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書斎の無い家

 福原麟太郎 先生(1894-1981)に『書斎の無い家』というエッセイ集があります。1964年の刊行。新聞や雑誌に寄稿した短文を集めたもので、題名の由来は「あとがき」に書いてあります。


 私は書斎というものを持ったことがない。つまり本を読んだり、ものを書いたりするための部屋で、そのために便利なようにしつらえてあるものを書斎というとすると、私はいま半世紀ほどの間、本や机を置く部屋はいつでも持っていたが、それは同時に寝室であり、居間であり、あるいは客間であり、最上の場合でもせいぜい書庫であった。》


とはじまる「あとがき」1編が、それ自体素敵なエッセイになっています。この本を刊行した当時の家(そこで最期までお暮らしになったはず)を新築したときに、書斎に近いものを持ったことに触れていらっしゃいます。それもすぐに別の用途に使われることになった、とも。


 福原先生の驥尾(きび)に付すのも僭越きわまりないことですが、私も、この40年ほど、書斎はありませんでした。万年筆で原稿や手紙を書くのも、パソコンでメールや、テキスト・ファイルを作るのも、さいわい広い食卓があったので、その一隅を占拠して、そこで仕事をしてきました。このほどようやく、一部屋を確保して、机を入れました。「自分の机」を初めて持ったのは、小学校5年のときです。まさか、その頃の感激がよみがえるはずもありませんが、うれしいことは、しみじみとうれしい。少しずつまわりを整理して、その机に向かって、本を読んだり、ものを書いたりしようという気はあるのですが、空間が確保できた安心感で満足してしまったらしく、あいかわらず、食卓の上でこれを書いている始末です。


 福原先生のお宅へ一度だけ、上役のお供として年賀のご挨拶にうかがったことがあります。玄関でご挨拶をしただけだったのですが、玄関の右手に一段下がった部屋を見たように覚えていて、後でこの本を読んだとき、あれが書斎だったのか、と思ったことでした。晩年にいたるまで、滋味あふれる文章をお書きになってファンも多かった福原先生ですが、今では、読む人も少なくなってしまったかもしれません。この10年ほどのあいだに、神田の古書店を歩いて先生の本を30冊ほど買い集めました。ずいぶん安く手に入るのが、うれしいような、さびしいような。


てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし

フォレスト・ガンプ

 たまたまWOWOWにチャンネルを合わせたら『フォレスト・ガンプ』をやっていました。金持ちになったフォレストの家に、失意のジェニー(一緒に大きな木の枝に腰掛けて遊んだ幼馴染)が訪ねてきて、二日か三日寝続けるあたりからですから、半分より後半でしょう。結局最後まで見続けました。

 

 フォレストが2階の寝室に行くジェニーに「結婚してくれ」と言いかけると、ジェニーが複雑な表情で「それに値しない女だ」という気持を伝えようとします。フォレストはこう応じていました。

 

 「僕は頭はよくないけど、愛が何であるかは知ってるよ」

 

 その晩、フォレストのベッドにジェニーが入ってきます。翌朝早く、タクシーを呼んでジェニーはどこかに帰っていく。呆然と日を暮らすフォレスト。ジェニーにプレゼントされたナイキのランニング・シューズを履いていて、突然走り出す。それから3年と何ヶ月かアメリカ中を走るのでしたね。テレビもその姿を中継するので、どこかの街でウェイトレスをしていたジェニーも気がつき、フォレストに手紙を書いてこの街に来るように伝えます。その街のバス停のベンチで隣のおばさんに話しかけるところから、映画自体は始まったのでした。

 

 何年ぶりかで会ったジェニーには息子(父親と同じ名前だと言ってフォレストという名前)がひとりいて、こんどはジェニーのほうから、フォレストに結婚してくれと言います。めでたく結婚したけれど、ジェニーはウィルス性の難病で明日をも知れぬ命です。ジェニーにせがまれて、フォレストがこれまでに見てきた美しい景色の話をします。ヴェトナムの雨後の星空、船から見た沈む太陽、アメリカ大陸を走りながら見た朝焼け、などなど。ジェニーが「私もあなたと一緒にいてその風景を見たかった」と言います。すかさず、フォレストが答える。

 

 You did were. (一緒に見ていたさ)

 

 たまたまひとりで見ていたのですが、終わりに近づくにつれて、涙が止まらなくなってしまいました。何度みても名作です。

 

 ジェニーを演じたのがロビン・ライト・ペン(ショーン・ペンの奥さん;結婚していないらしいけれど)、息子フォレストが、ヘイリー・ジョエル・オズメント(シックス・センスやAIのあの子役)、そして、今日は見られなかったけれど、フォレストの母親はサリー・フィールドでした。ゲイリー・シニーズも出ていました。

 

ペンギン        ペンギン        ペンギン        ペンギン        ペンギン

 

もしもピアノが弾けたなら

 西田敏行が歌った「もしもピアノが弾けたなら」というラブ・ソングがありますね。これです。



 この人をテレビで初めてみたのは、おそろしく派手な衣装を着てプレスリーの物真似をした場面でした。歌は、若いころから得意だったようです。

 「だけど僕にはピアノがない 君に聞かせる腕もない」というサビの部分が胸に響きますねえ。私の小学校に1台あったピアノは、今から思えば調律もきちんとはしていなかったのでしょうが、それでも素敵な音に聞こえました。

