酒中真あり
「生酔い本性たがわず」という言い回しがあります。「本性たがわず」のほうは、「本性は隠そうとしてもバレる」、という意味のはずです。
「生酔い」というのは、「本格的でない酔い」、つまり、「生煮え」「生乾き」と同じような意味かと思っていましたら、違うんだそうですね。むしろ、「泥酔」に近い意味だといいます。どこで読んだか忘れてしまいましたが。
「酔っ払うと、その人の本当のところが出てしまう」ということでした。ヒヤヒヤ。たしかに、中途半端に酔っても、隠したいことは隠すことができるかもしれない。
ラテン語にも、 in vino veritas (イン ヴィーノ ヴェリタス)という言葉があるそうです。「酒中真あり」と訳されると思います。「酒の席では本音が出る」というほどの意味でしょうね。
昔ほど「生酔い」状態におちいらなくなった(そうなるほど飲めなくなった)ので、こんなことを思い出しています。
斎藤喜博
斎藤喜博(さいとう・きはく、1911-1981)という教師の名前は、まだ人々の記憶から消えてはいないと思います。去年の今頃『斎藤喜博物語』(小笠原洽嘉著、一茎書房)という本も出ています。
1960年代、群馬県佐波郡島村の島小学校の校長でした。島村は、現在は伊勢崎市に入ったようです。日本一有名な小学校長でした。今の言葉で言えば、「カリスマ校長」です。教育実践のユニークなところが注目されて全国から視察の教師たちが絶えなかった、と伝えられます。
たくさんの著述を残しました。2期にわたる全集が出ています。国土社刊。
第1期の全集の何冊かが家にありました。読者を鼓舞する力のある文章だったと思います。今でも、教師をこころざす学生は、読んでいるでしょう。と思いたい。
斎藤校長は、部下というべき教師たちを、たしか、すべて「さん」付けで通していたと記憶しています。分校へ出かけるときに、若い女教師から届け物を頼まれて、きがるに用足しに応じていました。そういうことも、著書に書いてあったのです。
のちに、宮城教育大学に招かれて教授になりました。
短歌もたくさん詠んでいます。その特異な性格と、強靭な実践力とについては、上に挙げた『物語』が活写しています。
カルーソー
ラッセル・ワトソンというイギリス生まれのテナー歌手がいます。軽やかでツヤのある、美声の持ち主です。このあいだ新星堂に寄ったら、もう5枚くらいもアルバムのある、日本でも売れっ子の歌い手のようです。
その、ラッセルの最初のアルバム the voice の1曲に「カルーソー」というのがあります。ナポリ生まれのテノール、エンリコ・カルーソー(1873-1921)に捧げられた曲だと思います。ダッラ作曲。パヴァロッティも歌っていますから、イタリアの歌としては有名なものなのでしょう。中身は恋歌です。切ない感じが素敵です。
カルーソーは、日本でも昔から伝説的なオペラ歌手として知られていました。イタリア語読みだとカルーゾーとなるはずでしょうが、濁らずにソで通っていますね。
このカルーソー本人と同時代の作曲家、レオンカヴァッロがカルーソーのために作曲したのが「朝の歌」(マッティナータ、 Mattinata)という曲です。最近知って、やはりワトソンが歌うCD(the voice ENCORE)を手に入れました。これも素敵な曲です。ドミンゴと聞き比べましたが、この曲に関してはワトソンの方に軍配を上げます。
イタリア歌曲の明るさは元気が出ます。