パパ・パパゲーノ -88ページ目

比較級・最上級

岩城宏之の『音の影』(文春文庫)を読んでいたら、ドイツ語圏のオーケストラのメンバーたちがする笑い話がいくつか紹介されていました。


 英語の時間に、形容詞の、原級・比較級・最上級というのを習いました。good better best とか、early earlier earliest とかいうの。ドイツ語にももちろんあります。


 「馬鹿な」という形容詞は、dumm dummer dummst となるのだそうです。(あとの二つに出てくる u はテンテンがつく、いわゆるウムラウト) ドゥム デュマー デュムスト、のようになる。


 それを、楽団の団員たちは、


 ドゥム デュマー テナー


と言うのだそうです。テナー(の歌手)は「何も考えないお馬鹿さん」というわけです。オーケストラの中では、トランペット演奏家がそういう位置にあるようです。そういえば、若い頃属していた合唱団でも、「テナー・バカ」と言いふらしていました。


 こんなことを言って遊んでいるのでしょうね。テナーのところにソプラノを入れたのは聴いたことがありませんから。もし、そんなことをアソビででもしたら大変なことになるでしょう。


 ルチア・ポップのパミーナ、グルベローヴァの夜の女王の組み合わせの『魔笛』(DVD)を見ながら書いています。荒唐無稽のきわみのような話ですが、音楽の一貫性と、歌い手たちの表現力によって夢の世界が出現します。


 岩城宏之のこの本も面白かった。文庫で読める他の本もおすすめです。筆の立つ指揮者を失ったのは本当に惜しいことです。


 

 

小道具としての電話

 映画の中で電話がドラマのキーになることが多い。古くは『ダイヤルMをまわせ』があります。のちにリメイクができて、マイケル・ダグラスが、妻のグイネス・パルトロウを、その浮気相手を犯人にして殺させる、手の込んだサスペンスでしたが、アリバイ工作に使われたのが電話でした。


 『プラダを着た悪魔』(原題は、The Devil Wears Prada 「悪魔はプラダを着ている」でした)でも、アン・ハサウェイ扮する秘書が、ボスであるメリル・ストリープからの無理難題が、時間かまわずケータイで指示される、そのわずらわしさから、ついにはのがれる話でした。


 この前書いた『ディパーテッド 』では、おとりの警官、マフィアのボス、警察側に入り込んだスパイ、それぞれが、ケータイで情報のやりとりをするし、声を出せない時は、ケータイのメールでやりとりをしていました。死んでしまった警察上部のケータイから、ディカプリオにかかってきた電話が、大団円へのヒントになっていました。


 『ミッション・インポッシブル』では、上海にいるトム・クルーズのところに、ニューヨークかワシントンからケータイ電話が来て、その指示に従ってとらわれた妻を救いにいきます。


 いまや、世界中がノキアやサムスンのケータイ電話でつながっているのですね。成田空港には27社だかの、レンタル・ケータイの事務所があるそうです。


 ミステリーに電話は欠かせない小道具ですが、最近の映画を見ていると、頼りすぎではないかしら、と感じることがときどきあります。

お菓子と娘

 20歳のころに面識を得たサワダさんは、そのころ、私の知らない歌をたくさん教えてくれました。そのうちの一つが「お菓子と娘」というもの。高木東六の作曲だとばっかり思っていましたが、橋本国彦作曲でした。


 ついでながら、この作曲家は、私が卒業した高校の校歌を作曲した人です。戦後の新制高校のために、ほかにもいくつも作ったと思いますが、食糧難の時代だったので、お米1俵が謝礼だったと聞いたことがあります。

 その校歌も格調の高いものです。今でももちろん歌われています。


 さて、「お菓子と娘」(西條八十作詞)はこんな歌詞でした。


 お菓子の好きな 巴里娘
 ふたりそろえば いそいそと
 角の菓子屋へ「ボンジュール」

 (よ)る間もおそし エクレール
 
腰もかけずに むしゃむしゃと
 食べて口ふく 巴里娘


 メロディーをカタカナで書いてみますね。赤い字が上の音だと思ってください。


  ・ソシ ラソファ | ミソレドミー

  ・ソシ ラソファ | ミレラソレー

  ・ファミレ ミソソソ | ラミレドー


 4拍子で、1拍目がアウフタクト(半分休んで始める)です。ゆっくりめのテンポ。

 

