いただく
テレビはいまやお笑いとうまいものさがしで満杯です。毎日どこかのチャンネルで「まさに絶賛の一品!」と叫んでいます。
「食べる」と言えばいいところを、丁寧に言おうとして「いただく」が大はやりです。
「このお肉は生でもおいしくいただけます」などと言う。「食べられます」でいいはずなのに。
「この魚は生よりも酢でしめるとおいしくいただけます」「いしちゃんは、さっそくいただいています」「シンプルにいただいちゃいます」「ここではみなさん塩ダレでいただきます」などなど。もうオンパレードですね。
量に対して値段が手ごろの場合は、「お食べどく」などと言う。さすがに「いただきどく」とは言えないらしい。
「食う」だと丁寧さが足りないので「食べる」ができたものでしょう。使っているうちに「丁寧さ」が擦り減ってしまったと感じられるのでしょうね。そこで、本来は、謙譲語である「いただく」がとって代わってしまいました。
自分で食べるときなら「いただく」でなんにもおかしいことはありませんけれど。
せっかくうまそうな食べ物が映っているのに、「いただく」の連発が聞こえるものだから、注意が言葉のほうに行ってしまって、索然とさせられてしまいます。
自分の子への呼びかけ
英語の映画を見ていると、ときどき、父親が自分の息子に対して「気をつけて行けよ、息子よ」などと訳せる言い方をすることがあります。「息子よ」のところが Son という呼びかけになっている。My son! のように「私の息子よ」という場合もあります。息子が、10歳でも、40歳くらいでもこういう言い方をします。
娘の場合も言うように思います。『ダイハード4』で、たしか、ブルース・ウィリスが、娘に向かって、My daughter と呼びかける科白があったように覚えています。
日本語では、まず、こういう言い方をしません。実際、日本語の字幕には、訳が出てこないか、きてもその息子の名前がはいります。
ところで、昨日落語の番組を見ていたら、吉原で遊んで来たらしい息子が、風呂屋からの帰りといつわって、父親に「おとっつぁん、ただいま帰りました。いい湯加減でした」と報告すると、親父が「おう、せがれか」と応じるところがありました。「せがれや、あんまり女を泣かせるものでないよ」みたいなせりふを、母親も言うことがあります。してみると、日本語でも、昔は、呼びかけの My son があったのですね。
ブラームスだかシューベルトだかの「子もり歌」の訳詩に、「ねーむれ ねーむれーねむれ わーが子よ」というのがあって、さして違和感を覚えませんから、詩のことばでは「わが子よ」という呼びかけもオーケーということなのでしょうね。
ヴィブラート
ビブラートとも書くことがありますが、楽器(声も)の音を伸ばすときにかける音のゆらぎのことです。分かりやすいのは、ヴァイオリンを弾く人が、左手の指で弦を押さえながら、前後に細かく動かすときがありますが、そのときに出る音が、「ヴィブラートがかかった」と言います。
フルートのような楽器では、横隔膜の調節でヴィブラートをかけるといいます。自分でもフルートを吹いたことがありますが、なかなかヴィブラートがかけられませんでした。
歌手たち(オペラ歌手も、ポップスも演歌歌手も)は声帯を調節しながらかけていると思いますが、過度にやると下品な声になりかねないので、推奨しない指導者もいるのだそうです。
「ちりめんヴィブラート」と言って、さざなみが立つかのようなヴィブラートは気になると後を聞きたくなくなることもあります。小さな声で言いますが、マリア・カラスの声にときどきそれを感じることがあります。
いしだあゆみと、松任谷由実は、「ノンヴィブラート」で通しているのだそうです。
音を揺らす奏法には、他に、「トリル」と「トレモロ」があります。
トリル:レミレミレミ……レドー、のように、一音差(あるいは半音)の二つ音を急速に繰り返す奏法。ピアノ曲などでよく出てきます。
トレモロ:同じ音をころがすようにして伸ばす奏法。木琴で2本のスティックで同じところを素早くたたくのが典型。小太鼓もよくこれをやります。
