「とうが立つ」の「とう」
この前 書いた白菜の新芽について調べました。
薹:読みは「とう」、室という字の上のチョンを取って、その上に吉、さらに上に草かんむり。
これが、「ふきのとう」の「とう」だそうです。びっくりするのは、「とう」は訓読みであることです。音読みでは「ダイ・タイ」。
漢字のもとの意味は「あぶらな」のこと。「とう」と読むと「野菜類の花茎ののび出たもの」となります。
「とうが立った」といえば、「旬がすぎて、そのものの味わいがなくなった」、転じて、「盛りを過ぎた」という否定的な意味になる。硬くなって食うに食えない野菜(や人間も)のことを言う場合が多い。
白菜でもキャベツでも、畑にほうっておくと、黄色い花をつけますね。これも「菜の花」だったか、と妙に納得したことがありました。野菜というのは、開花する前に収穫して食べているのだった。
花を咲かせるための茎が伸びはじめて、いい按配のところを摘めば、結構なおひたしになる、ということのようです。
さて、白菜の「とう」のことを秋田の方言では「ふぐだぢ」(フクタチ)と呼びました。これはもと「くくたち」なのだそうです。『大日本国語辞典』(小学館)に書いてありました。
「くくたち(茎立ち)」の「くく」は「くき」の被覆形と言われるもの。つき(月)→つくよ(月夜〔古語〕)、さけ(酒)→さかだる(酒樽)のように、複合語のときに(のみ)現われる読みのことをこう言う。
(くき→)くく→ふく
という変化はごく自然なものです。春先に出回るので、縁起よく「福立ち」から来たかと想像していたのですが、ちょっと的をはずしたようです。
CHEMISTRY(ケミストリー)
「アメリカン・ダンス・アイドル」(ケーブルテレビFOX)が佳境に入ってきました。日本語字幕の出る番組では、この前の日曜日にベスト8まで進んだはずです。今年はレベルが高いのだそうです。じっさい見物していると、身体のキレというのか、それが、とくに女の踊り手に著しい。
ペアで踊る課題もあって、あるペアに対して、審査員3人のうち、たしか2人が、「ふたりのケミストリー(your chemistry)がすばらしい」ということを言います。字幕では、「相性」となっていました。
chemistry というのは「化学」のことですね。れっきとした自然科学の学問を指す語ですが、「化学的反応(性質・作用・結合)」という広い意味から、ある人が発する「魅力」、さらに、俗語で「相性」の意味に転用されたもののようです。百年くらい前から「相性」の意味で使われていました。
オクスフォードの学習辞典を引くと、「二人の間の関係、普通は強い性的魅力のこと」というように書いてあります。ロングマンやコリンズの、同レベルの辞書ではもっと表現がおだやかです。「お互いに好意をもっている、魅力的だと思っている」というふうになっています。
There is perfect chemistry between us. (私たちの相性は完璧だ)
Our chemistry is right. (私たちの相性はいい)
the extraordinary chemistry between Ingrid and Bogart
(イングリッドとボガートとの並外れた相性のよさ)
のように使われるようです。
CHEMISTRY という男のデュオの歌手がいるのですね。この人たちのグループ名も、ここに書いたような「ケミストリー」を含意しているもののようです。
ツェルリーナの変容
『ドン・ジョヴァンニ』が面白くて、CDが5種類、DVDも3種あります。今度、小学館のオペラ・シリーズで出たDVDは、ムーティ指揮のもの。ドンナ・アンナがグルベローヴァなのでためらわずに買いました。期待にたがわぬ素晴らしい舞台です。グルベローヴァの出る場面だけでも見もの・聞きものです。小ゆるぎもしない歌唱を聞かせ、父を殺したドン・ジョヴァンニへの復讐の思いを表情豊かに見せてくれます。1987年のライブ録音。
