ケータイ電話
ケータイ電話の普及で、公衆電話がおそろしく少なくなってしまいました。電車やバスでケータイで話す人の数も増えているような気がします。普及のスピードにマナーが追いつかない状態なのでしょう。
街なかで普通の会話が聞こえるのに話し相手が見えないというのは、いまだに一瞬ギョッとします。むかしは、そういうことをするのはアタマのネジが飛んでしまった人だけでしたから。
電話としての機能のみならず、メール通信、テレビ視聴、音楽のダウンロードも普通にできるし、果ては、スイカ・パスモも兼用、財布代わりにも使える、そういう多様な機能を備えた機種に人気があるようです。いずれ、画素数の多いデジカメの機能も備えることになるのでしょうね。私がそれに近づくのは、おそらく列の最後尾集団の一人になったときだろうと思います。
こんなに、ケータイのメーカーも種類も多いのに、世界標準になっている機種は、ノキアとかサムスンとか、日本以外の機種なんだそうですね。弱電業界は世界一のはずだったのにどうしたことでしょうか。
ケータイのことを、英語では、セル・フォーン(Cell phone)とか、セリュラー・フォーン(Cellular phone)と言う、と辞書には出ています。実際そう言っても通じるようです。大詰めを迎えつつある「アメリカン・アイドル」という勝ち抜き歌合戦の番組は、視聴者からの電話投票によって順位が決まります。「ケータイからも応募できます」と言うときに、司会者は必ず、ワイアレス・フォーン(Wireless phone)と言ってますから、この言い方で定着したもののようです。3千万人だかから投票があるというのですから、アメリカでは、大勢は、これで行くことにしたのだろうと判断されます。
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横組み・縦組み
こういうブログで縦組みになっているのは、見たことがありません。できあいのブログページでは縦組みのことは考えていないはずです。英語で書くことを主眼として発達してきたコンピュータですから、自然に横組みになる。ごくごく稀に、縦組みのホームページを見ることはあります。その場合は、手の込んだ入力・整形が必要なようです。
小説をはじめとする物語の版面(はんめん、印刷用語としてはもっぱら、はんづら)は、縦組みのほうが、少なくとも私には読みやすい。単に慣れの問題ですが、こういうことは習慣にしたがったほうがコスト・パフォーマンスはよいと思います。新聞が縦組みのまま続いたのは、どこの社も、読者の習慣に逆らってまで横組みにして読者を失うかもしれないことをする度胸はなかったからだと思う。コラムなどで、ときどき横組みにしているケースはあります。
日本史の教科書は、だいぶ前から横組みです。読むのになんの違和感もありません。資料の図版の中で縦書きにしてある場合は、囲みにしてタテに読めるようにしてあります。
手書きのはがきや手紙の場合は、私はいまだに、縦書きが9割くらいです。ボールペンで書く場合でも、日本語はタテの方が書きやすい。
選挙の投票用紙も、タテに記入するようになっていますね。
テレビニュースの字幕というのか、トピックを示す語句は、横書きです。しかも、まず例外なくゴチック体です。今書いているこの字体と同じタイプ。
縦組みで困るのは数字です。2008年などがうまく表記できない。漢数字にしてしまうという手もあるし、毎日新聞のように、全角数字を4個タテに並べるやり方もあります(このやり方は私はどうにもなじめません。福田恒存は、HAMLETを縦に並べる書き方をしていましたが、それも読みにくかった)。
「リチャード・ウィドマーク氏死去。享年93。」などのように、むずかしい漢語にするときには算用数字は向かないと思う。とはいえ、「享年九三」とするのは、横でも縦でもヘンです。やはり、きちんと「享年九十三」としてもらいたい。この「十」の追放というのは、(高島俊男先生の驥尾に付して)由々しいことだとかねてから感じています。
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数学が得意な人
昨日の高橋洋一『さらば財務省!』という本の初めのほうに、「数学が得意で、中学校のときに大学の数学を解いていた。高校の先生が、高橋君は授業を聞かなくてもいい。試験だけ受けよ」と言われた、という一節があります。大学受験の数学も、だから、なんの苦労もなかった、とも。それで、数学科へ進学したら、同級生たちはみんなそういう生徒だった、そうです。
