ドイツ・レクイエム
じつは今までじっくり聞いたことがなかったのですが、昨日丸元さんの訃報に接したこともあって、あらためて聞いてみました。聞きしにまさる名曲でした。
私の持っているCDは、1978年バイエルン放送交響楽団演奏、指揮ラファエル・クーベリック、ソプラノ・ソロはエディット・マティス、バリトン・ソロがヴォルフガング・ブレンデルです。教会でのライブ録音。名演奏という評判の1枚です。
とくに第5曲「今はあなた方も悲しんでいる」(ソプラノ・ソロと合唱)が、マティスの、知的で清楚で伸びやかな声によく合って、これで送られることになってもいいかな、という気にさせられます。
思い立っていつものように、YouTube を覗いたら、まあたくさんの映像がそろっています。第5曲のグルベローヴァのソロもありますから、興味のある方は跳んでみてください。若いころのキャスリーン・バトル(指揮カラヤン)の映像もありました。
原題は Ein Deutsches Requiem という。「ドイツ語のレクイエム」という意味のはずですが、「語の」は、はずして言う習慣です。「ものの本」ならぬ、「もののサイト」を見ると、歌詞はすべて聖書のドイツ語訳から取られているようです。つぎはぎした文句でした。ブラームスはプロテスタントなのだそうです。レクイエムというのは長くカトリックの「死者のためのミサ」ですから、ラテン語で作らなかったのも理由があるのですね。
これに続けて、ハイドシエックというピアニストの、ベートーヴェン「テンペスト」を聞きました。バックハウスの演奏が一番だとは今でも思いますが、それに劣らない弾きぶりです。これも、亡き人を悼むのにふさわしい名曲・名演でした。

割干し大根
大根を縦に4つ、あるいは6、8つに割って寒風にさらし、水分を飛ばしたたものを「割干し大根」というようです。「ハリハリ漬け」のもとになるのもこの大根ではないかしら。
ざっと水洗いして(土ぼこりなどを取る)、1時間ほど水に浸して戻す。ザクザクに切って、醤油を好みの分量かけるだけで、大根ほんらいの甘みが口の中に広がる、サラダのようなタクアンのような旨い食べものです。
群馬(上州の空っ風)県産のものもあるそうですが見かけたことがありません。最近は宮崎県産のものがときどき出回っています。つい、先日も、生協で入手した宮崎ものを食べました。
三浦半島でできた割干し大根が、ひところは近所のスーパーで売っていたので重宝していたのですが、近頃パッタリ姿を見かけません。海風をたっぷり吸い込んだような(といっても潮の香りがするわけではありません)三浦大根はほんとうに旨いものです。
割干し大根を常備菜として備えるべしと特筆大書していたのが、丸元淑生『システム料理学』(文春文庫)でした。この本は、食べものに関する私のそれまでの観念を根本から変えてくれました。おひたしの正しいゆで方とか、アサリのスパゲッティの作り方とか、これに習ってずいぶんおいしい食べ方を覚えたものでした。感謝しています。
丸元さんは、昨日(3月6日)食道がんでなくなったそうです。享年七十四。「秋月へ」という小説で芥川賞の候補になったことがありました。ご冥福を祈ります。
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サラ・ブライトマン
「怪人」のヒロイン、クリスティーヌの初演はサラが演じました。下の画面でも分かるように、イギリス人にしては(失礼か)、とびきりの美人です。17くらい年上のアンドルーは、怪人におのれを投影したのかもしれません。(ここ少しヤッカミが入ってます。)
アンドレア・ボチェッリと2人で歌った Time to Say Goodbye では、サラの、じつに美しい裏声を聞くことができます。ボチェッリのほうは、音程がずいぶん上になっても、軽やかな地声のままです。【たまたま楽譜を見ることができました。ト長調で始まり、途中で転調してイ長調に変ります。一番上の音がG(ソ)からA(ラ)になります。】
この Time to say という歌は、もともとボチェッリが歌った Con te partiro (あなたとともに旅立とう)という歌なのだそうです。道理で、レシタティーヴォ風の歌い出しがイタリア語だった。
