パパ・パパゲーノ -98ページ目

リー・アイアコッカ

 『アイアコッカ:わが闘魂の経営』(単行本、ダイヤモンド社;新潮文庫)は、アメリカの自動車会社、フォードとクライスラーの両方の社長をやった、リー・アイアコッカ(1924年生まれ)の自伝です。英語のタイトルは Iacocca: Autobiography とシンプルきわまりないものでした。日本語訳は徳岡孝夫です。安心して読むことができます。


 日本で言えば、いわばトヨタと日産の両社の社長をやったようなものですから、経営手腕は衆目の認めるところであったのでしょう。自伝の刊行は1980年代ですから、60歳になったばかりのころです。いま、83歳で健在のようです。


 いっとき、アメリカ大統領になるか、と噂されたこともありました。


 フォード社というのは、創業者フォードの一族が実権を握っているのだった、と思う。憤然としてやめることになるのですが、フォード家(だったか、当時の社主だったか)を、口をきわめてののしっているところがありました。


 この本で強く印象に残っている言葉。


 一瞥では分からない人の性格が二つある。その人が決断力があるかどうか、怠け者であるかどうか。


 ほかは、一度会って話をすれば分かる、と豪語しているのですね。


 ないものねだりですが、本書に出てきてもいいのに、出てこない話題が二つあります。


 女はこの世に奥さんしかいないように書いてあった。そんなはずはあるまいと思いながら読んだ記憶があります。もうひとつは、名前からしてもイタリア系ですが、マフィアというものの片鱗も出てきません。


 

キャサリン・グラハム

 キャサリン・グラハム『わが人生』という本が面白かった。ずいぶん前に読んだものですが。


 ワシントン・ポストの社主の家に生まれて、のちに、社主を継ぎます。


 編集主任だったか、社員と結婚しました。グラハムというのは、その記者の苗字だったと思います。


 ナチズムのドイツから亡命していた、トーマス・マンが一時その家に滞在していたということが出てきたりします。もうひとり、画家のビッグ・ネーム(名前は忘れた)も短期間滞在したこともあるらしい。


 旦那さんは、ワシントン・ポストの社長になったのだったか。ある朝、ピストル自殺してしまうのですね。事情は明かされてはいなかったけれど、おそらく一種の鬱病だったらしい。


 傷心を癒すためにヨーロッパに旅行に出ます。驚くのは、イタリアで、行きずりの男と一夜をともにするのですね。さらりと書いてあります。


 新聞社なのに、時の政府と相当近しい関係になっているのですね。巻頭の写真ページには、見たことのある政治家がたくさん出ていました。


 母は綺麗な人だった、と始まるのですが、ご当人も綺麗な人でした。


 

ハメマ

 年をとると、歯と目と、という順番に悪くなる、といいます。マは無論「マラ」ですが、それはおきます。


 目は、高校生のときに駄目になりました。近眼になった。自転車で通学していましたが、今から思うと沙汰の限りと言うべきですが、英単語を覚えようとしてしまったのです。ゆれる自転車のブレーキのところ(ハンドルの開閉する部分)に単語カードを挟んで、それを覚えようとしたんですね。これで、いっぺんに目を悪くしました。


 もともと乱視があったのですから、まあ、無謀もいいところでしたね。


 歯も、虫歯があって、中学のときに、下の奥歯の永久歯を2本も抜いているのです。大人になったら入れ歯にしなさいね、と、抜いた歯医者さんに言われていたのですが、そのままにしてしまいました。


 ほっといたまま、60歳を越してしまいました。あとはこのまま行くしかありません。痛いところがないまま、ここまで来ましたから、これからもそうだと思いたいところです。


 

共栄堂

 昨日に続いて、神保町の食堂の話です。共栄堂というカレー屋さん。ランチョンの何軒か隣です。肉があんまりなくてルーしかないような、究極のスープ・カレーというのかな、そういうのを出す。うまいカレーです。


 このお店も歴史が長い。30年くらい前は、入れ込みのお店でした。アメリカ映画に出てくる「ダイナー」そっくりの椅子やテーブルでした。


 今はそうでもないけれど、かつては、黙ってたのむとご飯の量がものすごく多かった。


 いつだったか、朝倉季雄先生(フランス語の大家です)が、もう80歳を越していらっしゃったたと思いますが、そのライスを平らげる寸前のところに行き会わせたことがありました。


 「スマトラ風カレー」というのが、このお店の宣伝文句です。


 こんど神田においでになったら、ぜひ、お寄りになってみてください。

ランチョン

 「ランチョン」は普通名詞のほうではなくて、神田・神保町のレストラン、ビア・ホールの名前です。


 何十年か前、初めて入ったころは、おそらくモルタル造りだったと思います。2階建てのビルの1階部分がビア・ホールでした。


 天井が高かった記憶がありますが、客の話し声が反響して、銭湯で酒を飲んでるような気がしたものです。


 今は、鉄筋5、6階建ての立派なビルで、その2階が「ランチョン」です。ここも、反響が大きいような気がします。


 火災があって建て直したものだった。古いビア・ホールの時代、今のビルと違って、正面がスイング・ドアになっていました。(よね? 昔を知る皆さん。)


 右奥のテーブルに座って、大きな声で笑う、吉田健一先生の姿をしばしば見かけました。呵々大笑という熟語がありますが、「呵々」という字と音がこれほどピッタリする笑い声は、その前も、それ以後も聞いたことがありません。


 お昼のランチ・メニューは、揚げ物となにかの組み合わせにごはん、をよく食べました。このあいだ、一緒に行った人がオムライスを注文なさったので、私もそれにならいました。ずいぶん久しぶりにオムライスというものを食べましたが、まわりをみたら、同じものを召し上がるお客さん(主にご婦人)が少なからずいらっしゃった。人気メニューなんだそうです。