愛情移転
ブライアン・フリーマントルの新作『ネームドロッパー』(上下、新潮文庫)を読み終えたところです。「ネームドロッパー」というのは、「コンピュータの上で他人になりすます人」を指す新しい用法なのだそうです。今までは「有名人の名前をあたかも友人知己であるかのごとく吹聴する人」という意味だったらしい。この小説の主人公がその「ネームドロッパー」になります。もとはコンピュータ・プログラマーだったのが、手ひどい陰謀に巻き込まれて、その復讐のために他人になりすます生き方を選びます。普通は「ハッキング」と呼ばれる行為でしょうが、画面の上で操作して、他人の金を、その人自身の名義(ただし本人はそのことを知らない)に移して、そっくりいただいてから、口座をだれにも知られずに消してしまう、というようなことが書いてありますが、実際にどんなことが行なわれるのかは、読んでいてもチンプンカンプンです。作者が冒頭で書いていますが、この手の知られざる犯罪はしょっちゅう行なわれているらしい。
ということで、この主人公は金に不自由しません。ニースの超豪華ホテルのスイートルームに泊まって休暇を過ごすことになります。そこで「偶然に」会ったアメリカ美人と、束の間の情事にいそしむという流れになる。3週間、楽しい時間を過ごして、住所も電話番号も交換せずに、きれいに別れます。
その後、じつに思いもかけない裁判に巻き込まれることになります。なんと、アメリカのノースカロライナ州には(他のいくつかの州でも)、今も「姦通罪」が残っているのだそうです。かのアメリカ婦人は、離婚訴訟を起こしている途中の(つまりまだ夫がある)奥さんであって、その亭主から訴えられるのですね(亭主の依頼で奥さんを尾行調査していたグループにデートの一切がばれていた)。罪の名前が「愛情移転」(英語でなんというのか分かりません)です。夫にのみ来るべき「愛情」が他の男に「移転」した、その原因を作った男に賠償金を請求できるのだという(もちろん妻が夫の浮気相手を同じ罪で訴えることもできる)。
もうひとつ、こういうケースで行なわれる性交渉を「クリミナル・カンヴァセーション(犯罪的会話)」と呼ぶらしい。こちらは、訳語で示さずに原語が使われています。
結末はお定まりのどんでん返しになっていますが、それは、これから読む人もいるでしょうから、明かすことはできません。最先端のコンピュータ操作と、古典的な「姦通罪」を、あいかわらず上手にミックスしたエンタテインメント小説でした。
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