ベートーヴェンのピアノ協奏曲
ベートーヴェンのピアノ・コンチェルトと言えば、あの、派手な「皇帝」を繰り返し聞いてきました。アシュケナージとか、ケンプもあったか。バレンボイムがベルリン・フィルを従えて、弾き振りをしたCDの安いのを見つけたので、全5曲3枚を手にいれました。1番が1枚でソナタ「テンペスト」がおまけについています。後は2、3番と4、5番。「皇帝」は5番ですね。
1番も2番も素敵な曲でした。初めて聞いた。なんだか、モーツァルトかハイドンかという響きです。
3番になると俄然ベートーヴェンの音楽になります。これは、かつて何度か聞いたことがあることに気がつきました。出だしの、ラードーミッレドシ ラッミラッミラーのメロディーがこの曲だったのか。
4番も聞いたことのある曲でした。第1楽章の途中で、切なくなるほどの甘美なメロディーが繰り返されます。
3番を作曲した頃から、「傑作の森」に踏み入ったのだそうです。ピアノだけではなく、他の分野の名曲がどっと現われるという。
バレンボイムのモーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りも何度も聞いています。指揮者としても大活躍していますが、ピアニストとしても第一線にいるのがすごい。去年、ベルリン・オペラを連れて来日したときも、あいまにベートーヴェンのコンチェルトの演奏会をやっていましたね。
音楽の面白さという点では4番に票を入れます。
「あんた問題」と「お前問題」
新潮社の季刊雑誌『考える人』の2008年春号の特集は「海外の長編小説ベスト100」です。この雑誌を買ったのは創刊号以来ですね。129人がそれぞれ10作ずつ選び、1位が10点、10位が1点という具合に積算して100作を選んだもの。ガルシア・マルケス『百年の孤独』が第1位、サド『悪徳の栄え』が第100位でした。
小谷野敦、関川夏央、児玉清などなど、名だたる小説読みたちのアンケートの文章も載っていて、それ自体も面白い読物になっています。比較的に女性の答えが少ないように見受けます。
拾いそこねたかもしれない小説を思い出す座談会「意外だ。惜しい。あ、忘れてた!」という鼎談(豊崎由美・加藤典洋・青山南)のなかで、翻訳が時代を反映するという話題にからんで、豊崎さんが「あんた問題」というのを持ち出します。
一時期の若者文学の翻訳では、恋人同士が相手のことを「あんた」って呼び
あうんですよ。ものすごく違和感がある。
最近現われた、これから現われる、新訳が「あんた問題」を解消してくれる場合のあることを示唆しています。この特集自体が、亀山郁夫の新訳『カラマーゾフの兄弟』の大きな反響、池澤夏樹個人編集の世界文学全集(河出書房新社)の刊行などがあって企画されたもののようです。タイミングのよい特集でした。
驥尾に付して、字幕の翻訳における「お前問題」というのもあるということを書いておきたい。佳境に入った「アメリカン・アイドル」(FOXテレビ)の審査員の一人に、ランディ・ジャクソンというミュージシャンがいます。あの映画俳優サミュエル・L・ジャクソンの従兄ではなかったか。親族であるのはたしかです。顔もよく似ています。この人が男の歌手の批評を語るときに、字幕にやたらに「お前」というのが出てきて、それこそ「ものすごく違和感がある」。「あなた」でいいではないか。あるいは「きみ」でも。「あんた」という訳語はまず出てきませんから「あんた問題」はないのですけれど。
英語に限らず、二人称をどう訳すかというのはいつでも慎重にすべきものだろうと思います。
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慣用読み
「消耗」を「しょうもう」と読んだり、「洗滌」を「せんじょう」と読んだりすることを、一般に「慣用読み」と言います。ほんらいは「しょうこう」、「せんでき」なのだそうですが、「しょうもう・せんじょう」の慣用が定着してしまったものだといいます。
「輸入」の「輸(ゆ)」は、もとの音は「しゅ」だということですが、これも「ゆ」で定着しました。「くらべると少し劣る」ことを、むずかしい漢語で「一籌(いっちゅう)を輸す」ということがありますが、こっちは、むしろ「いっちゅうをしゅす」と読む場合が多いかもしれません。辞書には「いっちゅうをゆす」という読みも出ています。
