パパ・パパゲーノ -92ページ目

聖家族

 ミケランジェロの丸い絵の『聖家族』というのがあります。(画像の取り込みができないので、絵のないまま話を進めます。)


 マリアが肩越しにイエスを受け取っているように見える、あの絵です。右後ろにヨセフの大柄な身体があります。ハゲ頭で残った髪も白髪です。


 イエスはまだ幼な子です。この絵ばかりではなくて、他の画家の描く聖家族に出てくるヨセフは、なぜみんな老人の姿なのか、前から不思議に感じてきました。


 マリアが受胎告知を受けたのは16歳のときなのだそうですね。ミケランジェロの絵のマリアは、10代のはずです。ヨセフはマリアの養父でもあったようですが、聖書には婚約者だった、と書いてあります。さあ、マリアとの年齢差がわかりません。どなたか教えてください。


 史上もっとも有名な「できちゃった婚」なはずなのに、肝心の花婿の年齢が分からない。聖書だけを主題にした大きな事典を見ても、書いていないのですね。


 ヨセフが青年の姿をした「聖家族」もあるようですから、絵の中のヨセフの年が変化しているのかもしれません。このテーマの絵には傑作が多いと思いますが、見るたびに「かわいそうなヨセフ」とつぶやいてしまいます。


 

くるみ割り人形

 熊川哲也 Kバレエカンパニー公演『くるみ割り人形』を見てきました。22日、東京文化会館。縁がなくて、バレエ公演を見たのはこれが初めてです。


 オーケストラはシアター・オーケストラ・トーキョー。そういう名前の楽団なのかどうかわかりません。指揮者は福田一雄。バレエ音楽の第一人者だったということも知らなかった。この指揮者の名前はもちろんずいぶん昔から聞いています。もう75歳を過ぎています。棒さばきは、実際にも(腕の振りとか指でする表情の指示とか)、曲作りという点でも鮮やかなものでした。


 チャイコフスキーのこの曲は、子どものころから親しんだものです。舞台の上で展開する夢の光景と、その音楽とのマッチングがものめずらしくて、興奮しながら見物していました。


 第2幕、人形たちの踊りが素晴らしい。「花のワルツ」も「フランス人形」も「スペイン人形」も、ダンスが終わると大きな拍手が起こりました。なかでも、「アラビア人形」の拍手はひときわ大きなものでした。浅野真由香というバレリーナの踊りは、初めてバレエというものを見た私の目にも、キレのよさが際立って見えました。


 男も女も、おそろしく上手な踊り手たちです。世界中の舞台で日本人ダンサーが活躍しているそうですが(この公演にもゲスト出演しているダンサーがいました)、さもありなんと納得しました。


 目を見張ったのは群舞の美しさです。「雪の国」のシーンなぞ、一糸乱れぬアンサンブルにため息が出ました。アート・ディレクターの熊川哲也の手腕はただならぬもののようです。


 色彩豊かな美術・衣装も目に楽しいものでした。舞台芸術の技術的進歩というのも、このたびの新しい発見でした。


 チケットをプレゼントしてくださった I 先生には感謝のことばもありません。

語学の達人

 司馬遼太郎の『胡蝶の夢』(新潮文庫)は、佐渡生まれの伊之助という特異な少年が、松本良順(順天堂病院の開祖)の召使いになるところから始まっていた記憶があります。


 特異というのは、伊之助の人交わりのぎこちなさから来るものです。見合いの話もよく分からない理由で、断ってしまうのだったか、断られたのだったか。


 司馬遼太郎描くところの伊之助の魅力、あるいは本領と言うべきものは、その耳の良さです。良順に従っておもむいた長崎でポンペの弟子になるのですが、たちまちオランダ語をマスターしてしまう。ポンペ自身はたしかドイツ人です。外国語としてオランダ語を話していたのでしょうね。


