日比谷公会堂
日比谷公会堂で久しぶりに演奏会を聞きました。ずーっと昔、客席で聞いたこともあり、舞台で歌ったこともあります。なつかしいホールです。
ショスタコーヴィッチの交響曲5番と6番。サンクト・ベテルベルク交響楽団。かつてはレニングラード交響楽団と言っていたはずですね。指揮は、井上道義。
ふたつとも初めて聞くことになるので、5番のほうは、あわてて、名盤の名が高いハイティンクのCD(コンセルト・ヘボウ交響楽団)を聞いて予習していきました。予習するまでもなかった。いきなり聞いても心に届いたであろう素晴らしい演奏でした。
このホールで、ショスタコーヴィッチの交響曲全15曲を井上指揮で演奏するイベントです。今月あと何度かあります。オーケストラは、日本のそれが多いみたい。井上さんが、力を込めて企画した連続演奏会のようです。指揮ぶりは華麗で優雅で、なにより楽しんで音楽を奏でている雰囲気が後姿から存分に発散された、すばらしいものでした。
じつは、この演奏会のチケットは、買ったけれど行けない事情ができたレイコさんがまわしてくれたものです。ありがとう。5番も6番も、フルートが、ここぞというときに主役を張る曲でした。それも満足でありました。
アエイウエオアオ
最近、テレビなどで、「カツゼツ」ということばを聞くことが多いと感じませんか? 漢字で書くと「滑舌」となるようです。役者や、落語家、漫才師、アナウンサーなど、人前で話すのがショーバイの人々が主として使うようです。学校の先生も、話す職業ですから、滑舌が問題になりそうなところですが、普通は先生は話題にのぼりません。
舌の動きが滑らかである、というのがその意味でしょうが、目的は、滑らかさではなくて、明瞭に発音できるかできないか、にあります。聞き手の耳にはっきり届くのが大事というわけです。だから、いわゆる綺麗な声である必要はないようです。アル・パチーノなんて、ちっともきれいな声ではないけれど、明瞭この上ない話し方ですものね。
英語で、アーティキュレーションというものに当たると思います。まずは子音をはっきり発音する。母音の区別をきちんとする。要するに、聞く人が聞きやすい発音をする、というわけです。それなら、昔から、歌手も、役者も、アナウンサーも、おそらくはティーチャーたちも、心がけてきたことです。
歌舞伎の世界では、「口跡(こうせき)が良い・悪い」ということが言われました。同じことだと思います。
口周辺の筋肉を動きやすくする練習が、「あえいうえおあお、かけきくけこかこ…」と五十音表を読み上げることです。これは、40年以上前、合唱団に入ったときにやらされました。
なお、「口跡」は辞書に登録されていますが、「滑舌」はまだのようです。
1024人
亡父の法事があったのは、6月6日のことでした。永巌寺というお寺で、団体で受ける授戒講というものでした。最後に、ひとりのお坊さんが法話をなさいました。
だれでも父親・母親があって生まれる。その父母にも2人ずつ両親がいる。それを10代さかのぼると1024人になる計算です。その中の誰か一人が若くして死んだとすれば、今のあなたは存在しないのです。だから、ご先祖には感謝をささげなければなりません。
というお話でした。バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなものですね。あの映画でも、若いころの母親に、主人公が出会って、母親が、なんだか他人のような気がしない、と言って、抱きすくめようとするシーンがありました。
この計算自体は間違いではないと思いますが、結果がはっきりしていることを、つまり、今生きているのは明らかなのですから、わざわざ計算してもたいして意味はないと、お話を聞きながら、バチあたりなことを考えていました。それに、こういう計算で錯覚が生じやすいのは、過去にさかのぼるほど、人口が増えてしまうということです。もちろん、そんなことはありえない。ダブっているからですね。何代か前のご先祖は、あなたと私とで同じ人かもしれません。
8かける8は64です。「はっぱ、ろくじゅうし」と九九で覚えました。自分の年齢が、数え年で64になると気がついて、法事のことを思い出した。4人いる祖父母のうち、私が物心ついたときに存命だったのは、母方の祖母だけでした。そのおばあさんに、「ばっぱ(方言で「祖母さん」)ろくじゅうし」と言ってからかったことも思い出しました。感慨深いものがあります。
はやす
私の方言では、たくあんを輪切りにしたり、トマトをスライスしたりする動作を「はやす」という動詞で表現しました。今でも、そう言うはずです。
包丁を使って魚や野菜を切る動作すべてについて「はやす」と言えるか、というと、そうでもない。りんごの皮を剥いたり、サバを3枚におろしたりする時には使わなかったと思います。包丁の動きが縦方向の場合に限られたような気がします。
間違って指を傷つけることがありますが、その場合は「指を切った」であって、「指をはやした」と言ったら、相当おそろしい話になります。
「(まな板の上にものを載せて、それを)スライスする」というのが、「はやす」の意味になります。長いこと、なぜこういう動詞があるのか理解できなかった。
ある雑誌に投稿して、「教えてください」と書いたら、関西の方が答えてくださいました。もう20年くらい前ですが。
まな板に包丁が当たる音が、お囃子の太鼓(でんでん太鼓の方でしょう)の音や、景気をつけるために木を叩くときの音に似ているからではないか、というものでした。「はやす」は「囃す」だったのか。疑問が氷解しましたね。
もうひとつ、イサバ屋という言葉もありました。魚屋のことですね。これは、今でも千葉県の漁港のある町で、そう名乗る魚屋さんがありますし、古い辞書には載っていますから、由緒のある言葉のようです。漢字で「五十集屋」と書く。語の来歴はわかりません。調べてもし分かったら報告しますね。
魚を振り売りしていた、赤ら顔の大柄なおじさんがいました。容貌がガイジンのようで、白系ロシア人らしいといううわさでした。言葉は生粋の秋田弁でしたけれど。この人の呼び名は、なんと「シンチュウグン・イサバ」でした。「進駐軍五十集」というわけです。
服部四郎
日本を代表する言語学者、服部四郎先生(1908-1995)が文化勲章をお受けになったのは、1983年のことでした。11月3日、NHKのお昼のニュースで、勲章を受ける人々が次々に車から降りる様子を拝見しました。
他の方々は、黒塗りのハイヤーから降りてこられるのに、服部先生だけがタクシーでした。まさか、先生にだけ、車が差し向けられなかったのではないだろうな、そんなはずはないよなあ、と思って見ていました。
その日の夕方、湘南のご自宅へ、会社からのお祝いをお届けする役目をおおせつかっていました。
お目にかかってタクシーのことをお聞きしました。東京駅まで電車で行き、指定された乗り場で待っていたのに、迎えの車が見えない。遅れることはできないと判断して、タクシーに乗ったのだ、とおっしゃいました。どこかで手違いがあった結果のようでした。
約束の時間を守ること(会合の席、原稿の締切り)に、きわめて厳格であった先生らしいエピソードだと思うので紹介します。
服部先生の言語学のご本は、精緻をきわめた論証が続くので、素人が読むにはホネが折れます。さまざまなところにお書きになったエッセイを集めた、『一言語学者の随想』(汲古書院,1992)は、どちらかと言えば気楽に読むことのできる書物です。
佐佐木信綱との交際、『心の花』への寄稿のことなども出てきます。第一高等学校で同級生だった有坂秀世の勉強ぶりへの称賛も忘れられません。