ、スウェーデン、デンマークと10年間も渡り歩きました。 そして1708年、前回登場したデンマークの天文学者、オーレ・レーマー(1644~1710)に出会い(当時64歳)、若きファーレンハイト(当時22歳)は標準温度の重要性を知ります。


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オーレ・レーマー


そして、1714年に水銀の温度計を開発(もちろん自作)


◆ファーレンハイト度 F゜

融点(水が個体から液体に変わる温度、つまり摂氏0℃)を32度、沸点は212度(摂氏100℃)の温度標準


日本人には全くピンときませんがアメリカでは天気予報も温度計でも普通にF゜が使用されます。 


ファーレンハイト度は人間が住む事の出来る環境0゜F~100゜Fに収まることから、生活に直結した目盛と言われております。


次回はセルシウスC゜についてです。


それでは。


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前々回では、水を暖めて空気の圧力で水を押し上げて計測する温度計について紹介しました。

今日は、それから40~50年位後の話です。



◆アルコールを使った温度計の誕生

1654年、トスカーナの君主、フェルディナンド2世(1610-1670)により初めてガラス管に液体を詰めた温度計が誕生しました。 それまでの水に対しアルコールが使用されました。

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しかしながら、こちらも正確ではなくフェルディナンドが定めた目盛も現在では使用されておりません。

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1702年、デンマークの天文学者、オーレ・レーマー(1644-1710)により赤ワインを使用した温度計が造られます。 ワインって響きだけで何だかお洒落ですね。

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レーマーの考案した目盛も今では使用されてはおりませんが、レーマー度として現存しております。

レーマー度は融点(水が個体から液体に変わる温度、つまり摂氏0℃)を7.5度、沸点は60度(摂氏100℃)と定められております。

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◆水銀を使った温度計

1714年、ガブリエル・ファーレンハイトが水銀を使った温度計を開発。熱伝導が高い水銀を使う事で、正確な温度を計る事ができるようになりました。
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↓ファーレンハイト自身が造った温度計

世界に3本のみ現存が確認されております。その内2本(1718年製、1727年製)はオランダのブールハーヴェ博物館 に展示され、残りの一本は昨年コレクターからオークションに出品され、何と£100,000(1億4200万円 ※1£=142円で算出)の値が付きました。

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次回はファーレンハイトについてもう少し詳しく書いてみます。


それでは。


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