ヴィブラートもトリルもトレモロも、オペラの曲にはみんな出てくるのですね。発声にもトレモロがあることに最近やっと気がつきました。どれをやらせても完璧にこなすのが、やはりグルベローヴァでした。ドミンゴももちろん。
ロシア文学の訳者たち
亀山郁夫の新訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社文庫)が大評判のようで、なによりです。
私どもが若い頃、ロシア文学の翻訳が盛んでした。翻訳権が切れていた作品が多かったのと、切れていなくても、おおっぴらに翻訳してもどこからも文句は出ない時代でしたから、同じ小説の訳書が複数出ていました。
もうひとつ、ロシア文学の翻訳が多かった理由は、ロシア語科を卒業した人たちが、教職に就くことができないので、いきおい翻訳で食べるほかなかったらしいことです。
中村白葉(はくよう、1890-1974)、原久一郎(ひさいちろう、1890-1971)、米川正夫(1891-1965)、湯浅芳子(1896-1990)、神西清(じんざい・きよし、1903-1957)、小沼文彦(おぬま・ふみひこ、1916-1998)と並べてみると、この人々が日本の文学状況をどんなに豊かにしてくれたことか、感謝のほかありません。
トルストイも、ドストエフスキーも、ゴーリキーも、ツルゲーネフも、作品がほとんどみな日本語で読めるのですから、なんとも幸せな時代でありました。もちろん今でも読めます。忘れてはいけない、チェーホフのいくつもの短編、『桜の園』『かもめ』などの戯曲(これは湯浅訳が上演されたと思う)もまた、日本語で読むことができるのです。
『戦争と平和』『カラマーゾフ』は米川訳で、『アンナ・カレーニナ』は中村訳で、『復活』は原訳で、『白痴』は小沼訳で、『かわいい女』は神西訳で、それぞれ読んだ記憶があります。どの訳者の日本語がよいか悪いかなどは考えもしなかった。手にできる本をたまたま選んだ結果です。ただし、おしまいまで行き着けなかった小説もあることを、こっそり告白しておきます。
ラスコリニコフやナターシャやアリョーシャや、ラネーフスカヤ夫人や、登場人物の名前も、親しいものでした。今のロシア文学はどうなっているのでしょうね。
伊丹十三
映画監督として成功した伊丹十三(1933-1997)は、最初は軽妙なエッセイの書き手として知られていました。名前も伊丹一三(いちぞう)と言いました。映画監督・伊丹万作の子どもですから、本名かと思っていたのですが、みなペンネーム(芸名)のようですね。
1969年に一三から十三に改名したときも、「マイナスをプラスにした」と書いていました。そのマイナス時代に刊行したエッセイ群はどれもみな面白いものでした。今ではあらかた新潮文庫で読めるようです。 『ヨーロッパ退屈日記』『日本世間噺大系』『女たちよ!』など。
『退屈日記』に、こんな話が出てきます。
BBCのある年の4月1日のテレビ放送。「今年はスパゲッティが不作で、イタリアのスパゲッティ農家の人々はスパゲッティ畑でうなだれています」と、映像つきで本当に放映したのだそうです。見るほうも「エープリル・フール」ということが分かっていて、おもしろがったんだとか。NHKもたまにはこんなことをやってみればいいのに。抗議は殺到するでしょうけれど。
『世間噺』にも、こんなことが出てきます。
紅白歌合戦が全盛の頃は視聴率が70%なんてことがあったらしい。他のテレビ局はどんな番組をぶつけてもかなわない。それでも、何かアイデアをひねりださなければなりません。なかばヤケになって考えたのが「皇室歌合戦」だったとか。視聴率が紅白を上回るのは間違いがない、しかし、実現性はゼロ。どなたに何の歌を歌っていただくかまで書いてあって、抱腹絶倒しましたね。
彼の数多い映画作品には、駄作も少なからずあると思いますけれど、確実に一時代を画した監督です。私にはやはり『お葬式』が一番よくできていたように思います。
奥さんの宮本信子さんがデビューした、NHKのテレビドラマもリアルタイムで見ています。今でもそうですが、当時から、利発を絵に描いたようなお嬢さんでした。たしか俳優千秋実(『七人の侍』の一人)の姪御さんではなかったか。そのドラマの、お兄さん役で伊丹さんが出ていたのを覚えています。