パターナリズム | パパ・パパゲーノ

パターナリズム

 「民は寄らしむべし、知らしむべからず」という標語というかスローガンというか、そういうものがあります。封建時代の支配者たちはそんなふうに考えていた、けしからん、という文脈で理解されることが多い。「人民は庇護を与えておくだけにするのが当然だ、余計なことは知らせないでおくことだ」のように、「べし」は、「当為・当然・義務」の意味に解釈されてきました。本当は「可能」の意味で使われたのだ、という説をなす人もいます。「民は、寄ってこさせることはできるが、意図するところを理解させることはできない」というような意味になります。どちらにしても、お上がいてあれこれ差配してくださることには変りがないようです。


 英語からきた術語に「パターナリズム(paternalism)」というのもあります。「パーテル(pater)」がラテン語の「父」ですね。パターナルという形容詞になって、「父の、父らしい;父のような」という普通の意味と、「父方の」というのもあり(paternal grandmother 「父方の祖母」のように)、最後のほうに(歴史的に現代に近いということでもないでしょうが)、「家父長的な」という語義が出ます。術語と言った「パターナリズム」は、「(国民や従業員に対する)父親的温情主義;家父長的態度」という意味です。


 銀行がつぶれると国民が困るから公的資金で補填します、などというのが「パターナリズム」の代表ですかね。「家父長」というのも実態がなくなって久しいのに、そういう態度だけは残っているので、やむなく外来語を使っているのかもしれません。評判の悪かった「後期高齢者」という言葉も、思わずパターナリズムの本音が出たものらしい。パターナリズムだと分かると、どうしても「余計なお世話」という反応が出てしまいます。前期高齢者記す。


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