大抵の高校生たちは、数学が不得手で、まあ泣く泣く文科系に進学する人も多い。それにくらべたら、こういう人たちは天賦の才に恵まれた幸せな人々です。私の友人にも一人こういうタイプがいました。今でも大学で数学を教えているはずです。彼は、碁がものすごく強かった。大学生の囲碁クラブの学生たちは、そこからときとしてプロが出るくらい、みんなおそろしく強いのだそうです。友人は、50歳くらいのときでも、現役の学生と打ってまだ負けない、と豪語していました。
将棋の羽生善治、谷川浩司、中原誠などという名人たちも、将棋そのものが子どものときから、滅法強かった。当然、学校の数学などは軽いものだったはずです。
理詰めで考えることが好きで、かつ、性格のどこかに真っ直ぐなところがある子は、数学が得意になるようです。みんな数学者になるわけではないとしても。
今でも、同じ年に日本で生まれる子どもは、100万人はいるはずです。一時は150万人くらいもいました。数学者になった私の友だちは、「それでも数学者になる才能をもって生まれてくるのは3人くらいだ」と言っていましたね、学生のころ。もちろん、自分はその3人のうちのひとりだということです。カナワナイナアと思ったことでした。
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高橋洋一
池田信夫さんのブログ で紹介された、高橋洋一著『さらば財務省!』という本を読みました。これがめっぽう面白かった。
東大の数学科を出て(後で経済学科も出て)、その気もなかったのに大蔵省に入ったキャリア官僚が、自分のやった仕事について回想したものではあるが、正しいと思って建議したり、通達を出したりすることの多くが、通例とバッティングしてしまって、最後は官僚の世界からはじき出されてしまいます。「お家の流儀」になじめなかったようです。この4月から東洋大学の教授になるらしい。
小泉改革とか、竹中路線とか言われた政策のうちの大きなこと(郵政民営化・道路公団民営化・公務員制度改革、など)のほとんどは、この人なしではできなかった事情が詳しく書かれています。こういうサムライを排除してしまうシステムはちょっと情けない。
民主党は「天下りの全面的禁止」を唱えているらしい。諸悪の根源天下り、のように言われているので口当たりはいいけれど、著者に言わせればその案は噴飯ものなのだそうです。能力が高くないか、高める努力を怠った官僚を、全部定年まで国が面倒見ることになるから、かえって税金の無駄使いになってしまうという。それよりも、天下り先の賃金を世間並みにすること、年功序列(入省年次の順番でポストも給料も決まること)をやめること、など、実態を見た上で改革を進めるべし、と、ごく当たり前に聞こえることを主張します。そうであるのに、袋叩きにあったのだという。
つい1年前の政治の裏舞台が白日のもとにさらされます。官僚たち(及び官僚上がりの政治家たち、過去官僚と呼ばれる)の抵抗やいやがらせにはウンザリしますが、著者の筆致に未練がましいところが微塵もないので、読後の印象は意外にさわやかなものです。
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長谷川滋利
昨日東京ドームで行なわれた大リーグ公式戦、レッドソックス対アスレチックスは6対5でレッドソックスが勝ちました。先発の松坂投手が立ち上がりにホームランを打たれて1点先取され、さらにフォアボール、デッドボールのあとヒットで1点。2点差のまま、5回で降板しました。開幕戦の緊張があって、見ていて面白い試合でした。
勝ち投手になったのが岡島というのも、日本でやった試合としてはファンサービスという点でもよかった。
テレビの解説陣は、江川卓、長谷川滋利、野村謙二郎の3人。ひところにくらべれば、解説者の話し振りが上手になったものだと思います。野村は広島カープのショートストップ。盗塁の名手だった。大リーグのロイヤルズの臨時コーチの経験もあるのだそうです。江川投手もアメリカで野球をしたことがありました。
長谷川投手は、大リーグで大活躍しました。日本では、それほどでもなかったような気がしていましたが、新人王にはなっていますね。
解説者たちが、大リーグに対して尊敬の念をもって接している感じが、言葉のはしばしから伝わってきて久しぶりに野球解説をうるさいと思わないで見物できました。
とりわけ、明晰な発言をしたのが長谷川投手です。ついこの間まで戦っていた相手ですから、次にどんな手を打つかの予想なども(当たらなくとも)、事情をよく知る人の発言です。いかにも頭のよさそうな話し方です。英語もうまいし、経済学の知識も豊富だということだし、ひょっとしたら、大リーグのGMあたりをねらっているのではあるまいか。
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