 伊之助は、オランダ語ばかりではなくて、小耳にしたドイツ語も英語も、すぐに覚えてしまいます。江戸時代後期から明治にかけて、西洋の学問の旺盛な輸入がおこりますが、それには、こういう異能の達人がどんなにか役にたったことでしょう。


 絶対音感 の持ち主にも、外国語をすぐに耳から覚えてしまう人が多いようです。


 音感の有無にかかわりなく、苦もなく外国語をマスターしてしまう人がいます。うらやましくて仕方がない。知り合いにも達人がひとりいます。彼女は、状況から外国語を覚えるのだと言ってました。厄介な音が多い言葉や、日本語にはない性質(たとえば中国語の四声など)を持つ言葉も、耳から覚えてしまうのですから、これは才能だと思います。その才のないものとしては、指をくわえて見ているほかありません。


 

モジュール

 パソコン用語では「モジュール module 」は、あるまとまった機能を持つ部品のことを指すようです。いつだったか、ソニー製のバッテリーが具合が悪くなったと報じられて、何万台だかの交換をしたことがありました。私のDELLコンピュータも、不具合の品番にあたっていたようで、連絡したら交換してくれました。


 この、バッテリー(実際の機能はもちろん知りませんよ)のような一まとまりをモジュールと理解すればよいと思います。


 プレハブ住宅というのも考え方はモジュールと言っていいものだと思います。prefabrication の省略形です。「規格部品」を前もって作っておいて、現場で組み立てる。


 唐突ですが、臓器移植という考えも、人体を「モジュール」の集合体と見なすことから生じたものだと思います。他人の部品をもらって、病気になった部品を取り替えるのは、さきほどの、バッテリー交換と根は一緒ですよね。


 免疫抑制剤を呑み続けなければならないとか、移植手術を受けた人の苦労は大変なもののようです。友人にも一人います。彼は、酒も呑むし、歌も歌いますから、医学の進歩の恩恵に心から感謝しています。


 人の臓器を部品と考えると、臓器売買まではすぐですね。子どもをさらって、臓器を奪い、それを売る商売(!)を話題にしたミステリーもできています。


 最近発表された、山中伸弥京大教授の、ヒトの皮膚の細胞から万能細胞を作った研究が希望に満ちているように見えるのは、この、モジュールの思想を踏まえながらも、他人を提供者にしなくても済むというところです。どんな進展になっていくのか目が離せません。

絶対音感

 最相葉月(さいしょう・はずき)というノンフィクション・ライターが書いた『絶対音感』(いま、小学館文庫)があります。いわゆるラ(業界用語ではA、アー)の音が440から444ヘルツ位の振動数でそのまま聞くことができる能力のこと。


 それに対して、音同士の相関関係を、ドレミで捉えるのを「相対音感」と言う。


 普通の人で、メロディーをドレミで歌うのは、まず間違いなく「相対音感」の持ち主です。持ち主というのは正しい言い方ではありませんね。絶対音感がなくて、聞こえたメロディーを再現するのに、ドレミでしか出来ない人と言うべきです。


 最相さんは、絶対音感の「絶対」がなにか極上の能力であると考えたらしい。主として音楽家に取材したレポートになっていましたが、音楽家たちが、必ずしも、もっているその音感をありがたいとも思っていないらしい、ということに気がつきます。まあ、踏み出した以上、後へ引けないという感じで突っ走っていきます。仕上がりはまずは面白い本になっていました。


 しかし、違う音程をそのままで捉えるのは、動物もそうなのだと、養老孟司先生は言います。個々の違いを捨象して、ある種類を同じものと認めるのが人間で、このリンゴもあのリンゴも同じと認めるところに言葉の発生を考えていらっしゃいました。そう考えるべしと私も言いたい。


 絶対音感の持ち主は、耳の能力が赤ん坊のときのまま成人になった人だと、今の私は考えています。もちろん、走るのが速い、高く跳べる、という運動能力と同じように、その能力がある人は、それを生かすことを考えたほうがいいのはもちろんです。