パパ・パパゲーノ -52ページ目

タモリの弔辞

赤塚不二夫さんの葬儀でタモリさんが読んだ弔辞が評判になっています。心のこもったいい弔辞でした。



この動画を見ていたら、すぐそばに「徹子の部屋」でやった、「博多うどん」についての「外国語ものまね」が出ています。こちらは、黒柳徹子さんが文字通り笑いころげています。やっと、YouTube の動画の貼り付け方がわかったので、やってみました。ね、おもしろいでしょ?

パターナリズム

 「民は寄らしむべし、知らしむべからず」という標語というかスローガンというか、そういうものがあります。封建時代の支配者たちはそんなふうに考えていた、けしからん、という文脈で理解されることが多い。「人民は庇護を与えておくだけにするのが当然だ、余計なことは知らせないでおくことだ」のように、「べし」は、「当為・当然・義務」の意味に解釈されてきました。本当は「可能」の意味で使われたのだ、という説をなす人もいます。「民は、寄ってこさせることはできるが、意図するところを理解させることはできない」というような意味になります。どちらにしても、お上がいてあれこれ差配してくださることには変りがないようです。


 英語からきた術語に「パターナリズム(paternalism)」というのもあります。「パーテル(pater)」がラテン語の「父」ですね。パターナルという形容詞になって、「父の、父らしい;父のような」という普通の意味と、「父方の」というのもあり(paternal grandmother 「父方の祖母」のように)、最後のほうに(歴史的に現代に近いということでもないでしょうが)、「家父長的な」という語義が出ます。術語と言った「パターナリズム」は、「(国民や従業員に対する)父親的温情主義;家父長的態度」という意味です。


 銀行がつぶれると国民が困るから公的資金で補填します、などというのが「パターナリズム」の代表ですかね。「家父長」というのも実態がなくなって久しいのに、そういう態度だけは残っているので、やむなく外来語を使っているのかもしれません。評判の悪かった「後期高齢者」という言葉も、思わずパターナリズムの本音が出たものらしい。パターナリズムだと分かると、どうしても「余計なお世話」という反応が出てしまいます。前期高齢者記す。


パンダ        パンダ        パンダ        パンダ        パンダ

高圧洗浄機

 テレビ通販で高圧洗浄機というものを買いました。小ぶりな掃除機ほどの大きさの本体に、水道管からホースで水を引き、反対側に差し込んだ、細い高圧ホースから勢いよく水が飛び出す仕組み。ストレートに棒のように水を出すノズルと、シャワー状に出るノズルの2本がメインです。シャワーが、見た目は、ちょっと勢いのある散水車のシャワーのようですが、ずいぶん力があります。外壁にうっすら張り付いた緑色のカビ(でしょうね)なんかが見る見る落ちます。(ガレージ用に作った)屋根なしコンクリート地面にこびりついた、カビ、土汚れなど、今まで洗剤を撒いてデッキブラシで掻いてもとれなかったのが、こちらも気持よいほどキレイに落ちました。


 欠点は、圧力を高めるモーターの音量の大きいことです。ご近所さんに気兼ねしいしい使わざるをえない。もうひとつ、水の消費量がものすごい。これは、仕方がありませんね。


 備え付けのホースだと長さが足りなくて届かないところができてしまいます。3週間ほど前、いちど届くところだけの掃除をしました。ホースを延長するために、散水用の、グルグル巻きするホースの先端の器具をはずして、代わりに、ワンタッチでホースをつなぐ部品を付けたいと考えた。それを探しにトステム(という名のホームセンター)に行きました。500円内外で買えるアタッチメントが、じつに様々あるんですね。おかげさまで、ようやく家の外側全部に水をかけられるようになりました。それだけでひと仕事終わった気になった。


 便利な道具があると、それだけで心豊かになります。この高圧洗浄機、2万円でおつりがくるくらいですから、トクな買い物でした。今のところ。


てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし

おそまつさま

 神保町の、有名な老舗の蕎麦屋の先代のおかみさんは、勘定を払って店を出る客に、「おそまつさまでございました」と挨拶するのが常でした。そう言われると、なんだか本当にまずい蕎麦を食べたような気になったものです。