シャルロット・チャーチがファースト・アルバムの第1曲目に入れて、世界中の音楽ファンをとりこにしたに違いない「ピエ・イエズ」(Pie Jesu, 慈悲深いイエス)という曲も、ロイド=ウェバーの「レクイエム」の中のもの。これも初演はサラ・ブライトマンだそうです。恋女房のために作曲すると名曲が生まれるもののようです。いまや3番目の奥さんとのあいだに3人も子どもができたというアンドルーですが、いよいよプロダクティブに活躍することでしょうね。

エピグラフ
この直前の記事に書いた「三木清の思い出」という文章の初めに、ラテン語の文句が書いてありました。文章のおしまいに訳文が示されています。
友情の務めが果たされるためには一緒に何斗もの塩を食わねばならぬ
たしか、ローマの詩人ホラティウスからの引用だったと思います。この意味が若い頃にはよく分かりませんでした。年を経た今でも理解したといえるかどうか。ざっと次のような含意であろうと察するばかりです。
友だちが本当に友だちであると言えるためには、お互いに苦い思いを何度も味わって、それを克服しなければならない。
こういう、文章の冒頭に引用して(自作の場合もある)、文全体に彩りというか方向性というか、そういうものを添える、比較的短い文章を英語でエピグラフ(epigraph)と言うようです。奇抜な、ウィットに富んだ、短い文句のほうはエピグラム(epigram)です。どちらも、ギリシャ語が元になっていますが、グラフもグラムも「書かれたもの」というような意味らしいので、まぎらわしいことです。エピは「前に、上に、近くに」などの意味。
手元にあるペーパーバックの歴史小説にも、キケロの『弁論家について』から引用してあります。ラテン語と英語とを並べて書いてある。普通の読者はラテン語は読めないはずですから、一種の権威付けなのでしょうね。漢文を白文で出したようなものです。もちろん、私はどちらも読めません。
スタンダールの小説『赤と黒』(だったと思う)の冒頭に、英語で、
To the happy few. (幸福な少数者に)
となっているのは、エピグラフではなくて、献辞(dedication)と呼ぶようです。この、「だれそれに」というのもよく見かけます。
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三木清
林達夫に「三木清の思い出」と題する文章があります。京都大学で同級生だった三木を回想した文。三木清(1897-1945)は、治安維持法違反の共産主義者タカクラ・テルをかくまったかどで、投獄されて獄中で死にました。
三木清は岩波文庫の奥付裏のスローガン「読書子に寄す」(昭和2年の日付)の起草者としても有名です。
「三木清の思い出」は三木が死んだ次の年に雑誌『世界』に掲載されたもののようです。私が最初にそれを読んだのは、『歴史の暮方』(筑摩叢書)だったと記憶しています。いまは、「林達夫著作集・4」(平凡社)にも収録されていますし、林の著作を編んだいろいろな文庫本(中公文庫など)でも読めるはずです。
三木清という、自己肥大の権化のような友だちを持ってしまった林達夫の困惑がよく伝わってくる文章です。京大生のときに上流夫人と恋仲になって京都ではちょっとしたスキャンダルになったらしいのですが、その夫人のことを「シュタイン夫人」と呼んだりする。自分を、かのゲーテに擬したのですね。
哲学者としては『パスカルに於ける人間の研究』はじめ、たくさんの啓蒙書を書きました。
林達夫の評価は、しかし、痛烈なものでした。「三木がその生涯において独創性を示したのは、金釘流の書体だけだった」という意味のことを書いています。独創的だったのは、その下手糞な文字だけ、というのはあんまりですけれど。
この「思い出」を全文引用しながら日本語の文章について考察を展開したのは、向井敏『文章読本』(文春文庫)でした。名文の誉れが高い「思い出」を語って、一歩も後に引かない気迫を示した、こちらもおすすめの本です。
ここに出している「テーマ」の「書籍の周囲」というのは、じつは、林達夫著作集の第6巻のタイトルを借りたものです。
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