 いつでもさわることができたので、左手で ドソミソドソミソ と繰り返し、右手でメロディー、ミードミードミソミド レソファレミード などとやって遊んでいたものでした。そのまま続けていればよかったのに、と後で悔やんだものです。

 高校生になって読んだ文章に、「パデレフスキーが弾いても、猫が鍵盤の上を歩いても、ピアノは同じ音がする」というものがありました。バーナード・ショーだったか(違うかもしれない)、毒舌で鳴る批評家が、ただ、自分はピアノの音が好きではない、ということを言うために極端な言い方をしたものでした。

 最近、聞きはじめたアンドラーシュ・シフとか、前から聞いてきた名だたるピアニストたち(バックハウス、ギーゼキング、バレンボイム、アシュケナージ、館野泉、内田光子などなど)のことを思い出しても、上の発言は見当はずれであるのははっきりしています。日本でも、おそろしく表現力の豊かな、若手のピアニストたちが続々生まれているようです。

 モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番などを聞いていると、今からでも始めてみようかな、という気になります。

モラルハザード

 賞味期限切れの材料を使い回ししたり、事故米を給食用に転用したり、社会保険の事務処理をごまかしたり、そういうことがニュースになるたびに、ここ何年かのことですが、「モラルハザード」という言葉が使われます。


 国立国語研究所の「外来語言い替え提案」によると、「モラルハザード」はこうなっていました。
 
 言い替え語:倫理崩壊
 例文:少年たちによる殺人事件の多発,モラルハザードが叫ばれる大人社会,自己中心性の肥大化など社会病理現象があらわになっている。
 意味:倫理観や道徳的節度がなくなり,社会的な責任を果たさないこと

 
 つまり、「本来踏むべき人の道を踏みはずしている、困ったものだ」という意味合いが濃厚です。なぜこんなむずかしいカタカナ語で言うのでしょうかね。昔なら「外道(げどう)」とか「人倫に悖(もと)る」とか言ったのでしょうけれど。
 
 たしかに「モラルハザード」は、この意味で使われるケースが多いのですが、最近の金融危機を伝えるニュース(やブログ)を読むと、どうも様子が違います。
 
 もともとこの言葉は保険の用語なんですね(国語研究所の言い替え提案にもそう書いてはあります)。
 
 ランダムハウスの英語辞典(1993年版)では、
 
 被保険者の信用と誠実さに関して保険会社が負うリスク


という説明があるだけです。倫理のことはひとことも書いてありません。理解したかぎりで言えば、「火災保険に入った人は、入ったという安心感から火の用心を怠ることがある」(そういう心理状態をモラルと呼んだもののようです)、それは保険会社にとっては痛し痒しの「危機(ハザード)」である、ということのようです。焼けぶとりをねらって自分の家に火をつける「保険金詐欺」の危険も常に伴っているわけです。


 経済学でも、この意味の延長線上で「モラルハザード」という概念を使っているようです。くわしくは、ウィキペディア などをごらんください。
 
 保険用語としての「モラルハザード」の訳語は最初から「道徳的危険」というものだったようです。そのために「道徳」寄りの解釈が強くなって、「倫理崩壊;倫理欠如」などとなり、もっぱら「
悪いことをするヤツの態度を糾弾するための用語」に転化したもののようです。


カメ        カメ        カメ        カメ        カメ

「母音法」

 ちょっと旧聞に属しますが、『文藝春秋』九月号の座談会で、劇団四季の代表(?)浅利慶太氏が、「全部の文章を母音だけでしゃべる」母音法というものを唱えていらっしゃいます。アナウンサーの小谷真生子さん(この座談会の司会者)は、浅利さんの義理の姪にあたる。浅利氏の二番目の奥さんが、女優の影万里江。その弟の娘が小谷さんなのだそうです。浅利氏の最初の奥さんは藤野節子さんです。学生の頃、四季の『ひばり』という芝居を観たことがありました。それに藤野節子が出ていたはず。よく通る声が魅力的でした。浅利氏は、影さんが亡くなってから何年もたって、3番目の奥さん(野村玲子さん)と結婚したのですね。


 母音法というのを体系化したのは、今から25年ほど前だそうですから、私が観たころはまだ過渡期だったのかもしれませんが、そういえば、劇団四季の俳優たち、この座談会にも出ている日下武史や、少し前に亡くなった水島弘の、せりふまわしが素晴らしかったなあ、と、思い出しました。日下武史はエリオット・ネスの吹き替えをやった人。


 母音法とはどういうものか。私の理解したところではこうなります。


 めぐりあいて 見しやそれとも分かぬまに 雲隠れにし夜はの月かな
 えういあいえ いいあおえおおああうあい うおあうえいいおあおういああ


 下のようにまず母音だけで声に出して読む。何度くりかえすかは書いていませんが、スムーズに口が動くようになったところで子音をつけて(上の文のままに)読むと、クリアに聞こえるのだという。普通の人間は人前でものを読むなどということは、まずありませんが、日頃から稽古しておくと、たとえば電話の話し方が明晰になるかもしれない。この座談会を読んでから、行き帰りの電車のなかで、母音の口の恰好だけをしてみることがあります。さすがに、声を出す勇気はありませんが。


パンダ        パンダ        パンダ        パンダ        パンダ