パパ・パパゲーノ -74ページ目

運動神経

 カルロス・クライバーの指揮ぶりをDVDで見ると(たとえば『カルメン』)、「運動神経のいい人だなあ」という感想が浮かびます。前へ前へと音楽を進行させる動きがそういう感じをいだかせる。内部のリズムやテンポがおもてに現われる現われ方が、音の流れに聞くものを上手に乗せていくのですね。オペラ・ハウスの興奮は、棒さばきを見ているといかにもそうなるだろうと予想させます。


 運動神経が発達している、とか、運動神経がいい、という場合、スポーツがうまいということが多い。速く走ったり、高く飛んだり、遠くへ投げたりする能力が高い人をこう言います。


 しかし、「運動神経」という名前のついた神経があるのではないそうです。脳から出た指令によって、ものをつかんだり、前へ進んだり、横へよけたりする筋肉の運動は、すべて、だれにでもある神経(首から下では脊髄神経)を伝わった結果の行動です。


 してみると、「運動神経が発達している」というのは、「運動能力が高い」ということを言う他の言い方なのですね。


 でも、クライバーの指揮を評して「運動神経の固まりだ」という人は他にもいますし、指揮が上手なのを「運動能力が高い」とは言いませんから、なにか、もう少し微妙な能力を表現したいのでこう言いいたくなるらしい。うまく説明はできませんけれど。


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言葉の好き嫌い

 清水幾太郎の『論文の書き方』(岩波新書)に書いてあったような気がしますが、清水先生から教わったことの一つに、「文章が上手になるためには、言葉に好き嫌いがあることが必要だ」という意味のことがあります。


 清水先生ご自身は、原点、射程などは嫌いだ、と言っていたと思う。生理的な反応なので、リクツではないようでした。


 好き嫌いということを言い出すときには、どうしても「嫌い」のほうにかたむきます。


 私の場合、嫌いと感じるのは、語句ではなく言い回しになる。「…と言われています」というのがダメです。つい、だれがどこで言ったか、と聞いてみたくなる。「行く」の敬語「行かれる」もなじめません。「いかれた野郎だ」の「いかれた」がダブって聞こえるからでしょうね。


 「私ってこれ好きかも…」と、「かも」で止めるのも気持が悪い。むかし、テレビ・ドラマで、岸田今日子・淡路恵子と、もう一人だれかが出ていて、「かーもね」という言い回しがはやったことがありました。こちらは、あまり気にならなかった。


 語句では、「水まわり」の「まわり」を、何にでも使う人がいてこれもいやです。「書籍まわりの話題」とか、「カフカまわりのテーマ」とか。「体育会系」というときに使われる「系」も苦手です。


 好きな言葉もたくさんありますが、「ひたむき」「けなげ」なんていうのがそれです。


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ちあきなおみ

 『喝采』(いつものように 幕があき…)でレコード大賞をとった歌手ちあきなおみの姿をテレビでは長いこと見かけません。新聞のCDの広告では、毎年何度か出てきます。

 木田元先生のエッセイで、「いつも、ちあきなおみの曲を聴いている」とあったので、気になっていました。水原弘が歌った曲などをカバーしたCDをやっと見つけて聞いてみました。ほんとにうまい。

 YouTube でいくつもビデオを見ることができます。早くそれに気がつくべきでした。

 『黄昏のビギン』(永六輔作詞・中村八大作曲)というのも水原弘の曲ですが、ちあきなおみの方が味が深いように思います。水原弘もよかったけれど。

 ビデオを探していたら、『朝日のあたる家』(The House of the Rising Sun)を、日本語の訳詞で歌っているのが見つかりました。リンク先で聞いてみてください。英語の歌詞で言えば、

  There is a house in New Orleans,
 They call The Rising Sun,
And it's been the ruin of many a poor girl

の、girl にあたるところを、ちょっと不安定な感じのポルタメントで上がるのが、まあなんとも切ないものです。声量もたっぷりしていていい気持になります。見たのは『だれでもピカソ』の録画ですが、北野武も渡辺満里奈も今田耕司も、あっけにとられたような表情を画面の隅であらわしています。

 『矢切の渡し』も、この人がオリジナルなのだそうです。「つれて逃げてよ ついておいでよ」と始まる「恋の道行き」の歌でした。

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キブシの花

 初めて見たような花ですが、日本中どこにでもあるそうなので、目にとまっていなかっただけのようです。花のカタチがほんとに珍しい。


 10センチか15センチくらいの、花かんざしのような花。クリーム色。これが咲くとああ春だと感じる人が多いのだそうです。

 

 おどろくのは、これを表す漢字です。「木五倍子」ですよ。「木」の「五倍子」。「五倍子」で読みが「ふし」。「ごばいし」とも読むらしい。


 五倍子とは、ヌルデの葉っぱに寄生する虫(ヌルデノミミフシ)が作る虫瘤のこと。殻にタンニンを多く含み、薬用、染色の材料。昔は、婦人のお歯黒(既婚婦人は歯を黒く染めていましたね)に用いられたもの。


 「ふし」は苦いので、「苦虫をかみつぶしたよう」というときの「苦虫」がこれだという。

 

 その代用品が「木五倍子」なのだそうです。実を粉にして使うらしい。草木染めをするときにも使われる。


 これは、3月24日に皇居東御苑で撮影したものですが、まだ、見られるかもしれません。


 ユキヤナギも、これみよがしにたわわに咲いていましたので、お目にかけますね。














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お姫さま女優

 子どものころに見た映画は筋もシーンもみんな忘れています。淀川長治のように、ねえやにおんぶされて見に行った映画の情景を覚えていられるのは、よほどの異能というべきです。


 たまたま、『紅孔雀』というタイトルを思い出しました。何度も映画館(当時は東映系・東宝系・日活系の系列館が田舎の町にもありました)に出かけたことを覚えています。


 「goo 映画 」という便利なサイトで調べたら、記憶とちょっと違っていました。


 『新諸国物語 紅孔雀』というのがタイトルです。ほかに『新諸国物語 笛吹童子』というのもあって、こちらは第一部、第二部、第三部までありました。これを見に、何度か行ったのでした。週代わりか月代わりかだった。次回作が早く見たくて待ちきれなかった。おどろくのは、この4作品がいずれも1954年1年の封切であることです。私は小学校4年生だったことになる。京都・太秦の撮影所は今では観光名所のひとつですが、当時は沸きかえっていたのでしょうね。


 昭和20年代の東映の時代劇は、今の目から見れば荒唐無稽のようなオハナシを映画にして、全国の少年たち(少女たちはあんまり行ってなかったような気がします)の夢をふくらませてくれていました。スターたちが綺羅星のごとく輝いていた時代です。


 筋は忘れても、スターの名前はほとんどフルネームで覚えています。


 中村錦之助・東千代之介・大川橋蔵、それに悪役としては、吉田義夫・月形龍之介


 大友柳太朗・市川右太衛門(北大路欣也の父上)・片岡千恵蔵の名前もはずせません。女優の名前もすぐに覚えました。


 千原しのぶ・高千穂ひづる・桜町弘子・丘さとみ・大川恵子


 桜町以下の3人が、「三大お姫さま女優」と呼ばれた。大川恵子の名前はじつは忘れていました。早くに女優をやめて家庭に入ったのだそうです。面長の美人ですが、好みじゃなかったということもあります。小学生のくせにナマイキなものですねえ。


 男優は大方あちらに行きましたが、女優たちは、つい最近まで映画に出た人もいて、みなさんお元気なのだと思います。


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