パパ・パパゲーノ -101ページ目

ロトと娘たち

 二人の若い女が半分ヌードで、年寄りにもたれかかっている絵を、西洋の美術館や、画集で目にすることがあります。タイトルは、英語なら Lot and his daughters となっている。なんだかアヤシイ主題だなあ、とずっと思って来ました。


 旧約聖書の創世記第19章の記述にもとづく絵画なのですね。


 退廃の街ソドムから逃げろと、天使に言われたロト一家ですが、妻は、「振り返るな」と命じられたのに、うっかり振り返って、「塩の柱」にされてしまう。


 ロトと二人の娘は山の洞窟にこもることになります。このままでは、子孫が絶えることになるので、父にワインを飲ませて酔ったすきに「子種をもらう」。先に姉が、次の日に妹が、という、きわどい話が書いてあります。


 デューラーにもこの話を主題にした絵があります。ルーブル美術館。衣服を着けて洞窟にいる様子が描かれたおとなしい作品でした。


 なまめかしいヌードが出てくるのは、デューラーよりずっと後の時代ですね。


 ウィーンの美術史美術館(?)にも、誰だったかの『ロトと娘たち』の絵がありました。日本語のイヤホン・ガイドを聞いていたら「絵描きはヌードを描きたいもので、聖書に出てくる主題なら大っぴらに描けるので、このタイトルの絵が多いのです」と解説していました。ようやく納得しました。


 グーグルで画像検索すると、さまざまな画家の絵が出てきます。

ジャクリーヌ・デュプレ

 デュプレはエルガーの『チェロ協奏曲』を得意にしていました。1945年にイギリスで生まれ、1987年に42歳の若さで亡くなりました。多発性硬化症という自己免疫病に冒され、演奏もできなくなってしまったようです。21歳のときにダニエル・バレンボイムと結婚しました。エルガーも、ダニエル指揮のCDがあります。


 宇野功芳という指揮者が「鬼神もたじろぐ凄奏」と絶賛した、ドボルザークの『チェロ協奏曲』が、宇野氏の言葉通り、じつに圧倒的な感銘を与えます。


 ヨーヨーマのドボルザークも素敵ですが、ジャクリーヌの迫力には負けますね。前からピエール・フルニエのチェロを好んで聞いてきました。第一楽章の、チェロの独奏が始まるときの、ふるえがくるほどのメロディーを、フルニエは、端整な、情におぼれない音で弾きます。上品な響きがもちろん今でも気に入っています。


 デュプレのは、1曲まるごと鷲づかみにしたような激しさです。フレーズの変わり目で、音をテヌート(思い入れとともに少し引き伸ばす弾き方)にするのは、弦楽器奏者はどなたでもやることですが、デュプレのそれは、タイミングが絶妙です。三つの楽章を、息もつがせず、と言いたいくらいのスピード感で走り抜ける。これも指揮はバレンボイムです。


 映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ』をごらんになりましたか? 妻に持ったら難儀しそうなひととなりがよく出た作品でした。

書斎の無い家

 福原麟太郎(1894-1981)先生に、『書斎の無い家』(1964)というエッセイ集があります。ずっと、勉強部屋としての書斎を持ちたいと思いながら、ついに持たぬまま終わりそうだ、と「あとがき」に書いてありました。


 『チャールズ・ラム傳』『トマス・グレイ抄』などの専門書もたくさん著したし、のちに、著作集全12巻(研究社)が編まれるほど旺盛な執筆活動をなさった方ですから、蔵書はたくさん持ってらしたらしい。専用の部屋を持っても、いいところ書庫と呼ぶしかない、そこに机を置くことのできる空間を所有したことがない、とおっしゃいます。


 チャールズ・ラムに『エリア随筆』という、英語の粋を集めたような(と教わった)エッセイ集があって、そういう本があるということも、福原先生の本で知りました。身の程知らずに、原文に挑戦したこともあります。途中で挫折しましたけれど。


 壁面が天井まで本棚の書斎というものを持ちたいと、かねてから憧れてきました。そのスペースを私もまた確保することができなかった。このまま、一生を終わるのだろうなあ。


 明窓浄机で読むような本があるわけではありませんから、食卓兼用のテーブルでもよしとしなければなりませんね。読む時間がもっとも多いのは、行き帰りの電車内ですから、わたしの書斎は、常磐線・千代田線ということになりそうです。

 

小島よしお

 11月4日(日)、家のすぐ前の自動車道路が大渋滞の状態になっていました。


 前の日、徒歩3分くらいのところにある麗澤大学の学園祭を覗いたときに(学生たちの出しものや店を見にいったのではない)、4日に、メーン舞台で「小島よしお」のショーがあると、ポスターが出ていましたから、きっとそのせいだろうと、想像しました。はたして、その通りのようでした。


 小島よしおは、水泳パンツ姿で、左腕を振りおろしながら、「でも、そんなのかんけーねえ」と繰り返す、マッチョな芸人ですね。なにが面白いんだか、私にはわかりませんが。「おっぱっぴー」という意味不明の文句が、話の転換に使われる。「終わり」の幼児語を強調したものと見ました。


 渋滞していた道路はほぼ東西に走っていますが、それと直交する、駅に向かう道路も長蛇の車の列です。テレビで売り出して、人気急上昇のタレントの集客力のすごさというのを、初めて目にしました。


 麗澤大学は、かつてアグネス・チャンも講師になっていたと思います。いろんな有名人を教授に招いてもいます。広大な敷地に四季折々の花が咲くので、格好の散歩道です。受付でサインすれば誰でもはいることができます。

袖すりあうも他生の縁

 「袖りあうも生の縁」と書いたら、辞書では「袖振り合生の縁」となっているよ、と、注意のメールを下さった方がありました。「すりあう」を漢字で書けば「擦りあう」のつもり。他生・多生は「タショー」ですね。


 『明鏡国語辞典』では、「袖振り合うも多生の縁」がメインの子見出しですが、語釈では、


 袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁によって起こるものだ。袖摺り合うも多生の縁。表記「多生」は「他生」とも。


とあります。ほかには、

 袖触れ合う他生の縁:

  『広辞苑』(岩波書店)  【訂正:下へ移動】

  『岩波国語辞典』(1963年) 


 袖すりあふ他生の縁:

  『大言海』(新訂版、大槻文彦、冨山房、1974年)

 

 袖振り合う多生の縁

  『大日本国語辞典』(修訂版、松井簡治、冨山房、1952年)

  『日本国語大辞典』(小学館、1975年ごろ)

 『広辞苑』(岩波書店)

 辞書の系統にくわしい人はピンと来るかもしれません。「振り合う」は、松井簡治が始めたもののようです。後続する子辞書・孫辞書は、表記が同じ、例文も同じでしたから。


 どの辞書も、「袖が触れ合うような」と、「触れる」ことに言及しています。「触れる」と「振る」が、同じことを意味したことがあったのかなあ。


 私は、これからも安んじて、「袖すりあうも他生の縁」で行くことにします。


 ところで、「袖を振る」という言葉は、万葉集にありますね。


 茜さす紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや君が袖振る


「恋人に合図を送る」情景だと思いますが、きっと手を振ったのでしょうね。袖だけ振るには、振袖のように長い袖の衣をまとっていなければなりませんが、さて、あの時代の男の服装はどんなものだったのか、じつは知りません。