温泉だいすき
大学生の後半(6、7年目)は、今でいう「フリーター」でした。アルバイトはせっせとやったから、自由になるお金が少しはありました。
時間を見つけては、温泉めぐりをしました。福島県白河市だと思いますが、甲子(かっし)温泉という温泉があります。当時(昭和43年頃)冬期は、留守番のお兄さんが、ロビーの真ん中に畳を敷いて、そこで泊まり客も食事をするのだった。寝るのはもちろん、客室です。階段を何段も降りて行く風呂場は広い八角のお風呂でした。屋根に空いた蒸気抜きの口から雪が舞い降りてきたりしていいものでした。そのときの客は私ひとりでした。
その後も2,3度訪れました。農閑期には湯治に来るお客さんも多かった。八角の大浴場は、じつは混浴なのですね。他にも、そういうところを探して出かけていましたから、動機は純ならざるものではありました。ただし、幸いなことに、どこでも、温泉の質はよいものでした。
ブダペストで泊まった「ゲッレールト」というホテルは、その地下に、温泉と温泉プールとが付設された豪勢なところでした。宿泊客はただで温泉に入れるということだったので、行ってみました。ことばがまったく分からないので、受付のおじさんには、身振りで意志を伝え、入り方のルールを教わることになりました。ちょっとぬる目のお湯でしたね。
秋田県に秋の宮温泉郷というところがあります。そこの最奥に「湯の又温泉」というのがあります。天然の岩を室内に取り込んだ温泉です。ものすごく熱い。もう一度訪れたい温泉は、他にもたくさんあります。
ドンパン節
きのう秋田方言の「さ」のことを書きました。民謡の「ドンパン節」にもこんなふうに出てきます。ただし、おおやけの放送や、CDなどではこの歌詞は使われていないかもしれません。オヤジたちの宴会で歌われる民謡の歌詞は、とんでもない発展をすることがあります。
アネ 山さ 行ごで 行がねがや
いま ワラビっこ 盛りで
盛りの ほんとの ええところ
ひと フクベっこ しょっかけて
おねえさん 山へ行こうよ 行かないか
今 ワラビが真っ盛り
盛りの 本当に いいところ
(酒の入った)瓢箪ひとつ ぶらさげて
この前後に、「ドンドンパンパン ドンパンパン」が繰り返されます。
訳文(?)をご覧になってお分かりのとおり、これは誘惑の歌詞です。はるか昔から連綿と連なる「歌垣(うたがき)」の伝統を今に残しているものです。おおらかで好きですね。ついでながら、「秋田音頭」の歌詞には、もっとずっとロコツな文句も出ます。
沖縄のことばに「モーアシビー」というのがあります。「野遊び」が変化した単語だそうです。この風俗も、野に出かけて男女が一緒に飲食し(飲食以外のこともし)、豊饒を祈る儀式だったといいます。
ついでに知ったかぶり。「ゴーヤー」というキュウリのオバケのような野菜も、「苦瓜(にがうり)」が変化してできた単語です。
「屋根さ登る」の「さ」
勝谷誠彦(まさひこ)という、いまテレビのコメンテーターとして大活躍している人の『朝湯、昼酒、ローカル線』(文春文庫)を読み始めました。この人は、おそらくサービス精神が人並みはずれて旺盛なのでしょう。文章も躍動していますが、なにより、読者に、ローカル線に乗って各地の食堂でラーメンを食べたり、地酒を呑んだりしたくなるように仕向けていくところがすごい。
とりあえず、わがふるさとの、「秋田内陸縦貫鉄道」(鷹ノ巣・角館間)のところを読んでみました。こういう会話が出てきます。
「まだこねか」「まだこね」
「熊さ食べられたんじゃねか」「んだなあ」
食堂で、マタギが帰ってくるのを待っている状況。ホンヤクすると、
「まだ来ないか」「まだ来ない」
「熊に食べられたんじゃないか」「そうだなあ」
問題は「熊さ」の「さ」にあります。
われわれの方言では、このようには「さ」を使わない。英語で言えば by でしょうが、言わない。
「さ」という助詞の用法を共通語に対応させてみます。
屋根さ登る:屋根に登る
湯さはいる:湯にはいる
電車さ乗る:電車に乗る
学校さ行く:学校へ行く
東京さ戻る:東京へ戻る
「方向・到着」の「に・へ」に対応しています。英語で言えば、 to, into, onto, toward などに当たります。
受身の動作主体を表す「に―波に飲まれる」のケースには、この「さ」は使えない。
受身の場合は「に」を使って「熊に食べられた」と言います。「親に死なれた」という、いわゆる「迷惑の受身」もこのまま言います。
この「さ」はよほど目立つらしく、どの助詞にでも対応すると思われているフシがあります。ときどきテレビドラマなどでもトンチンカンな科白が出ることがある。
「×桜さまだ咲かねべか」「×このあいだイノシシの肉さ喰った」
主格や対格を示す助詞としては使えないのです。
ガンという特権的な病気
ガンの手術から生還した人の闘病記はおびただしい量になります。何冊も読みましたが、死ぬはずのところを助かった、医者とのコミュニケーションがうまくいった、家族のサポートが何よりの励みになった、などなど、生還の喜びをこもごも語っています。感動的な物語が多いのも特徴です。
朝日新聞でも、長期にわたって闘病している人々を追いかけていますし、柳田邦男氏も「ガン50人の勇気」という記事で、主として有名人のガンとの闘いを取材してきました。
病いの途中で亡くなってしまった人の記録ももちろんたくさんあります。
いつかは自分にもこの病気が訪れると考えているので、ひとごとではないのですが、最近、ガンだけが死病ではないよなあ、と思うようになりました。当たり前ですが。
近藤誠医師のように「患者よガンと闘うな」と言う人もいます。それを読むと大いに説得されてしまいます。
ついに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを
という歌はいつごろからあるのでしょうか。「来るなら来てみろ赤とんぼ きてみりゃ地獄へさかおとし」などと強がってみたりもします。とりあえず、病いに格の上下はないと覚悟を決めて、楽しくやっていくしかありませんね。
冬のスポーツ
子どものころ、今より雪がたくさん降ったような気がします。実際は、似たようなものだったようですが。
小学生のころから雪が降るとスキーに夢中でした。ゲレンデなどというものはないので、横になって踏み固めながら自分たちで作るのでした。長くても50メートルくらいだったでしょうか。
リフトのあるスキー場へ行ったのは高校生のときが初めてでした。長い距離をすべっていなかったので、終わりごろには足がすくみました。
高校生のころ、冬の体育の授業にスキーがありました。2時間分かけて裏の山へ行ってボーゲンから教わりました。グランドの端にジャンプ台のある学校でした。全国大会の試合がそこで開催されたこともあります。そのころのジャンプは、手をグルグル回して跳んでいたような記憶があります。
寒くなると雪が降るので、氷の上でスケートをしたことがありません。ゲタ・スケートとというものがありました。固い雪の上をすべるものです。
そう いう地方で育ったので、荒川静香とか浅田真央が、世界の選手に伍して好成績をあげるのをみていると、感心するばかりです。安藤美姫もきれいですね。この間は残念でしたけれど。