ツェルリーナという村娘が重要な登場人物です。このDVDでは、シュザンヌ・メンツァーという器量よしのソプラノが歌っています。「ぶってぶって、いとしいマゼット」「私の薬をあげる」という二つのアリアも素敵ですが、初めのほうの「手に手をとって」という、ドン・ジョヴァンニに口説かれながら、その気になりかかる二重唱も名曲ですね。
いつも持ち歩いている iPod に入っているのは、ヨーゼフ・クリップス指揮のウィーン国立歌劇場の盤です。チェーザレ・シエーピがタイトル・ロール、ドンナ・アンナがシュザンヌ・ダンコ、ツェルリーナの結婚相手マゼットがワルター・ベリー、そして、ツェルリーナがヒルデ・ギューデンです。歴史に残る名盤なのだそうです。たしかに、シエーピの声は色気がたっぷりあって、誘惑者にピッタリです。なんと 1955年の録音です。
ヒルデ・ギューデンのほかの役を聞いたことがないので、即断は禁物ですが、きれいな声ではなくて、わざと野卑な田舎娘を演じているように聞こえます。恋の手管に長けた娘という設定ですから、当時はそういう演出だったのでしょうか。
現代のツェルリーナたちは、毅然としたところもそなえた、自立する女、という見立てになっているような気がします。ただの百姓娘ではないところを、声でもしぐさでも示すことが多い。たしかに性格の劇という側面を持つオペラなので、対照を際立たせる演出のほうが分かりやすいということはあります。でも、美貌のソプラノが、わざわざおきゃんな役作りをしなくてもいいよなあ、とおじさんの心は乱れるのであります。
もう一人の女主人公、ドンナ・エルヴィーラも、捨てた男への未練断ちがたい想いを表現するのですが、歌手によってずいぶん違った印象を受けます。その話はいずれまた。
民宿 こまくさ
昨日書いた民宿は「こまくさ」という宿です。ご主人がブログ を書いていらっしゃる。ハタハタの寿司(いわゆる飯寿司)の作り方が載っていたりします。
上等な宿屋というのではありませんが、客が必要とするものはひと通り揃っています、もちろん。
ごはんがうまい。味噌汁もうまい。野菜はもっともうまい。朝食に出たおひたしは、白菜から出る一番の新芽(方言で特にそれを指す単語があるのですが思い出せない)でしたが、まあ、おいしいのなんの。酒も。
お皿の数を無理に増やすことをしないので、みんな食べられるほどの分量なのも好ましい。
温泉につかって、うまいごはんを食べたのですから、体重は2キロ増えました。喜ばしいことであります。
暖房は、温泉(昨日も書いたとおり、源泉が98度)を利用しているようです。普通のエアコンに見えるものが各部屋についています。(夏はおそらく冷房装置が働くのでしょう。)その中をお湯のパイプが通っていて、その熱で部屋を暖めているのでした。「送風」スイッチにすると、6畳の部屋がすぐ暑いくらいになるのでした。
朝食に出た「温泉たまご」は、文字通り「温泉で作ったたまご」でした。それでたまごの味がよくなるというのでもありませんが、ありがたみが違いますね。
よい正月でした。
温泉水滑らかにして
小安(おやす)温泉の民宿で温泉三昧をしてきました。
源泉がなんと98度もあるという。水を足してお湯の温度を42度に落としてあるようです。それでも、湯につかった瞬間、肌にジンと刺激が伝わります。
「長恨歌」の「温泉水滑らかにして凝脂をあらう」という詩句を思い出させる滑らかなお湯でした。心なしか肌つやがよくなったような気がします。
最寄り駅から路線バスでほぼ50分。行きの乗客は何と、私と、途中から乗ったご婦人が一人のみでした。地方のバス会社が立ち行かなくなってしまうのもいたし方ないことです。
これが露天風呂。
写真をもうひとつ。皆瀬ダムに注ぐ川の上流です。雪の溶けた分でしょうか、増水して湖のようになっていました。雪が降りしきっているときは、昼でも薄暗く、気分もふさいでくるものですが、ときどき晴れ間が訪れて、日の光が雪に映えるときには、恍惚とするような光景が広がって幸せな心持になります。


