大江健三郎
大江健三郎を「タイトル名人」と呼んだのは山本夏彦です。うまいことを言うもんだなあと思ったのを覚えています。おそらく、山本夏彦は大江の作品を読んだことはないのだろうと憶測します。
若い頃から、大江作品を読んできました。空でタイトルを言える作品がいくつもあります。
「芽むしり仔撃ち」(1958)、「個人的な体験」(1964)、「日常生活の冒険」(1964)などが初期の代表作でしょう。1967年の「万延元年のフットボール」は、小説としてもすぐれたものだったと思います。ノーベル文学賞は、主にこの作品が評価されたものだと言った人がありました。
「洪水はわが魂に及び」(1973)は、「連合赤軍事件」(1972)を予見したかのような物語でした。年が1年前後しているように見えますが、執筆は事件よりずっと前だったらしく、出版にあたって筆を入れたという記事を読んだ記憶があります。
この小説を最後に、大江の作品を読まなくなりました。キラキラした才能のほとばしりが消えてしまったように感じたからでした。そう感じた読者は少なからずいたようです。
大学1年の時のクラスの雑誌の自己紹介に「光り輝く精神の果物屋」(記憶が曖昧ですが趣旨はこうだった)と書いた人です。東大のフランス文学科に進学して小説を書いて身を立てたいという野心を持った学生は何人もいたようですが、大江健三郎が出現したために、才能に見切りをつけた人のほうが多かったのだとか。
初期のエッセイ集「厳粛な綱渡り」(1965)、「持続する志」(1968)も、何度も読んだものでした。
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