ところで、漢字の熟語で、もうひとつ「慣用読み」と説明されるケースがあります。
夫婦(ふうふ) 夫子(ふうし) 富貴(ふうき)
詩歌(しいか) 披露(ひろう)
保元(ほうげん) 享保(きょうほう)
などの、母音の部分がそうだといいます。たしかに漢字一字の読みのときは伸ばさないのに、これらの熟語に限っては1音(専門的には1モーラと呼ぶ)増えます。他にも、春夏秋冬をまとめて示す場合の四時(しいじ)などもあります。
こっちも「慣用読み」の仲間に入れるのはいささか無理があるような気がしています。なにか他の適当な名前がついているのかもしれません。
パヴァロッティ
何日か前の新聞に、トリノ・オリンピック開会式でパヴァロッティが歌った「誰も寝てはならぬ」はじつは口パクだった、と、当時の指揮者がばらした、という記事が出ました。それを受けて今朝の「天声人語」は、「それを聞いてしばらく本当に寝られないファンもいよう」と書いています。なんだか、オーケストラも歌手も「ズル」をしたかのような書きぶりです。
1年後に亡くなるくらいだから、調子はよくなかったのでしょう。万一に備えて録音しておいて、実際にもそれを使ったということのようです。ズルをしたのではありません。どうせなら、全盛時代の録音を使ってもらいたかった。
2006年の冬期オリンピックの開会式はテレビでみていました。パヴァロッティがプッチーニ『トゥーランドット』のアリアを歌うのは人選としてはごく自然な成り行きでした。体の調子が悪くなければ。
聞いていて気の毒で仕方がなかったのをよく覚えています。世界中のオペラ・ファンをしびれさせた、あのテナーの響きがしなかったからです。音吐朗々というのは、こういう声をいうか、というくらい、ハリ、ツヤ、ノビ、なにをとっても20世紀を代表するテナー歌手でしょう。男の花道を飾るべき絶好の場面だったのに、ほんとうに残念でした。
ドミンゴ、カレーラスとの「三大テナー」競演のDVD(指揮:ズービン・メータ)やCDを聞くと、どれくらいすごい歌手であったかがよく分かります。
ファースト・ネーム Luciano を、「ルチアーノ」と書く場合と「ルチャーノ」と書く場合とがあります。「こんにちわ」のチャオ(Ciao)の「チャ」と同じなのかなあ。イタリア語の読み方がまだよく分かりません。
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ポピュラライザー
E=mc2 (2 は上付き、2乗の意味)
という数式をごらんになったことはありませんか? E はエネルギー、m は質量、c は光速度を示しています。アインシュタインの「特殊相対性理論」というのに出てくる有名な式です。何のことか、私にも分かりません。
エネルギーは、質量と、光速の2乗、の積である
ということを示したものだそうです。そういわれてもまだ分かりません。どういう条件のときにそう言えるかについての説明は、物理の教科書などに書いてあります。
ここで、c (光速度)は一定の数(定数)です。物体のエネルギーというのは、いつでも光速の自乗を掛け算して得られる、ということですね。すなわち、質量が大きいほどエネルギーも大きい、ということを示している。言い換えれば、物体のエネルギーは重さ(質量)に比例する、ということになります。なあんだ、それだけのことか、と安心しましょう。それだけのことなのです。その先は、専門家でない人には、分からなくてもいっこうにかまわないのだそうです。
もうひとつ、力(f=force)の数式。
f=mα(mが質量、αは加速度)
これも、力と質量とが比例することをあらわした式です。
というような簡単化した説明は、ほぼ立花隆氏の解説書で覚えました。先端の科学技術を紹介するときに、むずかしい化学式が出てきたりして、つい、読むのが億劫になるのですが、「要は比例ですよ」とか、「イコールの右と左は単位を間違えさえしなければ、簡単にわかるよ」とか言ってくれますから、分かったような気になるのです。そういう役目の人のことを、英語で「ポピュラライザー」と呼ぶのだそうです。
立花氏以前にも、そういう書き手はたくさんいましたが、彼ほど水際立った案内人はそんなにはいなかったと思います。がんの治療をしているそうですが、早く直って、これからもどんどん書いてもらいたい。
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