ジャック・アンド・ベティ
中学校へ入ったのが昭和32(1957)年でした。もう50年以上も前になりました。英語という科目を初めて習うことになりました。教科書は Jack and Betty です。開隆堂という出版社が発行していたもので、当時は全国的にこの教科書で英語の学習を始めたものです。レッスン1は見開きに、こういう文が並んでいました。
【左ページ】 【右ページ】
I am a boy. I am a girl.
I am Jack. I am Betty.
I am Jack Jones. I am Betty Smith.
ジャックというのは、ジョンやジェイコブという男名前の愛称なのだそうです。ベティはエリザベスの愛称。
続きのレッスンの内容はもう覚えていませんが、アメリカ文化礼賛一色というべき内容でした。ついでに言えば、高校で習った教科書も開隆堂発行のものでした。どちらで知ったのか忘れましたが、誕生日かなにかのパーティの案内状の文言で今も記憶しているのがあります。
Refreshments will be served at 3 p. m.
(軽い食事が3時に出されます)
リフレッシュメントという単語を、その後見たり聞いたりしたことがないので、どのくらいの頻度で使われるのか分かりません。
1988年に、清水義範『永遠のジャッ&ベティ』(いま講談社文庫)という作品が発表されました。30年後のジャックとベティが偶然出会うという設定で会話が進行します。これが抱腹絶倒のやりとりです。
「オー、何という懐かしい出会いでしょう」
「私はいくらかの昔の思い出を思い出します」
「あなたは一人ですか」
「はい。私は一人です」
「一杯のコーヒーか、または一杯のお茶を飲みましょう」
「はい。そうしましょう」
こういう「直訳」調から抜けることができなくなって、延々と会話が続くのですが、シュールな味わいが珍無類です。
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Suica カード
通勤定期券を買い換える時期になったので、ようやく Suica に変えてみました。フィレンツェに置き忘れた(→こちら
)磁気定期券が届くまでのあいだ、Suica でまかなっていましたから、使い方は会得しています。それにしても、便利なことになっていますね。
お盆の前に帰省したときに、秋田駅からJRで南下することになって、Suica カードの押し当て箇所を探したのですが、駅員さんに「スイカ・カードはここではまだ使えません」と言われました。地方ではまだ使えるところが少ないのでしょうか。こういうサービスは、「せーの」で全国一律に開始しているものだと思い込んでいました。駅員さんがいまいましそうに言ったのにはちょっと同情しました。
東京都区内では、国鉄(JRという名前がいまだになじめません)も、地下鉄(営団も都営も)も、バスも、みんなスイカ・カードで間に合うようになったのですね。ちょっと前、地下鉄東西線に乗って、高田馬場で西武新宿線に乗り換えることがありました。一緒に乗った二人はスイカでペタッとやって改札を通っているのに、私は、その都度販売機に現金を投入して切符を買っていたので、二人を二度も待たせることになって、きまりが悪い思いをしました。そのとき、今や、みんなスイカ(とかパスモとか)なのですよ、と教えてもらったのでした。
柏市を走る東武バスでももちろん使えます。ただし、この場合はバス共通カードというものの方が割引率が高い。というわけで、おじさんも、ようやく人並みの通勤族になることができました。
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愛情移転
ブライアン・フリーマントルの新作『ネームドロッパー』(上下、新潮文庫)を読み終えたところです。「ネームドロッパー」というのは、「コンピュータの上で他人になりすます人」を指す新しい用法なのだそうです。今までは「有名人の名前をあたかも友人知己であるかのごとく吹聴する人」という意味だったらしい。この小説の主人公がその「ネームドロッパー」になります。もとはコンピュータ・プログラマーだったのが、手ひどい陰謀に巻き込まれて、その復讐のために他人になりすます生き方を選びます。普通は「ハッキング」と呼ばれる行為でしょうが、画面の上で操作して、他人の金を、その人自身の名義(ただし本人はそのことを知らない)に移して、そっくりいただいてから、口座をだれにも知られずに消してしまう、というようなことが書いてありますが、実際にどんなことが行なわれるのかは、読んでいてもチンプンカンプンです。作者が冒頭で書いていますが、この手の知られざる犯罪はしょっちゅう行なわれているらしい。
