パパ・パパゲーノ -99ページ目

酒中真あり

 「生酔い本性たがわず」という言い回しがあります。「本性たがわず」のほうは、「本性は隠そうとしてもバレる」、という意味のはずです。


 「生酔い」というのは、「本格的でない酔い」、つまり、「生煮え」「生乾き」と同じような意味かと思っていましたら、違うんだそうですね。むしろ、「泥酔」に近い意味だといいます。どこで読んだか忘れてしまいましたが。


 「酔っ払うと、その人の本当のところが出てしまう」ということでした。ヒヤヒヤ。たしかに、中途半端に酔っても、隠したいことは隠すことができるかもしれない。


 ラテン語にも、 in vino veritas (イン ヴィーノ ヴェリタス)という言葉があるそうです。「酒中真あり」と訳されると思います。「酒の席では本音が出る」というほどの意味でしょうね。


 昔ほど「生酔い」状態におちいらなくなった(そうなるほど飲めなくなった)ので、こんなことを思い出しています。


 









斎藤喜博

 斎藤喜博(さいとう・きはく、1911-1981)という教師の名前は、まだ人々の記憶から消えてはいないと思います。去年の今頃『斎藤喜博物語』(小笠原洽嘉著、一茎書房)という本も出ています。


 1960年代、群馬県佐波郡島村の島小学校の校長でした。島村は、現在は伊勢崎市に入ったようです。日本一有名な小学校長でした。今の言葉で言えば、「カリスマ校長」です。教育実践のユニークなところが注目されて全国から視察の教師たちが絶えなかった、と伝えられます。


 たくさんの著述を残しました。2期にわたる全集が出ています。国土社刊。


 第1期の全集の何冊かが家にありました。読者を鼓舞する力のある文章だったと思います。今でも、教師をこころざす学生は、読んでいるでしょう。と思いたい。


 斎藤校長は、部下というべき教師たちを、たしか、すべて「さん」付けで通していたと記憶しています。分校へ出かけるときに、若い女教師から届け物を頼まれて、きがるに用足しに応じていました。そういうことも、著書に書いてあったのです。


 のちに、宮城教育大学に招かれて教授になりました。


 短歌もたくさん詠んでいます。その特異な性格と、強靭な実践力とについては、上に挙げた『物語』が活写しています。

カルーソー

 ラッセル・ワトソンというイギリス生まれのテナー歌手がいます。軽やかでツヤのある、美声の持ち主です。このあいだ新星堂に寄ったら、もう5枚くらいもアルバムのある、日本でも売れっ子の歌い手のようです。


 その、ラッセルの最初のアルバム the voice の1曲に「カルーソー」というのがあります。ナポリ生まれのテノール、エンリコ・カルーソー(1873-1921)に捧げられた曲だと思います。ダッラ作曲。パヴァロッティも歌っていますから、イタリアの歌としては有名なものなのでしょう。中身は恋歌です。切ない感じが素敵です。


 カルーソーは、日本でも昔から伝説的なオペラ歌手として知られていました。イタリア語読みだとカルーーとなるはずでしょうが、濁らずにで通っていますね。


 このカルーソー本人と同時代の作曲家、レオンカヴァッロがカルーソーのために作曲したのが「朝の歌」(マッティナータ、 Mattinata)という曲です。最近知って、やはりワトソンが歌うCD(the voice ENCORE)を手に入れました。これも素敵な曲です。ドミンゴと聞き比べましたが、この曲に関してはワトソンの方に軍配を上げます。


 イタリア歌曲の明るさは元気が出ます。


 

教科書ガイド

 高等学校の英語や国語の教科書に、ガイドという名前の参考書があります。昔は「虎の巻」と呼びました。それを見ると免許皆伝というくらいのご利益がある、という触れ込みからきたあだ名ですね。


 英語と、国語の古典・漢文とには、訳文がつくのが定番です。定期考査の前日に一夜漬けでやっつける人は、このガイドの訳文を頼りにするのでしょう。


 ガイドという名の参考書は、自分の使っている教科書のそれだということがひと目で分かるように、教科書の写真を表紙に出しています。たいていは、教科書会社と関係の深いところが出します。


 もう何年も前ですが、英語の教科書を編集したことがありました。おそろしく労力のかかる仕事でした。


 生徒たちがガイドを買うのは、おそらく主として、そこに載る訳文のためだと考えて、それなら、教科書自体に訳文を載っけてしまえば、手間もお金も省けるのではないか、と考えました。文部省(当時)が出している、作成の手引きを読むと、どこにも訳文をつけてはいけない、とは書いてありません。


 考えただけで、結局実行はしなかった。そんな教科書を採用してくれる先生はいない、ということが明らかだからです。


 生徒の多くは、どうしても一度日本語を通さないと、意味が理解できた気がしないのですね。さっさと理解して、それを使った練習の方に授業時間を当てるほうがいいはずなんですけれどね。英語教育の専門家たちだって、それを勧めています。そういう実践をなさっている先生方も少なくないようです。


 今でも、若い人で上手な英語使いはたくさんいますが、これから、もっと増えてくることを期待しています。


 

シンコペーション

 映画『アマデウス』の冒頭、おそろしく悲劇的な響きのオーケストラの演奏が聞こえます。モーツァルトの「交響曲第25番」だと IIZUKA T さんが教えてくれました。もちろん曲は何度も聞いたことがあったはずですが、「名前」が分からなかった。ピアノ協奏曲の20番だったかなあ、と思っていました。


 楽譜を見ると(曲を聴いても)、出だしはシンコペーションなのですね。


 ラーラーラー ミーミーミー 

ファファーファーファーファ  シーシーシー #そそーそーそーそ#(全部ソのシャープ)

 【最後のところ間違いでした。訂正します。IIZUKA さんありがとう。】


色の違う音が八分音符で、ラーのようになっているところが四分音符です。強拍が半分うしろにズレて、リズムに変化を生じさせる技法です。


 薬師丸ひろ子さんが歌った「セーラー服と機関銃」も、出だしがシンコペーションになっていましたね。


 さよならは わかれの言葉じゃなくて


と始まる歌。いわゆるアウフタクト(弱拍、つまり4拍子なら第4拍、から始まったりするやり方)で、歌いだして、いきなりシンコペーションですから、むずかしい。うろ覚えで歌ったら「シンコペーションが下手なんですね」と言われたことがありました。「コールユーブンゲン」という練習曲のそれはうまくできた記憶があるので、ウーム残念と思ったことでした。


 オペラ『椿姫』の第1幕のパーティーの客が帰っていくときの合唱とオーケストラのリズムがズレるところがあって、前から気になっていたのですが、ここも、オケの方がシンコペーションで演奏していたのでした。ヴェルディの意図がよく分からない一節です。


 『アマデウス』の最後のタイトル・バックに流れるのが、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第20番』第2楽章なのでした。