パパ・パパゲーノ -94ページ目

やまいだれに

 やまいだれに寺と書く病気に高校生のころから悩まされてきました。「ち」という文字にテンテンを打った大きな文字の広告がありますが、見るたびにドキリとしたものです。


 ここのところ10年以上は落ち着いています。内視鏡で現場へおもむいて、根元を文字通り「根絶」する治療を受けて以来、スッキリ過ごしているわけです。


 ウォシュレットというものができて、福音というのはこれか、と思いましたね。今では公共のトイレでもこれを装備しているところが少なくない。パリもニューヨークもこの点でははるかに遅れていました。もっともこの病気持ちが日本にくらべて少ないということもあるらしい。


 40代のころ、硝酸銀で焼く治療というのを受けたこともありました。消化管末端は、毛細血管の集中しているところです。それがからまって病状を呈するのだったかと思います。神経も錯綜しているはずです。治療が進むにつれて、痛みがものすごくなりました。10分でたどり着く駅に40分もかかったことがありました。


 大腸にバリウムを注入してレントゲン撮影をしました。カエルになったみたいでイヤだ、という人が多い。私は不愉快ということはなかった。面白かったのは、いわゆる「盲腸」が20センチくらいもあったことです。ヒトの細胞組織はきっちり決まっているわけではないらしい。それはそうです。顔も背丈もみんな違うのですから。


 入院ということをしないで直しました。あいつが、もう来ないことを期待しています。


 


 

ハロルド・パーマー

 ハロルド・パーマー(Harold E. Palmer, 1877-1949)というロンドン生まれの学者がいました。英語教育の改善に一生を捧げた方です。


 1922年(大正11年)45歳のときに日本政府の招きで来日し、1936年(昭和11年)に帰国するまでの14年間、日本の英語教育の指導にあたりました。いま語学教育研究所という組織がありますが、その初代所長を勤めました。


 在日中は、それは精力的に全国をめぐり、英語教師たちを督励して、大きな成果をあげました。福島県や神奈川県で、パーマー先生に教わった方法で生徒を教育し、その成功が全国に影響を与えたものだそうです。


 戦雲ただならぬ状況になって、昭和11年に帰国します。餞別として、日本家屋一軒をもらったそうです。離れの間のような畳敷きの部屋での和服姿の写真が残っています。その家は今では、解体されて大英博物館の倉庫に放っておかれているそうですが。


 『パーマーと日本の英語教育 』(伊村元道著、大修館書店)という、非常によくできた評伝があります。それによって書いています。


 パーマー先生は晩年不遇であったといいます。そのこともこの本ではきちんと書いてありました。記憶に残る痛切な一句があります。娘のドロシーにあるとき語ったもの。


 I feel a bit lonely sometimes in my field of work.


 「自分の仕事の分野でときどき少しさびしいと感じることがある」という意味でしょう。


 しばしば、ゴルフのパーマー(アーノルド)と間違われることがあるそうですが、日本の恩人のようなハロルドのほうを忘れるわけにはいきません。


 

天使のパン

 セザール・フランク(1822-1890)というベルギー生まれでフランスで活躍した作曲家がいました。ドビュッシーやラヴェルと同時代の人です。オルガニストとしても聞こえたようです。


 作品はたくさんあるそうですが、聞いたことのあるのは少ない。渡部基一(きいち)さんというヴァイオリニストが演奏したヴァイオリン・ソナタを聞いたことがあります。素敵な曲だった、としか覚えていません。渡部さんのヴァイオリンは素晴らしいですよ。伴奏した白石光隆というピアニストも素敵な音を聞かせました。日本中心に演奏活動をしている日本の演奏家たちは、他にもたくさんいるのでしょうが、みなさん、たしかな腕前を披露してくれます。


 そのフランクに、「天使のパン Panis angelicus」という歌があります。シャルロット・チャーチもラッセル・ワトソンも二人とも最初のアルバムに入れています。ラテン語の歌詞なので意味はよく分かりませんが、おそらく、イエス・キリストをたたえた歌詞だと思います。


 オーケストラ伴奏で演奏されますが、メロディー・ラインがじつに美しい。

 このところ、家のステレオで二人の歌を繰り返し聴いていました。


 どういうわけか、ラテン語の歌詞は、イタリア語読みにすることが多いようですね。


 パーニス アンジェリクス


と歌っています。そう言えば、モーツァルトの『レクイエム』も、どのCDでも、イタリア語ふうに読んでいます。

 


 


 


 

マニフェスト

 選挙の時の政党の公約をいつから「マニフェスト」と呼ぶようになったのでしょうか。ローマ字綴りでは manifesto とイタリア語ふうになっています。

 貨物船の「積荷目録」のことを manifest と言ったようです。元は同じ単語です。


 アメリカの歴史に出てくる言葉に「 manifest destiny マニフェスト・デスティニー」というのもあります。「明白な運命」と訳されることが多い。西部劇によく見られた、インディアンを蹴散らして西部を「開拓」するのは、天の与えたものだ、という、今から思えば一種のご都合主義ですね。


 日本で、公約をマニフェストと呼ぶのは、この先おそらく定着しないのではないでしょうか。分かりにくいものね。

 

 ローマ字で manifesto と書くもので最も有名なのは、The Communist Manifesto (共産党宣言)でしょうね。マルクスとエンゲルスとがロンドンで起草したものです。1848年。


 薄いパンフレットですが、20世紀を動かしました。この宣言の結びは、


 万国の労働者、団結せよ!

 Working men of all countries, unite!


です。英語ではこうなっているはずです。男だけで女は入っていなかったのか、などとおっしゃいますな。当時は men で男女を含みました。女の労働者がどのくらいいたか、は別の問題です。


 じつは、前から、この「万国 all countries」のほうに興味がありました。ここで言う「カントリー」には日本は入っていなかったのではないか、という疑いです。もちろん、他のアジアの国々も。マルクスとエンゲルスの意識に東海の国があったかないか、どなたかご存じの方、お教えください。




 

サトウハチロー

 駅前の駐輪場の脇に、幅1メートルくらい、長さ50メートルくらいで、ススキが生えています。まだ健在のようです。穂が昼の光にキラキラ光って風情のあるものです。


 むかし覚えたメロディーを思わず口ずさみました。


 すすきの中の子 いちにの3人

 ハゼ釣りしてる子 さんしの5人

 どこかで焼き栗焼いている

 ツバキをのむのはなんにんだろな


というもの。作詞はサトウハチローだということは知っていました。いま、ネットで調べたら、作曲は、なんとあのお魚博士、末広恭雄さんでした。タイトルも思い出させてもらいました。『秋の子』というのですね。末広先生はきちんとした音楽の勉強もなさった方ですから、驚くことはないのですけれど。


 素直なメロディーなので歌いやすい。由紀さおりと、お姉さんの安田祥子のコンビがCDに入れているようです。


 この前、『小さい秋みつけた』を、ずいぶん久しぶりにカラオケで歌いました。


 こちらは有名な曲ですからご存じですね。作曲、中田喜直。名曲です。


 お部屋は北向き 曇りのガラス

 うつろな目の色 とかしたミルク


なんて、言葉の使い方が魔術的と言ってもいいくらい。


 サトウハチローの妹にあたる佐藤愛子が『血脈』(上中下、文春文庫)という本を書いています。父、佐藤紅録を中心にした佐藤家の愛憎の歴史を叙したもの。ハチローという人も、なかなか手に負えない難儀な人柄であったようです。その人から、こんな珠のごとき詩句が生まれてくるのが、なんとも面白い。