ということで、この主人公は金に不自由しません。ニースの超豪華ホテルのスイートルームに泊まって休暇を過ごすことになります。そこで「偶然に」会ったアメリカ美人と、束の間の情事にいそしむという流れになる。3週間、楽しい時間を過ごして、住所も電話番号も交換せずに、きれいに別れます。
その後、じつに思いもかけない裁判に巻き込まれることになります。なんと、アメリカのノースカロライナ州には(他のいくつかの州でも)、今も「姦通罪」が残っているのだそうです。かのアメリカ婦人は、離婚訴訟を起こしている途中の(つまりまだ夫がある)奥さんであって、その亭主から訴えられるのですね(亭主の依頼で奥さんを尾行調査していたグループにデートの一切がばれていた)。罪の名前が「愛情移転」(英語でなんというのか分かりません)です。夫にのみ来るべき「愛情」が他の男に「移転」した、その原因を作った男に賠償金を請求できるのだという(もちろん妻が夫の浮気相手を同じ罪で訴えることもできる)。
もうひとつ、こういうケースで行なわれる性交渉を「クリミナル・カンヴァセーション(犯罪的会話)」と呼ぶらしい。こちらは、訳語で示さずに原語が使われています。
結末はお定まりのどんでん返しになっていますが、それは、これから読む人もいるでしょうから、明かすことはできません。最先端のコンピュータ操作と、古典的な「姦通罪」を、あいかわらず上手にミックスしたエンタテインメント小説でした。
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負けん気
オリンピックに出場するくらいの選手は、運動能力がずば抜けて高いのは当然にしても、人一倍負けん気が強くなければ出場権を得るところまではいかないでしょう。今日からはじまったレスリングの試合(女子)を見ていると、勝敗が決まったあとで、レフェリーが両者を引き寄せ、勝者の腕を上に上げますが、負けた選手のなかで、そんなのもいやだ、という表情をロコツに見せるのもいます。負けた悔しさがにじみ出ていました。
負けん気が強いだけでは、勝ち上がっていけません。技術や駆け引きのうまさなども、決め手になるようです。
もうひとつ、負けてしまう選手を見ていると、「気持ちのやさしさ」が表に出たために負ける、ということもあるようです。卓球の福原愛選手なども、それがあるために落としてしまう試合があるような気がします。レスリングでは、浜口京子選手にそれを感じます。今度は出ていませんが井上康生選手にも同じような「やさしさ」を感じていました。むろん、それを克服して勝ち上がっていくのを見るのも、オリンピック見物の面白さですが。
糸井重里さんだったか、だれかのこと(自分のことだったかもしれません)を評して、「負けん気が弱い」と言ったことがあります。負けん気の強さはアスリートにとっては大切な資質でしょうが、社会生活を営む上では、「弱い」くらいにしておくのがいいのかもしれません。
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大江健三郎
大江健三郎を「タイトル名人」と呼んだのは山本夏彦です。うまいことを言うもんだなあと思ったのを覚えています。おそらく、山本夏彦は大江の作品を読んだことはないのだろうと憶測します。
若い頃から、大江作品を読んできました。空でタイトルを言える作品がいくつもあります。
「芽むしり仔撃ち」(1958)、「個人的な体験」(1964)、「日常生活の冒険」(1964)などが初期の代表作でしょう。1967年の「万延元年のフットボール」は、小説としてもすぐれたものだったと思います。ノーベル文学賞は、主にこの作品が評価されたものだと言った人がありました。
「洪水はわが魂に及び」(1973)は、「連合赤軍事件」(1972)を予見したかのような物語でした。年が1年前後しているように見えますが、執筆は事件よりずっと前だったらしく、出版にあたって筆を入れたという記事を読んだ記憶があります。
この小説を最後に、大江の作品を読まなくなりました。キラキラした才能のほとばしりが消えてしまったように感じたからでした。そう感じた読者は少なからずいたようです。
大学1年の時のクラスの雑誌の自己紹介に「光り輝く精神の果物屋」(記憶が曖昧ですが趣旨はこうだった)と書いた人です。東大のフランス文学科に進学して小説を書いて身を立てたいという野心を持った学生は何人もいたようですが、大江健三郎が出現したために、才能に見切りをつけた人のほうが多かったのだとか。
初期のエッセイ集「厳粛な綱渡り」(1965)、「持続する志」(1968)も、何度も読んだものでした。
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