タイプライター
この記事をめぐる攻防がクライマックスへ導く映画が、2007年にアカデミー賞外国映画賞を取った作品『善き人のためのソナタ』です。原題は、Das Leben der Anderen; The Lives of Others(他の人たちの人生)というものでした。
シュピーゲル誌の編集長(?)が極秘裏に東ベルリンに入国して赤い文字しか打てないタイプライターを書き手に渡します。それでタイプした原稿を、もう一度やってきた同じ人に渡します。あとで、そのタイプされた原稿が、東側の国家保安省(シュタージ)の手に入る。タイプライターの文字から筆者を特定しようとする、これも一種の筆跡鑑定が行なわれます。1回しか使わなかったタイプライターをどこに隠すか、それこそ命がけの攻防が続きます。逮捕されて、隠し場所を告白せざるをえなくなったひとりが、おそらくは自発的に車に飛び込んで命をなくします。
しかも、「他人の生活」を逐一盗聴している、シュタージのスパイがすぐそばにいる。
文章を書いて発表することが、しばしば命を賭けた行為である時代が、つい最近まであった、ということが説得ある映像で展開されています。今でも、そういう国は少なくないはずですが。
映画館で見ることがなかったので、DVDを借りてきて見ました。2度も見てしまいました。秀作です。
ことばあそびうた
谷川俊太郎に『ことばあそびうた』という本があります。福音館から1973年に出ています。瀬川康男という画家の挿絵が入っているカラー版の薄い本でした。日本傑作絵本シリーズというシリーズの1冊。続編も出たようです。
このブログで花のことを話題にするときに、テーマ「花の名なあに」というのは、この本から借りたものです。お気づきの方はお気づきでしょうが。こういうの。
はなののののはな
はなのななあに
なんなんなのはな
なもないのばな
みんな、たしかひらがなで続け書きにしてあったと記憶しています。漢字に直すとこんなふうになるのでしょう。
花野の野の花
花の名なーに?
なんなん菜の花
名もない野花
それぞれタイトルもついていたはずですが、忘れました。手元に本がなくなってしまったので、いまたしかめようがありません。こんなのもよく口ずさんだものです。
やんまにがした
ぐんまのとんま
さんまをやいて
あんまとたべた
谷川さんがどこかで書いていましたが、これらの詩を作っているときには、まだ、日本語の逆引き辞典がなかったので、ひとつ作るのにもずいぶん時間がかかったのだそうです。今では、何種類もの逆引き辞典が出ていますから、少しは楽になっているかもしれません。
『日本語逆引き辞典』(北原保雄編)で、「~んま」のところを引くと、こうなっています。
あんま[按摩] えんま[閻魔] けんま[研磨]
げんま[減摩] コンマ[comma] さんま[秋刀魚]
「とんま、ほんま、まんま、れんま」、なども並んでいます。英詩では、脚韻(rhyme)を踏むことが多いので、早くから英語の「ライミング・ディクショナリー」というものができているようです。今では、コンピュータのプログラムで割合簡単にこういう辞書が作れるらしい。やれと言われても私にはできませんが。
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低音の魅力
念願かなってBOSE社から発売されている「ウェーブミュージックシステム」というものを手に入れました。AMとFMのラジオが聞けて、CDプレーヤーにもなる、ラジカセのうんと進歩したような仕掛けです。上から見ると広げた扇の紙部分のような形をしています。長い円弧(正面)がほぼ40センチ、短いほうが25センチほど、奥行き23センチ、高さが10センチ足らず、ごく小型の電蓄(古語!)です。値段が張るので、購入を決めるまで逡巡を繰り返しました。
さすがボーズ、音質の上等なことといったらありません。壁から50センチ以上離さずに設置すると「豊かな低音が得られます」というふれ込みです。スピーカーの音が壁に反響する分も計算のうちに入っているらしい。たしかに、ティンパニやコントラバスなどの低音の響きがしっかりと聞こえてきます。