 昭和3年にできた曲だそうですが、歌詞もメロディーもおしゃれです。


列挙・枚挙

 知人の母上で、いま84歳になる方が作った短歌の手書きのコピーを頂戴しました。その中にこんな歌があります。


 彼岸花おしろい水引あかのまま淋しき吾に秋の花赤し

                         (よしおかよしみ)


彼岸花・おしろい花・水引草・あかまんま、と4種類の秋の花を列挙しながら、老境に彩りを添えて、心象風景を叙した歌と読みました。他にも、お嬢様(この方が知人)との確執とも読める歌があったりして、短歌という形式が取り込むことのできる感情の多様さも面白いものでした。


 このように、意味の近い語を並べる方法を、レトリックでは、「列叙」(並べて述べる)のひとつ、「列挙」あるいは「枚挙」と呼ぶようです。すぐ思い浮かぶのは、


 地震かみなり火事親爺


です。この標語の眼目は「親爺」にありますが、強調のため、似たものを列挙したものです。


 あるいは、初夢に見るとめでたいとされる、


 一富士二鷹三なすび


なども、列挙の仲間に入りそうです。


 いつぞや引用した俳句、


 奈良七重七堂伽藍八重桜 (芭蕉)


も、このレトリックを使ったものと言えます。


 同じ手法でできた俳句に、


 葱生姜紫蘇かつを節冷奴 (池田恵一)


というのもあります。季節は夏ですが、俳句の持つ諧謔がよく出た佳什というべき作です。

シルク

 1月19日から公開される映画『シルク』を、この前の金曜日にカナダ大使館の地下にある、「オスカー・ピーターソン・シアター」の試写会で見てきました。高名なジャズ・ピアニストもカナダ(モントリオール)出身なんですね。


 イタリア・カナダ・日本の合同製作でした。音楽は坂本龍一。ピアノも彼が弾いています。オーケストラの曲よりもピアノの曲の方が多い。相変わらずうまい。作曲も演奏も。


 19世紀のフランスの田舎町の養蚕がうまくいかなくなって、主人公(マイケル・ピット《ブラッドとは縁戚でもなんでもないようです》)が、初めはエジプトに蚕の卵を買い付けに行きます。それもうまく行かなくて、遠い日本まで買いに行く。ロシアのどこだかまで汽車で行き、ナホトカだったかハバロフスクだかまで馬で行って、そこから日本の船に乗って、酒田へ密入国する。山越え谷越え、奥深い村にたどりついて、そこから、買った蚕の卵をフランスまで持ち帰る。その旅を3度します。故郷を出る前にもらった奥さんがいます。エレーナという名前、キーラ・ナイトレイが演じます。エレーナは、結婚して2年たつのに子どもにめぐまれない、と嘆くシーンがあります。蚕の不首尾と、不稔とが重ねあわされているようでした。


 日本で出迎えたのが、芦名星(あしな・せい)という綺麗な娘と、そのパトロン(?)役所広司です。役所広司が最初は日本語で話しているのですが、途中から流暢なアメリカ英語になります。娘のほうは、ついにひとこともしゃべらない。


 他に、フランスで娼館を経営している、元フランス人の妻の日本人(中谷美紀)というのも出てきます。この人も重要な役どころでした。


 全編、じつに美しい風景が展開します。そうして、冒頭から、芦名星の素敵なヌードが出てくるし、最後は、キーラ・ナイトレイもヌードになります。なんですね。背中の美しさは、日本人に軍配があがります。


 まわりは雪の露天風呂が出てきて、そこに入るシーンが何度も出てきます。寒かっただろうなあ、と女優たちに同情しました。