 「粗末な食事」とか、「お金を粗末にするものでない」とか、「お」のない「粗末」は、「雑;貧相;ぞんざい」などの概念をあらわしますね。それに「な」がついて「形容動詞」という品詞に分類されます。


 いつも頼りにする『明鏡国語辞典』には「お粗末」という見出し語も出ています。「上等でないこと、出来のよくないことを軽蔑して、また、謙遜・自嘲の気持ちを込めていう語」と説明されています。品詞は「名詞・形容動詞」。「われながらお粗末な話だ」「お粗末様」という例文が添えてある。


 「おそまつさま」という挨拶は、「提供したものが粗末なものだった、すみません」という、謙遜とお詫びの気持が含まれています。それに、「ございます」を付け加えると丁寧の度が過ぎて慇懃無礼に響くのですね、おそらく。「おそまつさま」は、ご商売の用語としては適切ではないのでしょう。ご近所や、家族・親戚・友人などの関係で使うのにふさわしい言葉だと思います。


 似たような表現に「おあいにくさま」というのもあります。『明鏡国語辞典』では、「お生憎様」で見出し語に立っています。「おあいにくさまですが、今日はもう閉店でございます」「おあいにくさま。そんなご心配はご無用です」というのが例文。「ご期待にそえないで申し訳ない;悪いけどあなたなんかのご期待に添ってやるもんですか」という、お詫びと皮肉と、ふたつの使い方があります。


 ことばの構成としては、次のような表現と同じなのに、ことばの働きがちがう。


 お二人さま  お姫さま  お客さま


「お~さま」の~の部分が、具体物と抽象概念の違いだと説明できるのでしょうが、「カタチが同じなら意味も同じ」という大原則に照らして統一的に説明してくださる方はいないでしょうか。前から気になって仕方がないのです。


 というわけで、どうも、はばかりさま(これには「お」がつきませんね)。


パンダ        パンダ        パンダ        パンダ        パンダ

 


 

  

バックアップ

 ノーアウト、ランナー1塁で、バッターのカウントが1ストライク2ボールなどというときに、ランナーは盗塁を仕掛けることがあります。キャッチャーが2塁ベース目がけてボールを投げる、2塁手あるいは遊撃手がベースに寄って、ランナーをアウトにしようとします。
 
 ベース・カヴァーに入るのを、2塁手かショートかどちらにするか、咄嗟の判断でベースに近いほうが入ります。その場合、片方は、キャッチャーと2塁ベースとを結ぶ線上の、ベースの後ろ側に回る。これを「バックアップ」と言いました。中学校で野球チームで遊んでいたとき(対外試合もしたレッキとしたチームですが、実態は遊びの域を出なかった)、この「バックアップ」ということを教わったのだったと思います。
 
 それと似た守備陣のプレーとして、「中継」というのもあった。ふたたび、ノーアウト、ランナー1塁のケース。ライト線ギリギリの2塁打になるヒットを打たれて、ようやくライトが追いついて、ボールをサード・ベース目がけて投げる。今ではイチロー選手が、弾丸のように直接サードへ届く投球をする(ばかりでなくアウトにする)目ざましいプレーの見られるシーンですが、そんなに肩が強くない右翼手の球を、セカンドなり、ファーストなりの野手が「中継」して、サードに達するランナーをアウトにしようとします。
 
 この、「バックアップ」とか「中継」というプレーが、野球というチーム・プレーの精髄だったのだと、高校野球やオリンピックの野球やを観戦しながら感じていました。
 
 大人になって、仕事であれ、町内会の行事であれ、共同作業をしようとして、しにくい相手だなあと感じることがあって、そういうとき、この人はおそらく子どものころ野球やソフトボールをして遊んだことがないのではないか、と思ったりしたものです。
 
 「バックアップ」という言葉は、いまや、パソコンの入力データなどを消滅から救うために保存することをもっぱら指すようになりました。


カメ        カメ        カメ        カメ        カメ