姜尚中
姜尚中さんは、テレビにもよく出演する論客ですね。カン・サンジュンと今は呼ばれているようです。先週のNHKのテレビで、かつてドイツへ留学したときの友達に再会するシーンが(1年くらい前の映像のようでした)放映されましたが、その友達(ドイツ人だったか)が、「ナオナカ!」と呼びかけて、ハグしていました。若いころは、訓読みにしていたのでしょうね。
姜さんは、高校で野球をやっていたのだそうです。ピッチャーだったとか。ひょっとしたら甲子園にも出たのかもしれません。プロ野球選手になろうとしていたといいます。
長嶋茂雄という人は、新人選手を採るときに、まず尻の大きさを見たそうです。のちに、松井秀喜の才能が大きく開花するのを、その尻の大きさで予想した、とどこかで語っていたと思います。
姜さんも、長嶋ファン世代の選手だったので、そのことは知っていたそうです。
尻が小さいプロの投手としては、小林繁くらいしかいなかった。姜さんは自分は小林タイプなので、プロに行っても大成する自信がもてなくて、最終的にはあきらめたのだそうです。
そこからがすごい。世に出るには、芸能界か学問の世界だと見定めて、猛烈な勉強をして、早稲田の政経に入ったんですね。もちろん、高校の成績もよかったんでしょうが。
お話を聞いたのは、今から10年以上前のことです。
唇で触れる唇
金子光晴に、
唇で触れる唇ほどやわらかいものがあるだろうか
と始まる詩があったと思い込んでいましたが、ネットで検索したら、『ねむれ巴里』のなかに出てきたものらしい。しかも、「あるだろうか」ではなくて、「やわらかいものはない」となっていたようです。
記憶はこのようにアイマイなものですが、疑問形のほうがピッタリするような気持です。
恋人よ。
たうとう僕は
あなたのうんこになりました。
などとはじまる詩もあります。
『金子光晴詩集』(岩波文庫)で、代表作を読むことができます。
『詩人』という題の自伝もおもしろいものです。前は、昭森社というところから全集が出ていましたが、いま入手しやすいのは、中央公論社の版です。新刊で手に入るか否かはわかりません。
詩もおもしろいのですが、私は散文を愛読しました。『日本人の悲劇』とか、『絶望の精神史』とか。
開高健が金子にしたインタビュー(『人とこの世界』所収、開高の全集は新潮社)が抜群によくできていました。
母には二度会いたれども
「母には二度会いたれども、父には一度も会わず」という、なぞなぞがあります。江戸時代の本にある、と書いてある人もいますから、そんなに昔々のなぞではないかもしれません。答えは「唇」です。
母の発音は、現在は「ハハ haha」ですが、昔は「ファファ fafa」と言っていたようです。そのもっと前は「パパ papa」だったといいます。上田万年という言語学者が「P音考」という論文を書いて広まった説のようです。
上に fafa とローマ字でしるしたのは、英語の f の音とは違います。音声学の用語では「両唇(りょうしん)摩擦音 bilabial fricative」というものです。富士山の「ふ」の音に残っています。
富士山を英語表記するときは Mount Fuji と、f で書きますのが、f の音は、英語では、上の歯と下唇を軽くふれて出すと教わりますが、日本語では歯は使いません。上下の唇の間から出てくる音です。
実際に大昔(漢字が中国から輸入されたころ)、母を papa と発音していたか否かは、文書の証拠があるわけではないので、はっきりしたことは言えないのだそうです。
ファファのほうは、はっきりしています。こういう発音を実際聞いたことがあります。生きていれば93歳になるはずの、向かいのおばさんは、ずっとこう発音していました。まだ、日本各地で母をファファと発音する人、その発音を聞いたことのある人、はたくさん残っているはずです。
上のなぞなぞも、papa の証拠にする学者もいるようですが、両唇を使うことを示しただけとも考えられます。
山本直純フォエヴァー
「山本直純フォエヴァー:歴史的パロディコンサート」という2枚組みのCDがあります。コロンビア・ミュージック・エンタテインメント発売。2003年。
第1曲が、ベートーヴェンの「交響曲第45番『宿命』」というもの。大筋は、ベートーヴェンの交響曲第6番を下敷きにしながら、3番も5番も断片が出てきます。出てこないのは2番くらい。かと思えば、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、フニクリ・フニクラ、五木の子守唄、ソーラン節、などが入り乱れて、聴衆が大笑いする声が録音されています。
1967年になんと2日にわたって、東京文化会館で行なわれたコンサートです。
第2曲が、プロコフィエフ「ピーターと狼」。語りが、古今亭志ん朝です。台本を書いたのが、佐藤信夫・元国学院大学教授。3人がウィスキーを手に談笑している写真がCDのインナーというのか、中に挟んであるパンフレットに載っています。3人とも幽冥境を異にしてしまいました。
大のおとなが、心から楽しみながら音楽で遊んでいる様子がよく伝わってくるCDです。
内藤鳴雪
『鳴雪自叙伝』(岩波文庫)という本があります。内藤鳴雪(1847-1926)という俳人の自伝です。俳句の上では正岡子規(1867-1902)の弟子にあたります。
20歳も年が上の弟子です。松山藩の家老の家に生まれて、子規が上京したときの寮の寮長だったと思います。明治になる前なら、子規のほうがずっと格が下だったでしょうね。
松山藩と言っても、四国でうまれたのではなくて、江戸の三田で生まれて育ったようです。江戸時代の武家のしきたりなどがくわしく書かれていておもしろいものでした。
本名は素行(なりゆき)というのだそうです。「もとゆき」と読みそうですけれど。なりゆきに鳴と雪の字をあてて、「めいせつ」という俳号にしたのだそうです。
根岸の句会の話も、作った句についても書いてあったはずですが、忘れてしまいました。とはいえ、次の一句は忘れようとしても忘れられるものではありません。
元日や 一系の天子不二の山