昔はふすま1枚分もある大スピーカーで聞かないと低音がきれいに出なかったようです。親戚にオーディオ・マニアがいて、若いころ、その人の家で聞かせてもらったことがあります。うらやましかったものです。いまや、おそらくそのときの音質をしのぐスピーカーが、この小さな機械に備わっているのでしょう。音量を上げても音が割れるということがありません。『ドン・ジョヴァンニ』を聞きながら書いています。むろん、ドンナ・アンアのソプラノも耳に心地よく響いてきます。
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メドウセージ
メドウセージの花が私のところでも毎年咲きます。もうそろそろ終わりですが、蝶々や蜂がまだ蜜を求めて飛んできます。綺麗な花なのでネットでも写真がたくさん見られます。その一つにリンクしておきますので、どんな花か知りたい方は飛んでいってください(→こちら )。
ヘビが大きな口を開けて舌を出したようなカタチで、虫も恐いのではないでしょうか。親から教わって蜜を吸いに来るのでもなさそうですから、初めてあの長い吸入口(名前を失念)を差し込むのは勇気がいるでしょうね、きっと。
夏の暑い盛りから長期間にわたって咲き続ける花ですね。2週間ほど前にも、大ぶりのカラスアゲハが止まっていました。アオスジアゲハも訪ねてきましたし。タテハチョウの仲間もいろいろ見たと思います。蝶々はめっぽうくわしい人が多いので、うかつなことは書けませんが、この夏以来見たのはこんなところでしょう。
蜂も多かった。郵便受けのそばまで花が伸びているので、おととしだったか、夕刊を取ろうとして、刺されたことがあります。
ハーブというのは、やたらに増える植物なのですね。せまいせまい地面に植えてあるわけですが、他の草花を蹴散らすように繁茂します。いつ刈り取ってさっぱりさせるか、潮時を見ているところです。
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リメーク版・12人の怒れる男
名作『十二人の怒れる男』(12 Angry Men)のリメーク版(タイトルはぶっきらぼうに「12」のみ)を先週見ました。ニキータ・ミハルコフというロシアの俳優・監督の作品です。ミハルコフも陪審員長役で出ています。もちろん、全編ロシア語です。当然、字幕を追いかけながら見たのですが、ロシア語で、弁じたり、反対したり、怒ったり、脅したり、するのがごく自然に頭に入ってくるのが不思議なくらいです。演技する俳優たちの力量というものでしょう。
物語の骨格は、シドニー・ルメットの前作をそっくり踏襲しています。じつは、次の日、DVDを借りて異同を確かめました。確かめずにいられないほど圧倒的な作品に仕上がっていたからです。
前作は、アメリカの50年代の世相を反映しつつ、「議論によってものごとを決める」、という民主主義の基本を声静かに訴えるおもむきがありました。主役のヘンリー・フォンダがカッコよかった。
ミハルコフの、このリメーク版は、舞台を、現代のチェチェンに設定しています。ロシアとチェチェンの戦闘シーンがフラッシュバックで入ったりして、怖い映像が何度も出てきます。大雨の街で、破壊されたジープに引っかかったままの兵士の死体がある。黒い影が向こうからやってくる、あれは何だろうと思わせて、陪審員の協議のシーンに戻るということを、5回ほど繰り返します。最後にその黒いものの正体が分かる仕掛けでした。
前作でも、英語がよく話せない陪審員が出てきましたが、この作品でも、ロシア語を上手には話せない、しかしそれでも医者になれた、というチェチェン出身の人が出てきたりします。多民族国家における悲劇という点でも共通点があるのですね。
2時間40分もかかる映画ですが、長いと感じるいとまも与えません。12人の陪審員(みんな男、当然これも前作と同じ)を演じる役者が、そろって芸達者です。途中から、チェーホフの芝居を見ているような、ドストエフスキーの小説の中の会話を聞いているような、そんな気分になります。ロシア語はダー(イエス)とニエット(ノー)くらいしか分かりませんが、説得したり議論したりするのに向いている言語なのだろうなあ、としみじみ思いました。もうひとつ、こわれかけたピアノで演奏される民謡風のメロディーをはじめ、全編を流れる音楽がすばらしいものでした。 傑作だと教えてくださったアライさんに感謝!
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